やしお

ふつうの会社員の日記です。

システムをハックする首相

 安倍首相・内閣の言動がはちゃめちゃだとするなら、「どんな風にはちゃめちゃなのか」というより「どうしてはちゃめちゃが成立するのか」の方に興味があるし、「首相は愚かだ」と嘆くよりは「愚かな事態をシステムはどのように許したのか」を知りたい。
 今の時点でどう見えているか記録を残しておけば、10年後くらいに読み返して面白いかもしれないと思って。


はちゃめちゃが成立する構造

 はちゃめちゃが安定して存在するには、「はちゃめちゃを許容する構造」と「はちゃめちゃを用意する構造」の両方が必要になる。
 おふとん(=眠気を許容する構造)と眠い人(=眠気を用意する構造)の両方がそろって安定した睡眠が成立するみたいな感じ。おふとんだけあっても全く眠くなければ睡眠は発生しないし、眠い人がいてもおふとんが無ければぐっすり眠れず目が覚めてしまう。
 それから眠くなかったのにおふとんに入ったら眠くなってしまうといった、「許容する構造」によって誘発されることがある。今の安倍首相はこの誘発でよりはちゃめちゃしているのかもしれない。


 一つ目の「はちゃめちゃを許容する構造」を支えているのが「内閣支持率だけを重視する」という行動様式で、これをもう一歩進めると、支持率に影響のあることとないことを上手に分離した上で、「支持率に効く箇所を手当すること」と「それ以外は無視すること」になる。いくらはちゃめちゃでも、支持率にダイレクトに影響を与えそうなことは上手に回避していて、そのあたりがシステムをハックしてるなあと感じるところ。
 55年体制下で最もシステムをハックしていたのが竹下登だったとすると、現体制で最もハックできているのが安倍晋三なのかもしれない。(ただ竹下のシステムハックはかなり意識的だったとしても、安倍のシステムハックは自覚的ではないかもしれない。)
 それから「支持率に直接効かない箇所を無視できる」のをメインで支えているのが、中選挙区制から小選挙区制への移行という構造転換になっている。「効かない箇所」は、主に建前や本来の目的に該当する部分で、それは立憲主義だとか国会の存在目的とか、あるいは歴史のジャッジを受けるといった意識だったりするけれど、その辺をないがしろにできてしまう構造がある。もう少し細かく見ると「現在小選挙区制であるということ」と「かつて中選挙区制であったということ」に由来する部分がそれぞれある。


 二つ目の「はちゃめちゃを用意する構造」、どうして他の誰でもなく安倍晋三なのか、を支えているのがナショナリスト団体の相対的な影響力の増大にあると考えていて、無知で無恥な人を押し上げる要因になっている。
 それから、内閣支持率だけ重視する態度と、ナショナリスト団体の相対的な影響力の増大を外側から支えているのが、日本では選挙以外の民主主義を補完する機能が弱いという特徴になっている。また、支持率に効く箇所を手当すること、小選挙区制へ移行したこと、ナショナリスト団体の影響力増大の遠因になっているのが経済構造(の変化)だと考えている。


 そんな次第で、首相や内閣のはちゃめちゃな言動を成立させている構造は、今のところだいたい↓のようなイメージで捉えている。

 3世議員で、ナショナリストで、経済政策を重視して、国会を軽視、内閣支持率で自身の正当性を主張し、法感覚が欠落している、といった安倍首相の特徴が、システムへの適合として見ることができる。よく「昔だったら内閣が2,3個吹っ飛んでてもおかしくない」といった言い方を見かけるけれど、それでも安定しているのは、それでシステムへ適合しているからだ。


最適化すると目的からズレる

 前提として、「システムに適合すること」が「本来の目的」とズレてしまうという認識がある。


 ルールはある目的で作られる。人の行動をある方向に導く/防ぐといった目的でルールが設定される。みんなが慣れていないうちはルールがよく目的に沿って機能する。しかし時間が経つとルールの穴をついたり、裏をかいたり、逆用したり、ギリギリを攻めたり、バグが発見されてくる。ルールを上手に利用した人たちが得をするようになって、みんなの行動が本来の目的に合致しなくなってくることがある。ルールには賞味期限がある。


 例えばはてなブックマークももともとは「いい記事をみんなで共有できたらいいよね」という目的だったとしても、アクセス数稼ぎで質の低い記事にニセユーザーがたくさんブックマークをつけて汚染されるという事態が起きたりした。それでルールが改正された。
 その後、「他の人がいいなと思った理由も見られたらいいよね」というコメント機能から、否定的なコメントで☆を集めて自尊心を満たす行動様式が生まれて、「気に食わない記事」や「炎上してる記事」ばかりが共有されるようになったりした。そんな風に当初の目的からのズレが起こる。ただ、一言コメンテーターの台頭も元は「みんなこの記事に騙されてるから教えてあげよう」といった良心から発していたりする。悪意や損得から目的のズレが発生するとは限らない。安倍首相のシステムハックも本人に悪意はないんじゃないかと思う。(悪意がないからズレたまま平気でいられる。)
 仕事なんかでも「品質のいい製品ができるといいよね」という目的で設計レビューなんかを初めたのが、みんなが適応していった結果、レビューを上手にすり抜ける技術ばかりが上がったりする、といった目的とのズレがしょっちゅう起こる。


 国会であれば「みんなで議論を尽くしていい法律を作ろう」とか「法律をこうした経緯をきちんと記録しよう」といった本来の目的からすれば、メンバーである国会議員は法律や行政や現実の課題に詳しくないとダメだということになる。本来の目的に合わせて努力してる人(議員)から見れば、目的を逸脱して最適化した人たちのことは「恥知らず」「不誠実」「舐めてる」と見えるに違いない。でも、そんな「恥知らず」な方が得してしまう。目的や建前を蹂躙してでも「よりルールに適合して利益を獲得している」人の方が強い。
 高校野球で敬遠したり相撲の立ち合いで変化したりすると「卑怯だ」「ふさわしくない」と言う人がいるけれど、あれも(本人が考える)「本来の目的」、高校生の精神修養だとか、相撲は神事だとかからズレてるから怒っていて、でも結局はルールに上手に適合した方がゲームには勝つことになる。


 ルールのシステム(規則体系)に適合することと、目的に適合することはイコールじゃない。現実の豊かさに比べて規則体系ははるかに貧しくあらざるを得ず、そのために規則体系への最適化が結局、現実に対してはせいぜい部分最適にしかならない。


(1) 内閣支持率のみを重視すること

 安倍首相のハックの仕方の肝は、内閣支持率(あるいは政党支持率)しか重視しない、という点にある。国会が立法機関であることとか、憲法による国家の制約とか、過去の経緯とか、為政者としての慎みだとか、いろいろな建前に縛られずに、ただ「内閣支持率が安全圏にあること」だけを目的にシンプルに行動を組織していく。ふつうは「不誠実だ」とか「恥ずかしい」と思って建前と両立させようとするけど、そこがすっぽり抜けているから強い。


 内閣支持率が全部だという感覚はたとえば、個別の政策の支持率が低いことを指摘されても「しかし内閣支持率はあるから自分は支持されている」といった言説となって表れてくる。たとえば憲法改正を選挙中に全く争点に挙げなかったのに、選挙が終わってから「私は支持されている、だから憲法改正は国民の支持があるんだ」と言う。あたかも内閣支持率が国民からの全面的な委任状のような言い方をする。


(1-1) 支持率に効く箇所を手当てすること

 「支持率を重視する」ということは「支持率に効く箇所を見極めて適切に処理する」ということになる。安倍首相の言動や判断を見る限りその「効く箇所」は「国民の気分を直接害するもの」と見なしているようだ。


 その第一が、人生の苦しみに直結する経済・景気で、アベノミクスへの注力ということになる。最低限「なんとかしようとしている」「民主党政権よりはるかにマシ」というイメージを維持していくことになる。
 '12年の衆院選で自民党のマニフェスト(パンフレット)の最初が東北震災復興、二つ目が景気回復となっており、'14年の衆院選、'16年の参院選はともにトップが景気回復となっている。(ちなみに憲法改正はどのパンフレットも一番最後に小さなスペースを割り当てているだけで、選挙期間中もほとんど争点として取り上げていない。)
 '12年の国会での党首討論上で、野田首相から「議員定数削減を約束してくれたら11月16日に解散する」と突然言われた安倍総裁は「国民の皆さんに委ねようではありませんか、どちらが政権を担うにふさわしいか、どちらがデフレを脱却し、そして経済を力強く成長させていくにふさわしいか」と答えている。政権交代が確実視された解散の時点で「選挙の争点は経済のみ」という認識をはっきりと見せている。
 それから特に、10%への消費増税を二度延期している。財政規律派からの反対を押しきってでも景気回復を優先できる人物、民主党が作った消費増税の法律をストップできる人物、というイメージの形成に大きく役立ったんじゃないかと思う。


 経済以外の「国民の気分を害するもの」への手当てもかなりしっかりしている。
 たとえば首相が稲田防衛相も金田法相も切らずに、今村復興相はすぐに更迭したという行動も同じ文脈で捉えられる。組織管理・運営能力や理解力や答弁能力が明らかに足りないことより、不倫や失言は即座に国民の感情を刺激するからまずい、という現実に対して正確に反応しているマシーンという感じだ。支持率に影響が出るラインを見極めるチキンレース的なことをしているようにも思えてくる。「はちゃめちゃな答弁が与える支持率への影響」と、「更迭することで『自分の人事がダメだった』と認めることの支持率への影響」を天秤にかけているのかもしれない。
 この辺は首相1回目で、閣僚のスキャンダル、自殺、失言、不祥事が相次いで、切るのが遅くて結局総辞職に至った思い出にもよるところが大きいのかもしれない。
(メディア対応という点でも、もともとお上からのリークに頼っていた報道機関に対して、「報道の意義」といった建前は全部捨てて、都合の悪い記者・紙・局にはリークしてあげない嫌がらせ、都合の良い相手には手厚く優遇といったことをしているのかなという気もするけれど、この辺はあまり詳しく知らないから漠然と想像しているだけ。)


 どれだけはちゃめちゃに見えたとしても、致命傷を負う箇所に関してはしっかり手当てをしている。


(1-2) 支持率に効かない箇所を無視すること

 一方で内閣支持率に大きな影響を与えない(と思ってる)箇所についてははちゃめちゃしてる。


 首相本人が「2020年に憲法改正目指すという発言はどういうつもりか?」と国会で聞かれたら「読売新聞を見てね」と答えたのもはちゃめちゃの極みだけど、支持率に影響しない(と思ってる)箇所はとことん雑にやるという意味では態度が一貫している。普通は「ちゃんとやること」と「支持率を保つこと」を両方やろうとするけど、後者のみに特化している。
 首相や閣僚が答弁にまともに答えないという態度も、発言がマスコミに切り取られて一人歩きすると制御できないし、場合によっては致命傷になるといった認識の上の行動なのかもしれない。誠実に答えようとして追い詰められるくらいなら、不誠実でも回避し続ける方が良い、誠実さの満足をとことん捨ててでも支持率への影響を回避するように行動しているのだと思うと、本当に一貫しているという気がする。


 '15年の安保関連法もすごかった。与党が参考人として憲法学者を呼んだら全員「違憲です」と言い出して、菅官房長官が「『違憲じゃない』という憲法学者もいっぱいいる」と打ち消そうとするから「いっぱいって誰?」と聞いたら3人しか名前を挙げられなくて「数の問題じゃないです」と言い出した。ほとんどコントの域だったけれど結局、法律は成立した。
 今の共謀罪も「テロ等準備罪」と名前を変えたのは本当にずるいし上手だ。「テロの防止に役立たない上にゆるゆるな条文でやばい運用になりかねないから直せ」という極めてまっとうな批判に対して、「ちゃんと運用するからいい」「こいつらはテロを防止する気のないやつらだ」とレッテル貼りしていく作業も、本当によくできている。どうせ一般人は法案の中身なんか見ない、法案の名前しか見ないから大丈夫という気持ちがここまであからさまだと、いっそすがすがしささえ覚える。「公式な記録を残す」「最終的に歴史にジャッジされる」といった建前を捨てて、「どうせ国会で過半数を占めてるから何だって通る」(実際'15年の安保法もそうだし)という実態だけをとことん選び取っていく。
 森友学園・加計学園の話も、官僚が首相周辺へあからさまな利益誘導をしていく、わざわざルールを改変したり回避するスキームを組み立ててあげているということをしている。それ自体は官僚の人事権を官邸側が掌握する仕組みに起因するだろうし、昔も無関係の予算を無理やり土建業者に流したりしていたので誘導先が変わった(票田が変わった)だけとも言える。しかしバレた後の対応がすごい。まともに答えずにひたすら長引かせていけば国民はそのうち飽きる、ずっと「合法だ」と言い続ければいい、その間に他の重大時が起きれば「些末なことを言い続けて重要なことを進めない野党」のイメージに追い込めば支持率に決定的な影響を与えないというはちゃめちゃな対応をしている。


 近ごろヤフーニュースの人気コメント上位を眺めていると、安倍首相には厳しく、しかし民進党にはもっと厳しく、「テロ等準備罪」には賛成(テロを防ぐ法律だと信じているため)、という傾向になっている。以前は安倍首相には擁護的なコメントが人気だったけれど逆転している。「ちゃんと答えていない」「嘘をついている」というイメージで捉えられている。「ネット民」に限らず割と一般的な大多数の認識もこんな感じにシフトしてきているのかもしれない。
 個別の政策については支持率が低かったりするし、首相個人への批判も見られるけれど、内閣支持率・政党支持率はそれなりに安定している。


(1-2-1) 現在、小選挙区制であること

 内閣支持率に効かない部分ではちゃめちゃが許されているのは、衆議院での選挙制度が、かつての中選挙区制から小選挙区(+比例代表)制へ移行したことが大きかったと考えている。
 はちゃめちゃできないというのは何かしらの抑圧があるからで、政府に抑圧をかける役割を果たすのが、中選挙区制では与党、小選挙区制では野党となる。しかし小選挙区制なのに野党が抑圧として機能していないため、政府に対して抑圧がかからない(支持率に響かない部分で)というのが現状になっている。
 「中選挙区制では与党、小選挙区制では野党が政府を抑圧する機能を果たす」という点を、それぞれの制度の特徴を通して確認していく。


 かつての中選挙区制(55年体制)では自民党内部で、議員が専門分野に強い(族議員ができる)、派閥の影響力が強い、贈収賄が起きやすい、首相に権力が集中しない、与党と政府が分離している、野党に対してある程度妥協的になる、政権交代が起きづらい、といった特徴が生じていた。


 中選挙区制は一つの選挙区から複数人を選出する制度なので、単独過半数を目指す政党(自民党)は同じ区に複数人を立候補させる必要があった。つまり同じ区で自民党の候補者同士が戦い合うことになる。「私は自民党の人間です」がアピールポイントとして働かない。(実際そのころは自民党の公約を誰もまともに見ていなかった。)党に頼らずに自分で勝たないといけなくなる。そこで地元に後援会を組織してバックアップしてもらう。その見返りに地元に利益を誘導する。利益を誘導するためにはその分野のルールや仕組みを正確に把握した上で官僚を動かさないといけないから勉強をする。また同じ選挙区の他の自民党候補と票田を棲み分けるために、利益誘導の分野(業界)の棲み分けが起こる。そうして族議員が生まれていった。
 また利益を受ける側も、応援する政治家が力を増すほどリターンが大きくなるため献金をするし、贈収賄も発生しやすくなる。地元への利益誘導を基盤としながら同一党内で争い合う選挙戦のため選挙資金がエスカレートしていった結果、候補者側も資金を必要とするし、応援者側(業界等)もそれに応えようとして贈収賄に発展しやすい。
 地元に利益を誘導するには政権内での影響力を増す(当選回数を重ねる、大臣になる等)必要がある。国会は最終的に多数決で決まる数のゲームであり、党内部も総裁選出は多数決なので、議員の数をどれだけまとめられるかで影響力が決まる。そこで党内の派閥が機能していくことになる。派閥間での敵対・協力を繰り返して「派閥政治」が生じる。政権に対する派閥の影響力によって大臣などのポストが分配される。また派閥は選挙資金を集めて所属議員に分配する機能なども通して議員側に対する影響を増す。


 「自民党」という看板より派閥の力で当選しているため、党執行部(総裁)への権力集中が起こりにくく、派閥に権力が分散する。その結果、権力基盤を安定化させることが難しく首相・内閣が安定しないことがある。たとえば55年体制末期の海部内閣は支持率50%を超えていながら党内で「海部おろし」が起こった結果退陣させられている。国民の支持と乖離することがあった。与党が政権を倒す「○○おろし」の緊張感が発生するため、法案を強引に通そうとしたり国会をないがしろにしたりするといった行為がある程度抑制されていた面があった。
 党執行部と派閥の間の緊張関係は、政府と国会の分離という形式として表現された。国会は政府をチェックしている、だから与党も政権批判をする、という建前がかつては存在していて実際、与党が公然と政権批判をしていた。これによって「一党独裁」という批判に対して「自民党には自浄作用がある」という弁解が機能していた。「政府与党連絡会議」の存在や、党首討論で自民党だけが幹事長を党の代表者として出すといった慣習が、国会と政府は独立という建前の表出になっている。
 本来の議員内閣制における、政権党と政府は当然一体であって、だから国民が選挙で政党を選択することが政権を選択することになる、という前提は55年体制下では崩れていた。


 自民党議員は当選回数を重ねるごとに、あるいは大臣などになるに従って政策への影響力を増して、地元へのリターンを大きくしてより選挙での基盤が磐石になっていく。一方で野党はそんな自民党の候補者に対して、党ではなく個人として勝つのは難しい。一つの区に複数候補者を立てる力はなく、当然単独過半数を得られることはなく政権交代は起きない。
 自民党の側も、単独与党を維持するためには国民へのガス抜きとしてある程度野党に妥協する方がトータルで有利だったし、野党の側も「自分達が批判したから政府が妥協した」と「仕事してる」アピールができて都合がよかった。政権奪取を目指さない限りは、55年体制は野党としても居心地のいいシステムだった。そうして結果的に自民党支配が安定していた。


 そんな中選挙区制というシステムへの適合をとことん推し進めていったのが田中角栄→竹下登の経世会系だったのだろうと思う。特に55年体制の末期に位置する竹下登が最もシステムハックしていて、独自の議員採点法を編み出して全議員のランクを正確に算定していたり、国会日程の巻物を作ったり、竹下→宮澤まで4つの内閣で実権を握って、55年体制崩壊後に自民党が下野してから与党へ復帰する際も、連立を組んだ社会党委員長の村山と旧知だったり、その後も橋本→小渕と経世会から首相を出している。


※ちなみに自民党の派閥の流れについては↓でまとめている。
自民党の派閥のおおまかな流れ - やしお


 そんな風に竹下あたりでシステムハックが極まった中選挙区制は、目的からのズレ、弊害の方が目立つようになって小選挙区制へ移行していく。
 この移行は主に政治資金関係(特にリクルート事件)の国民からの批判が増大したのが直接的な引き金になっているものの、経済構造の変化に耐えられなかったというより大きな背景があった。内閣が安定しない、首相に権力が集中しないという特徴(欠点)は、長期的な政策を立てづらく、全体最適ではなく部分最適の政策になってしまう。ボトムアップ型の決済方式だとどうしても部分最適にしかならずお金の無駄遣いが生じてしまう。高度経済成長期であればパイが拡大し続けているからカバーできた無駄遣いも、80年代末〜90年代頭に経済成長が終了して耐えられなくなってくる。そうした背景が小選挙区制への移行を後押ししている。
※小選挙区制でも、安倍→福田→麻生、鳩山→菅→野田と約1年交代で内閣が安定しない時期があった。これは衆参ねじれが発生して明らかに衆議院解散での政権交代待ちの状態に入ってしまうと、国会運営は難しくなるし党内で執行部への求心力も保てなくなるしで、なんとか首相をすげ替え続けて延命を図っている状態。この小選挙区制での「政権交代待ちに入って内閣が不安定になる」というのは、中選挙区制での「政権交代が控えているわけでもないのに内閣が不安定になる」という話とは本質的に異なる。


 小選挙区制は、こうした中選挙区制のちょうど反対の特徴を持つことになる。


 小選挙区制は一つの選挙区から一人を選ぶ制度のため、同じ党が同じ選挙区に複数人を出馬させるということは起こらない。立候補者が同時に党を代表することになって「人を選ぶ」から「党を選ぶ」性格の選挙になってくる。立候補者は個人をアピールするだけでなく党をアピールすることになるし、党のマニフェスト全体を説明する必要が出てくるし、特定の分野だけを勉強するようなリソースが割けなくなってくるしインセンティブ自体が働きにくい。以前のような政策通がいないといった批判はこのあたりに関係してくる。
 また「党に公認されること」が死活的に重要になってくるため、公認権を持つ党執行部に権力が集中する。党内派閥は影響力を持たなくなってきて純粋な勉強会や、あるいは総裁選に限った影響力だけを残していくようになる。
 野党も中選挙区制では「与党と一緒に当選」もできたけれど、小選挙区制だと相手を倒さない限りは議席を獲得できないわけで、野党同士で票を割っていたらいつまで経っても当選できないので選挙協力や合流を進めることになって結局、二大政党制へと近づいていく。
 この点で与党は野党に妥協したり譲歩したりする余地がない(55年体制のように野党を生かさず殺さず状態にしておく必要がない)。自民党が野党の意見を聞かなくなった、独善的になった、というのは当然の態度ということになる。


 小選挙区制に変わって最初の選挙があったのが橋本内閣のとき('96年)で、その10年後('05年)小泉内閣の郵政選挙でこうした小選挙区制の特性(の一面)があらわになった。あのとき小泉首相が「自民党をぶっ壊す」と言って、「抵抗勢力」に党の公認を与えずに「刺客」を送って結局大勝ちした。あのとき抵抗勢力呼ばわりされたのが経世会系(平成研究会系)でとことん弱体化させられた。(小泉純一郎は清和会系。ちなみに森、安倍、福田も清和会系なので15年以上ほぼ清和会系の首相が続いている。)
 中選挙区制にとことん適合して勢力を誇ったのが経世会で、そのあと小選挙区制を利用して経世会を滅ぼしたのが清和会、という構図になっている。政権党内で派閥が争うという中選挙区制の形態が完全に終了したのがこのときだった。小泉以降に第一次安倍からは破壊後の再統合(党内融和)が進められた。その過程で離党させられたり落選させられた人たちを再度取り込みながら、派閥を骨抜きにして執行部への権力集中が進められていく。
 一方で'03年に民主党に自由党が合流して二大政党化して'09年に政権交代が起きたので、小選挙区制が帰結する形態である、与党内派閥の弱体化、二大政党制による政権交代が実現した。


 中選挙区制では派閥に権力が分散されるため政府への抑圧は与党が果たすことになる。一方で小選挙区制では執行部へ権力が集中するため政府への抑圧を与党が果たすことはない。政府に抑圧があるとすれば「政権交代が起こる」という恐れだけで、その意味で小選挙区制で政府への抑圧は政権交代可能な野党が果たすことになる。
 安倍首相・内閣のはちゃめちゃな言動について「昔だったら2,3個内閣が飛んでたのに」という感想をよく目にするけれど、執行部への権力集中が完了した現在は、自民党内で「安倍おろし」が起きて「内閣が飛ぶ」こと自体が考えづらい。政党支持率が落ち込んで政権交代の恐怖がはっきりしてこない限りは「○○おろし」は起きない。


(1-2-2) かつて中選挙区制であったこと

 小選挙区制では政権交代可能な野党の存在が政府への抑圧として機能する。そこが現状で機能していないため、安倍首相・内閣のはちゃめちゃな言動が成立している。その機能不全は「かつて中選挙区制だったこと」に淵源している。


 '09年に二大政党制で民主党への政権交代が起きた。('93年に自民党が下野した時は、それでも第一党は自民党で、非自民・非共産の連立政権だったので、二大政党制による政権交代ではなかった。)と思っていたら、民主党が公約をずるずる撤回し続けた結果「政権運営能力がない」という致命的なイメージを負ってしまった。(当時は特に、沖縄基地移設の公約「最低でも県外」の撤回の影響が大きく、鳩山内閣が総辞職するに至った。)
 その結果、民主党政権が誕生した'09年9月時点で民主党42%、自民党19%だった政党支持率が、自民党政権に戻った'13年1月時点で民主党8%、自民党38%となり、その後ずっとその水準で4年間推移している。議席(衆議院)も3倍の開きがある。
 最大野党との差が安定的に広がりすぎた現実の中で政権交代という政府への抑圧が機能しない。これが首相・内閣のはちゃめちゃを許している構造として働いている。


 イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領のような、はっきり世界に向かって見せつけるようなイベントが起きたわけでもないまま、小選挙区制なのに55年体制みたいな与党一強になるという悪夢へぬるぬる突入してしまったのが日本という国の現在ということになる。


 こうした文脈で見ていると、この前ニコニコ超会議で民進党が「VR蓮舫」を出して話題に、というニュースを見たときは強い怒りを感じた。蓮舫代表の激しい追求に耐えるVRゲームだという。「追求する野党」のイメージで行こうという姿勢は、小選挙区制での野党第一党に許された振る舞いではない。「私たちは野党としてちゃんと追求したんですけどねえ」というポーズは55年体制下の野党の振る舞いでしかない。「自分達が政権党になること以外に抑制する術がない」という認識に欠けた姿勢を最大野党に見せられるのは、この制度下で生きる国民の一人としては耐え難い苦痛だ。
 与党側が「批判ばかりで非建設的な野党」「国の足を引っ張る存在」というイメージをつけにかかってきているのに、「追求する野党」のイメージ路線で行くのは相手の術中そのものだ。
 自民党政権が経済重視で安定しているのならもはや、経済政策は基本的に継承、ただしその他政策はイデオロギー的に差別化する、あの3年間で政権運営をちゃんと学んだ、だから政権党になる、と開き直ってもらわないと困る。民進党が好きなわけではなくても、それでもあなた方が政権交代を言い続けないと小選挙区制が悪夢のままになるんだから存在意義をかけてやってくれないと困る、という状況に陥っている。


 現在のこの事態は「民主党(民進党)がダメだからだ」と言われがちだけれど、そうではなくて構造的な問題だと思っている。
 実は同じことが以前にも起こっている。社会党(社民党)の事例が該当する。55年体制が終わって8党連立の細川内閣が'93年に誕生した際、社会党は第一党として与党入りした。その後離脱して衆議院第一党の自民党と組んで自社さ連立政権を立て、委員長の村山富市が首相となって、次の橋本内閣では連立→閣外協力→野党と与党から距離を取っていった末に、分裂・極端な弱体化に至った。55年体制下でずっと最大野党であり続けた社会党が、現在は社民党として衆議院2人、参議院2人で最下位、政党要件の「国会議員5人以上」を満たせずに「選挙で得票率2%以上」の条件を満たしてギリギリ政党でいる状態にまで弱体化してしまった。
 社会党は、それまで左派として日米安保反対、自衛隊違憲、国旗国家反対という主張を続けていたが、与党になって(特に村山首相を出して)180度転換した。特に外交・安全保障面で政権党として現実的に対処しようとするとイデオロギーを維持することが難しかった。妥協を繰り返した末に、譲る限度を越えたところで与党から離脱し、民主党への離党者を大量に出した上、支持も失う結果になってしまった。
 民主党が与党になった後、現実的な対処の前で公約を次々に反故にして離党者を数多く出して支持も失った姿とよく重なる。


 55年体制化で与党を40年弱勤めていた自民党に政権運営のノウハウが集中してしまっている影響が出てしまう。長すぎた野党時代に政権批判をエスカレートさせていった野党がいざ与党に回って現実に対峙すると、これまでの主張を撤回して「嘘つき」になってしまう。
 その他にも、政権党として現実的な対処を長く続けた自民党が左右両面の政策、保守的/リベラル的、経済/福祉といった広い範囲をカバーしているせいで、対立する党が政策的な差異を打ち出しにくく、二大政党化してもイデオロギー的な繋がりでまとまることができない。また後援会を組織して2世、3世と地盤を引き継いでいった自民党に対して、個人が政治家になって党に所属していく他の政党では党への帰属意識が弱い、といった面が、下野する時に離党者を多く出して弱体化するかどうかの違いとなって現れてくるのかもしれない。


 こうして「かつて中選挙区制であったこと」=55年体制で自民党が長期間政権党を独占し続けたことの後遺症が、今小選挙区制の下で野党が政権交代圧力をかけられずに首相・内閣のはちゃめちゃを抑圧できない遠因になっている。


※中選挙区制と小選挙区制の違いについては飯尾潤『日本の統治構造』が詳しい。55年体制時に地方の無数の団体から各省庁が要望の取り込み・利益配分していく仕組みといった面まで含めて、トータルで統治機構を解説している。ただ本書が書かれたのが小泉政権の時で、おおむね「小選挙区制の特徴がはっきりしてきて二大政党化してきていいね」の論調だけど、その後の顛末と現状を見たら著者はどう思うだろう、という気持ちにはなる。


小沢一郎という乖離の象徴

 安倍首相のはちゃめちゃの構造の話からは外れるけど、この二大政党になりたい、でも55年体制の後遺症で非自民勢力が瓦解してしまうというジレンマを象徴しているのが小沢一郎という存在だと思う。


 小沢一郎は、自民党が下野した2度ともキーパーソンだった。'93年の細川連立政権でも、'03年の民主党政権でも、野党をまとめて非自民政権を誕生させるのに大きな役割を果たした。それは本人も「ふつうに政権交代が起こるふつうの国にしたい」という信念で一貫しているのだと思う。
 一方でその後、政策・方針の違いから毎回、連立解消や党の分裂を進めて結果的に自民党支配への後戻りを招いてしまう。90年代に連立政権から社会党を排除するような外交・安保政策を推し進めたり、新進党を解党して自分のイデオロギーに近い議員に絞って自由党を立てて純化したり、自自公連立で与党入りした後に消費税での政策対立で自由党を保守党と分裂させながら政権離脱した。そのあと自由党は民主党に合流して二大政党化を実現させたけど、民主党政権化でまた消費税増税への反発から離党して新党を結成している。


 こうした行動は、

  • そもそも議員内閣制は、国民が政党を選択してそれが内閣を構築するものだ
  • そもそも政党の意義は、政策的に一致した政治家の集団だ

という2つの目的・理想に従った行動で、前者が野党を取りまとめる動きに繋がるし、後者が離脱・離党・解党といった動きに繋がっている。
 政策的に一致した二大政党制ができあがればこの両者は同時に満足できるはずだけど、55年体制の後遺症がそれを許してくれない。この引き裂かれた現実が、小沢一郎の党をくっつけたり壊したりというアンビヴァレントな行動を招いている。


 小沢一郎は、党をくっつけたり壊したりする点で政局的な政治家に見えるだろうし、地元重視の選挙戦を指示したり、もともと経世会(竹下派)出身という出自も(あと見た目なんかも)、泥臭い政治家のイメージで見られがちかもしれない。一方で安倍首相は憲法改正を掲げるなどイデオロギー先行の政治家に見えるかもしれない。しかし現実のシステムをハックして上手に自分の周辺に利益を誘導したり自尊心を満足させているのが安倍首相なのだった。
 安倍が理念型、小沢が現実型に見えてもこの点ではむしろ逆で、安倍が現実型、小沢が理念型になる。それで安倍が2度も首相になって安定的に政権運営する一方で、小沢は1度も首相になることなく外縁に追いやられていると思うと、建前を蔑ろにしてでも現実に最適化した人の方が得をする、という最初の話そのものがここに現れている。
 ちょうど対照的な、直線状の両端に位置する人物がこの安倍と小沢という2人になっている。



(2) ナショナリスト団体の相対的な影響力増大

 ここまでが「はちゃめちゃを許容する構造」の話で、ここからはもう一つの「はちゃめちゃを用意する構造」の話、どうして他の誰かじゃなく安倍晋三だったのだろうという話。それは、ナショナリスト団体(日本会議周辺団体)が相対的に影響力を増していったことと、ちょうど本人の特質がその支持を受けるのにぴったり嵌まったという二つの重なりの結果という見方ができる。

ナショナリズムと自尊心の基礎工事

 その前にナショナリストが何なのかを確認しておく。
 家族や仲間がひどい目にあったら怒るし良いことがあれば嬉しいのは当然で、それを日本に対しても思うのは当然だ、という感覚があったとして、それがナショナリズムそのものというわけではない。(この辺をパトリオティズムと呼んでもいいのかもしれない。)(これがリベラルの場合だと内/外という分け方ではなく弱/強の分け方で見ているため、国内外関係なく弱者にシンパシーを感じる傾向になる。)
 事実を無視したりねじ曲げてまで「日本はひどい目にあっている」「日本はすごい国だ」と言い始めるとナショナリズムになってくる。「南京大虐殺はなかった」と史実を否定したり、ありもしない「江戸しぐさ」をでっち上げたりする。保守=ナショナリズムではないから、保守の人たちは「こんなの保守じゃない」と言う。(どちらかというと「国家を超越して暴力を独占する組織が現状で存在しない」といった認識から国家を基礎単位にして考えていくのが保守かもしれない。)


 事実を拒否する、都合よく取捨選択してまで勝手な理論を組み立てる。そうした無理をするのは、守るべきものがあるからで、その守っている対象が本人の自尊心となっている。
 誰でも自尊心を満足させないと生きていけない。自分なんて生きる価値がないと思うのは誰だってつらい。それでどこかに自尊心の置き所を設定する。これは誰でもそうなのだけど、ここを「日本人である自分」に設定してしまうとナショナリストになってしまう。それで「日本は素晴らしい」「日本は悪くない」を成立させないと自分自身が傷ついてしまうから、都合よく事実を取捨選択してしまうし、「日本が悪い」と言われるとドン引きするほど反論する。あるいは自己の考えを認めさせたり広めようと驚くほどのガッツを発揮する。これらは自己防衛反応の一種だ。
 ちなみに菅野完『日本会議の研究』の中で日本会議系の団体が、'60年代末の学生運動で左翼に負けた右翼学生たちによって支えられてきたという指摘がある。半世紀前の敗北感で組織を持続させるのだからガッツがある。
 無意識に不都合な事実を排除してしまうという習慣が続くうちに、都合のいい事実の論理的な整合が取れていって「これが真実だ」と思い込んでいく。そうなると自尊心が満たされた後でももはや、「真実」が固まってナショナリズムがその人の中で定着してしまう。


 よく安倍首相(や閣僚)が勉強不足だと言われる。答弁を見ていても「自分たちが提出している法案の内容を理解していないのでは?」と思えることがある。しかしむしろ安倍首相は勉強熱心だし頭が悪いわけでもないと思う。ただ勉強の範囲が偏っていて都合の良い取捨選択が起こっているだけだ。そして固定された「真実」に向かって、一貫して真摯に努力を続けている。ナショナリストではない人々から見ると無知で無恥に見えたとしても、当人の中では「真実」が導出する教育・家族・反憲法の目的達成にひたすら邁進している結果に過ぎないということになる。


 リベラリストでもそういう人はいて、「弱者を救う自分」に自尊心の基盤を設定してしまうと、それに都合のいい情報しか集めなくなって、国家は常に加害者であると見なしたり、他人を「弱者」の地位に押し込めたりする。
 「鉄道に詳しい自分」に自尊心を置いたマニアは常に知識のマウンティングをしてしまうし、「この製品の担当者である自分」に自尊心を置いた開発者は他人のアドバイスに反発してしまうし、「優秀な子を育てる自分」に自尊心を置いた親は子供の失敗を過剰に叱ってしまう。
 自分を守ることに必死で事実を受け入れられないのは、自尊心の基礎工事が脆弱だ。例えば「自分が以前より良くなっていること」あたりに自尊心の基盤を置いている人であれば、違う意見や都合の悪い事実も「自分をアップデートする材料」に見えるため受け入れられる。しかし自分でコントロールできない要素に自尊心の基盤を置いてしまうと、外的な影響で自尊心が簡単に揺らいでしまうから「基礎工事が脆弱だ」ということになる。


 「日本人である私」というのは、たまたま日本に生まれたというだけで本人の努力とも無関係に手に入れられる。それで他にすがるものがないと、そこに自尊心の基盤を設定してしまう。経済が弱くなるとナショナリズムが増大しやすくなるのはそうした理由から考えられる。

安倍首相のパーソナリティ

 安倍首相の言動を見ているとどうしても、自尊心の基礎工事が脆弱な人だという印象を抱く。持論を否定されると必死で反論したり、ナショナリストであったりする特徴がそう見えてしまう。


 父親から地盤を引き継ぐというのもとてもしんどいことかもしれない。ましてその父親が、竹下登というスーパーハッカー、宮沢喜一というスーパーエリートと並んでニューリーダーの3人に数えられた父親・安倍晋太郎であって、首相目前で死んでしまった人だから、地元後援会から首相を目指して当然と最初から思われるところを想像するのはつらい。
 あるいは、旧制高校を1年半繰り上げ卒業して東京帝大に入り、終戦後に東大法学部を卒業した父親に対して、成蹊小学校からエスカレーターで成蹊大学を卒業して学生の時も特別華々しい活躍もない自分とを比較して負い目のようなものを感じたりもするかもしれない。
 他人の内面を勝手に推測するのは野蛮な振る舞いだけれど、状況だけを見てもふつうの人なら耐えられないプレッシャーがあっただろうとは思うし、そこで心を支えるのにナショナリズムの方向に行ってしまうというのもちょっとしょうがないという気もする。ハト派の父親との差別化でタカ派になって、「父親と自分は違う」とアピールするというのも自然かもしれない。本人が「安倍晋太郎の息子」というより「(母方でタカ派・元首相の)岸信介の孫」を強調するのもそうした文脈で理解できる。

安倍首相の来し方 その1

 1回目に首相に至る経緯を振り返ってみる。
 「若手」だった安倍は、最初の総裁選に出た時から小泉純一郎を一貫して中心的に支えていた。そのことがあって森内閣の時に小泉からの推薦を得て官房副長官になり、小泉内閣後も引き続き務めていた。一般に知名度が急上昇したのが、拉致被害者5名が北朝鮮へ戻る予定になっていたのを、官房長官(上司)だった福田康夫に逆らう形で強硬に反対した時だった。この時は国内メディアが拉致問題一色になった。その後、小泉首相がいきなり安倍を自民党幹事長にした。拉致問題で国民のヒーロー的な立ち位置になった安倍人気をある意味で利用する人事だった。「いきなり」というのは、全く閣僚経験がなく、かつ総幹分離という「総裁と同じ派閥から幹事長は出さない」という慣行を無視したからだった(小泉も安倍も清和会)。その後、小泉政権末期で内閣官房長官につけて、「安倍晋三が後継」という印象をはっきりさせた上で小泉が引退し、その後の総裁選で圧勝して首相になった。


 55年体制の終盤で竹下登が、国会議員の点数表をつけていたという話をした。「大臣1点、主要閣僚1.5点、党三役1.5点で点数が多いこと」かつ「時間軸で点数の上昇に踊り場がないこと」が総理総裁になる条件として見ていて、実際にその計算の上で自身も首相になっている(御厨貴『宮澤喜一と竹下登』)。
 たとえ不文律でもキャリアパスが厳然と存在していたということは、「いきなり大出世」は考えられないことだった。55年体制が崩壊して、「郵政選挙」で党内派閥(主に経世会系)をとことん弱体化させていたから、いきなりの抜擢が可能だった、閣僚経験ほぼなしで首相になったと考えると、安倍晋三は小選挙区制の申し子と言える。


 ちなみにこの経緯を考えると、安倍首相による稲田朋美の遇し方は、自分の来歴を無意識に正当化しているようにも見える。自分を支持する若手に総理総裁が目をかけて引き上げて次期総理にするという方式を、自分が逆の立場で繰り返すことで自分自身を肯定する。(学校で先輩後輩の隷属関係を繰り返したり、虐待された子供が親になって虐待してしまうみたいな。)
 ただその時、プライドの基盤が脆弱だから自分より優れた人を上手に受け入れられないせいで、明らかに劣った人を選んでしまう。勉強熱心なかわいい後輩、自分の自尊心を脅かさない人しか選べない。


 対北朝鮮でとことん強硬論を主張できたのは自身がナショナリストだったからだし、そこで得た人気をそのまま総理の道へ直結できたのは小選挙区制に移行して十分な時間が経過していたからだった。
 「ナショナリストであること」と「小選挙区制であること」の両面に支えられて首相になったのが首相1回目として見ることができる。

安倍首相の来し方 その2

 戦後最年少で首相になって父親越えもできて良かったと思っていたら、閣僚の相次ぐスキャンダルや失言、自殺などで支持率を一気に落とした上、病気を理由に所信表明演説の直後に辞任、1年で終わってしまった('07年9月)。世間一般の反応も「無責任だ」というものが大半で、本人としても屈辱的だったかもしれない。


 それから5年後の'12年9月に総裁選で再度勝利し、直後の衆院選で民主党に大勝し2度目の首相になる。
 この総裁選で選ばれていった経緯を見ていくと、「どうして安倍晋三なのか」がはっきりしてくる。


 この時の総裁選は5人が立候補し、1回目の投票で1位石破・2位安倍・3位石原となった。1位が過半数未達だったため上位2名の決選投票が実施され、1位安倍・2位石破となって安倍が総裁に就任した。自民党総裁選は、1回目の投票は国会議員票+党員・党友票で、決選投票は議員票だけというシステムになっている。(投票する主体が異なるなら「決選投票」の意義が歪んでないか? という気もするけれど、とにかくそうなっている。)
 1回目の議員票・党員党友票の内訳は、石破が議員票で3位、党員・党友票で1位でトータル1位、石原が議員票で1位、党員・党友票で3位でトータル3位、安倍がどちらも2位でトータル2位だった。決選投票では石原の分の議員票が石破・安倍に等分された結果、安倍が勝った、という経緯になっている。
 もともとは野党時代に総裁を務めていた谷垣がこのまま続投と思われていた。しかし「長老」(森喜朗・青木幹雄・古賀誠)からの支持=派閥支持を取り付けた石原幹事長が立候補した結果、谷垣を立候補断念に追い込んだ。議員票を集めた石原が勝利すると思われていたが、下剋上や長老政治・派閥政治復活のイメージに加えて、失言を繰り返して世間の支持=党員・党友票を失って3位に沈んだという経緯があった。
 また安倍は、自派閥(清和会)からの支持を受けていないという特徴がある。清和会の会長だった町村信孝が先に立候補を表明していたため、現会長の町村からも元会長の森からも反対されながら立候補したという経緯があった。自派閥の支持を受けずに、他の派閥(麻生派・高村派)の支持と、派閥によらない支持を確保して勝利した。


 結果的に、石原ほど世間に嫌われていなくて、石破より議員支持を集められた安倍が総裁・総理となった。この「そこそこ一般からの支持を集められた」と「そこそこ議員支持を集められた」という2つの特徴で結果的に2度目の首相になったという点が重要で、この2つともが、日本会議系団体の相対的な影響力の増加が背景にあるという見方ができるのではないかと思っている。
 日本会議周辺の構成や成り立ち、変遷、活動の内容や構造などは菅野完『日本会議の研究』に詳しい、というより本書によって全体像が当事者以外の一般の目にも触れるようになった。

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

 この中で日本会議系のナショナリスト団体が組織としての動員力を持っていることが指摘されている。その動員力は格別巨大というわけではないものの、他の(特に左翼系の)団体が弱体化していった結果、相対的に影響力が大きくなってきたのだという。そして議員にとって「まとまった数の票を確保してくれること」は大きな魅力だから、日本会議に所属する国会議員が多くなる(自民党に限らず)。総裁選で党員・党友票をほどほどに確保できたことも、派閥の垣根を越えて議員票をほどほどに確保できたことも、相対的に日本会議系が票田として機能しているという背景があるのかもしれない。
(安倍が立候補した際にすみやかに支持を表明した麻生太郎・高村正彦とも、安倍と同じく神道政治連盟(神政連)の国会議員懇談会に所属している。神政連は日本会議系団体だが、日本会議本体よりもより先鋭的な主義主張なので「日本会議に所属の議員」より「神政連に所属の議員」の方がよりコアに近い。)

 また安倍が1度目の首相を辞任して総裁に返り咲くまでの5年間、日本会議系団体が一貫して安倍を支持し続けてきた(本人も内部的な各種メディアに登場し続けていた)ことも『日本会議の研究』で指摘されている。世間一般では安倍が首相に返り咲くことを全く考えていなかった間もずっと、再び首相にと持ち上げ続けている。これは当人のモチベーションにも強く影響したのかもしれないし、もしこうした支えがなければ世間的・党内的な逆風にもかかわらず総裁選に立候補すること自体が難しかったかもしれない。
 ある団体が自分の主義主張に有利になるように、国会議員を取り込もうとしたり、あるいは組織として支持したりといった活動は普通のことだけれど、その「普通のこと」を持続的に粘り強くやり続ける団体が日本では少なくなってしまって、結果的に日本会議系が相対的に影響力を持つに至っている。



(3) 「選挙以外」がないこと

(1) 内閣支持率のみを重視すること
(2) ナショナリスト団体の相対的な影響力増大
の両方を支えているのが、日本では「選挙以外」による意思表示や政治へのアプローチ(デモやロビー活動など)が他国と比べて弱いことにある。


 そのあたりは柄谷行人『思想的地震』所収「日本人はなぜデモをしないのか」を参考にしている。

 どうして日本では他の先進諸国と比べると大規模なデモが少ない(ほとんどない)のか、あるいはそれらがないことが何を意味するのか、といったことが語られている。
  • 選挙だけでは民主主義にならない
  • 日本では「中間勢力」が弱体化させられていったことが「選挙以外」が弱くなった要因になっている

という指摘がされている。


 日本では民主主義=選挙という認識が支配的になっている。しかしモンテスキューは代議制が貴族政・寡頭政になると言い、ルソーは代議制で国民が主権者になるのは投票する瞬間だけでその後は奴隷になってしまうと言う。選挙という行為は「支持率」という数字を生み出しているだけで、主権者としての個人がそこに現れるわけではない。それで選挙以外の(代議制以外の/議会の外での)政治的行為が必要になるわけで、それがデモということになる。デモは何かの手段というよりそれ自身が目的であって、デモを通して革命を起こすとかそういうことではなくて、デモが存在することに意味がある。代議制によらない、個人が主権者であるような場が必要で、それがデモなり集会なりの「アセンブリ」となる。もともとは議会もアセンブリの一種だったけれど、それがあたかも全部のようになってしまっている。
 大規模なデモが日本で発生したというと60年の安保闘争で、この時は100万人以上が参加している。学生だけでなく一般の人も参加していて、こうした一般の人を動員したのが労組だった。ところが60年代末の全共闘になると学生ばかりで一般市民がいなくなって、また暴力的になっていた。ありふれた市民のデモがないことが過激化することを導いてるし、逆に過激化が市民の不参加にも繋がっていて、相補的な関係だった。


 デモが発生する背景にあるのが国家に対して自律的な組織であって、これを「中間勢力」と呼んでいる。こうした中間勢力がずっと解体され続けてきた歴史が日本にはある。徳川時代ですでに、仏教(寺)が役所の出先機関化されたり、寺子屋という形で教育機関が国家に支配されたりしていた。明治期の統一国家の形成・産業化のスピーディーな進行にはこの背景がある。(西洋で、国家とは独立した教会組織が教育機関として機能していて、国家からの介入に強力に抵抗していたことと対照的になっている。)
 中間勢力の解体は90年代も進行していて、労組(国労・日教組)、創価学会、部落解放同盟、大学自治といったものが、国家と資本の「鞭と飴」で弱体化・骨抜きにさせられていった。(創価学会は公明党が与党として取り込まれることで中間勢力としての力を削がれた。)一般に中間勢力は封建的・非効率的・不合理な特徴を持つものなので、世間(メディア)に一斉に非難されると抵抗が難しく潰れてしまう。
 日本で唯一大規模なデモや集会が普通に存在するのが沖縄で、これは徳川時代に国家からの直接的な支配から比較的免れていたことで中間勢力(自律的な共同体)がまだ残っているため。


 このあたりの中間勢力が明治以降に弱体化させられたことと、またそれによって個人が弱くなったり権利感覚が歪んだりするといった話は宮崎学『法と掟と』に詳しい。


 この話と考え合わせると、為政者が内閣支持率だけ気にしていればOKなのも選挙以外の政治活動が弱いことが背景にあり、また相対的に日本会議系が影響力を増しているのも、他の中間勢力が弱体化してデモや集会に人を動員したりロビー活動を展開したりする力がなくなってしまった、という文脈で捉えられるかもしれない。


 原発事故以降デモに行くことが割と普通になって、特定秘密保護法・安保関連法で大規模になってきたのかなと思ったら、また「デモなんて行ってもね」という空気になってきてる気がするけど、どうなんだろう。



(4) 経済構造

 内閣支持率に影響があるから経済対策を重視するというのは経済の悪化が背景にあるわけだし、小選挙区制へ移行したことも高度成長期の終わりが背景にあって、ナショナリスト団体の影響力が相対的に強くなっているのは経済の弱化に伴う他の団体の弱体化に背景があって、また経済的に苦しくなるほどナショナリズムが強まっていくのだとすれば、安倍首相・内閣がはちゃめちゃしてることの全体を支えているのが経済構造のフェーズによるということになる。


 高度成長は構造(農村に安価な労働力が大量にプールされていたこと)に起因して発生していた以上、もう一度起こそうとしても起こせるものではない。資本主義が価値体系の差から価値を取り出してくる運動だとしてその差には、空間的な差(遠隔地貿易のような)、労働価格の差(賃金の安い労働者の利用)、時間的な差(未来を先取りする・アップデートやイノベーション)などがある。空間的な差・労働価格の差は使い尽くされてきて大きな差として取り出すことができなくなってきていて、残る時間的な差だけで駆動させているのが現在の状況となっている。例えば外国人実習生の制度なんかで無理やり安い労働力(労働価格の差)を作ろうとしても他に流れてしまうので上手くはいかない。「働き方改革」と最近言っているのも、時間的な差・将来の先取りをどれだけ上手に・効率よくできるかという話になっている。大きな差が取り出せない中で、そうしてあがきながら差の奪い合いを各国でしている。
 そんなフェーズにちょうどぴったり嵌ったのが安倍首相だったのかもしれない。






 そんな感じで、↓の構造で安倍首相のシステムハックが成り立っているんじゃないかなと今のところ大雑把に考えている。

 安倍首相が愚かだ、自民党が劣化した、民主党がしっかりしない、日本会議が干渉してる、そんな話はよく聞くけれど、そうなるだけの必然性があって現実が生じている。これは「必然性があるからしょうがない」と慰めや諦めのために言ってるわけじゃなくて、「じゃあどうしようか」や「じゃあどうなっていくんだろう」の前段階の認識として必要だから考えてみるってことだ。