やしお

ふつうの会社員の日記です。

自民党が今ああなってきた道

 安保法案の強行採決の話を見て、どうやって今の自民党がああなったのか、形式面・構造面での必然性を、雑でもいいから整理して把握しておきたいと思った。


古き良き自民党?

 かつての自民党は、野党への配慮があったのに、もっと良識のある議員がいたのに、自浄作用があったのに、という嘆きを最近よく見る。しかしそれらは何も、偶然良識のある人達が自民党に集まって自主的に抑制的な運営をしていたわけではなく、ある諸条件の中の損得勘定のバランスの上でそうなっていただけだ。その条件の中で最も支配的だったのが、中選挙区制だったと理解している。


 中選挙区制は一つの選挙区から複数人を選出する選挙制度だ。その制度の中で衆議院である党が多数を占めようとするなら当然、一つの選挙区に同じ党の人間を複数人立候補させなければならない。つまり一つの選挙区で同じ党の人間が戦うということだ。戦うというのは他者と差別化して自分の優位をアピールするということで、当然、同じ党員が競争相手にいる以上「私は○○党員だ」は差別化として作用しない。党から離れた、個人としての公約を掲げて戦うことになる。実際当時、党の公約は極めて抽象的で曖昧なスローガンのようなものを選挙ぎりぎりに作り上げて、立候補者たちは党の公約の中身をまともに読んでいないのが常態になっていた。あるいは保守派無所属として出馬し、当選後にしれっと自民党に合流するという流れもザラだった点も、党と立候補者の分離の一現象と言える。有権者側から見ると、党を選ぶ選挙ではなく、人を選ぶ選挙になる。
 個人のカラーを前面に押し出して戦わざるを得ない以上、各議員は再選するために自己の専門分野を磨いたり実績作りに勤しんでいく。「良識のある議員がいた」とすればそうした制度面が後押しの一端を担っていた。(あと、一定の当選回数で自動的に大臣になれる持ち回りシステムが、自民党議員として再選を目指す強烈なインセンティブとして働いていた。)


 それから、一党が安定的に政権党の座を維持するには、自身に巨大な批判が向かないよう適度にガス抜きをする機構を伴っていなければ難しい。
 そうした機構の一つが、与党と政府の分離だった。諸外国からすると政権党と政府は一体であって当然だが、日本はそうではなかった。与党と政府は別物だ、という意識と形式があった。(その意識を理論面で支えたのが「三権分立」の観念。)例えば「政府・与党連絡会議」などというものがあった。政府と与党で意思の疎通をわざわざはかる、というのはそもそも別物だ、という認識が前提される。あるいは党首討論で自民党だけが総裁=首相の代わりに幹事長を出すという慣習。もはや首相として政府に入った以上、与党の人間ではない、というような意識。
 この機構が何をもたらすかと言えば、与党が政府の責任を追わなくて済むという構造だ。政府が失敗した場合、どういうわけか与党が「けしからん」などと言い出す。もう少し実体的に言えば、与党の国会議員が首相を批判し始める。そして首相をすげ替える。失敗はあくまで政府の責任であって、与党の責任ではない、という理屈を生む。与党が責任を回避し続ける、自民党が強いダメージを受けずに済むという構造だ。
 かつての自民党に「自浄作用があった」とすれば、単に政権党の座を維持するための機構が作動していただけだ。


 もう一つの機構として、野党に対する融和的な態度がある。
 政権党として国会の多数を占めていれば野党を無視して採決できる。しかし現実には「野党の抵抗」によって過剰に妥協する姿を見せる。野党が機能して行き過ぎにブレーキをかけているように見せることは、与党にとっては強い与党批判を回避でき、野党としては自身の存在意義をアピールでき、双方にとって有利だった。野党としても「我々が政府の行き過ぎを止めたのです」と言えば政権批判の一定の票を集めて国会議員の身分を確保でき、政権交代を目指さなければ居心地のよいものだった。
 かつての自民党に「野党への配慮」があったとすれば、やはり政権党の維持機構のたまものだった。


今は傲慢な自民党?

 そうした特徴をそっくり裏返せば、野党と対決姿勢を強め、蒙昧な議員を抱え、自浄作用も働かない自民党、という言い方になって、確かに今の自民党の印象と近いように見える。そうした特徴が、小選挙区(+比例代表)制からある程度説明ができる。


 小選挙区制は一つの選挙区から一人を選ぶ。当然、一つの党から一人だけが立候補する。複数人が立候補して潰し合う意味がないからだ。そうなると個人のカラーの説明に「私はこの政党に所属している」が有効になるし、一方で「有権者の支持政党に属していないこと」がマイナス材料としてより強く働いてくる。有権者としても個人を選択するというより、党を選択するような選挙になる。まして比例代表制はダイレクトに党名で投票する制度だ。
 立候補者としては独自のカラーを出してアピールできるように勉強するより、党の代弁者としてマニフェストを覚える方が得ということになっていく。(というより党の代弁者として、より広い分野を、必然的に浅く、語らざるを得なくなっていく。)勉強するインセンティブが働きにくいことと、深く勉強する余裕が与えられないことが、蒙昧な議員が増えているという印象に一役買っているのかもしれない。


 ところで野党側の視点から見れば、政党選択選挙として一つの選挙区から一人しか当選できないとすると、野党が乱立して票を分散させていてはいつまで経っても当選者を出すことができない。それで野党の統廃合が進み、最終的には二大政党となっていく。そうして政権交代可能な大きさの野党に成長すると与党としては、野党を生かさず殺さずの状態で飼いならしておくといった横綱相撲が難しくなってくる。全力で倒す相手として野党に対する融和的な態度は廃棄される。(それでも、「野党をないがしろにして独善的な政権党」という印象を与えるまで進めばマイナスのはずだが、現在はやや特殊な事情でそのストッパーが働かない。後述。)


 また、党を選ぶ選挙になるということは、党に公認されるかどうかが立候補者にとって死活問題となる。逆に言えば党としては所属政党に反抗的な候補者を切り捨てやすくなったということだ。そうして立候補者はより執行部に対して忠誠を示す。すなわち党首に権力が集中する構造ができる。党首-執行部を所属議員が否定することができない以上、「自浄作用が働かない」ということになる。またそれだから、与党と政府を別物として立てて、政府(首相)を殺して与党が生き延びるということも難しくなる。
 その最後の名残が06〜09年に渡って安倍→福田→麻生と一年ごとに首相を変えた現象だったと思う。しかしそれがガス抜きとして機能するのは、政権選択可能な党が他に存在しないときだけで、この時点で十分にそうした政党として民主党の規模が拡大していたから、あえなく有権者に否定されて政権交代が起こった。


 94年に小選挙区(+比例代表)制に移行し約20年をかけてその構造的な転換が終わって、今この自民党の、野党への強硬な態度を見せ、愚かな議員を抱え、自浄作用が働かない姿に結実した、というみなし方をしている。それだから、「昔の自民党はこうじゃなかった」という嘆きなど空疎だと思っている。


暴走する自民党?

 それ以上に暴走しているように見えるというのは何なんだろうか。
 小選挙区制が十分に進んで先述のような特徴が顕になってきたとき、政権党に働くブレーキはもはや「失敗したら非政権党に転落するかもしれない」という恐怖しかない。しかしそのブレーキが働かない事情が日本にある。


 二大政党制へと近づいてついに有権者たちが「自民党はもういいよ。いっぺん民主党にやらせてみようよ」くらいの(経済的な背景に基づく)うんざりした空気で民主党政権を選択したところ、内政外政両面でボッロボロだったので(民主党にやらせちゃだめだったんだ)という空気になってしまった。いくら人々が忘れっぽくてもまだ5年も経ってないので覚えている。
 「まあそうは言っても、俺ら自民党が民主党に取って替わられるってことはまだないよね」という気分が自民党を支配しているのだとすると、「非政権党に転落する」というブレーキは働かない。野党に対して強硬を通り越して独善的だとしても納得がいく。


 選挙構造がもたらしたアクセルの完成と、選挙構造がもたらしたはずだったブレーキの破損が、同時期に生じた、この歪みの不幸。


 という現時点の視点に立つと、つくづく悔やまれるのは福田首相-小沢民主党代表で密約が成立していたとかいう自民-民主の大連立が実現しなかったことだ。小沢一郎が勝手に進めやがって、そんなことをしなくても民主党は近々自民党を倒して政権党になれるんだ、という民主党内の反発で頓挫した。確かに一見、(支持率が低迷して政権が安定しない自民党にとってのメリットに対して)民主党側のメリットがないように見える。しかしこれを、来る政権交代に向けた民主党にとっての「政権の練習」だったと思えば、やっとけばよかったのにね、と思う。
 ぜんぜん他人事じゃなくて、そうした練習をしないままいきなり本番に突入して、浮足立ったところ見せてみんなを失望させて、今になって政権交代の可能性を奪って自民党の独善を招いたのだとしたら、ずいぶん罪深いし残念なことだよ。


だからって中選挙区制には戻れない

 それならもう一度中選挙区制に戻そうかというと、そんな選択肢はあり得ない。中選挙区制から小選挙区(+比例代表)制に移った背景を無視した言説だ。
 もともと日本はトップダウン的な構造ではなくボトムアップ的な政策決定機構を作動させていた。(根本的には日本社会が受信側負担システムになっているところから来ていると思っている。)各省庁の外部団体・関係組織が社会の隅々に行き渡って、下から順番に政策が上っていく。現場に密着したきめ細かな政策が現れる一方、ある一貫した大方針の基に取捨選択する行為を不得手とする構造だった。
 70年代の高度成長期までは財政が拡大する一方で取捨選択する必要性が小さかったからそれで済んでいた。ところが高度成長期が終了すると、財政的な問題から政策を取捨選択する必要にかられてくる。そうした背景があって、85年の中曽根行革、98年の橋本行革があった(もちろんその間にも色々時代に適合しようと仕組みを変えていった)。そうした流れの中に、選挙制度改革も位置付けられる。首相への権力集中を制度的に支えているのが小選挙区制だ。トップダウン的な構造への転換の一つだった。
 高度成長期自体が、なにも「日本人のがんばり」などではなく、農村部の安価な労働力がプールされていた構造に基づくもので、その供給が底をついたときに終わったのだ。それは資本主義的なフェーズ(地理的な距離に基づく価値体系の差や、労働力価格の差といったものを食い尽くして、未来と現在の価値体系の差にしかすがれなくなってくるという変化)の問題なので、いまさら「小選挙区制は弊害が大きいので、じゃあ中選挙区制に戻そう」などと言うのは経済的な構造を無視した浅はかな妄言に過ぎない。
(余談だけど、今の外国人実習生制度はこの観点に立つと、労働力価格の差を生み出そうという、あの高度経済成長へのあこがれがあからさまに透けて見える。しかし時代錯誤であって、後期資本主義の速度の前では敗北必死なのでそういう悪あがきは早くやめてほしい。)


じゃあどうしたらいいんだよ

 これまでの話からすると、自民党に野党転落の恐怖をより現実的に突き付けていくということになるのだろうか。でもそれは今の統治構造から見るとどうしても、政権交代可能な政党の存在が前提されるので、民主党は早くちゃんと立て直して下さいということになるのだろうか。しかし民主党自身が頑張るというより、世間の(あいつらに政権任せたらやべえ)のイメージが消えるまで待たなきゃいけないんだとしたら、あまりに道のりが遠すぎる。どうすりゃいいの。ってことを最近考えています……



 自民党の総裁として現に安倍晋三が選ばれていることや、ナショナリズムとの関係も含めて考えて捉えないとあまりに一面的だ、と言われればその通りだと思う。しかしたとえ一面的だろうと、多少雑だろうと、ある形で歴史的・経済的な背景から今を位置付けてあげないと、何が起きてるんだか自分でもわからない。しかも今日、安保関連法案が強行採決されたって話聞いて、今すぐ整理して把握したいと思ってうおーってここまでの作業をとにかくしてみた次第だよ。




 私の日本の統治機構に対する認識の大部分が以下の本に依拠している。より精確に統治構造の形と変遷を描写している(小泉内閣までだけど)。ちゃんと読み返して細かいところをまとめ直してきちんと理解したいな。
  飯尾潤『日本の統治構造』 - やしお


 あと、選挙制度改革に伴う衆議院議員の内在的な感覚の変化については、鈴木宗男の述懐の記憶に依拠している。
  鈴木宗男『政治の修羅場』 - やしお

政治の修羅場 (文春新書)

政治の修羅場 (文春新書)


 それから資本主義への認識は岩井克人に……とか言い出すとキリがない。



※8/1追記
 現行の選挙制度がもたらす有害性が大きいのだから変えたほうがいいだろう、というブックマークコメントがいくつかついていた。より良い仕組みに変えたほうが良いという点では私もそう思う。過去の制度がもたらす害悪と現行制度がもたらす害悪の、双方を揚棄するようなシステムがあれば、選挙制度に限らず採用した方が良いのは一般論として当然だ。私はここで一度たりとも、小選挙区制を変えるなという主張はしていない。ただし小選挙区制の導入から15年ないし20年を経てようやくそれがもたらす姿を現したという事実を忘れていないので、「選挙制度を変えろ」とはあまりに遅効に過ぎて私は主張しない。


 また、それでも中選挙区制に戻したほうが良いというコメントが散見された。私には中選挙区制はそのまま戻すにはあまりに弊害が大き過ぎて取り得る選択肢には到底見えないため意外だった。
 かつての55年体制の自民党の統治構造、「官僚内閣制」の構造は、現代に再導入するにはあまりに時代錯誤に見える。ボトムアップ型の政策でパイの切り分けに終始し、金を使う方向にしか目が向かず、一貫した方針に基づく取捨選択ができず、首相が指導力を発揮しにくい構造を再びもたらそうと言うのだろうか。人口は減少し、強い経済成長は望めず、撤退戦を本気で考えざるを得ない中でそうしたバラマキをする余裕はない。また資本主義のフェーズが進んだ結果、素早い意思決定と実行が国家という単位で要求される以上、社会の自動的な移行に任せている余裕が無い。それは資本主義が本質的に国家という枠組みを無視する一方で、各種制度が未だに国家という枠組みの中で定まるという齟齬を前提として、他国との相対的な関係の中でより資本主義に適応した方が生き残る、また資本主義のフェーズが進むと必然的にサイクルが早まるという条件において、国家の意思決定と実行が遅ければあえなく国家単位で没落するという恐怖に衝き動かされざるを得ないという話だ。そうした内的・外的両面から「中選挙区制に戻そう」という容易な選択はもはや許されていないと考える。


 日本社会には小選挙区制度は合わない、というコメントも見られた。私もその通りだと思う。先述の通り、日本の受信側負担システムに対しては、ボトムアップ型の構造の方が親和性が高い。しかし残念ながらそれが資本主義に対する親和性が低いのだから仕方がない。圧倒的な資本主義の圧力の前では固有の社会形態は無力だ。これは国家体制に限った話ではなく、会社組織も早晩より発信側負担システムに近い形態に変わっていくはずだ。担当者が横でつながって勝手に進めるきめ細かく非効率で労働生産性の低いあり方から、上が判断する形態へと移っていく。


 個人的にはそもそも、その資本主義という前提自体がおかしいはずだと思っている。資本主義はスピードアップを強要してくるシステムだが、もはや人間の肉体的・精神的条件が規定するスピードを追い越しつつあって耐えられないのではないかと思う。しかし現にそのシステムが発動してその上で生きている以上しょうがない。
 例えば誰か聡明な指導者がどこかの国家にあらわれて資本主義を緩やかに解体してくれるなどという夢はあまりに非現実的だ。国家というのは現行システムをあくまで堅持する。ここからひたすら資本主義の終盤に向かって世界の国々でつらいあがきをしていかないと仕方がない。資本主義が死ぬときはきっと、貨幣への急激な不信=ハイパーインフレがどこかで起き、しかしそれをどの国の通貨も支えられずに巻き込まれていくというような悲惨な形で現れるのだろう。それは当然未曾有の混乱と人の死を伴いながら、やがて少しずつ「新しい形」へと移行していく。現時点で可能なのはせいぜい、コミュニティで生じる資本主義に基づかない経済を小さくあちこちに育てておいて「その時」に備えておくくらいしかできない。と、大雑把に思ってます。