匿名ダイアリーの公開質問へのお答え

匿名ダイアリーの公開質問にお答えします。
http://anond.hatelabo.jp/20140629111911?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
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『時計じかけのオレンジ』におけるキューブリックの「自由意思」について
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/5.html
 すみません。
 キューブリックはちゃんと「『時計じかけのオレンジ』は自由意志についての映画だ」と言っていますが、別のインタビューでした。
 http://www.visual-memory.co.uk/amk/doc/interview.aco.html

「キューブリック この映画(時計じかけのオレンジ)の中心にあるのは自由意志についての問いに他ならない。善悪を自分で選ぶことができなければ人間性は失われてしまうのでは? タイトルが示すように時計じかけのオレンジになってしまうのでは?」
Stanley Kubrick: The central idea of the film has to do with the question of free-will. Do we lose our humanity if we are deprived of the choice between good and evil? Do we become, as the title suggests, A Clockwork Orange?

 このインタビューが混じってしまったようです。
 映画秘宝に原稿を書いたのが2001年頃なので、どうして混じってしまったのか思い出せません。
 いいかげんで、すみません。おそらく、インタビューの言葉を最初に書き出しておいて、あとで文章として構成する際にやらかしたのだと思います。
『映画の見方がわかる本』は初版から12年を経ているので、その間に新しい資料も出ました。読み直すと自分でも納得いかない部分もあり、来年初めまでには新潮社から改訂版を出すことになっています。 


『猿の惑星』の猿のモデルは本当に日本人か?
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/6.html

 それは、『猿の惑星』の原作(ハヤカワノヴェルス・初版)の巻末にある、福島正美さんの解説にあります。

ピエール・ブールは(中略)ゲリラの一員として日本軍進駐下のインドシナに再び潜入し、活躍した。
1934年に捕えられて、二年間、収容所生活を送った

 創元文庫の解説にもそうあります。http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488632014
 また、ハヤカワ・ノヴェルス版『猿の惑星』の解説にも、「日本軍進駐下のベトナムで逮捕、監禁」とあります。

日本軍の捕虜となった経験をもとに執筆し、その後映画化された『戦場にかける橋』(ハヤカワ文庫NV)は、『猿の惑星』とならぶブールのいまひとつの代表作である。

 『戦場にかける橋』の英語版ウィキにもこうあります。http://en.wikipedia.org/wiki/The_Bridge_over_the_River_Kwai

ブールは東南アジアで日本軍の捕虜になった。
Boulle had been a prisoner of the Japanese in Southeast Asia

 このように、少なくとも私がこの原稿を書いた2001年頃は、そういう認識が共有されていたのです。
 特に高山正之氏は著書で何度となくブールは日本の捕虜だったと書いています。
 13年後の現在、資料を見比べると、「ヴィシー政権下のインドシナで捕虜として労役を課せられた」という記述に信憑性があると感じましたが、当時、インドシナには日本軍も進駐しているので、ブールが日本軍の捕虜になったことも否定できません。
 これも改訂版では、そのへんの事実関係を書き加えようと思います。


『それでも夜は明ける』の愛憎のもつれをどう読み解くか。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/7.html
 これは解釈なので、人によって違うかと思いますが、
 僕は、ファスベンダーは最初、自分で鞭打つのがしのびなくて、主人公に鞭打たせたが、
 後で、自分の中にある恋心を否定するために自ら鞭打ったと解釈しました。


『パシフィック・リム』のKAIJUのモチーフを巡るある断言。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/8.html
 すみません。「海底から登場する異次元の怪獣」という設定にクトゥルーが重ねられているのでは、と思ったからそうつぶやきました。
 デルトロ監督は「クロノス」や「ヘルボーイ」などクトゥルー神話を作品の中に盛り込むことが多いので。
 ただ、本人の言質に基づいての発言ではありません。
 作品を観て「ここには××の影響があるのではないか」と論じるのは批評の基本ですが、僕のツイートでは断言になってますね。
 影響力を考えると、あくまで推量の言い方にしておくべきでした。すみません。
 ちなみに、蓮實重彦先生は『ラスト・エンペラー』について「これは溝口健二へのオマージュだ。それがわからない奴はダメだ」みたいな感じで断言してましたが、誰からも「ベルトルッチはそんなこと言ってないけど」と突っ込まれない境地に達してましたね。

 
『X-MEN: フューチャー&パスト』の誤った紹介法。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/9.html
 すみません。プロフェッサーXはテレパスで、テレキシネスを使うのはジーン・グレイでした。


誰が最初に『First Blood』を『RAMBO』と名付けたか。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/10.html
 すみません。
 これも世代的なことになってしまうのですが、東宝東和は当時から「『ランボー』という題名は自分たちがつけた」と雑誌などで言って来たのです。
 僕の世代はそれを信じて来た人が多いはずです。
 ただ、実際はどうも違うようですね。検証しないでツイートしたのはまずかったです。
 原題「最初の血」の意味が、「最初に血を出させたのはそっちだ(先に手を出したのはそっちだ)」という意味であることは、劇中のセリフにもはっきりあるし、当時から雑誌などで解説されていました。僕も映画秘宝に書いた『ランボー』論にちゃんと書いてます。


『大人は判ってくれない』の原題の意味を判っていない?
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/11.html
 これは原題「400発のパンチ」で間違いありません。「それはフランス語独特の言い回しで…」とまで書いてないだけです。
 原題の意味については、僕の世代の映画ファンはみんな知ってますよ。耳にタコができるくらい聞かされてきました。
 というのは、『大人は判ってくれない』というのは映画史に残る伝説的な名邦題なので、トリュフォーや野口久光さんに関係する本には必ず原題のことが書いてあるからです。
 ちなみに、アメリカでは「400発のパンチ」で公開されましたが、フランス語の言い回しを知らないので、みんな、主人公がお仕置きされるのだと思ったそうです。
 http://en.wikipedia.org/wiki/The_400_Blows


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の結末の記憶が曖昧でもワンスアポンアタイムのことなので仕方ない?
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/12.html
 すみません。これは前後関係を忘れてました。ツイートでは忘れてたことを謝ってませんね。すみませんでした。


『狼たちの午後』ってどんな午後?
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/13.html
 すみません。これは知りませんでした。福田一郎先生もテレビで「ドッグデイは犬がハアハアする暑い日のことです」と解説してました。
 調べてみると英語圏でも本当の語源は知らない人が多く、「海が沸騰し、ワインが酸っぱくなり、犬が狂うほど暑い日」のことだと思い込んでいる人が多いそうです。http://en.wikipedia.org/wiki/Dog_Days
 ひとつ利口になりました。ありがとうございます。
 ただ『狼たちの午後』という映画におけるドッグデイはシリウス云々ではなく、「うだるように暑い日」という意味ですね。


『桐島、部活やめるってよ』の結末ちがう。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/14.html
 すみません。電話がかかってきたんだと思ったんですが、実際はこっちからかけてました。


クエンティン・タランティーノの生い立ちをいかにドラマチックに語るか。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/16.html
すみません。高校を中退してすぐにビデオ屋で働いていたように読めますが、実際はその間にいろいろしています。
タランティーノは「大学ではなくビデオで映画を学んだ」ということが言いたかったので、そういう表現になりました。


『あまちゃん』とキルケゴールちゃん。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/15.html
リープ・オブ・フェイスはたしかにキルケゴールにおいては信仰に飛び込むことですが、
その後、哲学においては、何かの行動に身を投じる、実存主義的行動として論じられるようになりました。
ただ、この場合は、僕は、ドラマや脚本作りにおいて主人公が迷いを振り切って、愛や戦いに身を投じる場面について言っています。
その際に、映画やドラマでは、実際に崖のようなところを飛ぶシーンが描かれる場合が多いです。
たとえば、7月11日から日本公開される『ダイバージェント』という映画で、ヒロインが、ビルのてっぺんから底の見えない穴に仲間を飛び降りさせる時、「リープ・オブ・フェイスよ!」と叫びます。
まったく宗教的な意味ではなく「ここでイチかバチか身を捨てなきゃ、その先にはいけないわよ!」という意味の慣用句として使われているわけです。

クリストファー・ノーランの「インセプション」でディカプリオを誘うマリオン・コティヤールが「リープ・オブ・フェイスをしなさい」と言います(字幕にはない)。
また、ノーラン脚本の『マン・オブ・スティール』にも、迷いが断ち切れないスーパーマンが「リープ・オブ・フェイス」という言葉によって戦いに身を投じます。
ドラマ作りにおいては、リープ・オブ・フェイスのような宗教的概念が、劇作手法に使われることがよくあり、たとえば、「神の降臨」みたいな意味のエピファニーは「主人公が自分のやるべきことを知ること」という意味で使われます。ジェイムズ・ジョイスが自伝的な『若い芸術家の肖像』で人生を決める時にこの言葉を使ってますね。

 以上です。
 本当にすみません。思い込みやうっかりや記憶違いなど多くて情けなくなります。
 特にツイッターや語りではうっかり間違ったことを言ってしまうことが多いですね。
 記憶力も格段に落ちて来たので、自分を過信しないで、確認作業を怠らないようにしようと肝に銘じます。
 とはいっても、これからもちょくちょく間違えるだろうとは思いますが。
 どうもすみませんでした。