無人島の話/ビジネス社会の厳しい選択/男性の規範

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2

無人島という「出口のない状況」の中で、ただひとりの女性への「セックスの強要」が当然のように展開し、それを前提にしたなかでジーディー*1とやらをやらせる企業研修のきもちわるさ。

そのへんのことはid:sk-44さんのところでクールに整理されてるので参照↓
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090119/1232368427

で、この論題を新入社員研修のGDで用いた、ということは、少なくともその場に女性は居なかった、ということですよね——もちろん。 え、違う?

女性もいたということのひどさもさることながら、これ男性に対してもどえらいセクハラですよね……。パワハラといってもいいのかなー。

なんというか、性的搾取状況が前提されているがために、その前提そのものを問うことがあらかじめ禁じられているような空気がありそう。GDのゲームのルール的に。

「うん、一見『船を直した男』悪そうだよね。でもそんなベタな答えを俺が期待してると思う?」

「厳しい選択」を切り抜けてきた(であろう)セクシーなビジネスパーソンが、後ろで内定者たちを見ている。目を細めて微笑しながら。

ビジネスの場、それも一企業の内部では、多くの場合で前提状況そのものを問うことは禁じられている。いや、禁じられてなどいないかのようになってるけど、誰も歓迎はしない*2。「風通しはいい方が良い」という問題意識が共有されていても、実際に風通しを良くするための方法論まで完備されている職場というのは稀ではないかと思う。そこから新たな「状況」を作り出していける人なんて立志伝の中の人物であろうし、内定者研修ともなればなおさら難しい。「厳しさ」への順応を覚悟して臨む内定者たちにとって「甘い」とか言われるのはなによりも不本意だから*3。

結局、男性的な性的表現にまつわるある種の規範が依然として健在なんだろうと思う。男性についてのジェンダー規範のうち、「女性には優しく」よりもおぞましい「(男性としての力の行使の一環として)女も征服せよ」みたいなのがまだまかり通っている。理想化された男らしさ、学校一番の女の子をはべらせるジョック。

今の時代、明示的に「男らしさ」を求められることはそんなにない気もする。以前読んだ本*4で、ボーナスが現金手渡しで、その日の晩に男性社員は全員連れ立って「会社御用達」のソープランドに行くのが儀式化している会社の話があったけど、ここまでなのは滅多にないと思う。しかし、「ビジネスにおいて要求される厳しい選択」の担い手としての男性像は未だ古来のジェンダー規範を参照しており、それに付随して性的な意味での力の行使もまた歓迎される。

私の観測範囲での話に過ぎないけど、男性正社員に対する結婚への圧力って、割と普通に見受けられる。「結婚できてこそ一人前」みたいな発想。理想化された人間像を無邪気に表明しているだけかもしれないけど、そこには「力を行使する男性」という規範が紛れ込んでいて、金・クルマ*5の獲得の一環に「女」が含まれてる感じ(「女も征服」)。これって要するに人として見てるというよりモノとして見てる言い方だから。

「船を直すから身体を差し出せ」という「契約」。別にこんなものビジネスでもなんでもないと思うんだけど、「性愛」を人格から切り離して消費できるという考え方=モノとして見る、に基づけば、性的搾取もビジネスの一言で済まされちゃうんだろうなと。

内定者研修の場でこの「思考実験」のもとで選択を強いられ、その過程でジェンダー規範を内包する「ビジネスの論理」を内面化せざるを得ない。十分に内面化してるぞ、ということを表明せざるを得ない。だからこそ男性陣はそのルールに忠実に、「女性の感情論を、ムリヤリ数の力と、論理で押し切った」んだと思う。本当にそびえ立つクソだなー。

*1:グループディスカッションのことらしい……ジェンダーディシジョンかと……

*2:そもそも歓迎されるような性格のものじゃないって考え方すらあると思う

*3:もちろん、この話をGDのテーマに据えるような無神経さ、「ビジネスの論理」を陋劣なままに留めようとする「道徳的無関心」の横行こそが現代の企業として「甘い」のであって、セクシズムに対して昂然と違和を表明することを「甘い」などと一蹴するような態度は全く不当なものだ。それにしても、労働者の権利意識にしても、諸権利を十分に確保できないまま企業が存続していく風土にこそ「甘い」とつきつけるべきなのに、ここの奇妙なねじれはいつでも目につく

*4:「QUEER JAPAN Vol.2 変態するサラリーマン」勁草書房

*5:さすがにこういう言い方は古すぎる気がするけど……