品川猿


共同通信系ブロック紙に、2006年7月13日付けで掲載された加藤典洋「カウンセリングの本質」は、実に刺激的な内容であった。本人が自覚していない心の傷(真実)をいかにつたえるかというカウンセリングの本質的問題について、村上春樹「品川猿」(『東京奇譚集』*1)に触れながら、中田英寿引退問題に言及している。


東京奇譚集

東京奇譚集


「品川猿」では、自分の名前を思い出せない安藤みづきが、品川区役所が開設した「心の悩み相談室」を訪れる。そこには、中年のカウンセラー坂木哲子がいて、最初の相談者に対して「春の夕暮れどきの月のようなほんのりとした微笑みを、始終口もとに浮かべ」ながら、安藤みづきの話を聞く。二度目のカウンセリングの時に、名前にまつわる記憶をたずねると、自宅から離れた中学・高校の一貫教育の私立女子校で寄宿舎生活を送ったこと、高校部の三年のとき、二年生の美人・松中優子が相談に訪れてきて、「嫉妬の感情」について質問をしてきたことを話す。みづきにとって「嫉妬の感情」はこれまで意識したことがないものであった。その松中優子が実家に帰省するので、名札を預かって欲しいと依頼される。みづきは、松中優子の名札を預るが、戻らない彼女は自殺していた。それ以後、みづきは松中優子の名札を自分の名札と一緒にして結婚してもそのま持っていた。


カウンセラーの坂木哲子に指摘されて、マンションに置いていた「名札」を確認すると、なくなっていた。それから自分の名前が思い出せなくなったことに気がついた。次に相談室を訪ねると失くした名札が二枚、机の上の置かれていた。そして、名札を盗んだのが「猿」であることがわかった。


「猿」は、名前を盗んだことについて次のようにいう。

はい、申し上げます。わたしはたしかに人さまの名前を盗みます。しかしそれと同時に、名前に付帯しているネガティヴな要素をも、いくぶん持ち去ることになるのです。・・・(中略)・・・選り好みはできません。そこに悪しきものごとが含まれていれば、わたしたち猿はそれも引き受けます。全部込みでそっくり引き受けるのです。(p.202−203「品川猿」『東京奇譚集』)

みづきは「猿」に、自分のネガティヴな要素を尋ねると、「猿」はつぎのように答える。

あなたのお母さんは、あなたのことを愛していません。小さい頃から今にいたるまで、あなたを愛したことは一度もありません。・・・お姉さんもそうです。お姉さんもあなたのことを好きではありません。お母さんがあなたを横浜の学校にやったのは、いわば厄介払いをしたかったからです。・・・あなたは小さい頃から、誰からもじゅうぶん愛されることはありませんでした。あなたにもそのことはうすうすわかっていたはずです。でもあなたはそのことを意図的にわかるまいとしていた。その事実から目をそらせ、それを心の奥の小さな暗闇に押し込んで、蓋をして、つらいことは考えないようにして生きてきました。負の感情を押し殺して生きてきた。そういう防御的な姿勢があなたという人間の一部になってしまっていた。そうですね?でもそのせいで、あなたは誰かを真剣に、無条件で心から愛することができなくなってしまった。(p.205−206)


みづきは、「猿」によって彼女の心の傷をさらけだされたのだった。しかし、みづきは、そのことを受け入れる。いってみれば、精神分析の本質的なところを、「猿」が剔抉してみせたのだ。


村上春樹論集〈2〉 (Murakami Haruki study books (2))

村上春樹論集〈2〉 (Murakami Haruki study books (2))


加藤典洋は「カウンセリングの本質をこれほど的確に取りだした作品も少ないのではないか」と村上作品を絶賛している。で、問題はこの小説が、中田英寿の引退にどのようにかかわるのか、である。加藤典洋は、次のようにまとめている。

今回のワールドカップは、中田英寿の引退表明という意外な副産物を生んだ。開幕前、その中田選手が日本の選手は「仲がよすぎる」と発言し、チームの雰囲気が悪くなったということがあったが、ここに顔を見せているのもエンバシーとシンパシーの問題である。仲がよい(エンバシーがある)と仲がよすぎる(シンパシーがある)は違う。仲が「よすぎる」のはいけない、と中田選手は言いたかったのだろう。/しかし、シンパシーの世界には必要ないが、エンバシーの社会に必要なことが一つある。これが「品川猿」の問題である。/どうすれば、相手の真実が、しっかり、相手を傷つけることなく、相手に伝わるか。/これから私たちが迎えるだろう「エンバシー社会」。そこでの課題であることは間違いなさそうである。


と加藤典洋の文章は結ばれている。ちなみに、カウンセリング用語で、エンバシーは「共感」、シンパシーは「同情」と訳される。さて、いかに相手を傷つけることなく、真実を伝えることができるか。村上春樹は、「品川猿」にその役目を負わせているが、中田選手はみずから「品川猿」を演じてしまったのだろうか?


村上春樹イエローページ (Part2)

村上春樹イエローページ (Part2)


加藤典洋の解釈によって、村上春樹の「品川猿」が新たな問題を提起していることが知らされた。村上春樹は「損なうこと」や「傷つけること」にこだわっている。「品川猿」を登場させることで、問題の深刻さをユーモラスに緩和している。

*1:拙ブログの2005年9月15日で、村上春樹『東京奇譚集』に言及している。しかし、「品川猿」についてここまで深く読み込めなかった。