ぼくらは、いったい、何にお金を払っているのだろう。

昨日のニュースは、73歳というところとハーモニカの演奏というところで「これはひどい」と思う人も多かったと思います。しかし、払わざるを得ないのが現状です。他人の作った著作物を利用するからには仕方がありません。ところが、この事例が万事ではありません。問題はそんなに甘いものではありません。

JASRACの暴虐

こんな事例を発見しました。

(前略)また、ライブも、年数回で、ほとんどが、著作権に関らないオリジナルだと説明して、使用した曲については、支払したいと伝えたのですが、『飲食店には、そのような扱いはできません。裁判で、立証することは、困難でしょう?裁判には、お金がかかるんですよ。そのような、ぜんれいもありますから。払う気がなっかったら、法的手段に出ます。1週間時間をあげますから、契約書に印鑑を押して、返送するように』と電話を、切られました。それで、びっくりして、いろいろ調べたのですが、非営利組織等では、主意書や、パンフレット、プログラムなどですむそうですが、飲食店には、一曲ごとの使用料として清算することは、と許されないそうなのです。包括契約しかない!向こうの言い分だと、ウチの客単価¥850くらい、客席数20以下で生演奏をする店は、使用料規程の表3客席数20席以下、客単価¥2000以下、月額60時間までの生演奏にあてはまり、月額¥9000となり(それ以下の区分はなく)、一旦契約したら、何もやらない月の分まで払わなければならないことになります。たとえ、年に数回だとしても。それが、著作権にかからなくても。(後略)

これは許されると思いますか?普通に考えると、ちょっとありえない話ですよね。演奏しなかったことを証明する、すなわち「〜でないことを証明する」のは悪魔の証明ですから、立証責任は「〜であることを証明する」側にあるはずなのです。セットリストを出させるなどし、抜き打ち検査で違反していたらペナルティーを科す。こんな単純なことすらやろうとしないで、根拠のない金額を巻き上げようとする態度は職務怠慢です。普通は門前払いです。本当に裁判になったとき、著作物を演奏していたいという証拠を提出できるのでしょうか。http://www.jasrac.or.jp/info/rules/pdf/15.pdfによると

5 歌曲において楽曲に著作権がない場合又は本協会の管理外の場合の使用料は、1曲の使用料の6/12の額とする。6 歌曲において歌詞が本協会の管理外の場合の使用料は、1 曲の使用料の6/12の額とする。

一体全体、何を根拠に徴収するんですかね、これは。ちなみに、原則包括契約なので、この規定すら適用されないで満額払うことになるんじゃないかと思いますが。ちなみに、http://www.chusho.meti.go.jp/faq/jirei/jirei013.htmlなFAQもあります。

そもそも、僕らが払っているお金は何?

著作物にはいろいろありますが、分かりやすいのは書籍。僕らは、書籍を購入して読むのです。あえてここで言っておくと、(例えば)小説という言葉の羅列が印刷された「書籍(または雑誌)というメディア」にお金を払っています。なぜか。著者は、自分の著作物を、出版元に売ります。売るのは大雑把に言えば「出版して儲けていいですよ」という権利です。その代価として原稿料を受け取ります。あるいは、売れた冊数に応じて印税を受け取ります。著者には著作物を流通させて集金する手段が手元にありませんので、出版社に商売をしてもらうということになります。金額の妥当性は、これは商売ですから、出版社が企業として立ち行くような金額に自ずと落ち着きます。
音楽・映像の場合も同様にメディアとしてのCDなどがあります。ただ、出版物とちょっと違うのは、物理的なメディアに因らない配布方法が昔からある(ラジオ、テレビなど)ことと、容易に(特に近年は)原型を保ったまま複製可能であるということ。そりゃあ本だってコピーできますけど、労力は段違い。また、出版物はみんなで同時に見るなんてのは困難ですが、音楽・映像は、みんなで楽しむことができます。そんなわけで、演奏・放送からお金を集めようという発想の団体が登場するわけです。

なんとなく感じているだろう違和感

出版物はメディアにお金を払っているんですよね、消費者は。そして、自分の著作で引用しちゃったりもする。あたかも自分の著作かのようにパクったり、全く同じ内容の本を言葉を変えただけで出版したりすると、さすがに怒られたりしますが。音楽はどうか。楽曲及び歌詞が音楽としての著作物ですが、財産としての権利に「上演・演奏権」や「公衆送信権」があります。つまり

  • 曲そのもの・歌詞そのもの
  • それを演奏したもの・また演奏する行為

について権利があるわけです。だから、演奏すると場合によっては使用料を払わないといけません。これが一度買ったら自分のもの感覚の出版物と大きく感覚が異なる部分なのではないでしょうか。

金額の妥当性

先に述べたように、金額についてはその権利者が「その値段だったら利用してもいいよ」と任意に決めるものであるので言い値であるといえます。書籍に関しては概ね納得されているんじゃないでしょうか。一方音楽はどうか。日本のCDは高いとよく言われますが、ざっと60分で3000円。買ったら一生自分のものです(ただし、曲を聴く権利そのものではなく、メディアを再生する権利だから破損したら買いなおし)。放送したりするのはそれで利益を得ているわけだから使用料をよこせという話です。それなら、得ている利益とその中の音楽の貢献度から判断されるべきじゃないのでしょうか。

一律払うことの理不尽

税金じゃないんですよ。使用料。使用料というからには、使用していない分を払う筋合いはありません。なんで無条件に払わせられると思っているんですかね?根拠はあるのでしょうか。誰か知っていますか?

私的録音保証金

音楽はメディアの枠を簡単に超えられます。かつてはしかしコンパクトカセット(所謂カセットテープ)などしか一般人の手に入れられる記録媒体がありませんでしたが、MDの登場で、ある程度音質を保ったまま容易にコピーできる手段が提供されました。MDのメディアはそういった用途で使われることが大半という想定のもと、予め被害額(?)としての保証金を含めた形で価格が決められ、その保証金がJASRACの手によって集められ、分配されます。私的録音は消費者の権利だったのですが、デジタルの名の下に、一定の負担を要求されたわけです。最近、iPodなどのメディアプレーヤーをきっかけにHDDに対しても課金する案が話題になりましたがちょっと待ってください。MDは成り立ちから言っても用途がある程度見込まれたものでした。HDDは主の目的が音楽の記録ではありません。言うなれば、コピー用紙に「本をコピーするかもしれないから」と言って課金するようなもの。私的録音保証金の存在意義は認めるとしても、単に「取れるところから取る」という性質のものではありませんよね。

お金を払いたい本当の相手

かつて、芸術家は大抵貴族の庇護の下にあり、その評価により名声や財産を得ていました。著作家は本業が他にあったり、教会の元で行われるものが大部分で、文筆業は印刷の発明以後のものだったんじゃないでしょうか*1。現代の我々も、本当はメディアにお金を払いたいのではなく、それを生み出す人に対価を与えたいと思っているはずです*2。著作者及び我々消費者が協力してそういった仕組みを作り上げていくことで、そのゆがみが排除できるかもしれません。

文芸界の動向

実は、こういった既得権益というか、既存の枠組みをなんとか守ろうという話は音楽著作権だけの話ではないのです。NPO日本文藝著作権センターの言うところの著作権制度の問題は残念ながら出版物というメディアに縛られています。新たなるメディアの大いなる可能性を追求してもらいたいところですが、出版というある意味では既得権益的な枠組みを崩すことは自殺するようなものだと思っているのでしょう。また、それはあながち間違いではないでしょう。紙メディア不要論は未来の議論ではありませんから*3。

著作権の問題ではなく使用許諾と使用料のお話

お分かりのように、これまでの話は著作権そのものの話ではなく、著作権の「使用料」の話だったわけです。我々は徴収を代行している団体あるいは、出版というようなうまく対価をとる仕組みに対してお金を払っているのです。そしてそれが間接的に著作者に入ることで、著作者の糧になっています。
文化・芸術の創出という意味では出版社・音楽出版社の存在が中間搾取の仕組みであるとは必ずしもいえません。それが健全に運営され、著作者・消費者双方が納得の行くものである限りは。店内にCDをかけるようなものが著作者の許諾を必要とする(すなわち、使用料を伴う)ようになったのは平成12年です。それまではうまくやってきたのですから。音楽が流れなくなると知名度UP⇒潜在的な顧客発生という流れを遮ってしまうかもしれません。さて、誰が得をしているのでしょうか。

再度JASRACに望む

別に払いたくないよって言っているわけではないんですよ、大抵は。ただ、何に対していくら払っているかあまりにも不鮮明で、また、自分が払ったものがきちんとその対象者に還元されているかがわからないというのは、大事なお金を払う側からするとあまりに理不尽です。よく叩けばいろいろ出てくるよと言われちゃっていますが、そうではないことを立証し、また、正当な支払いをできるような仕組みづくりをして欲しいものです。

口笛で逮捕される日は来るのか

店員が口笛で誰かの曲を吹いたらお店のBGM扱いされた、なんて日が来るかもしれませんね。利権と権限を持った団体というのは良識・常識を示す必要があります。いくらなんでもそのようなことはするまいと信じてはいるのですが…

*1:このへん、ちゃんと調べるべきだとは思いますがとりあえず

*2:といいつつもパッケージ化された「商品」そのものに魅力があって買うところはありますが

*3:しかし、本というメディアはかなりの性能を持っていますのでまだ当分は電子データに代替されるには到らないでしょう。電子データの閲覧形態がより紙に近づくか、あるいは人間のインターフェースが目と手を超えるか