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現実の女性がもつ、男性への多様な嗜好性を指摘した好著「草食系男子の恋愛学」

草食系男子の恋愛学

草食系男子の恋愛学

id:kanjinaiとしてブログも書かれている、森岡正博氏の「草食系男子の恋愛学」を読んだ。好著。
この本では、「女性は男性に対し、必ずしも『社会的能力』や『男らしさ』を求めるわけではなく、『安らぎ』や『癒し』を第一に求める女性も非常に多い」ということが、繰り返し書かれている。これが、この本で森岡氏が主張したいことの核心なのだろう。

この主張をベースに、「男らしい男=デキる男=モテる男」という理解が一般的で、男性自身もそう思い込みがちな恋愛において、「癒し系」の「草食系男子」たちが、いかにして内面化した劣等感を克服して恋人を得、その女性と良い関係を維持していくかというノウハウが、この本の内容となっている。

↑の森岡氏の主張は、僕も自分の人生経験から全く同じように感じるし、その主張をベースにして森岡氏が提案するノウハウも、妥当なものだと思う。ただ、森岡氏の意見には基本的に賛同しつつも、いくつか気になる点があった。今回のエントリでは、それについて書くことにする。

この本のノウハウは、たぶん10代の恋愛には通用しない

森岡氏が主張するように、男性に「癒し」を期待する女性は、男性や世間が考えているよりも、はるかに多いと僕も思う。ただ、女性が「草食系男子」の良さや、自らが持つ「癒し」への願望に気付くのは、ある程度人生経験を重ねた後ではないだろうか。10代女子が「草食系男子」の良さを理解することは、たぶん難しいだろうと思う。

僕がそう思う理由は、3つある。


1.若い女性自身がもつ、恋愛への幻想の強さ
当たり前の話だけれど、人生経験が浅く、まだ恋愛をしたことのない人間は、男女共に恋愛への幻想が激しい。そうした時期に、「容姿」「人気」「男らしさ」「女らしさ」といった分かりやすい異性の魅力にばかり眼が行ってしまうのは、仕方が無いことだと思う*1。

そして、実際に解りやすい魅力を持った男性と付き合っていくうちに、「肉食系男子」が抱きがちな傲慢さや浮気癖といった現実を知り、恋愛に対する幻想が薄まっていく*2。そうしたプロセスを踏むのが、一般的な女性の恋愛観ではないだろうか。「草食系男子」の良さに女性が気付くのは、こうして恋愛への幻想がある程度相対化された後であることが多いと思う。


2.恋愛や恋人がステータスとして強く働く、学校という特殊な環境
特に中学高校では、恋愛していること自体がステータスとなり、どんな異性と恋愛しているのかということが、クラス内政治やスクールカーストで重要な意味を持ったりする。

たとえば、漫画「花とみつばち」では、主人公の非モテ男子高校生である小松が、ひょんなキッカケからクラスの人気ギャル系女子太田と付き合うことになるが、このとき太田は、同じグループのギャル系女子から「小松みたいな低レベルな男と付き合うなんて、女下げすぎじゃね?カッコつかなくね?*3」という批判を受けている。これは漫画の世界の物語だけれど、現実で起きたとしても全く不思議ではない、リアリティのあるエピソードだと思う。

こうした環境では、本当は草食系男子が好みだったとしても、それを周囲に公言し、実際に草食系男子と付き合うことは、女性にとって非常に難しい行動になるだろう。


3.10代の時機から恋愛する女性は「肉食系女子」が多い
2の理由から、草食系男子好きの女性の多くは、10代の若い時期に恋愛を経験しない。そうした女性が自分の好みをさらけ出し、草食系男子と堂々と恋愛できるのは、恋愛がもつ権力性が薄くなる、大学〜社会人以降ということになる。


↑のような理由から、この本に書かれているノウハウは、20代中盤以上の男女には有効でも、若い思春期の男女には通用しないと思う。まぁこの本自体、「若いうちに芽が出なくても、30代で女性から人気が出る男性も多い」といったことが書かれているので、ティーンエイジャーの恋愛についてはそもそも守備範囲外なのかも知れないけれど。

ただ、恋愛に対する劣等感というものは、10代の思春期に抱くことが圧倒的に多いと思うので、その点では少し残念な気はした。

恋愛のジェンダー的使命

これは本の内容とは少しズレるんだけど、「恋愛のジェンダー的使命」について、この本を読んで考えた。

この本には「能力や男らしさよりも、『私という存在を肯定的に認めてくれること』を男性に求める女性は多い」とあり、それを満たすことができる男性がモテる、ということが度々書かれている。

コレ、確かに僕にも頷ける話ではあるのだけれど、「私という存在を肯定的に認めてくれる」異性を求めているのは、なにも女性だけではない。これと同じモノを女性に対して求めている男性も、たくさん居ると思う。たとえばはてなの非モテ論界隈では、「自分のことを好きになってくれる女性が好きだ」という「恋愛で自分の存在を異性から肯定して欲しい願望」を表明する男性をときどき見かける。

しかし、これに対する女性の反応は、概ね冷たい。最も典型的なのは、「私はあなたのママじゃない」という反応なのだけれど。

でも、逆にこの本のように女性が「私という存在を肯定的に認めてくれる男性」を求めていると公言することに対しては、あまり批判は起こらないような気がする。

この違いは、恋愛に対して社会が求めるジェンダー規範が、男女で違うことから産まれているのではないかと思う。その規範とは、「恋愛において男性は、女性の保護者のように振舞うべきであり、女性から被保護者のように扱われてはならない。それは、『男らしくない』ことだ」ということで、それを男も女も内面化しているということではないだろうか。

この規範は、男性に対しては父性を、女性に対しては母性を強化する方向に向かって働くものだと思うのだけれど、これを恋愛が結婚という制度に結びついていることと併せて考えると面白いと思った。恋愛は、家父長的なものを存続させるのに都合が良いシステムとして、社会に組み込まれいるのかもしれない。

また、恋愛において「女性の願望を保護者のように受け止めること」が規範として男性に求められているのだとすれば、恋愛はずいぶんと女性に都合が良い制度になるだろうな、とも思った。この辺りの、

  • 恋愛を上手く進めるためには、女性の願望を満たすことが有効。
  • だが、それを際限なく続けていく恋愛は女性だけに都合の良いものとなる。
  • ときには「男らしさ」が恋愛関係を良好に進めるのに有効な場合もある。
  • だが、それは肉食的な男らしさに適性の無い草食系の男性に対し、その良さを殺して男らしさを押し付けることになる。


というジレンマについては、ジェンダー研究者として森岡氏もいろいろと複雑な思いを抱えているらしく、文章の節々にその苦悶をうかがわせる痕跡がある。

たとえば↓の一節。これは、この本のエッセンスが凝縮された一節だと思う。

男性に「提案」能力を求める女性もいる。ご飯は何にするのか、ドライブはどこに行くのか、週末のデートは何をして過ごすのか、そういうことをいちいち一緒に考えるのではなくて、「じゃあ、こうしてみない?」とスマートに提案してくれるような態度を男性に望む女性は多い。自分は受身のまま、相手の敷いてくれレールの上を、相手に守られながら進んでいって、たくさん気づかわれ、楽しませてもらって、幸せな気分に浸りたいという願望が女性の中にあるからだ。もし、好きになった女性が、これらの態度を望んでいるのならば、その期待に沿うようにしたほうが、恋愛はスムーズに進むであろう。


ただし難しい点もある。自分でどんどん積極的に女性を引っ張っていくタイプの男性ならば、何の問題も起きないだろうが、受け身で引っ込み思案の男性の場合は、かなりつらい状況になってしまうからである。


それだけではなく、女性の側の願望に合わせようとして、心の優しい男性たちが、無理やりに、頼もしく、しっかりとした、男っぽい男になろうと努力しなければならないというのも、おかしな話だと思うからである。


もちろん、この社会が女性に期待する役割を考えれば、彼女たちの気持ちも理解できないわけではないから、ここは彼女たちの要望に応えるようにしていったほうがよい、という考え方もあるだろう。だが、先ほど述べたような女性の受け身の願望は、ひたすら女性だけに都合のよいものであると言えなくもない。


ここから先は、二人で話し合って、具体的な解決策を探っていくしかない。「男役割」を引き受けなければならないあなたの気持ちを正直に話して、彼女の意見を聞いてみよう。そして、相手に対するお互いの願望を、交互に満たしていくような妥協点が見出せるとよいと思う。


P.186 〜 P.187 強調原文ママ

現実の男女関係への森岡氏の誠実なまなざし

この本の森岡氏の視線は、「現実の男女関係の多様性」を、誠実に見つめているという点でも好印象だった。↑の引用部分に限らず、この本には「絶対的な解法はない」という表現が数多く出てくるのだけれど、これは現実の男女関係の複雑さに対する森岡氏の誠意の表れだと感じた。

また、「男らしい男=デキる男=モテる男」という世間一般で流通しているイメージについて語るときも、それを完全に否定するのではなく、「そういうのが好きな女性も確かに多いけど、癒し系が好きな女性も世間で言われているよりずっと多い」という姿勢を崩さないところも、リアリティがあって好感を持てた。

もし森岡氏が、「男らしさへの女性の願望」を完全に否定するような書き方をしていたら、僕はこの本を「リアリティに欠けたキレイ事を並べただけの本」として酷評していたと思う。

頼もしく、男らしく、社会的能力に優れた「肉食系男子」が世間的にはもてはやされがちな恋愛において、裏で密かな人気を誇る「草食系男子」に視線を向けたという意味で、「草食系男子の恋愛学」は、希有な一冊に仕上がっている。

そして「草食系男子」の良さが広がっていくことは、自らの「男らしさ」の欠如に劣等感を感じている男性だけでなく、既存の恋愛観に捕らわれすぎるあまり、相性が悪い「肉食系男子」と不毛な恋愛ばかり繰り返しているようなタイプの女性にとっても、幸せを広げることに繋がるのではないかと、そんなことを思った。


【追記 2008/07/30 AM.7:30】

はてぶで関連エントリーを眺めていたら、「恋愛のジェンダー的使命」の項に対するクリティカルな指摘をしている過去記事を見つけたので、発掘引用*4。

http://d.hatena.ne.jp/otsune/20060930/himotefemale
「それは恋愛文化における男女の非均衡で、男が受け身だと批難されるけど、女が受け身でも当然というのを無視してねーか」というツッコミは意外と入らないのが、みんなやさしいと思う。


「恋愛で自分の存在を異性から肯定して欲しい願望」が、女だと許されて男だと批判されるということにも、この非均衡が大きな一因としてあるよなぁ。

*1:これを批判することは、リアル中学2年生に中2病を指摘するくらい馬鹿げたことだと思う。

*2:もちろん、幻想が薄まらない女性や、「肉食系男子」はやっぱり良かったと感じる女性も居る。

*3:原本が手元にないので正確じゃないけど、確かこんな感じ。

*4:関連エントリー、すげー!