一枚の写真が招いた「悲劇」

以前のエントリーで紹介した、祇園祭のポスターをめぐる著作権侵害事件*1。


出版社や印刷会社だけではなく、ポスターを発注した「八坂神社」まで被告にされてしまった(しかも請求が認容されてしまった)この事件に対しては、「著作権の世界もここまで来たか」と感慨を持って受け止めるむきもあるのかもしれないが*2、自分は、判決文を読めば読むほど、これがある種の“悲劇”であるように思えてならない。

東京地判平成20年3月13日(H19(ワ)第1126号)*3

原告:A(趣味として、京都の祇園祭を中心に写真撮影をする者)
被告:サンケイデザイン株式会社
   B(サンケイデザイン株式会社の代表取締役、八坂神社の三若神輿会会長)
   株式会社白川書院
   C(白川書院の代表取締役)
   八坂神社


本件は、原告が平成14年7月17日に撮影した祇園祭の写真を、被告らが

(1)被告Bが京都新聞に掲載した広告(平成15年、16年は写真を、17年は写真に依拠した水彩画を広告に使用した)
(2)被告八坂神社の祇園祭用のポスター(上に同じ)
(3)被告白川書院が発行する「月刊京都」平成15年7月号の特集記事

にそれぞれ無断で使用した、として提訴された著作権侵害事件であり、主に争点となっているのは、

1)原告が本件写真の使用を被告らに許諾したか。
2)水彩画の制作が本件写真の翻案権を侵害するか。
3)被告らの故意又は過失の有無

といった点である。


これだけ見ると、一見普通の著作権侵害訴訟のように見えるのだが、当事者間のやり取りの経緯等を見ていると、腑に落ちないところもいくつか出てくる。


被告らの侵害行為のうち、一番最初に問題になったのは、上記(3)の「月刊京都」への掲載だったのであるが、判決で認定されている事実によれば、原告は当初(「月刊京都」の発刊から間もない平成15年6月ごろ)、

「原告は、上記月刊京都の発刊日から数日後、被告白川書院を訪れ、本件写真の掲載によって収入を得たと職業安定所に誤解されると失業保険を受給することができない等として、D(注:被告白川書院の編集長)に対して抗議をした」(25頁)

ということで、元々は「著作権」とは全く筋の違うところから紛争が始まっていることが分かる。


原告はそれから1年近く経った、平成16年5月28日、訴外弁護士Fを通じて、

「本件写真を月刊京都に掲載したことをめぐる紛争について、解決金として200万円の支払を求める旨の内容を記載した通知書を送付」(25頁)

し、その後、ポスターに写真を使用していた八坂神社等にも抗議を行ったようであり、この時点になって初めて「著作権」が前面に出てくるわけであるが、その時点においてさえ、こんな訴訟になることを果たして当事者は予想しただろうか・・・?


ちょっとしたボタンの掛け違いを発端として大きな騒動になってしまうことは、世の中では良くあることとはいえ、本件は、被告側にしても、(余計な訴訟コストとそれ以上の代償(後述)を払うことになってしまった)原告側にしても、何とも気の毒な展開になってしまった事例なのではないかと思う。

上記争点に対する判断(八坂神社に関するものを除く)

さて、上記争点に対する判断だが、被告八坂神社に対するものを除く判断、特に被告Bに対する判断については、至極穏当なものといえよう。


被告Bは、平成16年5月28日付原告通知書への回答の中で、

「理由の如何を問わず、貴殿の著作権を侵害したことを深くお詫びいたします。」
「私としては多忙もあり、うっかり事前に本件写真を、B書に掲載するのに事前にA氏の承諾を得るのを失念していたのが真相です。」(26-27頁)

と、自らが違法行為を行ったことを“自白”しており、この点については事実上弁解の余地がなかったものといえる*4。


被告側は、原告の当初の抗議が「原告の名前を表示したこと」に対して行われたものであったことを捉えて、「原告の許諾意思」があったという主張を行ったのであるが、裁判所は、

「しかしながら,原告の抗議の内容を仔細に検討すれば,原告は,職業安定所との関係で本件写真の掲載により収入を得たという誤解を解く必要があったというものであるから,抗議の内容が上記のとおりであったとしても,このことは,原告が職業安定所との関係で誤解を解くための行動をしたまでのことであると解するのが自然であり,これを超えて,本件写真の掲載自体を事後的に許諾したとまで解するのは相当ではない。そうすると,このような原告の行動により,原告が本件写真の使用を許諾したと認めることができないのはもとより,本件写真の使用を許諾していたことを推認するに足りるものとも認めることはできない。」(28頁)

とあっさり判断しており、このあたりはやむを得ないといわざるを得ないだろう。


また、平成17年に被告側が選択した「水彩画」方式での掲載が翻案権を侵害するか、という争点(上記争点2)についても、裁判所は、写真の著作物性について、

「本件写真の表現上の創作性がある部分とは,構図,シャッターチャンス,撮影ポジション・アングルの選択,撮影時刻,露光時間,レンズ及びフィルムの選択等において工夫したことにより表現された映像をいうと解すべきである(証拠略)。すなわち,お祭りの写真のように客観的に存在する建造物及び動きのある神輿,輿丁,見物人を被写体とする場合には,客観的に存在する被写体自体を著作物として特定の者に独占させる結果となることは相当ではないものの,撮影者がとらえた,お祭りのある一瞬の風景を,上記のような構図,撮影ポジション・アングルの選択,露光時間,レンズ及びフィルムの選択等を工夫したことにより効果的な映像として再現し,これにより撮影者の思想又は感情を創作的に表現したとみ得る場合は,その写真によって表現された映像における創作的表現を保護すべきである。」(30頁)

という一般論を述べた上で、本件写真について、

「本件写真の創作的表現とは,被告八坂神社の境内での祇園祭の神官によるお祓いの構図を所与の前提として,祭りの象徴である神官と,これを中心として正面左右に配置された4基の黄金色の神輿を純白の法被を身に纏った担ぎ手の中で鮮明に写し出し,これにより,神官と神霊を移された神輿の威厳の下で,神輿の差し上げ(神輿の担ぎ手がこれを頭上に担ぎ上げることをいう。)の直前の厳粛な雰囲気を感得させるところにあると認められる。」(31頁)

と認定し、水彩画との対比において、

「本件水彩画のこのような創作的表現によれば本件水彩画においては,写真とは表現形式は異なるものの,本件写真の全体の構図とその構成において同一であり,また,本件写真において鮮明に写し出された部分,すなわち,祭りの象徴である神官及びこれを中心として正面左右に配置された4基の神輿が濃い画線と鮮明な色彩で強調して描き出されているのであって,これによれば,祇園祭における神官の差し上げの直前の厳粛な雰囲気を感得させるのに十分であり,この意味で,本件水彩画の創作的表現から本件写真の表現上の本質的特徴を直接感得することができるというべきである。」(32頁)

という結論を導いている。


実物を見ないと何ともいえないのだが、本件写真には、構図的にも、撮影技法に関しても、“普通の写真”を超えた何かが存在するようであり、だからこそ、これだけ何度も“目玉写真”として被告らに使われたのだろうから、それに依拠して制作された「水彩画」に対して本件写真の著作権が及ぶ、と考えても違和感はない事例といえる。


そして、上記のような判断を元にすれば、原告と直接接点のあった被告B、被告サンケイデザインはもちろん、「業として雑誌を出版する者」であって、「著作物を使用するに際しては、当該著作物を制作した者などから著作権の使用許諾の有無を確認するなどして、著作権を侵害しないようにすべき注意義務がある」(46頁)被告白川書院、被告Cに侵害責任が認められたとしても全く不思議ではない、ということになる*5。


むしろ、本件の最大のハイライトは、次に述べる、八坂神社の著作権侵害責任をめぐる判断にある。

八坂神社の責任

八坂神社の著作権侵害責任を巡る争点が微妙なのは、単なる「発注者」という同神社の立場に加え、原告が八坂神社自身から本件写真の撮影に際して許可を受ける、という関係にあったことによる。


裁判所の認定によると、原告は、平成9年頃から5年間、以下のような内容で被告八坂神社から撮影の許可を受けていた。

撮影範囲
御本殿内を始め御社で執り行われる,祇園祭の神事・祭典及び,御奉仕団体により催行される行事において,行事を直接運営する団体から許可され,且,神事などの執行を妨げない範囲。
使用目的
・申請者の著作物及び,共著となる単行本・写真集などへの掲載。
・申請者の個展及び,申請者が主要なメンバーとなるグループ展での展示。
・公募展などへの応募及び,これに関わる展示並びに図録への掲載。
 応募作品の著作権が主催者に移管されるものへの応募は行なわない。
・上記著作物・写真展などに関わる,案内状・パンフレット並びに,告知のための写真雑誌・情報誌などへの掲載。
申請条件
・上記の範囲・目的を外れる撮影・使用に関しては,その都度事前にご許可を得る。
・祭の意義を考慮したうえで,その尊厳を乱す様な行為は慎む。
・御社が写真を必要とした時は,これを無償でご提供する。
・著作物を出版する時は内1冊をご奉納する,写真展など開催の時はご案内をする。
・御社の都合により,この許可事項が期間満了前に停止されても,異議を唱えない。
(34-35頁)

上記太字部分が、神社による写真の自由利用までもを許容するものなのかどうかは議論のあるところだとしても、この条件が適用される状況だったとしたら、本件はもう少し異なる展開になっていたことだろう。


だが、実際には、本件写真が撮影される直前の平成14年7月2日付、被告八坂神社は、撮影の許諾期間等を大幅に限定した上で、以下のような条件に変更して撮影の許可を行っていたのである。

「このたび願出のありました当社に関する撮影につきましては,左記の事項を遵守することで許可致します。」
一.使用目的は左記に限ること。記載の目的以外には使用しないこと。申請書類記載の通り(但し,七月十六日鷺舞,田楽公開練習については,舞殿前での奉納のみと致します) 。
一,撮影対象は左記に限ること。申請書類記載のとおり。
一,撮影期間は平成十四年七月一日〜平成十四年七月三十一日に限ること。
一,著作権を損ない,当社に不適切なナレーション・テロップ表示・解説文を使用しないこと。
一,映像の複写・複製・貸与・販売は厳禁と致します。
一,本殿内部を始め建造物内に立ち入っての撮影は禁止いたします。
一,撮影に際しては当社職員の指示に従い,祭儀の進行や参拝者の妨げとなる撮影を行わないこと。
一,写真展開催時にはその詳細を案内してください。また写真集出版に際しては一部献納してください。
一,撮影した映像・写真を二次使用するときは再申請すること。
(36-37頁)

ここでは、「写真を必要としたときは無償で提供する」旨が明記されていない。


この「変更」がどういう意図で行われたのか、外からうかがい知ることはできないのだが、裁判所はこれを、

「被告八坂神社は,再度の撮影許可では,撮影許可の範囲を一般の観光客とそれ程変わらないものに制限したことを考慮して,写真展を開催する場合には案内を要するという条件や写真集を出版する場合には一部の献納を要するという条件については従前どおり維持しつつも,本件無償提供条項については削除したものと解するのが自然である。そうすると,原告は,被告八坂神社との間で,本件写真の使用を許諾するとの合意をしたとは認められず,その外に,原告が被告八坂神社に本件写真の使用を許諾していたと認めるに足りる証拠はない。」(38頁)

と解釈した。


被告らは、「当事者双方は、従前どおり、本件無償提供条項も当然に撮影許可条件として含まれているという黙示の合意があった」と主張したのであるが、元々、原告が従前と同じ条件で申請したものを“あえて”神社側のイニシアティブによって変更した、という経緯が、被告らに不利な心証を形成してしまったことは否めないように思う。


それでは、もう一つの争点である「過失」の有無についてはどうか。


裁判所は、ポスターに本件写真等を使用することを「最終的に了解」したのが被告八坂神社である、と解した上で、

「被告八坂神社は、重要文化財、著作物その他文化的所産を取り扱う立場にある者であって、もとより著作権に関する知識を有するものであるから、著作物を使用するに際しては、当該著作物を制作した者などから著作権の使用許諾の有無を確認するなどして、著作権を侵害しないようにすべき注意義務があるというべきである。」(42頁)
「被告八坂神社は,その最終判断に当たり,被告サンケイデザインに対して,本件写真の著作者名や当該著作者名を表示しないことに対する承諾の有無を具体的に確認し,その状況次第では,更に著作者に当該承諾の有無を直接確認するなどして,著作者人格権を侵害しないようにすべき注意義務があったというべきである。」(43頁)

というアメージングな(笑)判断を下したのである。


確かに文化財も著作物に当たりうるのかもしれないが(もっともほとんどはパブリックドメインになっているだろうが)、上記太字部分のような理由付けで「注意義務」が認められてしまうのだとすれば、世の中のほとんどの広告掲載主体は、自身の広告における著作権侵害について無過失責任を負わされることを覚悟しなければならないだろう*6。


いずれにせよ、裁判所は被告とされていた全当事者について、著作権侵害に関する損害賠償責任を認めることになった。

最大の悲劇

さて、かくして原告は損害賠償を受けることができたわけであるが、裁判所が、「当裁判所が本件について和解勧告をした際に前提としていた損害額よりもやや高額のものとなっている」(50頁)と断っているにもかかわらず、その額は91万円に留まっている。


写真の(客観的な)財産的価値や掲載回数等を考慮すると妥当な落ち着きどころ、ということになるのかもしれないが、ここで考えなければいけないことが一つある。


原告は趣味が高じて、「京乃七月」という写真集を発行するほどの熱心な写真愛好家であるが、同時に「祇園祭、神輿祭の際に熱心にカメラマンとして、祭礼の際に来ておられる」(被告Bの書面の記載による。26頁)人物でもあった。


上記写真集の表紙を飾った本件写真も、そのような祇園祭関係者との密接な関係があったゆえに撮影されたものであったのは言うまでもなかろう*7。


だが本件訴訟を経た後に、原告が同じアングルで同じような素晴しい写真を撮れるか、といえば、それはもはや絶望的に近いのではないだろうか・・・。


もちろん一般観光客に混じって写真を撮影することは不可能ではないのかもしれないし、写真素材となり得る祭は「祇園祭」の他にもあることだろう。


だが、たった91万円の代償と引換えに、原告が愛着のある写真素材を失ってしまうのだとすれば、何とも救われない気分になる*8。


自らの写真を無断使用した者に対して、自己の著作権を主張した原告の勇敢な行動が間違っているとは決して思わないが、世の中には「権利」だけでは解決できないこともある。


訴訟になる前に、もっと穏当に解決する途はなかったのか・・・と、考えてしまうのは筆者だけだろうか?

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080314/1205636766

*2:原告がアマチュア写真家ということもあって、同情する世論も強かったのではないかと思う。

*3:第46部・設楽隆一裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080314120401.pdf

*4:通常の権利者とのやり取りでは、絶対にやらないような“脇の甘い”回答文書を作成しているところを見ても、この時点で訴訟にまで行く話だとは誰も思っていなかったのだろうと推察されるのだが・・・。

*5:出版社が関与している場合に裁判所がいかに厳しい判断をしているか、ということについては、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070602/1180718769など参照。

*6:この点、ドトールの広告における写真の無断使用が問題となった、大阪地判平成17年12月8日(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/68CC456C8440BC20492570D50009A2CC.pdf)と比較されたし。

*7:被告Bの書面によれば、原告が被告Bの協力を得て、「商店街のアーケードの上」という撮影ポジションを得られたがゆえに生まれたもの、だという。

*8:元々の請求額自体、165万円に過ぎないことからすれば、単に「裁判所が認定した額が少ない」といって済むような話ではない。

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