ミステロイドの夢と未来 - 『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい -In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI-』

 ええと、先に言い訳しておくと犬紳士さんのレビューはこの感想のこの箇所書いてる時点でまだ読んでません。犬紳士さんはつよいので感想書く前に読むと影響されそうで怖いというのと、もし内容が被っても「ちゃんと自分で考えた文章だからパクリじゃないもーん」とか言って誤魔化すためです。書き終わったら公開前に読みにいって、こりゃまずいと思ったら書き直す算段ですが(卑怯)。あと私が本文中でミステリじゃなくミステリーって表記してるのはポリシーなので突っ込まないで……。



 さて。受賞時タイトルのインパクトと、正真正銘のレイパーが堂々と主人公を張ってる辺りが話題作になった所以かと思いますが、その辺はよそで語り尽くされてそうなのであんま言うことはありません。「主人公が本当で連続強姦魔」と聞いた時点で私が想像したのは、「往事の西尾維新や佐藤友哉のような倫理観のトチ狂った壊れた世界系」のお話だったのですが、読んでみると別にそんなこともないんですね。主人公は良心の呵責など一切なく生徒を強姦し続ける悪人ですが、作中の倫理としても単なるゲスい悪人として描かれていて、ここに読者の倫理観を揺るがすような未知の何かはありません。主人公は最後まで強姦魔としての矜恃、倫理を主張しており、むしろスタイル的には正攻法*1で倫理を扱おうとした作品ではあるのでしょうが(えー)、この辺はたぶん確実に犬紳士さんが言及してると思うのでそちらにアウトソースします(地雷回避)。

 で、タイトルが酷いとか主人公がレイパーであるとかいった要素以外本作に何があるのかというと、まあミステリー方面の話題になるわけですが、私にとってはこっちの方が好みでした。頻出する六とんネタとかのミステリ談義はよくあるジャンル語りなのでまあなんともなのですが、なんとゆうか私が「ヘンテコなミステリーもどき」に求めているものが、"問題意識と方向性"だけは全部入っていたな、っと。端的に小説を書く力*2が足りてなさそうなので"問題意識と方向性"以外褒めるところがないとも言えるのですが、それが入っているだけでもお腹いっぱい。いいものを読んだとは言いませんが、こういう小説が存在すると知れただけでもいい夢が見れたので満足という感じです(褒めてない気がする)。十五年くらい経って、米倉さんが作家としての地力をつけた上でまたこういう小説を書いてくれたらたいそう私好みの作品になると思うので、それは是非読んでみたいですね。

ミステリーの話

 ちょい前置きが長くなりますが、ミステリーとミステリーもどき*3の話をします。さっき上で書いた、私が「ヘンテコなミステリーもどき」に求める"問題意識と方向性"というのは、大雑把にいうと「ミステリーの文脈/お約束」を自覚的に扱う視点のことです。たとえば現実の論理では「状況を可能にする犯行方法」をひとつ提示するだけでは真相を確定させることはできず、「他のあらゆる犯行可能な方法」を未知のものまで否定し尽くしてようやく真相がひとつに絞れます。社会的にも推定無罪の原則とかあるわけで、「この仮説で事件が説明できる!」→「じゃあそれが真相だ!」というのは端的にお馬鹿さんの思考です。

 ところが、世にある推理小説の探偵って、さらっと↑こういう思考をすることがままあるんですね。不可能に思える状況を説明しうる仮説を思いついたので、それが真相だと断定して行動し、結果的にそれが真相だったので事件が解決する。めでたしめでたし。みたいなお話は結構あります。いちおう証拠を確保するため「どこそこにホニャララがあるはずだ」と探偵がドヤ顔で言ったりもするのですが、"頭脳明晰とされる"探偵が証拠もない段階で早計にも真相を確信したようなドヤ顔をしてること自体、考えてみれば不自然です。頭いいはずなのにキャラ崩壊しています。なんでこんな理屈が作中でが通るのかミもフタもなく言えば「探偵の推理が真相であることを作者が恣意的に保障しているから」という話になってしまうのでしょう……と、この辺は過去の議論がわんさかあるはずなので軽く流します。

 もちろん実証の過程をしっかり描く、それこそが売りだという作品もありますが、そうでない作品も多く、実証過程がスルーされたからといって即致命的な瑕疵となるわけでもありません*4。露骨にやれば批判もされましょうが、とりあえず商業出版されてしまうくらいには存在します。本格だパズラだ読者への挑戦状だと宣伝されていれば別でしょうが、ごく普通に「ミステリー」と銘打って出版された程度の作品ならこのくらい余裕でスルーされるのです。だって、「実証性を度外視した推理を積み重ねればこんな飛躍した結論も出せちゃうんだぜ? ……あれっなんで当たっちゃうの(ズコー)」て感じのナンセンス論理ジョークとしての側面を持つ『九マイルは遠すぎる』を、「合理的推理の傑作」「鋭く美しいロジック」と言ってベタに賞賛する人が結構いるくらいなんですもん……。

 とまあ一例として実証性の話をしましたが、ミステリーというジャンル小説はこの手の文脈、お約束の集積の上に成り立っているわけです。それ自体は不合理ですが、ジャンルミステリーとしては別にそれはそれで構いません。実証過程なんて、なにせあんまり面白くない。真に合理的な論証過程をこそ楽しむ推理小説ファンも当然いるでしょうが、P⇒Qの証明だけで満足してQ⇒Pが証明されてないことに無頓着という人もいるし、単に「面白いトリック」「面白い真相」を求めてミステリーを読んでる人はもっと多いでしょう。不可解な謎があって、探偵がトリックを看破して、気持ちよく事件解決。お話としてはそれで十分に面白くなるし、細部に拘ってつまんない描写に筆を割くことの方がよっぽど作品の面白さを減じるかもしれません。いちいちお約束に突っ込みを入れるのは、時代劇に出てくる女性がお歯黒をしていないことに文句をつけて回るたぐいの野暮に違いありません。どの程度まで文脈に依存し、どの程度まで合理性を求めるかは、個々の読者、個々の作品の目指すところ次第になるかと思います。

ミステリーもどきの話

 ただ、そういう文脈/お約束自体に手を出してあれこれこねくり回す遊びも、それはそれで面白いのですね。「確定した情報を元に探偵が推理し、提示された仮説を唯一無二の現実と照らし合わせて検証し、真相であることを証明する」のが現実における推理と証明の手順ですが、「確定した情報を元に探偵が推理し、提示された仮説が真相であることを最終的には作者が恣意的に担保する」のが一般的なミステリーのゲームメカニクスです*5。

 このメカニクスをいじくって、真相を担保する役割を作中人物に与えるとこうなります。「確定した情報を元に(≒確定情報に反しない範囲で)探偵(?)が仮説を捏造し、その仮説が真相である(とみなされる)ことを超能力者(とか神とか作中「作者」とか探偵自身とか)が恣意的に担保する」。はい、『虚構推理』とかのことですね。私は悪質な『うみねこのなく頃に』信者なのでついでに話をねじ込むと、うみねこ作中で繰り広げられる「魔女のゲーム」は「確定情報に反しない範囲で自分の勝利条件に合致する真相を捏ねくりあげ、ゲームマスターの采配で真相として認めるかどうか決める」*6っというメカニクスでプレイされます。そういうのも含めて広義のミステリーだ、という話もあって定義は別にどっちでもいいのですが、とりあえず前段落で提示したミステリーのフォーマットからは外れるので、この場ではまあ「ミステリーもどき」とでも呼びましょう。で、本作のヒロイン比良坂さんも「確定情報に反しない範囲で自分の望むように捏ねくりあげた仮説が、周囲の人間の恣意的な担保によって社会的に真相とみなされる」みたいなことをやっているのですね……というわけで、ようやく本の感想に戻ってこれました。

 フィクションの真相を決めるのは作者ですが、それはもちろん野暮でメタな物言いであって、作中世界において真相はやはり「既に決定しているもの、変えようのない唯一無二のもの」として扱われます。推理は真相に合わせて行うものにすぎず、真相が推理に合わせて変容することなどあってはなりません。ところがここに「探偵」比良坂さんが現れることで、比良坂さん自身が社会的な「真相」を恣意的に作り出していく構図が生まれます。

 作中で提示される比良坂さんの推理はあまり出来がいいとは言えませんが、ミステリーの文脈/お約束をもってすればこの程度のザルな推理を物語の真相として扱うことも不可能ではありません。比良坂さんの推理が滑稽に見えるのは、真相を知る犯人である主人公その人が地の文で突っ込みを入れまくるからであって、「論理的に破綻しているから」ではとりあえずありません。デキの悪い推理小説とみなされて壁ポイくらいはされるでしょうが、「探偵の推理が破綻してるからこれは偽の解答で、きっと真相は別にあるんだ!」とまでは思われますまい。それが、ミステリーの文脈を外れればこの通り。探偵補正という「保護」を剥奪された推理の姿はこんなにも馬鹿馬鹿しいのだと、ミステリーのお約束/文脈をおちょくっているわけです。

 というわけで、唯一無二であるはずの真相がかくも容易にスルーされ、推理マニアな小娘の「わたしのかんがえた真相」が現実として扱われる。ミステリーの論理があべこべになったナンセンスな状況を笑うのが、本作前半の楽しみ方でしょう。で、そうやってるうちに真相と「真相」の区別を混乱させ、何が何やらようわからん状況に持っていって真相の価値を地に堕とすのが本作後半の詐術です。不評な人の感想を見るにその面白さを巧く提示できているとはお世辞にも言えなさそうですし、提示されたところでそれ本当に面白いのかと言われれば口を噤むほかありませんが、ともかくベタに読解して見えてくる本作の構図はこんなところかなと思います。

お約束いじり

 本作では「行間」という言葉が多用されます。いちいち記述はしないけど、行間で生徒をいっぱい強姦してるんだぞというようなレトリックが頻出します。地の文と矛盾しないのをいいことに、本来書いておくべき重要な出来事を行間に省略する。これは当然叙述トリックを意識してのネタでしょうが、小説一般に関わる話でもあります。筒井康隆御大の『虚人たち』を引くまでもなく、行間には様々なことが省略されていますし、何を省略するかが作家のセンスでもあります。情景描写や人間ドラマが苦手だからと明示的に省いたり、一度名前付きで登場した人物をモブキャラ扱いに降格するネタなどは、小説の「行間」というお約束そのものをおちょくったネタでしょう。描写を省くネタなんてただの小賢しい言い訳やんけとか、いやそういう突っ込みが来ることまで想定してのネタなんだとか、想定内だろうが何だろうがつまらんもんはつまらんとか、まあ色々あるでしょうが、面白いかどうかはともかくそういうネタであることは理解できます。そういうネタを効果的に折り込んでしっかり面白く書いた作品もあります*7(本作の場合、モブ沢さんはひどくて面白かったと思います)。

 でしてまあ、出来はともかく、こうやってお約束の前提を問い直す作品が私は好きです。好きなので褒めたいのです。実験的で難しい試みをしているのだから多少わけがわかんなくても大目に見るべきだとか言いたくなるのです。ところで実験作が難しいといわれるのは、高度な実験性と面白さを兼ね備えるのが難しいからです。ひるがえって本作、たしかに試みは試みですが、高度な実験性を作品に結実させてるとまでは言えなさそうですし、小説として読んでベタに面白いともいいがたい。ぶっちゃけごく普通のよくできた精緻な小説と比べて本作の方が難しいことやってるようには見えないと。そもそも「一文一文は日本語として読めるけど、ページ単位でどういう理屈を言いたいのかよく分からない」ようなシーンが頻出するのは「いやこれは小説の文脈をブツ切りにすることでお約束をおちょくる試みであり」とか言い訳してもちょっと苦しいし、正直作品の実験性とか関係ないところの力量不足でだいぶ点数落としてる気がするのですがええと、とにかく好きな方向性ではあるのでこれからもがんばってほしいさっかさんです(小並感)。

 ところで、「お約束の前提を問い直す作品」括りで私が思い浮かべる作家の筆頭は円城塔さんです。円城さんは小説のお約束をいじくりたおすような作品をいくつも書かれています。さすがに一般性のある話とは思いませんが、私の頭の中では本作と円城塔さんの作品群は同じカテゴリに入ります。作者の米倉さんが円城塔さんを意識していたかどうかは手掛かりゼロなのでまったく分からないのですが、本作の森博嗣さん風英題の最後の文字が"SENSEI"となってるのはもしかしたら『Self-Reference ENGINE』を意識してるのかな、くらいのことは想像しました。たぶん無関係。そういうわけで、円城塔さんの作品はどれもこれも実験的でありなおかつ小説としての面白さを維持してるので、どうぞ米倉さんも多少ヘンテコで面白い小説を書いてくださいまし(ハードル上げた)。

こっからネタばれ:ミステロイドのゲームと倫理

 なんか前段落がキリのいい感じに終わったのでここで〆て犬紳士さんのレビュー読みにいってもいいかなあと思ったけど続けます。当初の予定ではわりと褒めまくる方向の感想にするつもりだったんですが、実際書いてみると全然褒めてるように見えませんね、これ。やはりいくら方向性が好みでも、内容が伴ってないとどうしようもないところがあるようです……(ミもフタもない)。とはいえよかったところも当然あるにはあるので、ほーと思った終盤の展開について書いておきます。なにぶんクライマックスの話なので、ここにきて思いっきりネタを割ります。未読の方はご対応下さい。




 本作の前半では、比良坂さんを探偵役に据えて「確定情報に反しない範囲で自分の望むように捏ねくりあげた仮説が、周囲の人間の恣意的な担保によって社会的に真相とみなされる」構図があると書きました。これが終盤になると、比良坂さんが開き直ったりせんせいが社会的に死んだりするので、かなり構図が崩れてきます。しまいにはお待ちかね、やっぱり叙述トリックとか言いはじめて「過去を遡及的に決定する」ことが事実上許可されます。実はせんせいが***だったことにしてもいいし、実は比良坂さんの*が**ていたことにしてもいい。ついでに沢渡兄はレボルバーのスミスアンドなんとかでせんせいのちんちんを狙っているらしい(語弊)。

 比良坂さんの提案したオチはせんせいが拒否し、せんせいの提案したオチは比良坂さんが拒否するというやりとりが続くので、どんでん返しが繰り返されるばかりで結論はなかなか決まりません。ただしここで重要なのは、比良坂さんとせんせいのタルくてアホくさい掛け合いが続くうちに比良坂さんが独占していた「探偵=真相捏造者」としての地位をせんせいも獲得し、「両者の合意したストーリーを事件のオチにする」雰囲気がなし崩し的に形成されたことです(いや合意がなくても現実的暴力が行使可能なら無理矢理事実を作っちゃえる余地も一応ありましたが)。過去の真相と、これから自分たちで実現する結末、その両方を「ストーリー」の概念で無理矢理ひっくるめてごっちゃに扱っていいことに制度上したわけです。この図式は文中で明示的に説明されてないのでなんやねんこのオチわけ分からんフンガーと思っても仕方ないところですが、仮に説明されたところでなんやねんこのオチふざけんなフンガーなのであんま関係なさそうです。

 ともあれ、ここでせんせいと比良坂さんは探偵役として対等になり、ゲームのメカニクスが変わります。クライマックスのせんせいと比良坂さんの問答は、普通のミステリーなら複数の探偵が推理合戦とかしてる場面に対応するのでしょう。一般的な推理合戦では唯一の真相(とその字点で作者が決めたもの)に到達することが勝利条件ですが、本作クライマックスではせんせいと比良坂さんが合意をとることこと、それぞれのキャラクターの要求をともに満たすオチをひねり出すことが最終的な勝利条件になっていまして、ここが面白いところです。ん、面白い? まあ面白かったです。なにぶん私はゲームが好きでして、それも自分でひとつのゲームをストイックに突き詰めるのよりかは、ゲームのルールの一部(制限とか勝利条件とか)を少し変えたり反転させるだけで戦略のぜんぜん違ったゲームになる、というメカニクスの飛躍を眺めるのが好きなので。私がうみねこ好きな理由はこの辺にありますし、その線でいくと本作もたしかに面白いものでありました。

 そして、このオチのつけ方が倫理的な話に繋がる。いちおう繋がるのです。比良坂さんが乙女ミステリ文脈とかれーちゃんの十戒判定とかを勝利条件とするのに対し、せんせいはたとえば倫理規定を勝利条件に持ち出します。それは強姦魔の倫理ですが、ともかく倫理は倫理です。俺は好きで強姦魔やってるんだから、その事実を消すようなオチは断じて認められないと。かといって夜神月みたいに"作中倫理不在でさんざん好き放題させた悪人"をラストでゴミみたいな殺し方するのも、単に世間に対して建前的なオトシマエでお茶を濁してるだけであり倫理的ではなかろうと。そんなものは"俺の"倫理規定的にアウトであると。この辺の話は、HJ文庫担当編集さんがツイートしている内容とも関係するかと思います。

 はい、というわけでちょいズルなのですが、犬紳士さんのレビューは読んでないけど犬紳士さんのレビューに言及した担当編集さんの発言は読んでました。○○○○○○○に入るのはせんせいと比良坂さん双方にとって折り合いのつけられるオチ、「恋愛小説」かな? と思ったけど字数が合いませんね。降参。ともかくこうやって、「ミステリもどき」としてのメカニクスと倫理とが、作品自体を規定するかたちでラストシーンに結実します。あら美しい(理屈上)。

 ゲームの勝利条件に倫理規定のクリアを盛り込む発想、これは素直に面白いと思います。主人公たちが己自身に定めた倫理をクリアしながら目的を達成していく、なんて多くの作品で当たり前に描かれていることではあるんですが、そこにミステリー(もどき)のフォーマットを導入してるのがポイントです。ルール内で明示的に倫理項目を設けることで、ミステリーのゲーム的側面と物語のテーマ的側面をうまいこと結びくのかなと。犬紳士さんは『ビアンカ・オーバースタディ』に期待していたものがなぜか本作にあった*8と言っていましたが、私はうみねこに求めた試みのの一部を本作に夢見た、ような気がします。私はこういう遊びをしてる小説をもっと読みたいのでこれからもライトノベルに期待しますし、米倉さんの作家としての将来にも期待します。おしまい。……よかったー、あんまり露骨に被ってなかったー……?(犬紳士さんのレビュー読みながら)

*1:現実社会とか被害者にはこれっぽっちも誠実ではないですが、作家内・作品内の倫理の扱いはわりと真面目という感じ。

*2:なにそのマジックワード

*3:タイトルには見栄えを考慮してid:trivialさんがよく使ってる「ミステロイド」を使いました。意味はたぶん一緒。

*4:逆のパターンとして、探偵だけが真相に気づいた状態で、クライマックスまで話を引き延ばす口実として「まだ証拠がないから公表できない」なんて言うことはよくありますね。

*5:こういう話は舞城王太郎さんの『ディスコ探偵水曜日』とかでもろにされてますね。

*6:ざっくり言いましたが魔女のゲームにはいろんな亜種ルールがあり、勝利条件に倫理規定を含めたりもします。

*7:たとえば情景描写を効果的に省いた"巧い"作品の例としては、そのことで神ような視点を見事に演出した『紫色のクオリア』などが挙げられるでしょう。

*8:これ、レビュー記事だけでなくTwitterでも言ってたので……。