船木誠勝と「タクシー・ドライバー」

「映画と格闘技」を特集したkamiproを読んだ。

中でも船木さんが「タクシー・ドライバー」を語るくだりが、実に興味深かったので御紹介。

(船木) そのあとは海外へ行って帰ってきて、一人暮らしをするようになってから、観てなかったやつをレンタルで借りて観てました。その中で一番影響というか、これは凄いなと思ったのが、デ・ニーロの「タクシー・ドライバー」。あれはちょっと「何かやらなきゃな」っていう気分にさせられました。


(インタビュアー) 具体的にはどんなふうに触発されたんですか?


(船木) 身体を鍛えて頭を剃って政治活動を邪魔しにいったり、それで最後に少女を助けるじゃないですか。ああいうのがなんかカッコよく見えたんですね。そんな人生だったらいいなっていう願望じゃないですけど。あれは憧れですよね。あと、ちょうど外国から帰ってきたばかりで、20歳になって「団体」というより「個人」になってきたときで、個人になったときは孤独感があるんですけど「自分で行動を起こしてやらなきゃな」って、そういう気分にさせられました。


あーっ、船木さん誤読してます、と思った。いや、誤読というのは言いすぎかもしれないが、少なくともオレの「タクシー・ドライバー」観とはちょっと違う。

デ・ニーロ演じるトラヴィスは、都会の孤独の中で順調に狂ってゆく。ひとりぼっちのトラヴィスが銃を腕に仕込んだり、鏡の前で「You talkin' to me ?」とショートコントを演じたり、無闇に腕立て伏せをしたり、コンロで腕を炙ったりするのは、彼がだんだん狂っていくという表現だ。その行為ひとつひとつは男ならば多少の心当たりがある、中二的な衝動に基づくものだ。ゆえにトラヴィスの狂気は単にトラヴィス個人では終わらず、我々の中にもある普遍的な狂気として受け取らざるを得なくなってくる。

「タクシー・ドライバー」は悲劇であり、喜劇でもある。トラヴィスが徐々にテンパッてきた頃、ふらりとタクシーに乗ってきた客(スコセッシ)がトラヴィスを圧倒するほどのキチガイだったという面白すぎる場面がある。トラヴィスはすっかりビビってしまう。ここで引き返せばよかったのだが、逆にトラヴィスは銃で武装する方向に進んでしまう。

船木さんのコメントを読むと、普通にトラヴィスに憧れちゃってますなー… 船木さんはあれをヒーローの「行動力」と解釈しているのだ。オレも何かやらなきゃ! トラヴィスがやったように!

それでこそ船木さんだぜ、と思う。世の中と折り合いをつけてうまく生きることができない船木さんのプロレス人生は、いつも内なる声に衝き動かされて行動してきたものだった。思えばUWF以降の、特にパンクラス時代の船木さんの多くを語らぬ独善的なあの感じ、実はトラヴィスだったのだと思えば腑に落ちる。ヒクソン戦での着流し入場は、言うまでもなく船木さん一世一代の名場面だ。しかしあの着流し姿がカッコよかったかといえば決してそんなことはなくて、東京ドームにはけっこう微妙な空気が流れたものだ(オレも現場にいたから知ってる)。では我々は、あの入場になぜシビれたのか。それは、あの着流しスタイルを船木さんが間違いなく「誰にも相談せず、確信をもって独断で決めた」のであろうことがビンビン伝わってきたからシビれたのである。10年経って、ようやく判ったよ。あの着流しは、トラヴィスのモヒカンだったんだ…