靖国神社は歴史否認装置であり感情慰撫のための嘘製造機

中国政府は一九八五年、中曽根康弘首相が靖国神社の「公式参拝」を行なった際、正式に抗議を開始した。A級戦犯が祀られている神社に日本の首相が参拝することは日本政府の戦争責任認識を疑わせ、日本の侵略の被害を受けたアジアの人びとの感情を著しく傷つけるというのが、中国政府の一貫した批判であり、韓国政府もこの点では一致している。中曽根首相は中国政府の非難を受けて、翌年から参拝を中止した。ところが小泉首相は、中国や韓国の批判を「内政干渉」として斥け、逆に「外国の非難にも屈せず堂々と日本の立場を貫く指導者」というイメージをつくり出して、支持率の維持に利用した。その結果、中国や韓国の指導者は小泉首相との首脳会談をたびたび拒否し、日中、日韓の政治的関係は「最低」と言われるところまで落ち込んでいたのである。
日中、日韓の外交問題として見る限り、靖国問題は靖国神社がA級戦犯を祀っている点に絞られていく。政治もメディアもほとんどこのレベルで問題をとらえている。中曽根首相以来、中国や韓国の抗議を重視し、これを回避しようと考える政治家は、まずA級戦犯を靖国神社から外せないかと考えるし、近隣諸国との友好関係を重視する日本のメディアも同様である。日本経済新聞の富田メモ報道は、こうした状況で登場した。靖国神社と首相の参拝を支持する側は、このメモの証拠能力を低めようと画策したが、これは成功しなかった。そして日本経済新聞も含めて、朝日新聞のように小泉首相の靖国神社参拝に反対してきた側は、自説を補強するために富田メモを利用した。昭和天皇でさえ、戦争責任者であるA級戦犯が祀られた靖国神社には参拝を控えたのだから、小泉首相も当然、参拝を止めるべきだ、というわけである。韓国の主要なメディアでも、首相参拝を止めたいあまり、富田メモを肯定的に紹介する論調が目についた。
小泉首相は結局、二〇〇六年八月一五日に靖国神社参拝を行なった。中国・韓国政府は予想通り激しく反発したが、その後、小泉政権から安倍政権への交代によって、現在は小康状態に入っている。しかし、富田メモをめぐる議論の構図には、靖国神社をめぐる歴史認識の問題点をいくつも指摘することができる。以下、靖国問題における「歴史の偽造と否認」について分析したい。
第一に、靖国神社がA級戦犯を神として祀り、日本の首相がそこへ参拝することが、日本の戦争責任を否認する意味をもつことは明らかである。
なるほど靖国神社に参拝した戦後歴代の首相の中に、日本の戦争責任を公然と否認した首相はいない。小泉首相は、日本が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、(中略)植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えた」ことに、「痛切なる反省の念」と「心からのお詫び」を表した一九九五年の村山首相談話を日本政府の立場として確認し、戦争責任を否認する意図のないことを明言した。
しかし、靖国神社は公式に、「先の大戦」は「自存自衛の戦争」であり、欧米の植民地支配からアジアを解放するための戦争であった、したがって、A級であるとBC級であるとを問わず「戦犯」というのは「ぬれぎぬ」であり、戦勝国の一方的な裁きによって押し付けられた不当なレッテルにすぎないと主張している。実際、靖国神社は単なる追悼施設ではなく、戦死した軍人を「英霊」としてその功績を讃え、神として聖なる存在へと祀り上げる顕彰施設であるが、戦死者を顕彰するためには、その戦争が侵略戦争であったのでは具合が悪い。A級戦犯を祀る靖国神社に参拝するという日本の首相の行為が、日本政府の戦争責任認識に不信を抱かせたとしても、決して不思議なことではない。
さて、しかしながら、もしも靖国神社の歴史認識上の問題点をこのA級戦犯合祀問題だけにしか見ないならば、それは問題の矮小化であり、依然として「歴史の偽造と否認」を続けることになる。もしもA級戦犯合祀だけが問題であるならば、A級戦犯さえ靖国神社から外してしまえば、何も問題はないことになる。たしかに中国政府は日本との関係に関する政治的配慮から、問題をA級戦犯に限って解決を容易にしようとしてきた。それは外交問題を解決する方策として理解可能な立場である。ところが、日本の政治やメディアが靖国問題をこの水準でしか理解していないとすれば、すなわち、A級戦犯さえ外されれば首相や天皇の参拝には何の問題もないと考えるとすれば、そこには意識的もしくは無意識的に「歴史の偽造と否認」が働いていると言うべきである。
歴史の否認の第二は、「A級戦犯」という概念に寄りかかるところに起因する。A級戦犯とは、東京裁判で満州事変からの中国侵略戦争および太平洋戦争の戦争指導責任を裁いた概念である。満州事変の準備段階から含むので一九二八年一月から、一九四五年八月までの戦争責任が裁かれたのである。いいかえれば、東京裁判と「A級戦犯」という概念は満州事変以前の日本のアジア侵略の歴史を問わなかった。一九二八年当時、日本はすでに朝鮮・台湾を含む多くの植民地を有する植民地帝国であった。しかし、東京裁判で日本を裁いた連合国のうち、米国・英国・オランダ・フランスは植民地支配国であり、日本の植民地支配の責任を問う意思も資格もなかったのである。ところが、靖国神社には、一八七四年の台湾出兵以来、日本が周辺アジア地域を侵略し植民地支配を確立していった過程での戦闘における日本軍戦死者が一貫して祀られてきた。
台湾の植民地支配は、武装蜂起などで抵抗する中国系台湾人をまず軍事的に制圧し、次に台湾先住民諸部族の抵抗を軍事的に制圧して確立された。朝鮮植民地支配は、江華島事件(一八七六)以来の日本軍の軍事攻撃によって、義兵闘争など朝鮮人の抵抗を制圧して確立された。これらの過程で戦死した日本軍死者も、植民地独立運動を制圧するための軍事作戦で戦死した日本軍死者も、すべて「帝国」=「天皇の統治」の拡大に功績のあった「英霊」として靖国神社の神となっている。靖国神社は近代日本の植民地主義と完全に一体だったのであり、A級戦犯刑死後と同様これらの戦死者を今も顕彰の対象にし続けることによって、植民地支配の責任を今も否認し続けているわけである。
この第二の否認、すなわち中国侵略戦争以前のアジア侵略、植民地主義の否認は、いわゆる右派修正主義者だけでなく、朝日新聞や「進歩的知識人」などA級戦犯の戦争責任を認める側にも根深く存在していることに注意しなければならない。欧米列強に伍する地位を築いた「明治」は偉大だったが「昭和」になって日本は悪くなったとか、日清戦争、日露戦争までは日本軍は健全だったが中国侵略以降に堕落したといった「歴史観」は、NHKや朝日新聞を通して「国民的作家」となった司馬遼太郎の影響もあり、日本人のリベラル層にも広く存在しているが、そこに伏在する植民地主義の否認が靖国問題においてはA級戦犯問題への矮小化となって現われると言える。
A級戦犯問題に焦点を絞ることは、満州事変以後の戦争責任についても矮小化することになる。これが靖国問題における第三の「歴史の否認」である。その構図は、前記の富田メモ報道とそれに基づく議論に顕著だ。「A級戦犯が祀られたことへの不快感から昭和天皇は靖国神社参拝を止めた」ということが強調され、それが肯定的に評価されればされるほど、「すべてはA級戦犯の責任であって、天皇には何も責任がない」、という印象が強まっていく。
これは、米国の政治的思惑から昭和天皇を免責した東京裁判の構図と同じである。東京裁判が裁いたすべての戦争の期間を通して日本の最高責任者(統治権者)であり、何よりも日本軍の最高司令官(大元帥)であった昭和天皇が訴追を免れ、戦後も「日本国および日本国民統合の象徴」(憲法第一条)として天皇の地位にとどまることができたのは、占領統治に天皇を利用し、東西冷戦の中で日本の共産化を防ごうとした米国の決定によるものにすぎなかった。こうして隠蔽され、否認されてきた天皇の戦争責任が、A級戦犯問題を強調することによってあらためて否認されてしまうのである。
満州事変以後の戦争責任の矮小化は、天皇のそれにとどまらない。A級戦犯以外の指導層、マスメディアや知識人、文化人、宗教者や教育者を含む国民各層の戦争責任が否認されていく。A級戦犯を外せばことが済むのであれば、それ以外の軍人の責任も、靖国神社自身の責任も問われなくなってしまうのである。
ここで、靖国神社が支えた戦争の歴史的評価から、そこに祀られた戦死者の戦死という出来事に目を向けてみよう。すると、靖国神社は単に戦争の侵略性とその責任を否認する性格をもつだけでなく、戦死者の戦死を「名誉の戦死」としてまつり上げることによって、そもそも出来事としての歴史を否認する装置であることが分かる。
靖国神社は兵士たちの戦死の実態をいわば「偽造」する。すなわちそれを、戦場での無残な血塗られた死から、崇高で英雄的な「名誉の戦死」へと神聖化していくのである。この意味での歴史の「偽造」にも、少なくとも三つの様態を区別することができる。
第一に最も明白なケースとして、朝鮮・台湾等の植民地出身の戦没兵士のケースがある。現在の靖国神社には、日本の戦争に動員されて戦死した朝鮮人二万人余り、台湾人二万人余り、合わせて五万人近くの植民地出身戦死者が祀られている。日本は植民地でも「皇民化」教育を行い、朝鮮人・台湾人にも「天皇の国家のために命を捧げて尽くすこと」を求めた。しかし、徴兵令施行後は強制的動員だっただけでなく、「志願」して軍人・軍属となった者の場合でも、その根底には、そのことによって異民族差別から逃れたいという動機があったのであり、靖国信仰を文字通り内面化してたわけではなかった。
植民地解放後、一九七八年に台湾の遺族から靖国神社に合祀取り下げ要求が初めて出された。その後、韓国の遺族からも取り下げ要求が出され、訴訟になっているが、その際の遺族の、主張は、「侵略と植民地支配の加害者と一緒に、加害民族の軍国主義の象徴である靖国神社に祀られていることは、耐え難い屈辱である」というものである。これらの取り下げ要求を靖国神社は一貫してすべて拒否している。その理屈はこうだ。「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人でなくなることはありえない。日本の兵隊として、死んだら靖国に祀ってもらうんだという気持ちで戦って死んだのだから、遺族の申し出で取り下げるわけにはいかない。内地人と同じように戦争に協力させてくれと、日本人として戦いに参加してもらった以上、靖国に祀るのは当然だ」(一九七八年、靖国神社権宮司の言葉)。ここに見られるのは、植民地支配と徴兵令の強制力を無視した「自発的な名誉の戦死」の「偽造」にほかならない。
第二に、沖縄戦の民間人戦死者のケースである。沖縄はもともと、日本と中国の間にあって独自の琉球王国を形成していたが、一八七九年、明治政府が軍事力を背景に王国を滅亡させ、「沖縄県」を設置した。先住民アイヌのいた北海道と並んで、近代日本の植民地主義の最初の対象となった地域であり、朝鮮・台湾などと区別して「内国植民地」と言われることもある。日本の支配下で強力な同化政策が行なわれたが、太平洋戦争末期、日本軍は沖縄に上陸した米軍を相手に、「軍民一体」と称して非戦闘員であった住民をも巻き込んで悲惨な地上戦を展開、一〇万という民間人死者を出した。日本軍にスパイ視されて殺害されたり、投降して捕虜になることを禁じられ「集団自決」を強いられたりして、「友軍」と信じた日本軍の犠牲になったケースも少なくなかった。
こうして戦死した沖縄の民間人の多くが、靖国神社に祀られている。軍人・軍属を祀るはずの靖国神社に、なぜ民間人が祀られたのか。一九五八年、遺族援護法に基づく遺族年金等の支給対象に「軍の要請に基づく戦闘参加者」が加わると、沖縄の民間人死者の遺族にも「遺族年金等の支給が受けられるから」として申請を受ける人々が出た。靖国神社はこの「軍の要請に基づく戦闘参加者」を「準・軍属」と見なして祀ったのである。その結果、実質的には日本軍の戦争の被害者であった沖縄の住民が、軍の協力者として祀られることになった。「集団自決」を強いられた子どもやゼロ歳児に至るまで、「お国のため」の「名誉の戦死」を死んだ靖国の「英霊」とされたのである。ここには、沖縄戦の悲惨な実態、とくに民間人の大量死に対する軍の責任を隠蔽する「すりかえ」がある、と言えるだろう。
最後に第三に、日本軍の軍人・軍属の戦死を一般に「名誉の戦死」として顕彰し、崇高で英雄的な死として神聖化していく点に、「戦死」という出来事の否認、出来事としての歴史の否認がある。この意味では、「英霊顕彰」施設としての靖国神社そのもの、靖国思想そのものが歴史の否認を含んでいると言うべきである。
靖国神社に祀られている約二四六万の戦死者のうち、二〇〇万以上が太平洋戦争の戦死者であるが、その約六割は戦闘での死者ではなく、広義の「餓死」であった。日本軍は太平洋戦争中、食糧補給が困難であることを知りながらニューギニアなど南太平洋に大量の兵員を送り込んだが、彼らの大半は連合軍との戦闘によってではなく、熱帯のジャングルの中をさまよいながら食糧が尽きて死亡し、遺体は腐乱し、白骨化していったのである。その言語に絶する悲惨さは、しかし彼らが靖国神社に祀られることによって不可視化される。かれらは国家を守るという崇高な目的のために敵と英雄的に戦って潔く死んだ「英霊」となる。もとより「餓死」だけではない。戦場での戦闘死自体が悲惨である。ところが靖国神社は、その戦死のおぞましいもの、血塗られたもの、腐ったものすべてを拭い去り、「神」の「聖なる」空間、崇高な「神域」のなかに戦死を「昇華」してしまうのである。
とくに重要なのは、遺族感情への働きかけである。戦死者遺族の悲しみ、悼みの感情は、これを放置すれば、戦争とそれを遂行する為政者への疑問、批判、怒りにまで転化する可能性がある。戦死者を靖国神社に祀る臨時大祭と、その際の天皇の参拝は、この遺族の悲しみを喜びへと一八〇度転換させる「感情の錬金術」が働く場面であった。四人の息子が軍人となり三人が戦死して靖国神社に祀られた高知県の女性、筒井松は、雑誌『主婦の友』一九四四年一月号に載った記事の中で語っている。長男、次男の戦死の知らせを聞いてからは、なんと酷いことか、なんと悲しいことかと辛い気持ちでいたが、二人が靖国神社に祀られる臨時大祭に遺族として招かれ、天皇の参拝を見た瞬間、「電気に打たれたように悟らせていただいた」と。「お国のために死んだからこそ天皇陛下までが参拝してくださる。こんなに有難いことはない。わが子でかした!」と思い、辛いという気持ちほ消えて、それ以後はすっかり喜しく誇らしい気持ちになった、というのだ。このように、靖国神社と天皇参拝は、遺族に戦死を容認させ、国民一般に戦争を肯定させていくために決定的な役割を果たした。日本の軍人・軍属のすべての戦死は、このプロセスを通して、実態がどうであれ、「国家のために命を捧げた自己犠牲の行為」として聖化されていくのである。

「状況への発言―靖国そして教育(高橋哲哉)」P93〜103より脚注及び振り仮名を略して引用。二〇〇七年に書かれたものであり、文中の「現在」は第一次安倍政権時のこと。
まず事実として第一に確認しておきたいのは、靖国参拝を国際社会における政治問題としたのは靖国神社へのA級戦犯合祀とその後の一九八五年の中曽根康弘首相(当時)の靖国神社公式参拝であることです。
つまり、ある種の人々が信じる偽史のように中韓あるいは朝日新聞が政治問題化させたのではないということです。
戦後の日本には東京裁判とサンフランシスコ条約により主にA級戦犯に戦争責任を負わせることで天皇と国民を免罪して(敗戦の結果の負担を旧植民地や「内国植民地」である沖縄に負わせつつ)国際社会に復帰したという経緯があります。
戦犯は濡れ衣であるとして戦争責任を否定しA級戦犯を神として祀っている靖国神社。そこへの中曽根元首相の公式参拝はそういう経緯による戦後の国際社会における「約束事」に背く行為であったわけです。
靖国参拝に対する中韓の抗議にしろ連合国の苦言にしろ、サンフランシスコ条約後の世界の枠組みにおける「約束事」を考えれば当然のことなのです。
第二に確認しておきたいのは、最初の合祀取り下げ要求は一九七八年の台湾の遺族によるものであり、一九八五年の公式参拝による中国政府の抗議開始前であるということです。つまり、ある種の人々が信じる偽史と異なり「合祀取り下げ要求は中国政府が靖国参拝を政治問題化させたことに追随して始まった」ものではないということです。
第三に確認しておきたいのは、昭和天皇が東京裁判において訴追を逃れ天皇制が温存されたのは、米国が日本占領統治に天皇を利用するためにそうしたからであり、日本側も国体護持のためにそれに乗ったことによるからということです。
つまり、ある種の人々が信じる偽史と異なり天皇制が温存されたのは「特攻が連合国を畏怖させたことによる」ものではないということです。
東京裁判は確かに不当な裁判と言えるでしょう。それは昭和天皇を免責するためにA級戦犯に戦争責任を負わせるというシナリオがあった裁判であり、国体護持のために日本側もそれに協力した裁判であり、戦争責任を公正に裁いたものではないのですから。
日本の近現代史について真っ当に学習している人には、聖断神話は所詮神話に過ぎず、実際の昭和天皇は軍事や外交に口出しし続けていたことはよく知られていることでしょう。(沖縄米軍統治関係など戦後も)
A級戦犯の一人である東条英機がそういう昭和天皇の意思を実現するために積極的に活動した者の一人であることもよく知られていることでしょう。
そんな昭和天皇が東京裁判で訴追を免れたのは、日米双方の思惑でA級戦犯に戦争責任を負わせることで昭和天皇の戦争責任を誤魔化した結果であり、東条英機らは、ある意味、昭和天皇の身代わりとなって処刑されたのです。それは昭和天皇も「国体護持のためにその身を捧げた忠臣」である東条英機のことを悪く書けないなと思います。
第四に確認しておきたいのは、靖国の問題はA級戦犯合祀問題だけではないということです。靖国の問題は国家神道にもあります。
国家神道は明治新政府が日本を「遅れて来た帝国主義国家」にするために(おそらくは国民国家におけるキリスト教の役割や植民地支配における宣教師の役割なども参考にしつつ)作りだしたもので日本の伝統などではありません。
国家神道は大日本帝国の植民地主義と軍国主義を支えた装置の一つであり、靖国はその国家神道の神社です。
植民地主義と軍国主義を真に自省するなら国家神道と靖国は日本人自らが拒絶すべきものです。
第五に確認しておきたいのは靖国はその機能上必然的に歴史否認装置となり、「感情を慰撫する神話」を作りだすために嘘の歴史を捏造することです。
靖国は戦争への国民動員や遺族感情の慰撫などのために戦死者を顕彰する施設であり、その機能を果たす上で不都合な事実の方を否定します。
植民地支配を否定し、侵略戦争を否定し、戦争犯罪を否定し、戦争責任を認めない遊就館史観は靖国の機能上必然的に捏造された嘘の歴史です。
無論、そんな遊就館史観は被害国である中韓東南アジア諸国だけでなく連合国全般にも受け入れられるようなものではないわけですが。

歴史修正主義と排外主義

ある種の人々の主張において、しばしば、靖国信仰と歴史修正主義と排外主義がセットになっていたりするのは当然のことなのだと私は思います。
日本の歴史修正主義には日本の植民地支配や侵略戦争や戦争犯罪といった歴史学的事実を嘘扱いする嘘を「中韓が嘘の歴史で日本を陥れている」という嘘が支えているという構図があるからです。
靖国信仰は嘘の歴史を信仰することを必要とし、嘘の歴史への信仰を維持するために「嘘吐き民族に国際社会において陥れられている」という嘘が信者に必要とされるという因果の上で、歴史修正主義が報復感情による民族憎悪を生み、民族憎悪が歴史修正主義への傾倒を生み、強烈な被害者意識が両者を支え信仰をより強固なものしているという構図。
歴史修正主義者がしばしば歴史学的事実を述べるものを中国人認定したり朝鮮人認定したり中韓の手先認定したりするのも、彼らのそういう信仰を考えれば当然のことなのだと思います。彼らの中では「日本を陥れる嘘を宣伝するものは嘘吐き民族かその手先」ということになっているのでしょう。嘘を宣伝しているのは彼ら自身の方であるのにかかわらず。
彼らを見ていると理解拒否の壁を作りだすのは信仰だけではなく、彼ら自身が嘘吐きであり加害者であることを認めることへの心理的負荷も理解拒否の壁を成しているのだろうなと思います。