軍隊は国民を守るか守らないか

「ソ連が満洲に侵攻した夏」P241-243より引用。

評すれば、作戦上の予定がどうであったにせよ、総司令部の過早の通化移動は有害無益であった、というほかはない。新京付近の居留民が、われわれを置き去りにして総司令部が”逃げた”と怨むのは当然である。そして戦後、満洲各地にあって生命からがら逃げのびて、帰国することのできた人びとがこの事実を知り、唇を震わせて怒ったのも無理はない。全満各地に届住していた日本人は、だれもが関東軍が守ってくれるものと信じ、関東軍の庇護を唯一の頼りにしていたからである。それがさっさと「退却」したなどとは、考えてみもしなかった。
ヒトラー自決後の、敗亡のドイツの総指揮をまかされた海軍元帥デーニッツの回想録『10年と20日間』を想起せざるをえない。すでにドイツの敗北を予見していたかれは、海軍総司令官の権限で、降伏の四カ月も前から水上艦艇の全部を、東部ドイツからの難民や将兵を西部に移送するため投入していた。ソ連軍の蹂躙から守るためである。こうして東部から西部へ運んだドイツ人同胞は二百万人を超えている。
敗戦を覚悟した国家が、軍が、全力をあげて最初にすべきことは、攻撃戦域にある、また被占領地域にある非戦闘民の安全を図ることにある。その実行である。ヨーロッパの戦史をみると、いかにそのことが必死に守られていたかがわかる。日本の場合は、国も軍も、そうしたきびしい敗戦の国際常識にすら無知であった。(強調は引用者による)
だが、考えてみれぱ、日本の軍隊はそのように形成されてはいなかったのである。国の軍隊ではなく、天皇の軍隊であった。国体護持軍であり、そのための作戦命令は至上であった。本土決戦となり、上陸してきた米軍を迎撃するさい、避難してくる非戦闘員の処置をどうするか。この切実な質問にたいし陸軍中央の参謀はいったという。
「やむをえん、轢き殺して前進せよ」
そうした帝国陸軍の本質が、満洲の曠野において、生き残った引揚者に「国家も関東軍もわれわれ一般民を見棄てた。私たちは流民なのであった。棄民なのであった。ソ連軍の飽くなき略奪と凌辱、現地民の襲来、内戦の弾下の希望なき日々」(村岡俊子氏)とつらい叫びをあげさせるもといをつくったのである。そして、こうした国家と軍の無知蒙昧そして無策とが、スターリン大元帥の思う壺だったのである。

日本では沖縄戦などの体験から「軍隊は国民を守らない」という方向に流れがちですが、どちらかというと当時の日本が異常。日本軍は皇軍であって国民軍ではなく、国民の生命と財産より国体の護持を優先する軍隊でした。
軍隊が国民を守るか守らないかは、軍隊が国民軍であり文民統制が行き届いているかによります*1。それには国民が軍事を理解し、適切な組織運営がなされるように行政に働きかけることが重要です。行政に民意を反映させるのは民主主義における国民の当然の権利なのですから、「国民を守る軍隊」として機能するようにどんどん国民の権利を行使しましょう。むしろ、軍事を毛嫌いすることが軍事を恣意的に利用しようとする人々に利することになると思います。

*1:植民地軍では実質宗主国の軍隊になってしまいますし