東京都青少年健全育成条例改正をめぐって
東京都青少年健全育成条例改正について、「表現の自由の侵害だ」「基準が曖昧すぎて権力が暴走する」等々の批判が巻き起こっているようだが、論点が非常に曖昧になっている気がする。
まず、この条例改正の起きた発端は「非実在青少年」の問題である。これは、漫画において明らかに少女(18歳未満の登場人物)の性的な描写(特にレイプ等の問題の多いもの)が書かれており、かつそれを18歳未満が容易に読めるような環境にあることは問題ではないか、という提起である。こうした背景を踏まえると、ありうる条例改正反対論の論拠としては
1:そもそもそうした「非実在青少年」の描写自体問題ではない(規制されるべきでない)ので、規制はすべきでない
2:そうした「非実在青少年」の描写は問題ではあるが、今回の条例はそうしたもの以外の不健全ではないものまで規制してしまうので、条例に反対である
の二者があると思われる。
一方、ネット等で検索すると
A:表現の自由の絶対性を訴えるもの
B:拡大適用により、明らかに問題でないものが規制される危険性を訴えるもの
の二通りがあるように思われる。Aは1、Bは2の論拠を用いているもの(もちろん両方を主張するものも多々見られる)だが、論拠のうち1はさらに細分化できて
1-1:表現の自由が絶対的なものである
1-2:表現の自由は場合によっては規制されるが、今回はその場合に該当しない
と二つに分けられる。このうち、Aは1-1に依拠した議論である。1-2に依拠した議論は、表現の自由の線引き問題をきちんと論じ、どこまでが規制されるべきものかを考察したものだが、このようなタイプの議論は今回の問題に関してはあまり見受けられなかった。
では具体的に見てみよう。まず1-1タイプの反論について。これはさまざまなところで見られるが一例として
表現やコミュニケーションという民主主義社会の根本にかかわる配慮や規制は、自主的・自立的に行われるべきであり、そこにおける主体的な工夫や試行錯誤が大人社会を成熟させるだけでなく、青少年が多様な価値観のもとで生きていく知恵と力を身につけるために不可欠な経験となることは、古今東西の文学が描いてきた常識である。
これまでの、また今回の改定案も、公権力がある表現を「有害」かどうかを判断することについて、何の疑念も抱いていない。しかし、言論・表現にかかわる私たちは、戦前の日本の為政者たちが青少年の健全育成をタテに、まず漫画を始めとする子ども文化を規制し、たちまち一般の言論・表現の自由を踏みにじっていった歴史を思い起こさないわけにはいかない。
(日本ペンクラブ「東京都青少年健全育成条例の修正改定案に反対する」)
まず確認しておくべきは、表現の自由はそもそも絶対的なものではないということである。この都条例がなかったとしても、プライバシー侵害、名誉棄損、公然猥褻等に該当するものは、もちろん兼ね合いは判断する必要があるが、規制される場合も十分に存在する。そしてここには、プライバシー侵害や名誉棄損のように「明確に特定された人の権利侵害」の場合だけでなく、公然猥褻のように「不確定で不特定に対する権利侵害(見たくないものを見ない権利)」もまた含まれる。ゆえに「個別具体的な人の権利を侵害していないから、表現の自由は絶対的に守られる」とは言い切れない。
「表現の自由の侵害」「権利の侵害」という脊髄反射的な反応は、現代社会におけるほとんどの問題は権利同士の対立・衝突であるという問題を見逃してしまっている。
この線での批判として妥当性がありそうなものは、1-1ではなく1-2の論拠、すなわち表現の自由が規制されうることを認めた上で、今回はそれに当たらないことを示すという方法であろう。この場合、18歳未満の青少年がそうした描写を(偶発的なものも含め)見ないでいる権利と、表現の自由との兼ね合いをきちんと考えた上で、どこに線を引くべきか、今回の線引きが妥当なのかを論ずることとなる。逆に言えば、そうした微妙な兼ね合いへの考察を抜きにして、一発で相手を批判し切れるような「魔法の剣」は存在しないのである。
では次に2のタイプの反論を見てみよう。
規制の範囲が曖昧かつ、恣意的に規制可能であること
→「非実在青少年」は18歳未満のキャラクターすべてに当てはまり、「性交類似行為」の定義が曖昧かつ18際未満の定義も曖昧なため、いくらでも恣意的に表現を規制される可能性が高い。
※改正案の原文「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの」
条文が拡大解釈が可能なものとなっている
→法で重要なのは条文だが、東京都青少年・治安対策本部からの説明は条文に書いていないことばかりであり、解釈は担当者によって変わる可能性があるため、いくらでも恣意的に解釈しうる。都の担当者と反対派の弁護士で解釈が大きく食い違ってしまうような条文は、そもそも条文として欠陥品であるといえる。
(ASCII「非実在青少年は、なぜ問題なのか」)
まず、一般的に法律の基準はそこまで明確に記述されているものではないということを指摘しておこう。実際、改正前の(現行の)都条例は
第七条 図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主 催する者及び興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。(強調引用者)
となっており、「性的感情を刺激」「残虐性を助長」など極めて曖昧かつ不明確な規定しかされていない。なので、もし記述が曖昧だと権力がそのすきをついて暴走し、表現の自由が不当な抑圧を受けるという主張がもし正しいとしたら、すでに表現の自由は抑圧されているはずである。にもかかわらず現状ではそうなっていないのだから、これは仮定が誤っているということである。
先述した他の例を挙げるなら、名誉棄損は「名誉を侵害した」(民法第710条)というさらに恣意的解釈が可能な書かれ方だし、プライバシーの権利に至っては幸福追求権等からの類推解釈でしかない(「プライバシーの権利」)。こうした点を踏まえれば、ただその条文のみを見て「拡大解釈の恐れが」と騒ぐのは、他の法律における解釈の実態を知らない主張だと言わざるを得ないだろう。
なお、あまり論じられていないようだが重要な点として「規制を誰がどのように行い、不服な場合にはどういう処置があるのか」という点がある。だが、これについては改正前後では変化はほとんどなく、不健全図書は東京都青少年健全育成審議会によって指定される点については変化はない(「東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案 質問解答集」)。なので、規制の指定および不服申し立ての手続きについては現行から変化しないので、現行制度下で問題がないのなら特に問題はなく、表現の自由の抑圧もこの観点からは心配ないと言える。
ただし、新規定であるがゆえに慣例がなく、運用当初はどこまでがアウトなのか分かりにくいという問題はあるだろうと考えられる。それに対しては、具体的で詳細まで書かれたガイドラインの作成等を求めるべきであったとは思う。この点は、本来ならば詳細なガイドラインを求めるべき作家グループが、条例に頑なに反対を繰り返すだけになってしまい、ガイドラインの要請といったそうした建設的で有効な提案をしそびれてしまったという問題があったように思われる(もちろんガイドラインが不十分だとしたらそれは都の問題の方が大きいのは言うまでもないが)。
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コメント
とても参考になりました。
投稿: tngnvmbr1227 | 2010年12月15日 (水) 11時33分
大変興味深く読ませていただきました。ガイドラインの重要性も理解できました。
投稿: gae | 2011年1月13日 (木) 23時45分