2011.04.01
革命戦士『チェ・ゲバラ』とキューバ
エルネスト・ラファエル・ゲバラ、
通称チェ・ゲバラ。
誰しもが一度は耳にしたことがあるであろう、その人は、
キューバ革命を成功に導いた一人です。
「チェ」とは、スペイン語で「やぁ」という意の砕けた挨拶で、
人々は愛着を持って、彼のことを「チェ」と呼んでいます。
アルゼンチンに生まれたチェは、
幼い頃から喘息持ちだったため、医者を目指し、
ブエノスアイレス医大へ進学。
在学中に、年長の先輩と共に、おんぼろバイクで、
ブエノスアイレスからパタゴニアを南下し、
南米大陸を北上し、コロンビアをゴールとする、
放浪の旅をやってのけました。
なんと、今回の我々のルートと、
ペルーのアマゾン辺りまでは一緒!
(※映画『Motorcycle Diaries』参照)
その途中、出会ったアンデス地方の先住民族や、
ペルーで奉仕したハンセン病患者へのボランティア活動が、
その後のチェの人生の価値観を大きく変えたといいます。
帰国後、医者の資格を得た彼は、
再び放浪の旅へと出ます。
そして、メキシコでキューバから亡命中の
フィデル・カストロと運命的に遭遇。
これが、彼の人生が大きく躍動するきっかけでした。
カストロの理念に大いに共感をしたチェは、
その後、バチスタ軍事独裁政権が君臨するキューバへと遠征し、
キューバ革命を成功へと導くのです。
時に、ゲバラ28歳、カストロ30歳のことでした。
革命後は、
キューバの国立銀行総裁や工業省などの要職を歴任。
しかし、思想・主義の違いから、
カストロと袂を分ちあうことになります。
その時に、カストロに送った最後の手紙には、
こうしたためられていました。
『勝利に向かって限りない前進を。
祖国か死か。
限りない革命的情熱をこめて』
チェが新たな戦場として置いた場所は、
南米5カ国と国境を接するボリビアでした。
チェはここを大陸革命の司令部にしようとしましたが、
原住民との不和、ゲリラ隊内部での小さな失敗が重なり、
結局、ボリビア政府軍に捕らえられ、射殺されました。
往年39歳の生涯でした。
それでも、チェの残した功績・生き方は支持され、
キューバ国内では、様々な場所にチェの壁画を見ることができます。
キューバ内務省の壁にも、
その肖像を見ることができました。
なんと、表札にまで↓
ポストカードも、チェだらけです。
己の信念を貫き通し、実現するために、
生涯を祖国アルゼンチンのためではなく、
他国のために尽くしたのです。
主義・思想はともかく、
余りにも一途なその生き方は、天晴れです。
チェが、キューバだけならず、
南米中で人気を博していた理由が分かる気がしました。
そんなチェが礎を築いたキューバは、
現在、このような形で発展していました。
堂々とそびえる国会議事堂。
カリブならではの陽気な天気に包まれた広場。
社会主義国家ゆえに、
広告がほとんど掲示されていない街並み。
ただ、広告など必要ないほど、
味のある街並みなんです。
セピアで撮影すると、
中世の時代に遡るような錯覚に陥ります。
それを彩るのが、
50~60年代の車の数々。
国内を走る多くの車が、
これらのクラシックカーなんです。
もちろん、タクシーも↓
途中、結婚式にも遭遇したのですが、
結婚式用車も、アメ車のオープンカーでした。
それは、何故か?
アメリカとの関係性が悪く、経済制裁を受けているキューバは、
アメリカとの関係が切れる前までのアメ車を、
大事に大事に使っているだからだそうです。
他の物資に関しても慢性的な不足に陥ってるキューバでは、
商店においても、多くの品物を見ることはありません。
特に野菜に関しては極度に不足しているようで、
渾身のキャベツ1つだけを売っている商店なんかも見掛けました。
人々の給料も、
最大でも月給25CUC(約2000円)と規制されているようで、
決して豊かとは言えない生活を強いられていました。
ただ、それでも、
人々からはそんな悲観の色はほとんど感じないんです。
(もちろん、中には体制に不満を漏らす人もいますが。)
限りある楽しみを、
フルにエンジョイしている雰囲気を感じるんです。
代表的なのが、これ。
『Copperia』と呼ばれる、
キューバでは有名なアイスクリーム屋さん。
ハバナでは、行列ができるほどの人気ぶりです。
外国人が使う通貨と、現地人が使う通貨を、
分けているキューバでは、
本来、僕らは外国人席にしか入れないのですが、
ちゃっかり現地人席に潜り込んでみると、この盛況ぶり。
カウンターごとに味が異なる、
というスタイルがまたおもしろいです。
アイスも、甘さがさっぱりしていて、
これまた美味しいんです!
これをね、現地人、
みんな一人4皿ずつぐらい食べてるんですわ!
言わば日本で言う、わんこそばのような感覚なんでしょうか。。
うちらもトライしましたが、
一皿で4スクープですから、十分でした。
他にも、
キューバと言えばの、音楽。
街中には、サルサが流れてるし、
ルンバ、マンボ、チャチャチャはキューバ発祥、
夜は、Jazz Barも大盛況です。
本当に、街のそこら中に音楽が散らばっていて、
人の感じも陽気なんです。
物資もさることながら、
それ以上に、人との触れ合いや、限りある楽しみを満喫する。
そんな生き方を、
キューバの人たちからは垣間見ることができました。
革命戦士チェが創り上げた国、キューバ。
思想・主義の是非は、僕には何とも言えませんが、
今の日本が見習うべき生き方を、その国に見た気がします。
2011.04.01 Friday | 13:20 | comments(0) | trackbacks(0) | by KOJI
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