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前回の続きを書きます。
人間の視界を幾何学的に厳密に表現しようとすると 6点透視の世界になります。視界を思いっきり広く取ると縁がゆがんだ世界です。 でも脳はこんな風に捉えてません。 それに眼の動きも連動して、「日常の風景」と「厳密なパース」には差が生まれます。 これは本にも書いた通りですね。
2つの眼を通じて入った情報は、脳の中でもっとアバウトな世界になります。 で、このアバウトな世界が何に近いかと言えば本で説明したとおりです。
例えば「ドラえもん」の世界に違和感を感じないどころか、むしろ親しみを感じるのはこの辺が原因でしょう。
漫画のパースとは次のことが言えると本に書きました。 厳密なものではない。 見ている世界に近いのがいい。
そして漫画のパース技術とは、この脳で映し出されたアバウトで感覚的な世界をいかにパースの理論に落とし込むかを解説しなくてはいけないわけです。 そう書いてますし、賛同してくださる作家さんも多いと感じています。
でも、いくら説明しても伝わらない人、読まないで文句を言う人は必ずいます。
予想はつくし、目にした方も多いと思うのですが、以下の2つの事を言い出すわけです。
1 パースは感覚を磨くべきだ。理論にとらわれると自然に感じない。
2 もっと厳密に書くべきだ。幾何学的に理屈が間違ってる。
・・・百も承知です。書いても意味がないから書かないのです。
何度も言いますが漫画のパースとは、感覚を含めた厄介なものです。 コマの大きさ、形、構図、表現される連続的な動き、そして作家性も当然影響します。 映像技術の向上も絡んできます。
それでも基本技術として便宜的に体系化する必要があるわけです。 なぜなら後進に伝えなくてはいけないから。 そして自分達のやっていることを再確認し、発展させられるからです。 それをやるために再体系化して本にしたのです。
さて、何で本で解説してることを、なぜもう一度、釘を刺すように取り上げているかというと、ずいぶん前にブログで書いた「なぜ漫画家志望の子が陥る失敗が類型的になるか?」の答えにモロにつながるからです。
例えば「漫画のパースを勉強したい!」という子に
1 「理論なんか必要ない、感覚で取れ」 2 「まず幾何学的に厳密な理屈をおぼえなさい」
このどちらかを教えたところを想像するといいと思います。
ほら、これを経験した漫画家志望の子はゾッとするような、類型的な落とし穴が見えるでしょ?
この話はまた後日。
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パース本を作るうえで意見を下さった先生方や、建設的なアドバイスを下さった方、そして紹介してくださった方のことを考えると、ある程度の反論はきちんと書かなくちゃと思うのだけど・・・。
正直「えぇ~・・・」というレベルのはちょっと・・。
まあ、言い訳みたいに使いますが、ネットって自己責任てことで。
[2011/01/22 13:21]
パ-ス講座 |
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