紅白で巷の話題を見事にかっさらったOZMAさんですが、辰巳君と2時間論議することにより、彼のアートをある程度言語化することができるようになりました。抽象的で難解な上に散漫な文章ですが(出来の悪い学術書のように)、興味のある人はどうぞ。
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まず、これは僕の私見ですが、ミュージシャンは大きく二つに分けられると考えます。一つは「音楽を目的とするミュージシャン」で、もう一つは「音楽を手段とするミュージシャン」です。前者は「音楽」というジャンルの中で、心地よいメロディーや、完成度の高い楽曲を作り、人に感動を与えるミュージシャン。僕も「サイクロプス」と「真剣に解散を考えている。」という2つのバンドをやっていますが、サイクロプスはこちらに入ります。一方、後者は「音楽」を用いて、「音」とは関係のないメッセージを伝えるミュージシャンです。「真剣に解散を考えている。」はこちらに入ると考えています。そして、紅白でのDJ OZMAもこの後者に属するアートを行ったと思うのです。
彼のやったことは要するに「釣り」です。「裸と見まごうボディースーツで踊る」→「裸と間違えた人から苦情がくる」→「うは、釣れたwww」という流れですね。これだけでも十分頭が良いわけですが、これがNHKで行われたことにより、このアート(=釣り)はもう一つの意味を持ちます。それが「NHKという幻想の破壊」です。
この件に関して(スーツと分かった後でも)文句を言ってる人には、このような意見が多いです。
「民放ならともかく、NHKであれはダメだろう」
さて、ここで問題になるのが、「僕たちはNHKに何を期待しているのか」ということです。DJ OZMAのプレイは見た目は過激であったものの、いかんせん裸ではないのだから刑法には触れていません。となれば、後は表現の自由が残ります。あれは音楽を手段にしたアート(=釣り)なのだから、歌番組である紅白歌合戦の趣旨に沿うものです。つまり、NHKが公共放送だからといって、あれは「本来なら」何の問題もないプレイだったはずなのです。けれど、「NHKの雰囲気」はあの表現行為を許しません。なぜなら、視聴者がNHKに「そういう雰囲気」を求めているから。いわばNHKは、「視聴者からの期待」=「こうあるべきNHK」により、自らの可能性を非常に小さなものに押し狭めていたのです。
確かに、NHKは自らが縮こまることにより、「誰もが安心して見れる大安定番組」の紅白を作り上げました。ですが、安定は積み重なれば必ず弛緩します。緊張のない安定は惰性的な視聴者しか生みません。紅白は「なんとなく見るけど面白くはない」番組となり下がり、年々視聴者を減らし続けてきました。安定ゆえに面白くない。しかし、安定を揺るがすことは、現在の惰性的視聴者をも失う。この袋小路が紅白の現状であったと思います。
その袋小路を強引に押し開けたのがDJ OZMAのプレイです。NHKはこれまで「NHKのレールの上での」プレイを強要しました。例え若手の人気歌手を紅白に招いても、それはあくまで「NHKのレールの上での」起用にすぎません。彼らはNHKのレールの上で歌うことしか許されませんでした。「音楽を目的とするミュージシャン」は、それでもある程度は自分のアートを披露できます。しかし、「音楽を手段とするミュージシャン」は、そのレールに乗った上ではアートができないのです。ですが、DJ OZMAの「釣り」は、NHKという舞台、ならびにNHK視聴者を利用したアートであり、これはNHKの想定する「レール」を飛び越えたものだったのです。「NHKを利用してプレイした」ことがポイントなのです。
では話を戻し、「こうあるべきNHK」とはなんでしょうか? それは視聴者のただの幻想です。公共放送にかける期待など十人十色。どこまでがOKで、どこまでがNGかなど、人によって全く違います。「民放ならともかく、NHKであれはダメだろう」という人は、自分の中の「こうあるべきNHK」は全日本人に共通の概念だと思い込んでいます。しかし、それは幻想なのです。
DJ OZMAのプレイを見て、裸だと思い苦情を寄せる。しかし、実はスーツだと分かる。ここで視聴者の「こうあるべきNHK」は揺らぎます。裸じゃないからいいのかな? でも裸そっくりだったからダメなんじゃないか? じゃあ、裸とスーツの違いは一体なんだ? そもそも、僕たちはNHKに何を求めているんだ??
前述の通り、視聴者の「こうあるべきNHK」は、NHKを袋小路に追い込んでいます。今の紅白は、NHKのレールを踏み外すことを許さない、一面的なアートの姿です。DJ OZMAはそこを突き崩すことにより、NHKの閉塞感を突き破りました。彼の功績は、音楽を手段として用いることにより、紅白歌合戦、ならびにNHKに対する、視聴者の「こうあるべきNHK」幻想を破壊したことにあるのです。
これでNHKは「一方的にアートを利用する側」から、「アートに利用されるかもしれない側」へと変わりました。これまでのように安穏とやってはいけないのです。ミュージシャンと紅白は、互いに我を貫き、お互いを貪り合う。そこに緊張が生まれ、紅白は次の段階へと至るのです。安定は必ず弛緩し、停滞します。クリエイターに必要なのは何よりも緊張感なのです。DJ OZMAは現状の紅白を破壊し、より高次のアートの舞台へと紅白をレベルアップさせたのだと思います。だから、NHKはDJ OZMAに金一封とか出すべきだと思います。これを出禁にしたらもったいないよ。
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以下、No.5による補足(メッセによるもの)を加えます。
バッキー@No.5 の発言:
この文に
バッキー@No.5 の発言:
オズマがまったく放送コードに触れることなく、「NHKの雰囲気」を打破したと言うことの巧妙さも
バッキー@No.5 の発言:
書いて欲しいですね
バッキー@No.5 の発言:
これがあるから
バッキー@No.5 の発言:
視聴者が「NHKの雰囲気」に疑問を持つところまで言ったと思うから
バッキー@No.5 の発言:
チンコ出してちゃここまでの昇華はなかったですよ
かがみ の発言:
それは同じコトを思った
かがみ の発言:
チンコ出したら、ただの後先考えないヤンチャ者だけど
かがみ の発言:
アレやったからアートになったんだよな
バッキー@No.5 の発言:
そうですね