c71の一日

生活の記録

強姦、拷問AVは男性の問題

男性が「女性を加害する企画を立て」「人を害した記録物を撮影する」「売る」「買う」ということにかかわっているのは、事実だ。
それができるのは、男性が社会構造を利用して、権力を行使できる立場だからだ。


女性も暴力を好む人はいるが、現実に、男性に危害を加えて、それを撮影し、大手の販売会社がそれを販売するというのは、知らない。
たぶんあまりないだろう。



わたしが、強姦、拷問もののAVの存在を知ったのはかなり若いころだった。高橋源一郎が、それに関する小説を書いたのでそれを読んで、関連する文献を読んだのだ。
文献を追っただけで相当げっそりしたし、高橋源一郎のファンを辞める原因になった。具体的に何を行ったかはその時知ったけれど、今では思い出せないし思い出したくない。それは確かだ。
高橋源一郎もあれを見て、ショックを受けたんだと思う。そう思いたい。しかしそれにしても肯定的に書いていた。日常から記号をはく奪する、倫理やモラルをはく奪して、自由な表現をするみたいに受け止めていたみたいな気がする。


わたしは長い時間をかけて、それについて考えないようにした。あの話を知って、イメージがなかなか頭から去らなかった。
漫画のポルノもずいぶん読んだけれど、やっぱり、身体を欠損させるものはかなりの需要があるようだった。


私自身も、ポルノというわけじゃないけれど、暴力的な描写を好むが、だけど、フィクションじゃないと、安心して楽しめない。現実に、傷ついた人、加害を加えられた人がいるのなら、楽しめない。楽しめないというか、見たらよくないと思う。そういうものが、被害者の手をすり抜けて、流通してほしくない。わたしが好きな暴力的な描写というのも、せいぜいハリウッドのPCを潜り抜けたものが限度だ。


だけど、AVのレビューを見ると、「本物じゃないと萎える」「編集でごまかしている」という声が満ちていて、「現実にその加害が起きていないと抜けない人たちがいる」ことがわかる。


男性の、ある一定上の割合の人は病んでいる。女性が嫌がったり、泣きそうだったり、抵抗したりしてからのちに、気持ちよくなるというストーリーに興奮する人が多いようだ。
わたしの知っている限り、AVはそのストーリーで進んでいくものが多い。


わたしは、いろいろなことで傷ついた後、そういうものを知りたくなったので、ポルノを結構見た。どうして見たのかわからない。自分の現実の被害を大したものじゃないと思いたかったのか、紛らわしたかったのかもしれない。でも、わたしに起きた出来事は、ポルノの世界では、よくあることなのだなということがわかった。よくある、非常にメジャーな、男性の幻想をなぞったストーリだった。



わたしに加害行為を加えた男性たちは、ほとんど、ポルノで得た知識や、ストーリ、夢を、わたしの身体で実現したがった。わたしは、その無意味に思える行為(快感もなく、不快なだけで、楽しくないこと)を「わたしのため」と思ってやっている男性たちが不思議に思えたのだった。その後、ポルノを研究することで、それらの行為が、ポルノでメジャーな成り行きだということが分かった。無意味な行為は、男性にとっても、別に快感を増やすわけでもなく、コミュニケーションに必要なわけでもなさそうだったから、不思議だったのだが、みんな、テレビで見たこと、ネットで見たことを、なぞっていたのだった。そこには何にもクリエイティブティがなかった。ただの共通幻想があった。



日本のAVは多様性があるわけでもなく、反権力思考でもない。多様性というのは、性別にかかわらず楽しめるもの、そういうバリエーションということだろうが、実際にはいくらジャンルが多くても、基本的には「女性を加害して苦しむ顔を鑑賞する」というものが多いように思う。
女性が主体的に楽しむものは、あまり主流ではないようだ。


権力というものは根本的に、男性のちんこのためにある。男性のちんこの自信を無くさせるものは、排除されていく。
男性のちんこが元気になるものは肯定される。文化だとすら言われる。ほとんど問題にならない。男性のちんこが喜ぶためのものだったら、人間がけがをしたり、死んだり、回復不可能な傷を負ったとしても、免罪されることすらある。
男性は、自分の身体と、頭と、心と、ちんこをそれぞれ切り離して、統合することを放棄しているように見える。


男性が脳で興奮するために、そのストーリーを作るために、たくさんの女性の身体が壊されていく。
無理なプレイをして、膀胱炎になったり、腎盂炎になったり、膣炎になったり、ヘルペスになったり、妊娠したり、血が出たり、けがをしたりした女性はたくさんいる。男性で、性行為を行ったせいで、けがをしたという経験を持つ人は、わたしの予想にすぎないが、女性ほど多くないのではないだろうか。


人間が人間を加害しているのではなく、男性が、社会構造の強者だということを利用して、女性の身体を壊して、それを鑑賞する。
破壊衝動を実行に移すこと。それは、誰のことも尊重していない。人権というのは、フィクションだが、社会を存在させるために重要なフィクションだ。それを侵害するゆがんだ性衝動は、取り締まらなくてはならない。なぜならば、強姦AVは権力志向だが、反社会的だからだ。
ポルノを通して、性衝動をゆがませた男性たちも、治療が必要だ。
男性たちは、自分の問題に取り組まなくてはならない。しかし、男性は、自分たちの問題に気づく必要を感じていない様子なのも、また見て取れることだ。強姦、拷問AVは女性問題ではなく、男性問題だ。