モータリゼーション・郊外・逃走(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘)
kenzee「エートもう2月も半ばです」
司会者「エライまたサボったねえ。もうみんなあきらめてるけども」
kenzee「2月といえば節分・豆まきと連合赤軍事件です」
司会者「バレンタインとか他いろいろあるだろう! なんでまっ先に連合赤軍なんだよう」
kenzee「ちょうど一年前ぐらいに急に思い立って連合赤軍事件について調べ始めたのです。とりあえずアマゾンでスッと手に入る資料は一通りゲットしました」
司会者「いっぱいでてるんだなあ」
kenzee「これと山本直樹の「レッド」とか小熊英二の「1968」の下巻の連合赤軍の話とか。あと若松孝二の映画「実録・連合赤軍」とそのパンフレット。そういうものをヒマさえあればパラパラ読んでたんですよ。もう寝ても覚めてもリンチ、リンチですよ」
司会者「イヤな人生だなあ」
kenzee「実際にはリンチばっかりじゃないんだけどね。ストとか爆弾作りとか銀行強盗とかとかワリと楽しいエピソードもあるんだけど、山岳ベース事件とあさま山荘事件の凄まじさでそんな青春エピソードは一気に吹き飛んでしまう。とくに山岳ベース事件については植垣康博の手記と坂口弘の手記と永田洋子の手記では食い違う点もいくつかあって考えても考えてもキリがないところがある。さらに2003年にはあさま山荘のメンバーで当時10代だったため「少年A」と報道されていた加藤倫教の手記も発表され、事件から30年ぶりに山岳ベース~あさま山荘への流れの貴重な証言を得ることができた」
司会者「でも、とっくにいろんな人がいろんな文章書いちゃってるでしょ、連合赤軍事件って」
kenzee「そうだ。90年代初め、つまり、坂口の手記が登場するまでは圧倒的に政治の文脈で語られることが多かった。新左翼の運動の歴史においてドウタラといったような。高沢皓司のものが代表的だ。93年から95年にかけて発表された坂口の手記が画期的だったのはオタク的な性質であった、つまり学究肌であったということだ。永田のような「反省、反省、また反省」の懺悔の手記と違って冷静な視点がある。坂口本が発表される以前にも永田本(いわずと知れた「十六の墓標」上下続。永田死亡のニュースが流れた直後、アマゾンから在庫が消えた)、森恒夫の「自己批判書」(高沢皓司編で「銃撃戦と粛清」と題され新泉社より出版されるも今は絶版)、植垣本(「兵士たちの連合赤軍」、これはフツーに楽しい青春小説。もともと理系で物理と地質学の素養を買われ、赤軍に入った人だが、世が世ならSF~ラノベ方面に行ったかも知れない)といったメンバーの手記が存在したがいずれもあさま山荘以前に逮捕されたメンバーであり、肝心のあさま山荘内でなにが起こったかは闇に包まれていた。坂口本の「下巻」において初めてあさま山荘メンバーによってあの10日間の山荘内の出来事が詳細に記述された。90年代後半は宮台真司などを中心にオウムとの類似性で語られることになる。98年には植垣が出所。文筆活動や講演を通して、「連合赤軍事件のアドバルーン役」(椎野礼仁編「連合赤軍事件を読む年表」巻末インタビューでの発言)を買って出るようになる。そして2002年には事件から30年。事件をテーマにしたふたつの映画が製作される。「突入せよ!あさま山荘事件」と「光の雨」だ。ひととおりの資料が出揃ったのもこの頃だ。ゼロ年代に入るとちょうど事件の頃に生れた批評家も事件について論考するようになる。1971年生れの北田暁大は2005年発表の「嗤う日本のナショナリズム」のなかでネット時代のコミュニケーション論の源流としての「総括」に触れる。小熊英二も2009年発表の「1968」下巻において山岳ベース事件に多くの頁を割く。政治的な文脈から離れ、文化論として書ききった小熊氏に拍手。忘れちゃいけない大塚英志の「「彼女たち」の連合赤軍」の初稿が発表されたのは94年~96年にかけてまさに坂口本からオウムの時代にかけてだ。大塚氏の論考のもっとも秀逸な点はあの事件を完全に政治的文脈から切り離し、サブカルチャーとして語った点にある。しかし、「語られざる連合赤軍ー浅間山荘から30年」の著者、高橋檀はこのような論は「事件の矮小化だ」と非難している。そして98年にはボクと同い年の映画監督、熊切和嘉「鬼畜大宴会」が発表される。山岳ベース事件から着想を得た、完全なホラー映画だ。政治からも社会問題からも完全に離れたエンターテインメントとしての解釈である。優れたホラー作品であることは間違いないが、これが若松孝二の激怒させた。「熊切君は現代の若手映画監督としては非常に才能を感じます。ただ、「この題材」という部分では違うんですよね。「彼らはもっとちゃんとした思いで運動していたんだ」と彼に直接言いましたよ。」(銀幕ナビゲーション若松孝二インタビュー)そして今のところ、連合赤軍事件をもっとも手っ取り早く理解する最良のテキスト、映画「実録・連合赤軍」が2008年に発表される。この映画で重信房子に逃走資金を渡す若松孝二役で宮台真司登場」
司会者「だんだんトリビアになってきてるぞ」
kenzee「「情況2008年6月号」は緊急特集「実録・連合赤軍」をめぐって、だ。このなかの塩見孝也(元共産同赤軍派議長、この人昔、93年ごろ大阪の河合塾大阪南校に講演に来た。信じられないが、どんな話をしたかまったく思い出せない)がこの時点での推薦図書を列挙している。
森恒夫の「銃撃戦と粛清」、これは既に歴史的文献として極めて基調と考えます。(中略)故・川嶋豪君が編集していますが、当時の革命左派のほぼ全ての人々が意見展開している集団的文献です。(中略)赤軍派が認め、彼の文章で承認し、その線で、彼の「自決」を悼んだ際、推薦した文献として、黒書、「森恒夫遺稿集」があります。これは推薦できます。永田さんや植垣君の「十六の墓標」「兵士たちの連合赤軍」は自己保身の居直りで構成され、多くの自己弁護のための嘘があります。坂口弘君の「あさま山荘1972」は嘘がなく真摯な文献ですが、僕は、「若松孝二・実録連合赤軍」(朝日新聞出版)に掲載されている吉野雅邦さんの手紙がもっとも信頼に値するものと考えています。30数年後の現在、事実関係として集大成されたもっとも正確な文献で、資料価値が最高に高いと言えます。これを推薦します。(「情況2008年6月号」、書評を通じての映画評と映画に感ずる幾つかの諸点について。塩見孝也)
司会者「永田本と植垣本が嘘と自己弁護って、この人にも森恒夫的なものを感じるなあ」
kenzee「この、極端に片一方をケナして片方をやたら持ち上げるのは、実はまさに山岳ベースで起きた総括の手法になのだ。あとで詳しく述べるが、「総括」は一人一人、順番に殺されたイメージがあるが、実際には、大体二人同時に総括にかけられ、総括のレベルを競争させていた。たとえばAとBを同時に総括にかけ、「Aは頑張っている、もうちょっとで総括できそうだ」と褒め称え、食事なども与え、一方を「それにひきかえ、Bはまったく総括の努力が見られない」などといった評価を随時行っていた。これはイジメを正当化する論理を効率よく周囲に理解させる効果がある方法だ。一人を集団でリンチにかけるとさすがに「これは弱い者いじめではないか」という疑問が誰しもおこるものだが、この方法を使うと「Bは努力が足りないからダメなんだ」となんとなく正当化してしまう。この論理はターゲットが必ずしも「二人」である必要はなくて、複数であれば何十人、何万人でも使えるのだ。例えば、昨今の労働問題、派遣問題で登場する「自己責任論」とは要はこの論理なのだ。「Aは頑張って就職活動もマジメにやったので現在の既得権益を得たのだ。派遣村の連中はどうせ今までロクに努力してこなかったんだろう」と」
司会者「自己責任論が実は総括の論理だなんて」
kenzee「確かに派遣村の人々のなかにはチャランポランな人もいたかもしれない。しかし、だからといってポーンとクビを切り、冬の路上に放り出していいということにはならないのだが、論理的にも物理的(総括では零下10度以下の屋外に縛られ、放置された)にも総括と同じことが繰り返されたというのが派遣村問題のの最大のポイントだったのだが、湯浅さんも赤木智弘さんもこの点には気付かなかった」
司会者「そういえば派遣村当時、総務省総務政務官坂本哲志氏の「派遣村発言」がありましたよね。
本当に真面目に働こうとしている人が集まっているのかなという気がした。「講堂を開けろ、人が出てこい」と学生紛争の時の戦略が垣間見える。(2009年1月4日総務省仕事始め式での発言)
kenzee「速攻批判を受けて坂本氏は謝罪したのだが、坂本氏が1950年生まれ、世代的には植垣氏と同世代ということになるのだが、まさにリンチに関わっていてもおかしくない世代であったのだ。連合赤軍の問題とは歴史上の事件ではなく、現代社会と直接関わっていることがおわかりだろうか。話が逸れた。とりあえず、現状手に入る連赤関係の資料といえばこんなとこかなーという感じだ。で、全然関係ない話になるけど、オレ、スッと当たり前に手に入る資料だけで構築したいってのがあって。アマゾンと図書館だけで手に入るものだけで成立してるものがフェアというかロックンロールというかそういう気がするのね。極秘資料とかマニアックな研究者とかそんなんいらないじゃないですか。フツーのものでオッと気付くものがあるというのがいい評論なんじゃないかなあと。小沢健二論争の時に言いたかったのもそういうことでね。フツーに本屋で売ってるものから拾うとかそういうことが大事なのではないかと」
司会者「その話はもうだいぶ前に終わったじゃないですか。じゃあ、格差社会と総括問題で引っ張るんですか? 意義はあるかもしれないけど結構ベタっちゃあベタですよソレ」
kenzee「山岳ベース事件についてはあとに回して先にあさま山荘からいきたい」
司会者「ちょっと待って! さっきから森がどうした永田がこうした言ってますけど、連合赤軍事件ってナニ?って人もいっぱいいると思いますよ。最近コレ、音楽のブログだと思ってる人も多いし」
kenzee「文芸誌のブログだと思ってる人は減ってるのかなァ。エーッとウィキで「連合赤軍」で調べてくれ! そして多分この話長くなると思うので長い話に付き合おうという奇特な方は最低若松孝二の「実録・連合赤軍」を観ておいてくれ。長い映画だけどあれで大体つかめる。で、あさま山荘から山岳ベースに行くって流れだが。時間を逆にたどるのは理由がある。連合赤軍事件に関しては厳密な研究書ほどこの逆の時間軸を律儀に守っているのだ。たとえばハワイ大学社会学部教授パトリシア・スタインホフの「死へのイデオロギー日本赤軍派」(岩波書店)で、著者は実際に榛名山付近と軽井沢近辺を訪ねることになったのだがそこでどういう順番で回るか悩むのだ。
部外者が連合赤軍事件を理解しようとするときにいつもつきまとう悩み、時の逆転という問題にぶつかってしまった。私たちは事件が起きていったその同じ時の流れをたどるべきなのか、それとも事件が発覚した時点を起点に時を遡っていくべきなのか。つまり、粛清の現場からあさま山荘へか、あさま山荘の現場から粛清の現場へか。これは難しい選択だった。どちらをとるかで内的なインパクトがまったく違ってくるからだ。(「死へのイデオロギー日本赤軍派」パトリシア・スタインホフ(岩波書店)
結局、彼女の旅は連合赤軍の人々の体験を理解するため、時間軸に沿う旅をすることになる。だが、実際の体験者、坂口本「あさま山荘1972」は上巻は印旛沼事件で終わり、山岳ベースへ向かうかと思いきや、下巻は妙義山越えからあさま山荘へと突然話は飛ぶのだ。そして逮捕後に、山岳へと時間軸が戻るという構成だ。これは体験者であっても山岳の経験が特殊なものだったことを物語っている。逆に加藤倫教「連合赤軍少年A」(新潮社)は時間軸に沿う形だが、山岳ベース事件に多くのページを割いており、あさま山荘事件に関してはアッサリとしたものだ」
司会者「加藤本はフツーにいい本だと思います。フツーに学校の道徳の教科書とかに使えるくらい」
kenzee「ウチは坂口メソッドに沿って時間を逆に進行したいのだ。で、話がポーンと飛びますけど、皆さん「思想地図β」ってもう読みました?」
司会者「なんだよヤブからスティックに!」
kenzee「今回の思想地図の最大のウリは速水健朗さんが監修した「ショッピングモール特集」だ。ラゾーナ川崎や六本木ヒルズなどの現代の大型商業施設から現代的な消費社会、公共空間の位相、都市と村落、そして郊外の問題と現代社会そのものと対峙していく。意欲的な企画だ。本当はいろいろ言いたいこともあるのだが、連合赤軍が終わってからにしよう。ひとつだけ、誰も言っていないのでコメントするとこの速水さんの企画にはあるハッキリとした意図が読み取れる。それは「反・三浦展、反・ファスト風土化する日本」ということだ。三浦展の「ファスト風土化する日本」がでたのがなんと、もう7年前の2004年なのだ。三浦本の骨子とは「ゼロ年代以降、やたら郊外にイオンやイトーヨーカドーといった大型ショッピングセンターが増えた。それは90年代の自民党のバラマキ地方への公共事業投資によって全国に高速道路が張り巡らされ、その高速のインターチェンジにイオンとかができた。そのおかげで日本の地方はおかしくなってしまった。村落共同体ももともと地方にあった産業も教育もおかしくなった。全国どこでもみられるケバケバしい郊外の風景。これが現代日本のガンなのだ! という論理である。今回の特集では速水さんはハッキリと明記はしてないけど、この三浦本の悲観論にNOを突きつけるためにこれを企画したに違いない。速水流ショッピングモール論はこうだ。最早、ショッピングモールは郊外だけのものではない。(厳密にはイオンなどはSCではなくGMS(General Marchandising Store)、総合スーパーというのだそうだ)森ビルなどもひっくるめて現代の消費空間とは都市とか郊外とか関係ナシにショッピングモール化する運命にある。それはゼロ年代にポコランと現れたのではなく、50年代あたりのアメリカの消費文化に源流を見る、歴史がある。この特集の最大のクライマックスはさんざんショッピングモールを味わいつくした本特集の参加者たちが最後に秋葉原に立ち寄る。するとそこは世界でも有数のサブカルチャー都市であるはずなのに街の成立のプロセス自体はSCなどとはまるで逆で自然発生的、まるで闇市のようにして現在へと至っていることに驚くのだ」
司会者「速水さんの企画が面白いのはわかった。でも、この特集とどうやってあさま山荘つなげんの? 大体、あさま山荘、ショッピングセンターどころか商店すらないんだべ?」
kenzee「速水さんの造語「ショッピングモーライゼーション」、この言葉は勿論、ショッピングとモータリゼーションをひっつけたものだ。ショッピングモーライゼーションは大前提としてモータリゼーションがなければ成立しない。郊外に家を持っていて、しかもクルマを持ってないとならないのだ。来る者拒まずのSCだが、おのずとそこには排除の論理も働いている。一定の経済レベルに達していないと行くこともできないのだ。それが現代の郊外のあり方だ。しかし、いつからそんなことになっちゃったんだろう、ということを考えてたらピカーッと電気がついてバタバタッとドミノ倒しみたいにオレのあさま山荘論ができた。速水さんの特集には大変なヒントをいただいたのだ」
司会者「どういうことです?」
kenzee「ポイントはモータリゼーションだったのだよ。あさま山荘のメンバー5人はあさま山荘に逃げ込む直前に無人のさつき山荘に逃げ込んだ。そこで足跡を追ってきた警官と撃ち合いになる。そしてさつき山荘から脱出し、近辺で一番大きかったあさま山荘に逃げ込んだ。彼らははじめから人質をとって篭城するつもりではなかった。基本、逃げ切るつもりでいた。実はあさま山荘には山荘所有のクルマがあった。
どこかの別荘に車が置かれてないか、走りつつも辺りに散在する別荘の車庫や駐車スペースに目を光らせた。(やがて、並んでいる二軒の別荘が目に入ってきた。少し大きな山荘と個人所有のものらしき小さな別荘でその小さな別荘の玄関脇のスペースにワゴン車が置かれていた。運転席を覗き込んだが、キーはなかった。坂口が隣の会社の保養所らしき山荘に向かい、私や弟は道路で待機していた。(加藤倫教「連合赤軍少年A」)
玄関の左手には部屋が突き出ていた。駐車場に車があることや、玄関周辺の雰囲気からしてどうも建物の中に人がいるような感じがした。(坂口弘「あさま山荘1972下巻)
なんと、あさま山荘にはおあつらえ向きのクルマがあったのだ。敵はまだこの時点では拳銃しか携帯していない警官が2,3人。戦闘力では圧倒的に連合赤軍が上回っていた。この時にクルマを奪って逃走すれば軽井沢を脱出できたかもしれない。一応、坂口は山荘内にいた管理人の女性に尋ねるのだ。クルマのキーはどこかと。しかし、キーは夫が持ってでてしまい、ここにはないという」
司会者「銃とかで脅せばだしてくれたかもしれない。ていうかおとなしく少し待ってれば夫が帰ってきたかもしれない」
kenzee「そうだ。飽くまで想像だがクルマのキーは山荘内にあったのではないかと思う。だが、坂口を始めとするメンバーはアッサリ逃走作戦をあきらめて、篭城作戦に変更する。いずれ確実に捕まるか、殺される消極的な闘いだ。ナゼ彼らはあっさりと逃走をあきらめたか。小熊本を見てみよう。話はさつき山荘での銃撃戦直前まで戻る。
そのうち、長野県警の警官隊が「さつき山荘」に迫ってきた。坂口らは逃走用の自動車をみつけようとしたがみつからず(彼らの中に自動車が運転できる者はいなかった)、「あさま山荘」に逃げ込んだ。(小熊英二「1968」下巻)
司会者「誰も免許持ってなかったの?」
kenzee「そうだ。世界同時革命だの国際根拠地論だの前段階武装蜂起だのハデな理論を持ったグループだったが、クルマの免許は持っていなかった。ヲイヲイ、なにが革命だよプゲラ、で話は済みそうだがもうちょっと粘ってみよう。本当なら、この「サラリーマンの別荘地」がウリの南軽井沢別荘地からマンマと逃げおおせるはずの彼らが徹底抗戦しなくてはならなくなったという事実。これが現代のショッピングモーライゼーションを考える上での重要なキーではなかったか。というわけで次回につづく(なるべく早く)」
司会者「キーがなかっただけにね!」
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コメント
レイクニュータウンは「北」でなく南軽井沢でわ?
投稿: | 2011年2月14日 (月) 17時02分
おっしゃる通り、坂口たちが迷い込んだのは南軽井沢郊外のレイクニュータウンです。謹んで訂正いたします。
投稿: kenzee | 2011年2月14日 (月) 21時53分
自己責任論って自分とは関係ありませんって言いたいだけの無責任論でしかないので、この言葉嫌いなんですよね。
誰かのせいにはしたがるけど、自分のせいにだけはしたくない本音が透けてて。
投稿: 紅 | 2011年2月16日 (水) 12時24分