まだ駆け出しだった頃、工場改善コンサルタントの話を聞いたことがある。それなりに面白い話がいろいろあったが、1番よく覚えているのはヘアドライヤーの話だった。このコンサルタントは、製造業、とくに電気系メーカーの設計部門を訪れた際は、必ずヘアドライヤーの冷風スイッチについて、尋ねることにしていると言っていた。 「ヘアドライヤーには、温風のスイッチのほかに、必ず冷風のスイッチがありますよね。御社の製品にも、ついていると思います。ではこの冷風のスイッチは、何のためにあるんですか?」 皆を集めてこう質問すると、たいてい誰も答えない。日本の会社は、皆そうだ。でも繰り返して尋ねると、中には元気のいい若手社員が手を上げて、こう答えたりする。 「はい。それは、あの、夏なんかの暑いときは、冷風で頭を乾かしたほうが気持ちいいからです。」 するとコンサルタント氏は続けて聞き返すのだそうだ。「それは本当ですか? じゃぁ、夏に冷風で頭を乾かしている人、手を上げてください。」実際には、手をあげる人はほとんどいない。そこで彼はとどめの一言を放つ。 「アメリカのメーカーに行ったら、こういう答えが返ってくるんです。『髪の毛は熱風を当てると柔らかくなるが、冷やすと硬くなる性質があるので、スタイリングをするときには最初は温風を当て形を作り、最後に冷風スイッチを使って固めるのです。』・・ところが皆さんはそれを作っているのに、なぜそれがあるかを知らない。」 アメリカの技術や製品を日本に持ってきたときに、何も考えずに形だけ真似するから、こういうことになる。何のためにあるんだか理解しないまま、機能をつけてしまう。そのためムダに設計も検査もコストが上がる。・・コンサルタント氏は私たちに、そう教訓を述べた。 もう一つ彼は例をあげた。「どこの工場に行ってもスパナって言う工具がある。知ってるでしょう? ところでこのスパナって、なんだか妙に握りが太くて持ちにくいじゃないですか。だから職場によっては工夫して、わざわざ細い棒を持ち手側に縛り付けて、持ちやすくしている」(彼は黒板に図を描いた)。「でも、なんでこんなことしなくちゃいけないんです?」——無論、わたし達は答えられない。 「それはね、最初にスパナをアメリカから持ち込んできた人間が、そのままのサイズで複製したんですよ。だからアメリカ人のデカい手に合わせた握りになってる。考えないでただ真似したんじゃ、工夫にならない。」 このコンサルタントの言うことがどこまで正確なのか、私はよく知らない。でもその時の私の頭には、『直輸入技術』の弱さ、脆さが刻み込まれた。それは「技術導入は麻薬のようなものだ」といっていた大先輩の言葉を思い起こさせた。外国からの技術導入は、最初は楽だが、次第に自分で考え、開発する力をなくしてしまう。 わたしはエンジニアである。最近はもう自分で設計する事はほとんどなくなってしまったが、それでもエンジニアだと思っている。なにか設計したら、結果は図面や仕様書に落とし込む。その結果が下流側部門のインプットとなって、関連する設計や調達や製造に使われる。それがエンジニアの仕事だ。 だが、エンジニアとして先輩の仕事に学び、自分の成長の糧とするときには、それだけでは足りない。設計の結果だけではなく、考えと仮説を学ぶ必要がある。先のコンサルタント氏による、冷風スイッチのエピソードは、そのことを示している。「技術を伝える」とは、結果としての形だけを教えるのでは不十分なのだ。「なぜ」そうなのかが大切だ。ノウハウ(Know How)より、ノウホワイ(Know Why)が大事だと、わたしの勤務先のトップマネジメントも、よく口にしている。 だから設計をするときには、設計の理由を記した設計ノートやメモやコメントを、なるべく作って残すようにしましょう。 ・・というだけでは、実は話はまだ終わらないのだ。 なぜなら、わたし達は「なぜ」を問うたり、「なぜ」と問われたりするのに、文化的に不慣れだからだ。そうでなければ、どうして、誰かが大勢に理由の問いかけをしたとき、皆、遠慮したかのように答えないのか。間違っていても、推理を述べればいいではないか。間違いだったら、そこで学べばいい。別に命を取られる訳でもない。それなのに、「間違った答えをいうと恥ずかしい」という気持ちが先に働くから、誰も人前では答えなくなる。あとで廊下で講師をつかまえて、小声で確かめたりする。それで知識を共有できるだろうか。知らないことの方がもっと恥ずかしいはずなのに、皆が知らなければ、怖くないのだ。 「なぜ」の問答に不慣れなわたし達が陥りやすい「なぜの罠」は、何種類か考えられる。 説明1 「そういう慣習だから、昔からそうだから」 よくある答え方である。上の冷風スイッチと同じだ。これでは理由を説明していることにはならない。 説明2 「目的はこうだから、機能はこうだから」 なぜ冷風スイッチがあるのですか? それは、冷風を送れるようにするためです・・これは、質問のたんなる言いかえに過ぎない。その機能の目的が、使用者にとってどんな時どのような意義や利便を提供するか、の答えになっていない。答えのはるか手前で止まっているのに、なんだか答えたような気になっているだけである。 説明3 「それはこういう仕組みなんです」「こういう経緯でそうしました」 ここのボタンを押すと裏で自動的にこのモーターが作動して・・とか、その機能はもともと別の形で実装する予定だったんですが経緯があって・・とか、詳しい説明が続く。だが、それは単に詳細化して説明するだけで、WhyではなくWhat, Howを述べているだけだったりする。こういう答えもありがちである。 説明4 「顧客が(誰かが)決めたから」 いやあ、お客さんが(あるいは先輩が、他部署が)そうしろと言ったんですよ・・こういう答え方は、WhyではなくWhoを述べている訳だ。言われたことは忠実にやる。しかし言われないと自分では意見やスタンスがない。これは、受注型ビジネスにたずさわるエンジニアに広く見られる傾向ではないか。すなわち、設計へのオーナーシップの喪失である。本当は、これがけっこう深刻な問題だという気がする。 説明5 「自分のセンスで決めました」 この自信に満ちた答え方は、言い方を変えると「なんとなく決めました」と同じである。設計者のセンスはもちろん、大事だ。設計という仕事は一種のアート(技芸)としての側面があり、設計者の感性を磨くことは訓練の一部と言っていい。センスがあまりにもない人は、ちょっとその仕事に向いていないな、と判断される場合もある。 だが、感性に頼りすぎる仕事ぶりは、他者にうまく説明できないし、理解もしてもらえない。エンジニアは感性と理性のバランスが大切なのだ。そして、スティーブ・ジョブズ級の感性の持ち主ならともかく、普通クラスの会社員に「俺の感性を信じろ」と言われても、当惑するだけだろう。 結局、こうした罠に陥りやすいのは、設計という仕事において、「なぜ」をあまり問わず、考えない習慣にあると言えないだろうか。 いや! そんなことはない。我々は「設計レビュー」を要所要所で実施していて、そこできちんとチェックしているのだ、とおっしゃる論者もあろう。なるほど。それは素晴らしい。きっとそうした組織では、設計レビューの基準が(それもレビューの方法・手順や体制ではなく、基準が)明確なのだろう。 だが、設計レビューという行為は、しばしば設計書の記述ルールや整合性チェックにとどまる場合が多くないだろうか? つまり、IT分野の例を出せば、設計の「なぜ」を問う代わりに、以下のような項目の確認に時間を費やすのである。 ・ネーミングルール ・エンティティ(要素)の洗い出し ・要素間のリレーション ・記述法とフォーマット ・図面間の整合性 ・入出力の検証可能性 これはこれで、結構だ。だがこうしたレビューをいくら重ねたって、「いらない機能」「非効率な構造」をあぶり出すのに役に立つだろうか? かくして、『機能しないレビュー会議』という問題が生じるわけだ(その証拠に、ネットで検索するといろんな関連記事が出てくる)。設計レビューを本当に機能させたければ、きちんと「なぜ」を問いかけ、まともに「なぜ」を答える習慣づけの必要がある。 そもそも、設計のアウトプットが、単なる工学計算の結果ならば、わざわざ誰も「なぜ」を問うことはしない。「この熱交換器の伝熱面積はどう計算したの?」「HTRIの推算式を使いました」「あっそう。」それだけの話だ。そこにはHowはあるがWhyはない。Whyが登場するのは、「この流体は一部が熱で気化して混相になるはずなのに、なぜ液相の伝熱計算式を使ったの?」というような、『判断』が登場する場合だ。 そして、設計業務の一番の肝は、判断(design decision)にある。設計のdecisionとは、本質的にトレードオフ間の決断である。われわれがなにかの設計時に直面するのは、 ・安定性と俊敏性 ・冗長性と効率性(燃費) ・頑健性と軽量性 ・複雑性と保守性 ・オマケ機能と製作工数 ・品質とコスト・・ といった、「あちらを立てるとこちらが立たず」風の状況下において、どのようなバランスをとるかという決断なのである。そして、決めるためには、なんらかの仮説や推測が要る。「なぜ」の問いは、まさに、設計者の仮説を言語化するためにあるのだ。 設計という行為の中核がこのようなトレードオフの判断である以上、わたしは人工知能(AI)が将来、自動設計をしてくれてエンジニアの職をどんどん駆逐する、などという想像には組みし得ない。AIどんなに発達しても、機械だけでは決して設計問題を自動的には決められないだろう。 なぜなら、それは仮説設定と価値判断だからである。 設計の結論だけでなく、思考のプロセスと判断基準を示すこと。それがエンジニアの仕事であり誇りであってほしいと、わたしは思う。このことは、以前紹介したように、人に説明するとき「なぜ」からはじめるべき(Start with Why)という金言とも一致している。だから、「なぜ」にもっと真剣に向き合おう。 <関連エントリ> →「『なぜ』からはじめよう - 仕事の目的を設定する」 http://brevis.exblog.jp/24334345/ (2016-04-18)
by Tomoichi_Sato
| 2017-03-07 22:01
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