翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

飛鳥Ⅱ沖縄クルーズ潜入

ありきたりの観光スポットや旅先のグルメにはあまり興味がなく、質実剛健な旅が好き。クルーズとは無縁のはずでしたが、近所のマダムから飛鳥Ⅱの体験談を聞き、がぜん興味が湧いてきました。MBAホルダーにして公認会計士、定年後も数社の社外取締役を引き受けているバリキャリ女性です。

 

仕事が一区切りついたので、自分へのご褒美として飛鳥Ⅱで世界一周。しかもシングルユースですから、二人分に近い料金でしょう。ユニークなのは、それまでさんざん出張で世界を飛び回ってきたから、寄港地でほとんど下船せず船内にとどまるというスタイル。クルー(乗組員)と親しくなり、着岸時に操舵室に招かれてパイロット(水先案内人)の仕事ぶりも見たということです。

 

そんなことを聞いて、クルーズを一度体験してみたくなました。アメリカでは養老院代わりに乗船して死ぬまで乗り続けるシニアが急増しているとか。死後の手続きさえ整えておけばそんなことも可能なんでしょうか。

 

飛鳥Ⅱは世界一周だけでなく、日本各地を巡る短いクルーズもあるます。選んだのが3泊4日の沖縄クルーズです。那覇港を出て、宮古島、石垣島に各一泊し那覇に戻ります。一人だと割高になるので夫を誘いました。

 

至れり尽くせりの船の旅。

一番気に入ったのは大浴場。サウナと水風呂も完備。露天風呂から見渡す海と空に、こんな贅沢な経験が他にあるだろうかと感じ入りました。

乗客はほぼ日本人。何度もリピートしている飛鳥ファンが多いようでした。サウナで会った女性は「贅沢だけど、仕事の励みになるから定期的に乗ることにしている」とのこと。熊本の方で八代港から出るクルーズに乗ったのがきっかけだそうです。

熊本と言えばサウナの聖地「湯らっくす」があります。話を振ると「値上がりしたからあまり行かなくなった」とのこと。飛鳥クルーズの費用を考えれば、些細な金額ですが、自分が本当に好きなものを心得て、めりはりのある使い方をしているのでしょう。

別の女性は趣味の社交ダンスを楽しむ場として飛鳥を選んでいるそうです。夕方の社交ダンス教室は初心者も参加できますが、ダンスのエキスパートがここぞとばかり軽やかなステップを披露しているのでしょう。

 

熱烈な飛鳥ファンがいる一方で、私は借りてきた猫状態。飛鳥の世界にひたることができず、ずっと傍観者で、記事を書くわけでもないのに人の話ばかり聞いていました。

二日もいれば巨大な船内もほぼ回ったし、三泊四日は長すぎたかと思う始末。豪華は豪華だけど、籠の中の鳥のよう。その地にどっぷりなじむ暮らすような旅が理想なのですから、とても世界一周はできません。

 

そうした気持ちで迎えた朝も、目覚めたらすぐ大浴場へ。石垣島へ入港するまでは露天風呂に入れます。静かに進む船の上から見た日の出は、沖縄の青い海によく映えて、神々しさに心が揺さぶられました。与えられた瞬間を素直に受け容れようという殊勝な気持ちが湧いてきて、不平不満が芽生えたら「石垣島の日の出」という呪文で封じることができそうです。

「太ったおばさん」のために歩く

「人の老害見て我が老害直せ」のブックマークで、id:toikimiさんが「隙自(すきじ)という言葉を教えてくれました。「隙あらば自分語り」という略語だそうです。

まさに、言いえて妙。占い師がお金をいただけるのは、思う存分、自分語りを聞いてあげる面もあり、お金も払っていないのに延々と自分語りをしていれば嫌われます。

 

人は誰しも「自分を知ってほしい」「すごいと思ってもらいたい」という欲を持っているのでしょう。

そこで思い出したのがサリンジャー小説『フラニーとズーイ』(40年以上前は『フラニーとゾーイー』でしたが、村上春樹訳ではZooeyはズーイとなっています)。巡礼の道を歩くきっかけとなった一冊でもあります。

 

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アメリカ東部のスノッブな大学に通うグラス家の末娘、フラニー。「結局、みんなエゴを振りまいているだけじゃないか」と、精神を病んでしまいます。知的エリート階級を自負している大学生ですから、あからさまな隙自ではなく、さりげなく「自分は一般の俗物とは違う」とアピールします。

 

フラニーが愛読していたのが『巡礼の道』。ロシア人の農夫が「休むことなくただ祈るための方法を求めてロシア中を徒歩で回るという話です。

なんとか妹を救おうと言葉をかけるズーイ。俗物を嫌って、自分の殻に閉じこもろうとすること自体が俗物だと批判もします。最後に出てくるキーワードが「太ったおばさん」です。

 

グラス家は芸能一家で、7人の子供たちは次々と「イッツ・ア・ワイズ・チャイルド」とうラジオ番組にレギュラー出演してきました。

一番上の兄のシーモアは、ラジオ番組のために外出しようとするズーイに「靴を磨いていけ」と言います。ズーイは誰からも靴は見えないと反抗します。そこでシーモアは「太ったおばさん」のために靴を磨けと言うのです。

 

そこでズーイが太ったおばさんをリアルに想像します。病気を抱えていて一日中ポーチに座って朝から晩までラジオをつけっぱなしにしています。ラジオが唯一の楽しみなのだろうから、そこに出演する自分はきちんとしていなくてはいけません。

フラニーもシーモアから「太ったおばさんのために何か愉快なことを言うんだよ」ととく言われてきたので、話はすぐ通じました。

 

そして二人は悟ります。どこに行こうとも、太ったおばさんじゃない人間なんて誰一人いない。そして、太ったおばさんというのは、実はキリストその人だと。

 

スマートに自分語りを織り込む人も、隙自もすべて、太ったおばさんでありキリストです。自分語りをする人をすべてシャットアウトするのではなく、ある程度は大目に見なくては。

太ったおばさんのために、生活を整え、周囲を少しでも気持ちよくさせる言葉をかけたいと願いながら毎日歩き続けるのが理想です。

 

アストロガの司教館。十字架にかけられたイエスより、こうした素朴なキリスト者の像が好みです。

人の老害見て我が老害直せ

旅先でウォーキングツアーに参加しました。

所要時間は1時間ほどで、ガイド1名に参会者4名、料金も1500円程度です。

ガイドさんは70代の男性。元気なものです。開始まで時間があったので、つい「こちらのご出身ですか?」と聞いてしまいました。

定年後の移住だそうです。学生時代から旅が好きで、奄美大島から始まり沖縄諸島、さらにはアジア各地を「地球の歩き方」を片手にバックパッカーとして放浪してきたとのこと。そういうタイプが高齢期に突入しているわけです。

 

基本的にツアーは有意義なものでした。単に1人でぶらぶらするのとは違い、歴史や地形、各種エピソードを教えてもらいながら現地を歩くのはブラタモリのよう。

 

しかし、ツアーが進むにつれて漂ってくる老害臭。

現地の話をしているのに、いつのまにかインドの話に。大型店舗の跡が格安ゲストハウスになっていると「インドでは、ホテルなんて泊まらずドミトリーばかり泊まったものだ」、地図の話になると「リキシャの値段交渉の前にも地図を見てだいたいの距離を頭に入れておく。現地の人と同じ値段とはいかないが法外な金額をふっかけられたら交渉できる」といった具合。

そして、入り口を開放して長い布で覆い、看板もメニューも出していない狭い食べ物屋の前で「こういう店は風情があって、とてもいい」と絶賛するので「何がおいしいんですか?」と聞いてみました。「いや、この布がインドの柄だから」

 

こういう点をあげつらう私は相当性格が悪いのですが、同じタイプだからこそ、鼻に着くのです。いわゆる近親憎悪。人の老害見て我が老害直せ。他の参加者は微笑ましいエピソードだと聞き流しているでしょうし、そもそもガイドさんに自分語りのきっかけを与えてしまったのは私です。

 

インドでの旅自慢を聞くうちに、将来の介護施設の情景が浮かび上がってきました。「あのおばあさん、何を話しかけてもスペイン巡礼の話ばかり」「今は一人で歩くのもおぼつかないのにねえ」と職員を苦笑させているのです。

 

コミュニケーション下手の一つが、話題をすぐに自分語りに変えてしまうタイプ。たとえば「ハワイを旅行してきた」と話す相手に対し、普通の人は「どうだった?」と返すのに、「私がハワイに行った時は」とか「私は飛行機が苦手だからハワイには行かない」と自分の話に持って行ってしまうので、敬遠されるのです。

 

若い人は高齢者の話なんて聞きたくないでしょうから、望まれない限り自分語りは控えるのがいいでしょう。ブログだったら、書きたいことを書いて読むか読まないかは人の自由に任せられますから、語る代わりにこうして書き続けています。

 

スペイン巡礼フランス人の道の出発地、サンジャンピエドポー。この地出身で、日本を第二の祖国として愛さ多カンドウ神父の生家です。今は酒屋さんになっていました。

執着と忘れ物

これ以上の物は必要ないと思いつつ、好みの品や便利そうなグッズが目に入るとつい買いたくなります。それでいて、脳の老化のせいか、忘れ物が多くなっています。

 

先日は旅先でトレッキングポールをなくしかけました。

海沿いの道を歩こうと考えてトレッキングポールを持参しました。スペイン巡礼で使ったものです。駅で宿の迎えのバスに乗り、部屋に落ち着いて荷ほどき。そのとき、トレッキングポールがないことに気が付きました。

電車を降りるときは持っていたはず。だとしたら、駅のトイレ? 壁に立てかけて、そのまま忘れたのかも。どうしてバックパックに取り付けておかなかったのか! 荷物が複数になると忘れるから一つにまとめるのが鉄則だというのに。

 

翌日、駅まで歩いて行き、駅員さんに尋ねましたが、トレッキングポールの届けはないとのこと。誰かが持って行ったのでしょうか? 

 

ところが帰りのバスに乗り込んで前と同じ席に座ると、座席と横に差し込んであるトレッキングポールを発見! 忘れたのはバスの中だったのです。黒っぽい色で目立たず座席と一体化していたので誰も気が付かなかったのでしょう。

 

そもそも、ふつうのウォーキングではトレッキングポールは必要ないのです。スペインでは毎日20キロ近く歩いていたので、足腰への負担を軽減するために役立ちました。ほとんどの巡礼者が使っていましたが、日本の散歩道で使ったら足の調子が悪い高齢者にしか見えないでしょう。

巡礼が終わったら現地で手放そうと思っていたのですが、毎日一緒に歩いた相棒のような存在になり、とても置いていく気になれず日本まで持ち帰りました。それほど執着のあるトレッキングポールなのに、うっかり忘れてしまう。所有する物は必要最低限でいいのだと改めて感じました。

 

スペイン巡礼「フランス人の道」の最高地点、イラゴ峠にある鉄の十字架。かつては旅の安全を祈願する祭祀の場所であり、現在では自宅から持参した石を置いていく巡礼者もいます。お土産を買うのではなく、持ってきた物を置くという発想が新鮮でした。これからの人生では新たに迎え入れる物より手放す物のほうがずっと多いだろうから。

クラクションと犬笛、猫の家

沖縄では自動車のクラクションをあまり鳴らさないそうです。狭い島国なので前を走る車の運転手が知り合いの知り合いである可能性が高いから。那覇の飲み屋さんで「本当に鳴らさないのですか?」と質問するとなぜか大笑いされました。内地の人間にしてきされるまであまり意識していないほど自然なことなのかもしれません。

 

いかにもゆったりした南国らしいエピソードですが、物事にはいい面と悪い面があります。

内地から来た経営者が、見込みのあるアルバイトをリーダーに抜擢して時給も上げようとしたところ、辞退されたという話を読みました。沖縄の職場や学校では、抜きん出た存在になることを嫌い、みんな平等で和気あいあいと過ごすのが好まれるのです。仲がいいのはいいことですが、こうした風土ではイノベーションは生まれにくいと経営者は嘆いていました。

 

かといって競争にあおりたてられるブラックな職場では精神を病む人も出るだろうし、過度の実力主義の元では格差は広がる一方です。

 

最近の日本の選挙はおかしなことになってきて、当選を目指さず立候補して他候補を応援する2馬力選挙という手法が問題になっています。選挙運動中に落としたい候補の陣営を誹謗中傷し、自殺に追い込まれた人も。特定の周波数で犬にだけ聞こえる音を出して犬を動かす犬笛のように、自分の支持者にだけわかるメッセージを発して煽動。クラクションを鳴らさない社会の対極にあるような現象です。

 

那覇のホテルの入り口には、スーツケースを利用した猫の寝床が。

スタッフに聞くと、那覇でみ冬は寒い日があり猫がお客さんと一緒に自動ドアからホテルの中に入ってきてしまうことがよくあったそうです。そこで、カイロを入れて暖かくした寝床を用意し、そこで過ごすように躾けているのです。この日いたのは、たぬきという名の猫。もう1匹、チビという子猫がいるそうですが、なかなかのやり手で別宅に寝床をもう一つ持っているため、会うことができませんでした。

家族経営の民宿というわけでもなく、そこそこの大きさの新しいホテルです。経営者も猫好きだから許されているのでしょうが、いかにも沖縄らしい大らかさです。

冬の寒さやスギ花粉だけでなく、世知辛い世の中から逃げ出したくなったら沖縄に行けばいい。来年は暮らすように過ごす長期滞在を目指したいものです。

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