スティーブ・ジョブズ氏の伝記をくまなく読んだ事が無く、不勉強ですいませんが、この人はアラブ系のアメリカ人だったんですってね。お父さんがシリアからの移民だったそうです。
そのお父さんが実は健在なんだそうですが、マスコミ各社の取材を皆断っているんですって。newamericamedia.orgが報じています(2011年10月5日付け)。
そのお父さんが実は健在なんだそうですが、マスコミ各社の取材を皆断っているんですって。newamericamedia.orgが報じています(2011年10月5日付け)。
死して明らかになるって所なんでしょうか。お父さんはアブドゥル・ファタハ・ジャンダイルという方で、シリア生まれのイスラム教徒。ウィスコンシンに在住だそうです。息子のジョブズ氏とは一度も会う事が無かったのだとか。
ジョブズ氏が生まれた時、ジャンダイル氏は23歳(ちなみに、現在はジョンという名前で通っているのだそうです)。同い年のドイツ系のガールフレンド、ジョアンナ・シーベルさんとの間に生まれたのがジョブズ氏でした。1955年の事です。実の親として、子育てが出来なかったと記事にはあります。
ジョアンナさんは白人の保守的なキリスト教徒の家庭に生まれました。ご家族はアラブ系のイスラム教徒との結婚を認めなかったとジャンダイル氏は話しています。2011年8月、ニューヨーク・ポストのインタビューに対し、ジャンダイル氏はジョアンナさんのお父さんを「暴君」("a tyrant")と呼んでいたそうです。実際、ジャンダイル氏によると同氏や彼女の両親に知らせる事無く、ジョアンナさんはウィスコンシンから自由の気風があるサンフランシスコに出向いて子を産み、そのまま養子縁組をしたのだそうです。
当時のジャンダイル氏は無名のアラブ系アメリカ人で、その子供として生まれたジョブズ氏はアルメニア系アメリカ人の家庭に養子として引き取られました。それがクララ・ハゴーピアン氏とポール・ジョブズ氏夫婦でした。当時お2人は結婚生活7年だったそうですが、子宝に恵まれなかったのだとか。そこに引き取られたのが、後のスティーブ氏でした。
ちなみに、ジョブズ氏の正式な名前はスティーブ・パウル・ジョブズというのだそうです。そのジョブズ氏は実のお父さんを知る事なく育ちました。どうも、ジョブズ氏自身はそうした事に興味が無かった節があるそうです。2011年8月、ロンドンのタブロイド紙であるザ・サンがジャンダイル氏を取材した際、同氏はジョブズ氏にこう言ったそうです。「手遅れになる前に、彼が私に会ってくれるという望みを抱いて生きている。ただ1度だけ、息子と1杯のコーヒーを飲めさえすれば、私は大変な果報者になるだろう」(“I live in hope that before it is too late he will reach out to me. Even to have just one coffee with him just once would make me a very happy man.”)。
すんません、この下りを訳してて、ちょっと泣けました。不意に伊良部さんの事を思い出しました。あの人がヤンキース入りを熱望したのは「自分の実の父親はアメリカの軍人だった。一目会いたい。自分がアメリカ1の球団であるヤンキースに入ったら名乗り出てくれるかもしれない」と言ってたそうですね。
しかし、スティーブ氏は返事をしませんでした。それから2ヶ月も経たない内に、この世を去りました。
ジャンダイル氏は、自分から息子さんと接触しなかったのは「シリア人としての誇り」("Syrian pride")によるものだったとしています。2011年9月、ネバダのレノで出しているレノ・ガゼッテという新聞のインタビューで、現在80歳となった同氏(今、この街に住んでいるようです)は、今なお隠居生活を送ることなく、カジノの副会長を務めていると話しています。「私の中のシリア人としてのプライドにかけて、私が財産を目当てにしていると決して思って欲しくない。そうではないのだ。私はそれなりの金を持っている。持っていないのは息子なんだ…それが悲しいんだ」("The Syrian pride in me does not want him ever to think I am after his fortune. I am not. I have my own money. What I don’t have is my son...and that saddens me.")。
ゴメン、マジで泣けてきた。
なお、ジャンダイル氏は生粋のシリア人ではないそうです。2011年2月にアル・ハイヤット紙とのインタビューで、自分はフランスの植民地だったシリアのホムスという街で1931年に生まれたと話しています。お父さんは「叩き上げで億万長者」("self-made millionaire")になった人物だったそうですが、大学教育は受けておらず、「幾つかの村を実質的に」("several entire villages")支配し、昔風の母親というか、主婦との間に生まれたのが同氏でした。ちなみに、子供は5人いましたが、男の子は同氏だけだったそうです。
ジャンダイル氏は18歳の時にシリアを後にします。ベイルートのアメリカン大学で学ぶ為でした。大学時代の同氏は「汎アラブ主義者」("a pan-Arab activist")であり、「アラブの独立と統一を支持する人」("supporter of Arab unity and Arab independence")でもあり、かつ当時最も有名な活動家の1人だったそうです。卒業後はアメリカに移住しましたが、故郷を離れた事を悔やんでいるそうです。
父と息子の疎遠は、現実の積み重ねで、更なる悲劇を生む。お互いを知っているだけでなく、父子の生物的な繋がりを共有しているからだとnewamericamedia.orgは続けていきます。
ジャンダイル氏とシーベルさんは、最終的には結婚します。お子さん(ジョブズ氏)を養子に出した10ヶ月後の事でした。ジョアンナさんのお父さんが亡くなって程なくの実現だったそうです。そしてお2人にはお子さんが生まれました。娘さんだそうです。モナ・ジャンダイルというお名前なのだとか。ちなみに、今はシンプソンというお名前になったのだとか。お仕事は作家なんですって。モナさんの言葉を借りれば、お兄さんが長じて確立した関係先に「非常に近い」("very close")との事です。
なお、ジャンダイル氏は、息子さんが密かにサンフランシスコで生まれ、スティーブ・ジョブズ氏として世界的に知られている事を、つい数年前まで知らなかったそうです。もっとも、スティーブ氏の方ではモナ氏を通じて何十年も前から知っていたに違いないと話しているとの事です。
8月に行われたニューヨーク・ポスト紙とのインタビューで、ジャンダイル氏はジョアンナさんがサンフランシスコで秘密裏に出産を計画していた事を知らなかったと答えています。後でそれを知った時、とても悲しい思いをしたのだとか。「正直な所、スティーブの方で私の子供だと気づいているかどうか、今の所は知らない。もしそうなら、何が何でも秘密にしておくべきだったんだろうなって思う」("I honestly do not know to this day if Steve is aware of the fact that had it been my choice, I would have loved to have kept him,")。
ちなみに、ジョブズ氏が11月に公式自叙伝を出すというのも知らなかったのだそうです。その代わりというか、ジョブズ氏の訃報に接した同氏は、今後如何なる息子さんへのインタビューも拒み、どうしたら良かったのだろうと思う事にしていると話しているそうです。
そうする事で、彼は孤独でなくなるだろう。
記事はそう結ばれています。
訳し終わって、やっぱり泣けてきました。血は争えないって言いますが、正にその通りですね。尖ったというか、攻撃的な姿勢は血筋と複雑な出生によるものだったんだ。何故そこまで実の父親に会わなかったのか(ウィキペディアによると、ジョアンナさんとは30歳を過ぎた時に会ってるようですね)。
それにしても思ってしまいます。もし、ジョアンナさんのお父さんが、もっと早く亡くなっていたら? お2人の結婚は認められ、ジョブズ氏はウィスコンシンで育ったのでしょうね。カリフォルニアの突き抜けたカルチャーに先例を受ける事もなく、ヒューレット・パッカード(ちなみに、同社の日本法人さんはブログの常連読者さんです)のビル・ヒューレット氏に電話する事もなかったんでしょう。勿論、後のアップルに繋がるような展開にもならなかったんでしょう。
こうして見ると、人生って何なんだろうなと思ってしまう。同時に、社会的には大成功を収めたものの、私生活ではどうだったんだろうなとも思ってしまいます。邪推かなこれって。
という訳で、これをば。
あ、皮肉とかそういう風に取られてしまったのなら謝ります。いや、ただ単に、人生って何なんやろな~と、この話を訳してて思ったんですわ。すんませんです。
※新聞メディア・ビジネスが今後どうなっていくか、海外の事例を交えながら講演したく思ってます。往復交通費プラス日当2万円から。ご興味のある方はこちらまで御連絡下さい。
★追記(2011年10月7日午前6時14分)。誤訳していた箇所を訂正しました。I honestly do not know to this day if Steve is aware of the fact that had it been my choice, I would have loved to have kept him,の下りです。この場合、choiceは我が子という意味ですね。
ジョブズ氏が生まれた時、ジャンダイル氏は23歳(ちなみに、現在はジョンという名前で通っているのだそうです)。同い年のドイツ系のガールフレンド、ジョアンナ・シーベルさんとの間に生まれたのがジョブズ氏でした。1955年の事です。実の親として、子育てが出来なかったと記事にはあります。
ジョアンナさんは白人の保守的なキリスト教徒の家庭に生まれました。ご家族はアラブ系のイスラム教徒との結婚を認めなかったとジャンダイル氏は話しています。2011年8月、ニューヨーク・ポストのインタビューに対し、ジャンダイル氏はジョアンナさんのお父さんを「暴君」("a tyrant")と呼んでいたそうです。実際、ジャンダイル氏によると同氏や彼女の両親に知らせる事無く、ジョアンナさんはウィスコンシンから自由の気風があるサンフランシスコに出向いて子を産み、そのまま養子縁組をしたのだそうです。
当時のジャンダイル氏は無名のアラブ系アメリカ人で、その子供として生まれたジョブズ氏はアルメニア系アメリカ人の家庭に養子として引き取られました。それがクララ・ハゴーピアン氏とポール・ジョブズ氏夫婦でした。当時お2人は結婚生活7年だったそうですが、子宝に恵まれなかったのだとか。そこに引き取られたのが、後のスティーブ氏でした。
ちなみに、ジョブズ氏の正式な名前はスティーブ・パウル・ジョブズというのだそうです。そのジョブズ氏は実のお父さんを知る事なく育ちました。どうも、ジョブズ氏自身はそうした事に興味が無かった節があるそうです。2011年8月、ロンドンのタブロイド紙であるザ・サンがジャンダイル氏を取材した際、同氏はジョブズ氏にこう言ったそうです。「手遅れになる前に、彼が私に会ってくれるという望みを抱いて生きている。ただ1度だけ、息子と1杯のコーヒーを飲めさえすれば、私は大変な果報者になるだろう」(“I live in hope that before it is too late he will reach out to me. Even to have just one coffee with him just once would make me a very happy man.”)。
すんません、この下りを訳してて、ちょっと泣けました。不意に伊良部さんの事を思い出しました。あの人がヤンキース入りを熱望したのは「自分の実の父親はアメリカの軍人だった。一目会いたい。自分がアメリカ1の球団であるヤンキースに入ったら名乗り出てくれるかもしれない」と言ってたそうですね。
しかし、スティーブ氏は返事をしませんでした。それから2ヶ月も経たない内に、この世を去りました。
ジャンダイル氏は、自分から息子さんと接触しなかったのは「シリア人としての誇り」("Syrian pride")によるものだったとしています。2011年9月、ネバダのレノで出しているレノ・ガゼッテという新聞のインタビューで、現在80歳となった同氏(今、この街に住んでいるようです)は、今なお隠居生活を送ることなく、カジノの副会長を務めていると話しています。「私の中のシリア人としてのプライドにかけて、私が財産を目当てにしていると決して思って欲しくない。そうではないのだ。私はそれなりの金を持っている。持っていないのは息子なんだ…それが悲しいんだ」("The Syrian pride in me does not want him ever to think I am after his fortune. I am not. I have my own money. What I don’t have is my son...and that saddens me.")。
ゴメン、マジで泣けてきた。
なお、ジャンダイル氏は生粋のシリア人ではないそうです。2011年2月にアル・ハイヤット紙とのインタビューで、自分はフランスの植民地だったシリアのホムスという街で1931年に生まれたと話しています。お父さんは「叩き上げで億万長者」("self-made millionaire")になった人物だったそうですが、大学教育は受けておらず、「幾つかの村を実質的に」("several entire villages")支配し、昔風の母親というか、主婦との間に生まれたのが同氏でした。ちなみに、子供は5人いましたが、男の子は同氏だけだったそうです。
ジャンダイル氏は18歳の時にシリアを後にします。ベイルートのアメリカン大学で学ぶ為でした。大学時代の同氏は「汎アラブ主義者」("a pan-Arab activist")であり、「アラブの独立と統一を支持する人」("supporter of Arab unity and Arab independence")でもあり、かつ当時最も有名な活動家の1人だったそうです。卒業後はアメリカに移住しましたが、故郷を離れた事を悔やんでいるそうです。
「もし自分が当時に戻れるとしたら、決してシリアやレバノンを離れる事はなかったろう。私は祖国に留まるべきだった。激情からそう言うのではなく、常識としてそう言いたいのだ」("If I had the chance to go back in time, I wouldn’t leave Syria or Lebanon at all. I would stay in my home country my whole life. I don’t say that out of emotion but out of common sense,” )とアル・ハヤット紙に話しています。「勿論、私はシリアでの社会的な生活と素晴らしい料理を享受できない事に寂しさを感じている。しかし最も大事なのは、西洋で皆さんが決して見つける事のない傑出した文化的特性だ」(“Of course I miss the social life and wonderful food [in Syria], but the most important thing is the outstanding cultural attributes which in general you don’t find in the West,”)と同氏。「教義や文化としてのイスラムを信じて」(“believe[s] in Islam in doctrine and culture.” )いながら、イスラム教徒としての実践を行なえていないと嘆いています。
彼の郷愁はさておくとして、世界の大多数はジャンダイル氏に同意できないだろうとnewamericamedia.org。確かなのは、アップル・コンピューターをスティーブ・ジョブズ氏が作れたのはアメリカならではの事だと続けています。父と息子の疎遠は、現実の積み重ねで、更なる悲劇を生む。お互いを知っているだけでなく、父子の生物的な繋がりを共有しているからだとnewamericamedia.orgは続けていきます。
ジャンダイル氏とシーベルさんは、最終的には結婚します。お子さん(ジョブズ氏)を養子に出した10ヶ月後の事でした。ジョアンナさんのお父さんが亡くなって程なくの実現だったそうです。そしてお2人にはお子さんが生まれました。娘さんだそうです。モナ・ジャンダイルというお名前なのだとか。ちなみに、今はシンプソンというお名前になったのだとか。お仕事は作家なんですって。モナさんの言葉を借りれば、お兄さんが長じて確立した関係先に「非常に近い」("very close")との事です。
なお、ジャンダイル氏は、息子さんが密かにサンフランシスコで生まれ、スティーブ・ジョブズ氏として世界的に知られている事を、つい数年前まで知らなかったそうです。もっとも、スティーブ氏の方ではモナ氏を通じて何十年も前から知っていたに違いないと話しているとの事です。
8月に行われたニューヨーク・ポスト紙とのインタビューで、ジャンダイル氏はジョアンナさんがサンフランシスコで秘密裏に出産を計画していた事を知らなかったと答えています。後でそれを知った時、とても悲しい思いをしたのだとか。「正直な所、スティーブの方で私の子供だと気づいているかどうか、今の所は知らない。もしそうなら、何が何でも秘密にしておくべきだったんだろうなって思う」("I honestly do not know to this day if Steve is aware of the fact that had it been my choice, I would have loved to have kept him,")。
ちなみに、ジョブズ氏が11月に公式自叙伝を出すというのも知らなかったのだそうです。その代わりというか、ジョブズ氏の訃報に接した同氏は、今後如何なる息子さんへのインタビューも拒み、どうしたら良かったのだろうと思う事にしていると話しているそうです。
そうする事で、彼は孤独でなくなるだろう。
記事はそう結ばれています。
訳し終わって、やっぱり泣けてきました。血は争えないって言いますが、正にその通りですね。尖ったというか、攻撃的な姿勢は血筋と複雑な出生によるものだったんだ。何故そこまで実の父親に会わなかったのか(ウィキペディアによると、ジョアンナさんとは30歳を過ぎた時に会ってるようですね)。
それにしても思ってしまいます。もし、ジョアンナさんのお父さんが、もっと早く亡くなっていたら? お2人の結婚は認められ、ジョブズ氏はウィスコンシンで育ったのでしょうね。カリフォルニアの突き抜けたカルチャーに先例を受ける事もなく、ヒューレット・パッカード(ちなみに、同社の日本法人さんはブログの常連読者さんです)のビル・ヒューレット氏に電話する事もなかったんでしょう。勿論、後のアップルに繋がるような展開にもならなかったんでしょう。
こうして見ると、人生って何なんだろうなと思ってしまう。同時に、社会的には大成功を収めたものの、私生活ではどうだったんだろうなとも思ってしまいます。邪推かなこれって。
という訳で、これをば。
あ、皮肉とかそういう風に取られてしまったのなら謝ります。いや、ただ単に、人生って何なんやろな~と、この話を訳してて思ったんですわ。すんませんです。
※新聞メディア・ビジネスが今後どうなっていくか、海外の事例を交えながら講演したく思ってます。往復交通費プラス日当2万円から。ご興味のある方はこちらまで御連絡下さい。
★追記(2011年10月7日午前6時14分)。誤訳していた箇所を訂正しました。I honestly do not know to this day if Steve is aware of the fact that had it been my choice, I would have loved to have kept him,の下りです。この場合、choiceは我が子という意味ですね。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。