<<<はじめに>>>
今回は、下記ブログ記事について考えてみたこと。
残念ながら感想を書こうと思っている間に、
蔵太さん自身の判断で削除されてしまった。
感想は途中まで書いたり、
書けなかった思いも過剰書きメモ程度に
下書きで残して置いたものがあるので、
せっかくなので清書して公開しようと思う。
なんか、存在しないブログ記事に対しての感想文というのも
シュールで良いかな、と思うので。
蔵太さんの文章を読めなかった人は、
逆に感想文から元記事が
どんなものだったか想像してみて下さい。
文章も途中から変えるのもめんどくさいので
全部、 元記事の内容が存在している設定で書きます。
<<<堅苦しくない表現への評価>>>
僕はこういう文章が書きたかった!と思った。
僕はどちらかというと上杉支持派なのだが、
この批判の仕方は絶賛せざるをえない。
まず、文体がチュートリアル形式なのが 面白い。
議論とはいえ、全て論文形式だと
その形式自体に読み飽きてしまうので、
こういう新しい表現方法の模索は
「模索した」というだけで良い評価を受けるべき。
余談ですが、同じ価値観で、
僕は下記のまとめも高い評価をしています。
<<<単純化による論点整理>>>
次に内容について。
この蔵太さんのブログ記事は複雑な現状を
登場人物の種類とその行為をしぼることで
単純化して理解しやすくしてくれています。
ブログ記事での登場人物は下記の3種類。
A.ネットジャーナリストを釣りたい人
B.釣られるネットジャーナリスト
C.それを拡散するフォロワーの多い人
皆さんにぜひやって欲しいのは、
上記の3種類の登場人物を悪い順に並べる事。
僕の主観ではA>B>Cで左の方が悪い。
皆さんはどうだろうか。
Aが故意でなかった場合はどうだろう。
つまり、Aさんが
「私の妹の友人の話です。検査の結果○○ということでしたが、
私には絶対放射能のせいにしか思えません」
と本気で思った事をジャーナリストに送ったとしたら。
この場合僕の主観ではB>C>Aで左の方が悪い。
皆さんはどうだろうか。
このように登場人物を3種類に単純化する事で
議論を先に進めやすくなる。
この試みも高く評価されるべきだろう。
蔵太さんに対する批判は
下記の3種類にしぼられるだろう。
1.書いてある事が実際と大幅に違う(事実判断への批判)
2.実際と同じだが登場人物は悪くない(価値判断への批判)
3.事実判断も価値判断も正しいが、
実際に実行される危険性があるので
公開するべきではない(公開リスク判断への批判)
先ほどのABCの並び替えに加えて、
この3パターンの批判のどちらが妥当か、
あるいはどちらも妥当でなく蔵太さんが正しいか、
という考察も重要だと思う。
僕は事実判断面でも価値判断面でも
蔵太さんは正しいと思う。
3番目についてはあまり興味がない、というか、
もし実際に実行されたら、
蔵太さんより実行者が悪い事は確実だから
気にしなくていいと思う。
皆さんはどうだろうか。
みんなが好き勝手いうよりも、
このように単純化して、どの選択肢が一番いいのか
話し合った方が議論しやすい。
そういう論点整理の面でも
蔵太さんのブログ記事は高く評価されるべきだろう。
<<<まじめにやらないのが上杉イズム>>>
Aさんが故意でなかったらAさんに悪意はない。
Bさんも伝聞を伝聞として拡散しているので悪意はない。
CさんもBさんと同様で悪意はない。
誰にも悪意がないのに、
結果的に悪い事が起きてしまうのがデマ拡散の怖いところ。
善意の情報拡散なのに結果的に悪い事が起こることは
インターネットが普及する前から実際に起こっている。
興味あれば下記リンクを参照して下さい。
「まじめにやってる人を批判するな」
というコメント書き込みがあったけれど、
まじめにやっていてもそのせいで悪い事が
起きる可能性がある以上、
「それをそんな風にまじめにやるな!」
という批判は許されるべきだろう。
記者クラブメディアは
まじめにやっているからこそ、
「記者会見は記者クラブメディアだけでやった方が
日本国民のためにいいのだ」
という信念をもとに報道をしている。
それを上杉さんをはじめとする自由報道協会は
「そこをそんな風にまじめにやるな!」と
批判しているのだ。
記者クラブメディアと自由報道協会の対決は
基本的に善意と善意の対決だと思う。
もちろん、官房機密費問題などの
例外的な悪意もあるだろうけど、
おおかた「どちらの善意の方が本当に国民のためになるのか」
という対立であると思った方が
現状に近いのではないかと思う。
上杉さんは「記者会見を開放して様々な報道がなされた方が、
国民の情報の選択肢が増えていい」
という事をよく言っている。
つまり、記者クラブメディアと自由報道協会メディアが
分けへだてなく同じ条件で報道できた方がいいという事。
そういう理想の記者会見ができた時には、
上杉報道より記者クラブメディアの方が
正確で妥当な報道ができる可能性だってある。
その時は上杉報道を捨てて
記者クラブメディア報道を信じたっていい。
その自由は上杉さんは禁じていない。
禁じたとしたら、それは理想の記者会見ではなくなり、
上杉イズムに反している。
理想は、イシュー(議題)ごとに
記者クラブメディアと自由報道協会の
どちらが妥当な報道をしているかを決めれられること。
「東電責任論は自由報道協会の方が優れているけど、
TPPは記者クラブの方が正確だよね」みたいな。
自由報道協会の賛成派・反対派は
イシューごとに別々に判断されるべき。
僕は記者会見運営方式は
記者クラブ方式より自由報道協会方式の方が良いと思う。
だけど、自由報道協会所属の上杉さん、岩上さんを
批判している蔵太さんのブログ記事を高く評価している。
「記者会見運営方式」と「ツイッターの使い方」は別のイシューだと思っているからだ。
記者会見運営方式は記者クラブの方がイケてないが、
ツイッターの使い方は上杉・岩上の方がイケてない。
記者会見方式とツイッターの使い方は
別々に評価されるべき事だ。
一人の価値判断が
一方は記者クラブ派、もう一方は自由報道協会派と
互い違いになる事に矛盾はない。
ここを明確にしておかないと
すぐ「記者クラブ派」だの「自由報道協会派」だの
レッテルを貼られそうなので明確に書いておきます。
<<<まとめ>>>
最後に箇条書きで感想をまとめておきます。
なお、全てはあくまで個人の主観による価値判断なので、
裏付けるソースなどは特にありません。
「これが確実な答えだ!」などとは全然思ってなく、
あくまでこういう考え方をしている人がここにいますよ、と言いたいだけです。
正しいかどうか、役に立つ考え方かどうかの判断は
読者のみなさんにお任せします。
・蔵太さんのブログ記事はチュートリアル文体の試みと
単純化による論点整理の試みが優れている。
・ 蔵太さんのブログ記事は事実判断も価値判断も正しいと思われる。
・記者クラブと自由報道協会の対立は基本的には善意と善意の対決
・ 記者クラブの「まじめ観」を否定するのが上杉イズムなので
「まじめにやってる人を批判するな」という批判は上杉イズムに反している
・ツイッターの使い方と記者会見方式は別のイシューだから別々に価値判断されるべき
ツイッターの使い方は上杉、岩上の方が悪く、記者会見方式は記者クラブの方が悪い
白泉社の細田均だろ
情報を消したがる奴とは
関わらない方がいいんじゃないかな