小保方晴子さんのSTAP論文騒動については、世間では彼女の擁護派と批判派が拮抗しているようである。Yahoo意識調査(4月19日現在)によると、約半分の人が彼女の会見について「納得できなかった」、3割が「納得した」、残りが「内容がわからない」あるいは「見ていない」という結果である。週刊誌には、「小保方晴子というリトマス紙」などという見出しも出ていたが、言い得て妙で、彼女に対する考え方は、その人が「他の人をどのように見るか」を極めてよく反映している。小保方さん個人への感想はさておき、今回の小保方騒動は、我が国の高等教育、研究制度などの問題点を見るのに極めてよい鏡であるように思える。これは私のブログの最初の記事であるが、今回は彼女を通して見えてくる我が国の「高等教育の問題点」について論じてみたい。
ウィキペデイアによると、小保方さんは1983年の生まれであり、公立中学・私立高校を卒業後、2002年にAO入試の一種である「創成入試」で早稲田大学理工学部応用化学科に入学している。AO入試とは、学力試験にとらわれずに面接や小論文等で試験の合否を決定する入試方法である(米国で行われているAO入試とはかなり異なる)。この入試の導入は、文科省の諮問機関である中央教育審議会の1991年の答申「新しい時代に対応する教育改革」の中で述べられた「できるだけヴァラエティに富んだ個性や才能を発掘、選抜するため、点数絶対主義にとらわれない多元的な評価方法の開発」に端を発している。小保方さんは、早稲田大学理工学部「創成入試」の第一期生であった。
小保方さんは、卒業研究では常田聡教授の研究室に所属し、学部時代は微生物の研究を行っていたらしい。大学院に入学すると所属はそのままで、東京女子医大先端生命医科学研究所の研修生となり、同大の大和雅之教授の下、東京女子医大と早稲田大学の連携生命医科学研究教育施設(TWins)において再生医療の研究を開始している。TWinsは、早稲田大学と東京女子医大が文科省のハイテクリサーチセンター整備事業(私学助成)の一貫として2008年3月に設置された施設であり、その建築のために2007年には早稲田に17.2億円、女子医には10.5億円が補助されている(施設建築の場合は総経費の2/3、研究機器費は1/2が補助される)。余談であるが、この年の他大学のハイテクリサーチセンターに対する補助において、両大学の次にくるのはおそらく東洋大学の6千万円であり、両大学への補助金が図抜けているのがわかるだろう。そのせいもあってか、文科省はHPにおいて大学間連携の成功例として大々的に宣伝している(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/05/08060201/1334336.htm)。
2008年に博士課程に進学する時に、小保方さんは日本学術振興会特別研究員DC1(Doctor course 1年のこと)に採用される。研究員に採用されると研究奨励金(給与)と研究費が支給される。現在の額では、奨励金は毎月20万円、研究費は毎年150万円以内であり、これが博士修了時まで支給される。ちなみに研究費の150万円以内という額は、大学の多くの教授、准教授、講師が得ている研究費(基盤研究C)とほぼ同じ額である(我が国のこの異常な研究費配分制度については、別の記事で論考したい)。
博士1年の夏には、STAP論文の共同責任著者であるハーバード大学医学部Brigham and Women's Hospitalのバカンティ教授の下に留学し、そこで博士2年の冬までを過ごす。この留学は、早稲田大学グローバルCOE(Center of excellence)プログラム「「実践的化学知」教育研究拠点」に基づいており、そのプログラムのHPのニュース欄で彼女は留学の感想を述べている。
「グローバルCOE」は、「我が国の大学院の教育研究機能を一層充実・強化し、国際的に卓越した研究基盤の下で世界をリードする創造的な人材育成を図るため、国際的に卓越した教育研究拠点の形成を重点的に支援し、もって、国際競争力のある大学づくりを推進することを目的」とした文科省の事業であり、基本的には平成14年度から開始された「21世紀COEプログラム」を引き継いでいる。このCOEプログラムの目的は、大学を「研究主体大学」と「教育主体大学」に分け、研究を主体とする大学に研究費を集中的に配分することを文科省が意図したものであると考えられる。このプログラムは形としては公募されたが、採択された大学研究科は、いわゆる旧帝大、東工大、一橋大などの中央の国公立大学がほとんどであり、私学では慶応、早稲田クラスであった。最初からどこが採択されるのかは誰でもだいたい予想はできたのだが(予想に反して不採択だった研究科がないわけではないが)、文科省としてはあくまでも「審査して選別した」、つまり「競争の結果」ということにしたかったのだろう。
小保方さんは、常田教授の下で2011年に博士号を取得し、その後は理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターゲノムリプログラミング研究チーム(若山研究室)研究員を経て、2013年に細胞リプログラミング研究ユニットリーダーに抜擢され、翌年(つまり今年)、今回の騒動の原因となる論文をNatureに発表することになる。
上の説明からわかるように、小保方さんは文科省が目指してきた理想の大学・大学院で教育を受けてきたのである。小保方さんは、文科省・中教審が押し進めたAO入試という「点数絶対主義でなく、多様な個性を尊重する入試」で大学に入学し、大学院では文科省が力を入れている「産学協同」、「大学間連携」の実践の場であるTWinsで学び、「グローバルCOE」プログラムの下、これも文科省が今後さらに推奨しようとしている「外国留学の経験」を積んできたわけである。その理想の教育を受けた小保方さんが、なぜ理研の野依理事長から「未熟な研究者」と酷評され、「教育しなおす」とまで言われたのか?そして、世間に擁護派が多く存在するのとは異なり、ほとんどの学者から「科学者として失格」の烙印を押されているのか?その答えは、「仏作って魂入れず」ということではないだろうか。
1990年以降、文科省は大学にさまざまな改革を求めてきた。「一部の大学の大学院重点化」(大学組織を学部(教育中心)から、大学院(研究中心)へと移すこと)による博士院生の増加、1996年からの5年間で博士号取得者を研究員(ポストドクター)として雇用する数を一万人にする、いわゆる「ポスドク一万人計画」、大学教授が権力をふるって若い研究者の芽を積んでしまうということを防ぐために、複数の教員で構成される講座制を廃止して、「緩い」教員間のつながりに基づく「大講座制」の導入、教育・研究に責任をもたせ、独自性を発揮させるための「国立大学の法人化」。
これらの改革を押し進めるために、文科省は「改革すれば補助金を増額、しなければ減額」というアメとムチの政策を行ってきた。その結果、多くの大学は「面従腹背」し、形だけ整えて、実際の中身はあまり詰まっていない計画を作文し、補助金増あるいは減額の抑制を目指したのである。文科省からの情報を少しでも早く手に入れるために、多くの法人化大学は文科省の役人を理事として迎え入れた。2007年、文科省の事務次官であった結城章夫氏が学長として山形大学に迎えられたのはその代表例であろう。研究者の中で目先の効く者は、補助金が配分される方に研究をシフトさせた(見せかけだけの場合が多いような気がするが)。一方、学生の教育と研究の両立を真剣に考えていた教員は選択を迫られ、おそらく多くの人が研究を取ったものと思われる。両立を考えていた教員は、研究費獲得競争の中で破れ、「研究できない(研究費の取れない)教員」となっていったのだろう。 また少子化の中、生き残りのために大学は学生に人気のある学部・学科を設置するか、あるいはお手軽に名称の変更を行った。小保方氏の博士論文の指導教授であった常田氏の所属は、当初は理工学部応用化学科であったが、2007年に先進理工学部生命医科学科となったのは、学部再編の結果である。
講座制の解体は、確かに若い教員に自由度を与えた面はあるが、教育という面からはマイナスの方が多かったとように私には思える。講座制においては、教授と講師・助教で役割分担をすることが可能であった。教授が学生に厳しければ、部下の教員は学生に優しく接することでバランスを取っていた(勿論、その逆に、「部下が厳しく、教授が優しい」という場合も多々あった)。セミナーにおいて、発表学生が勝手に他の人の論文から図を借用すれば、「引用元を明示しなさい」と指示し、学生が適切とは思えない論文結果の解釈を述べれば、「それは著者が述べているのですか、発表者である君の意見ですか」と問い(時には問い詰め)、実験ノートの記載が悪ければ、「人に見せると思って書きなさい」と注意した(ほとんどの場合は「お叱り」)。注意され、叱られながも、時には教員に励まされ、また教員といっしょに教授の悪口を言うことで仲間意識を共有し、学生は少しずつ学び、成長していく。そして時には、最初の頃は単に怖い教授だと思っていたが、指導学生の将来のこともよく考えてくれており、結果としては、怒られたことが研究者として一人前になるために役立っていることを自覚することもあった(多くの場合は、博士号を取得して外国に留学してから、その有り難みがわかるのだが)。
しかしながら、研究室に教員が一人の場合は役割分担をすることが不可能であり、学生を注意(叱咤)しなければ研究成果は出なくなり、叱咤が過ぎればトラブルを起こす可能性は高まる。講座制が解体された当初、しばしば若手教員と学生の間にトラブルが生じたという記事が新聞に出ていたが、最近はあまり聞かないので状況は変わったのかと思っていたら、先日ある新聞記者の人から「あまりに多すぎて、記事としての価値がないから報道されないだけです」という話を聞いた。
私立大学の理工系学部の場合は、以前から研究室には「教授あるいは准教授が一人」という状況が多く、早稲田大学もその例外ではない。常田研究室のHPを見ると、博士号を取得している助手が一人いるようであるが、他は研究員である。小保方さんも含めて、当該研究室の博士学生の学位論文にコピペが多かったのは、何よりも教員が十分指導していなかったことの証左であろう。現在、早稲田大学大学院理工学術院は、過去の博士号取得者280名全員の博士論文を調べているとのことであり、何らかの処分が行われる可能性が高いと思われる(処分がなければ、大学の信用は地に落ちてしまうことだろう)。もしそうなった場合、学生だけでなく指導教員にも責任を負わせるべきだと私は思う(例えば、博士学位授与の資格を数年間停止する等)。
小保方さんに同情的な人の多くは、「理研が小保方さんのみを切って済まそうとしている」ことに憤りを感じている。指導する側の人間が、より大きな責任を担っていることが示さなければ、この国の教育も研究も、そして国としての組織も成り立たなくなってしまうだろう。
文科省には、「文科省の理想とする教育組織で学んだ小保方さんが、なぜ研究者としての基本すら修得していなかったのか」ということを、ぜひ真剣に考えていただきたい。その反省の下、政策に舵を切り、教員を「改革疲れ」から解放し、大学が「学問と教育の場」となりえるような政策の実行をお願いしたい。
コメント
コメント一覧 (11)
いろいろ問題があるというのは共感できますし、「教員を「改革疲れ」から解放し、大学が「学問と教育の場」となりえるような政策の実行をお願いしたい」ということに異論はないのです。しかし、「文科省には、「文科省の理想とする教育組織で学んだ小保方さんが、なぜ研究者としての基本すら修得していなかったのか」ということを、ぜひ真剣に考えていただきたい。」とするのに大きな違和感があります。
結局、この手の莫迦げた事象をゼロにするのは何をどうやっても不可能ではないでしょうか?共産主義的に、全体主義的に(?といっていいのかすらよくわかりませんが)ロボットを作るような教育をするのでない限り不可能では無いかと思います(ロボットを作るような教育ですら、ゼロにはならないとおもいますが)。まずその前提にたってものを言わないと結局は良くないことになりそうな気がします。
分子生物学関連で山のように出る『研究不正』にうんざりしていますが、それでもこの手の莫迦は分布の裾野にしかいないだろうと、99%以上の研究者はキチンと研究しているのだろうと、思います。(私は固体物性の専門で分子生物学はよくわかりません。ただ、あの学問分野のあいまいなところを「うさんくさく」見ているタイプの研究者です。)その上で1%以下の莫迦をどうするか?という問題にしないと、精神論だけで話しが進むか、くだらない形式だけが増えるという悪循環に陥ることになると思います。
理系の女性がマイノリティであるが為に、色眼鏡を使って彼女を報じたメディアにも問題はあるんだと思いますよ。理系女子の垢抜けないイメージを取っ払うにしては、割烹着や、ピンクの実験室はやり過ぎです。不自然さすら感じてしまいます。
2ヶ月も前の産経新聞のみの記事を、今日になって釣られるリテラシーの低さを見直したほうがよい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11122077961
ただ、科学的な話題に日本人のすべてがついて行けるわけはない。3番みたいにマスコミに振り回される人が大半だろう。研究の訓練を受けていない人が大半なのだから。
2月頭あたりの大和先生は自分が育てたようなことを言っておられましたし、
実験技術の指導もされたようです。
大和研究室の宣伝の紙がネットで出回っていましたが、出身者として
小保方さんがコメントをだしていました。
一方、飽くまで指導教官は常田先生。
どこまで責任を持つか明快じゃなかったのかもしれない。
博士論文も、
常田先生は「大和先生が見てるから」と思い、
大和先生は「主査は常田先生だから」と思ってチェックが甘くなったのかも。
おまけにここにVacanti氏が入る。船頭多くしてなんとやら、だったのかな、
と推測します。
>出来上がった作品が素晴らしければ、どんな作り方をしようとかまわないと思うのですけどね。
それはそうですが、作品がダメダメの可能性が濃厚なので、問題なわけです。
画像2点のことしかあまり報道されないから、印象がずれてしまうのかもしれないけれど。
実は論文の全体にもっと問題があって、科学的内容として微妙なわけです。
この「STAP」細胞たち、実は死んでるんじゃないの、
多能性があったにしてもリプログラミングの証拠ないだろ、とか。
問題が指摘されている画像もほかにもたくさん。
D論も、イントロのコピペは問題の一部で、データーの改竄疑惑などなど。
多分、理解できなかった記者さん達が、わかりやすい「形」の部分だけで報道
を組み立てたのでこうなったんでしょう。
あなたのおっしゃることには同意しかねます。
3番の方は、ご自身もおっしゃる通り、『文系(美術系)』の立場から私見を述べられております。
その根拠として、産経のニュースを示していますね。
>2ヶ月も前の産経新聞のみの記事を、今日になって釣られるリテラシーの低さを見直したほうがよい。
5/1現在、ネット上にまだ掲載されているニュースを引用するのは、リテラシーが低いのでしょうか?
では、いつならいいのでしょう?1か月前?1週間前?
それとも4番さんがレスされた、2時間以内だったらいいのですか?
そもそも、この記事自体が4/19のものですが、それにコメントするのはOK?
ぜひともご教示願いたいところです。
>3番みたいにマスコミに振り回される人が大半だろう。
3番さんは
『まぁ、理研とマスコミがもう少ししっかりした対応をしていればこんな大きな騒動にはならなかったとは思いますけれど。』
と、おっしゃっている通り、マスコミは騒ぎすぎだという意見をお持ちです。
研究機関の在り方とマスコミ報道というものに対する意見として、私も同意します。正しい意見だと思います。
この方のどこが『振り回される人』なのか、見当がつきません。
リテラシーの高い方の考えは、一般人には高尚すぎるだけでしょうか???
あなたの論述は傍から見ていてとても浅慮に感じます。
悪く言えばド低能です。
記事と関係ないコメント、大変失礼しました。
横レス、失礼いたします。事実関係だけ指摘させていただきます。
◎3.の「言わせてもらえば」さんは
> 今日、「論文発表後初めて再現実験に成功」というニュースがありました
と書かれていますので、2カ月前の記事を5/1付けの記事として認識していらっしゃいます。これは責められても仕方ないような気がします。
◎4/9に小保方氏が会見し、実験に200回成功している、別に成功した人がいる、と発言しました。ですが、部分的な実験成功というだけで、STAP細胞の存在証明にはなっていませんでした。4/16の笹井氏の会見でも「小保方氏の成功=STAP細胞が存在する」とは見なされていません。5/1の時点で2カ月前の「小保方氏実験成功」の記事を真実として引用するには無理があると思います。
2カ月前の記事を5/1付けの記事として認識していらっしゃいます。
という私の記述は
2カ月前の記事を4/30付けの記事として認識していらっしゃいます。
の間違いでした。文章チェックが不十分で申し訳ありません...m(_ _)m。
ご指摘ありがとうございます。
> ◎3.の「言わせてもらえば」さんは
> > 今日、「論文発表後初めて再現実験に成功」というニュースがありました
おっしゃられるとおり、確かに日付の誤認をされているようですね。
時系列として、このニュースの後に笹井氏の会見がありましたね。
このニュース記事の「成功」とは、最新の情報と照らし合わせると、実は『STAP細胞の作成成功までは至っていない』と考えるのが妥当でしょうか。
事実関係を整理してのご指摘は、非常にありがたいです。
私自身、小保方さんに非常に好意的な意見を持っているため、同じく好意的な意見に対して頭ごなしのレッテル張りにむかっ腹が立った次第です。
まだまだ私もリテラシーが低く、幼稚でしたね。
猛省します。m(_ _)m
ご自身が間違いを犯さないよう、お気をつけて。