
現在の私の介護チーム編成。
主治医、訪問医、看護師、ヘルパー、理学療法士、言語療法士、栄養士、福祉用具取扱店、市役所職員、保健師、各種相談員、、、
総勢2~30人に支えていただいております。本当にありがたいことです。
しかし私は40歳になっておらず、介護保険が使えないこともあり、困っている事があります。あくまで助けていただいている人の問題ではなく、福祉サービスの考え方、制度設計の問題です。大きく2つあります。
①福祉サービスは障害者本人に対するもののみとする
つまり、ヘルパーさんは私のご飯は作れても、介護に疲れた家族のご飯は作れないのです。家族へのサービスはいわゆる「ショートステイ」という、本人を施設に預けている間に休んでもらう方法のみです。同じ場所で休むことは出来ないのです。
私は、現在は何をするにも全介助です。ヘルパーさん含め助けてもらってますが、精神的なもの含め、家族の負担が消えることはありません。
私より家族を助けてあげてと思うことがしばしばあります。
きっと家族は、本人以上にしんどい。それを見る本人も辛いです。
②福祉サービスの適用範囲に経済活動は含まれない
つまり、私が仕事している時間は福祉サービスは使えません。しかし残念ながら、今の自分には仕事する上でアシスタントが不可欠です。つまり自分の報酬より先に、アシスタントの報酬を確保しないと、仕事出来ない構造になっています。なかなかのハードルです。
おとなしく家にいれば、最低限守ってもらえますが、私のように仕事したいというワガママに対しては、制度が追いついてないのです。
しかし、一億総活躍社会を実現するならば、色々考える必要があると思います。障害を持っていても、社会に貢献したいと思う方はいらっしゃるし、仕事をして稼ぐということが自信になると思います。
病気にならなければ、知ることもなかった福祉サービスの世界。
もちろん大部分助かっていますし、なければ生活は成り立ちません。
単に文句を言うのではなく、どうすれば良くなるか。健常者と障害者両方の立場を知るものとして、これからも考えていきます。
恩田聖敬
コメント
コメント一覧 (4)
働きたいと思うことは、決してワガママではないと私は思うのですが…なにかしようとした途端、支給が止まったりなくなったり、制度が意欲を削ぐ要因になるのは改善した方がいいですよね。
国の制度というのは最小限、限定的で、(予算上やむ無しな部分はあるにせよ)悲しいかな周りで支えている方々のことはあまり考えられていませんね…残念なことです。
多分、制度を作ったかたは、もし自分の周りで起こったら?ということを考えていないのでは?と私は思います…
制度でカバーできない部分を自費で行う事は不可能でしょうか?
ヘルパーの派遣については、制約があります。
ただヘルパー派遣事業所によっては、何時から何時が居宅サービスの介護。何時5分から何時5分が自費負担とすれば、自費の時間帯は公官庁は文句は言えません。その間にヘルパーさんに助けてもらって、ご家族の事や、お仕事などのサポートをして貰えば良いんじゃないでしょうか?
家族の負担が本人の負担でもあること(負のスパイラルがあるということ)を理解いただきたいですね。
私も障害者にならなければ「役所の言うことがもっともだ」と思っていた事でしょう。
どうしたら現状を変えられるのか?少し考えてみよう。
それと効果的に伝えられるようスピーカースキルを磨かなければ。
それで初めて知ったのですが、日々の掃除や食事の支度は公的資金で援助して貰えても、衣替えや大掃除は制度上できないのだそうですね。
自費負担について言及されておられる方がいらっしゃいますが、私の地方ですと一時間当たり3000円が標準額となるようです。
衣替え程度ならちょっと食費を削って、ともなりましょうが、頻繁に家族や仕事のサポートをと考えるとちょっと厳しいお値段。一時間当たり3000円ぶん余計に稼がなくてはならないわけですから……。
私は障害の種類が最近認知されたものだったため、長らく「本人の努力不足」とか「育児の失敗」と捉えられてきました。生まれつきのものなのですが、診断を受けたのは成人して何年も経ってからです。
障害とわかっても、いえ、わかったからこそなおさら、「稼げないので死ぬまで親族が面倒を見る」みたいな発想からなかなか離れられない家族がいます。(一応介護職なんですが)
でも、食べていくこともそうですが、仕事をしてお金をいただくというのは、社会から評価をいただくということなんですよね。しばらく学業や訓練をおやすみしたことがありますが、私にはそれも向いていなかったようで、緩慢に精神が息絶えていくような感覚がありました。
これまで社会や家族の一員として立派に働いてこられた恩田さんでしたらなおさらでしょうね。
ブログなどでの発信活動、頭が下がります。
社会に参加することがワガママと取られない、どんな人間でもお互いに思いやって貢献し合うのが普通の世の中にしていきたいですね。
家族もまた、社会の最小単位ですし。