きょうです。
昨日の記事の続きです。大阪のバスケ部の不幸な事件について。
なぜ熱血恫喝指導がはびこるのか。いま大人たちがすべきこととは。その1。
人間は集団性の中で生きていかねばならない。凝集化し、密閉化された集団の中では、おかしなこともいつしか当たり前のこととしてまかりとおり、だれも疑問を呈せないまま時がいたずらにすぎゆくことはままあります。今回の暴力のように。
昨日の記事の続きです。大阪のバスケ部の不幸な事件について。
なぜ熱血恫喝指導がはびこるのか。いま大人たちがすべきこととは。その1。
人間は集団性の中で生きていかねばならない。凝集化し、密閉化された集団の中では、おかしなこともいつしか当たり前のこととしてまかりとおり、だれも疑問を呈せないまま時がいたずらにすぎゆくことはままあります。今回の暴力のように。
思春期部活動の熱血恫喝暴力指導がまかりとおってしまうのは、「期限」があるからです。卒業という。
人間は、期限があれば結構耐えれてしまう生き物です。
期限は、辛いことを耐えるという意味ではある意味良薬でもあるのですが、一方劇薬でもあります。
おとなになって思春期時代をいつしか振り返ったときに、「あの時はそうとう無茶していたよなあ」「よく我慢してたよなあ」てことありませんか。
閉鎖的集団で、期限があれば、それは「その集団においてはそのルールは当然のことで、疑問を呈する自分の方がおかしい」となってしまうのです。「○○集団の常識、世間の非常識」にもかかわらず、非常識のメッキがはがれるまえに若者たちは卒業し、おとなになっていくのです。
さて、いま大人たちがすべきこととは何でしょうか。
おかしな常識を、見直し、子どもたちのお手本となることです。
スポーツ界全体が、熱血恫喝暴力指導をやめ、いじめ対策に取り組まねばなりません。
いじめって線引きが難しいです。当人同士は悪ふざけでも、じつは「いじめている」「いじめられている」構図が成り立つことはままあります。
例えばどうしても出したい例としては、プロ野球界でのある師弟コンビです。
あえてチーム名も選手名も出しません。
その師弟コンビの師匠の方は、大選手で今年惜しまれながら引退しました。
弟子の選手をいじり、関西のスポーツ新聞でもオフになると連日「新井いじり」が報じられるのが日課です。
はっきり言って、見ていて全然面白くも無いし、僕は気分が悪くなります。
若者たちの規範となるべきプロスポーツ選手がやることではありません。
これは、「○○いじり」じゃなく「○○いびり」「○○いじめ」と言ってもよいものです。
僕はその師弟コンビがいる猛獣系チームも、師弟コンビのことも、大好きです。
というかファンクラブのプラチナ会員です。トラキチです。
そのアニキ分である師匠選手のストイックな姿勢を、自分も見習いたいと思って尊敬すらしています。
ですから、このような「いじり」行動が本当に悲しいのです。
まあでもまだこの師弟コンビは可愛いものです。
実際に、暴力がまかり通る指導者が、この猛獣系チームにはいました。
猛獣系チームの前に、東海系チームの監督をしていた方ですが、東海系チームの監督時、この人の「熱血」に名を借りた「鉄拳指導」はすさまじいものであったと聞きます。
ドラフト一位で入団した捕手に対しての鉄拳指導は特に有名でした。
その捕手は成長してレギュラーもとったので、鉄拳指導がなぜか美談として取り上げられることも多いのですが、これっておかしなことです。
鉄拳に頼らない指導で育て上げてこそ、立派な指導者として評価されるべきではないでしょうか。
僕はこの熱血監督のことも好きですが、ただ一点この鉄拳指導だけは許せません。
常識が通じないバカな奴らには暴力は必要なのだ、という論調を聞くことはよくあります、悲しいことに。
人間は動物とは違います。
調教ではないのです。
人間の尊厳を認めるなら、暴力もいじめもいびりもいじりも、できるはずがないでしょう。
子どもたちは、大人たちのことを本当に良くみています。そして真似をします。
いじめは子ども世界のことだけでなく、大人の世界にも存在します、残念ながら。
僕たち大人が、子どもに真似をされて恥ずかしくない行動を続けるしかありません。
本日はこの辺で、ではまた!
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人間は、期限があれば結構耐えれてしまう生き物です。
期限は、辛いことを耐えるという意味ではある意味良薬でもあるのですが、一方劇薬でもあります。
おとなになって思春期時代をいつしか振り返ったときに、「あの時はそうとう無茶していたよなあ」「よく我慢してたよなあ」てことありませんか。
閉鎖的集団で、期限があれば、それは「その集団においてはそのルールは当然のことで、疑問を呈する自分の方がおかしい」となってしまうのです。「○○集団の常識、世間の非常識」にもかかわらず、非常識のメッキがはがれるまえに若者たちは卒業し、おとなになっていくのです。
さて、いま大人たちがすべきこととは何でしょうか。
おかしな常識を、見直し、子どもたちのお手本となることです。
スポーツ界全体が、熱血恫喝暴力指導をやめ、いじめ対策に取り組まねばなりません。
いじめって線引きが難しいです。当人同士は悪ふざけでも、じつは「いじめている」「いじめられている」構図が成り立つことはままあります。
例えばどうしても出したい例としては、プロ野球界でのある師弟コンビです。
あえてチーム名も選手名も出しません。
その師弟コンビの師匠の方は、大選手で今年惜しまれながら引退しました。
弟子の選手をいじり、関西のスポーツ新聞でもオフになると連日「新井いじり」が報じられるのが日課です。
はっきり言って、見ていて全然面白くも無いし、僕は気分が悪くなります。
若者たちの規範となるべきプロスポーツ選手がやることではありません。
これは、「○○いじり」じゃなく「○○いびり」「○○いじめ」と言ってもよいものです。
僕はその師弟コンビがいる猛獣系チームも、師弟コンビのことも、大好きです。
というかファンクラブのプラチナ会員です。トラキチです。
そのアニキ分である師匠選手のストイックな姿勢を、自分も見習いたいと思って尊敬すらしています。
ですから、このような「いじり」行動が本当に悲しいのです。
まあでもまだこの師弟コンビは可愛いものです。
実際に、暴力がまかり通る指導者が、この猛獣系チームにはいました。
猛獣系チームの前に、東海系チームの監督をしていた方ですが、東海系チームの監督時、この人の「熱血」に名を借りた「鉄拳指導」はすさまじいものであったと聞きます。
ドラフト一位で入団した捕手に対しての鉄拳指導は特に有名でした。
その捕手は成長してレギュラーもとったので、鉄拳指導がなぜか美談として取り上げられることも多いのですが、これっておかしなことです。
鉄拳に頼らない指導で育て上げてこそ、立派な指導者として評価されるべきではないでしょうか。
僕はこの熱血監督のことも好きですが、ただ一点この鉄拳指導だけは許せません。
常識が通じないバカな奴らには暴力は必要なのだ、という論調を聞くことはよくあります、悲しいことに。
人間は動物とは違います。
調教ではないのです。
人間の尊厳を認めるなら、暴力もいじめもいびりもいじりも、できるはずがないでしょう。
子どもたちは、大人たちのことを本当に良くみています。そして真似をします。
いじめは子ども世界のことだけでなく、大人の世界にも存在します、残念ながら。
僕たち大人が、子どもに真似をされて恥ずかしくない行動を続けるしかありません。
本日はこの辺で、ではまた!

