このツイートについてです。当該ツイートは過激化するライトノベルの表紙の「暴力性」について言及しており、どこまでが書店の平積みに適する表紙なのかという議論はあるとしてもその指摘は至極真っ当なものというほかないでしょう。シュナムル@chounamoul
きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景。自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる気持ち悪さは想像できるし、それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほ… https://t.co/pjlEEdKFpj
2018/09/08 22:48:47
しかしいつもの表現の自由戦士たちは、その指摘へまともに反論するどころか正確に解釈することすらままならない有様を見せつけています。
とりわけ、今回問題視したいのは、作家として活動する人間の少なくない数が同様の、低レベルと言わざるを得ない反応を示していることです。芦辺 拓@ashibetaku
ライトノベルの表紙に豊満な美少女が描いてあることへの非難の次の次の次ぐらいには、「本屋に行ったらミステリのコーナーが『殺人事件』だらけで怒りがこみあげたor胸が苦しくなった」という現象が報告されると予言いたし候。まあ、今は以前ほどタイトルが『殺人事件』づくしではないけれど。
2018/09/11 01:10:15
本件は快不快の問題ではないのだが
本ブログを定期的に読んでくれている方にとってはもう幾度とない繰り返しになるでしょうが、今回の問題は快不快の問題ではありません。当該ツイートも指摘しているように、あの表紙が「女性を性的に消費する」ものだからこそ問題になっているのです。
ここではあえて女性に限らない話として書きますが、ある属性の持つ(あるいは持つを考えられる)特徴を過剰に強調し、それを商業的な文脈で利用することは、その属性に該当する人々を人としてではなく、その特徴から得られる利益を提供するだけのものとして扱うと同時に、その特徴から外れる人々に価値を認めないということでもあります。そしてそれを大々的に展開することは、社会がそれを是認しているというメッセージを発することです。
例えば、今回の問題であれば、過度に性的な意味づけをもって強調された表現は、女性をその人格ではなく男性の性欲を慰撫するものとしてしか認識せず、かつ本来女性は男性を慰撫するために存在するわけでもないのに、そうならない女性に価値がないと宣言するものです。そしてそれを書店へ平積みすることは、そのようなものの見方に社会の少なくない人々(主に男性でしょう)が同意している、そのようなものの見方でまさに自分たちを見ていることの証明にほかなりません。自分が人格ではなく物体として認識されていることをここまで明け透けに宣誓されれば、誰だって脅威を覚えるでしょう。
ほかの属性で例えるならば、障碍者が困難に立ち向かういわゆる「感動ポルノ」ばかりが書店に並ぶさまを思い浮かべてみましょう。このような場合、障碍者は単に障碍があるだけの個人ではなく、マジョリティに「感動」とやらを届けてくれるコンテンツとしての価値しか認められていません。そしてそうならない障碍者、つまり何らかの困難に立ち向かって人を感動させられない障碍者には価値が見出されないということになります。
重要なのは、女性の性的な価値にしても、障碍者が立ち向かう困難にしても、それを規定するのは当事者ではなくマジョリティ、たいていの場合は健常者男性であるということです。当事者が「私のこの体に価値があるんだ」とか「私のこの挑戦には価値があるんだ」と認識している場合は単なる自発的な行動にすぎませんが、その規定が他者の手に委ねられると、それは利用や消費の色を帯びます。
かつ、その利用方法の如何によっては、例えば女性を性的に利用するという場合においては、それは単なる利用や消費ではなく、その属性に対する攻撃の意味合いを持つようになるのです。女性を「性的に利用」するとすれば、それは当人の意思に関係なく性的な行為を大なり小なり行うこと、あるいはそれを想起・予感させることをすることであり、それは攻撃に他ならないでしょう。
なぜ快不快の問題になってしまうのか
ところで、なぜこのように問題の重要なポイントをはっきりと明示的に言及してもなお、快不快の問題であるかのように解釈されてしまうのでしょうか。表現の自由戦士たちの、認識の幅の狭さが主因ですが、ほかにも理由があります。
それは、大半の場合、問題として俎上にのっている攻撃的で搾取的な表現は、不快でしかありえないからです。攻撃や搾取なのにその当事者にとって不快ではないということはないでしょう。そして多くの場合、人はその表現がなんで不快なのか表現することが簡単ではありません。あるいはできたとしても手間がかかるでしょう。
それゆえ、まず表現に対する印象、反応として当該ツイートのような気持ち悪いとは、不快といった表現になりがちなのです。しかし言葉としてそういっているからといって、問題の中心がそのような快不快にあるわけではないことを上述の通りです。
もちろん、どこまでの表現が適切か、そもそもこれらの表現に関して攻撃や搾取といった見方を肯定するかは賛否両論あるでしょう。しかし現状、これらの表現を擁護しようとする人たちは、この論点を正確に把握することすらままならず的外れな反応に終始しています。このような現状で、批判を招くほどきわどい表現を野放図にばらまき続ければ本当の規制も遠くはないでしょう。
コメント
コメント一覧 (48)
まぁ性的な表現も殺人事件と書かれたタイトルもどっちも規制されればいいんじゃないですかね
別にこの社会は拝金主義者の金儲けのために存在しているわけではないし
だいたいそれを言うならいわゆる露出狂は何故警察の世話にならなければいけないんですかね?
それは露出が多数派にとって不快なものだからでは?
不快だからといって法規制をするなというのならまず露出狂が捕まらない世の中にしないといけませんね
まぁ、露出狂は金にならないし
特に誰もそんなことは言わないと思いますが
いつも思いますがこういう場合に問われているのは表現の自由についてではなくて金儲けの手段の自由についてですよね
性的表現がしたいだけならネッ
トでも同人誌でも好きなだけできるわけですからね
つまりこの者たちは実質、俺たちには未成年と思わしき女のハダカを使って好きに金儲けをする権利があるとそう主張しているだけなのですね
まぁ、それでも場所を選んでやるなら文句は言いませんがね
とにかく、この者達の言う表現の自由というのは結局のところ、単なるルール破りの金儲けの大義名分に表現の自由という畑違いの権利を持ちだしているだけに過ぎません
それだけです
はてブでこのブログのタイトルが目に入ってくるのが不快だから辞めろ
みたいな言説が溢れるレベルになるでしょうね
気持ち悪いと言ってればそれで周りのものを排除できるのって怖い
ラノベが女性を性的に消費しても、アンアンとかが男性タレントの裸を載せて男性を性的に消費しても、障害者の感動ポルノみたいな本がベストセラーで店頭に山積みされて健常者が障害者を障害性的に消費しても。
あとマジョリティ云々は関係ないよね。誰であろうと〇的な消費がダメなら全部だめでしょ。少数派に対する消費だけが許されない理由はないよ。
快不快の話でないと言っている側から快不快の話にすり替えているわけですよ。本文をお読みにならずに脊髄反射していらっしゃるんでしょうね。
言葉が通じないなら実力行使(この場合は規制)しか残らないんですが、それこそが望みなんでしょうね。
「どうせ自分な殴られるしかないのだから、なるべく大勢が殴られるようにしたい」これが日本男性の基本的な考え方。
表現の自由戦士も実のところ表現の規制に反対していない。なぜなら大勢の人間が苦しむであろうから。
とにかく大勢が苦しめばいい。同じ日本人であっても、同じオタク仲間であっても。
というのはだれが判断してるのでしょうか?
あのキャラクターは「胸が大きい」という身体的特徴を有している、というだけでは?
これは「背が高い、低い」とか、そういうものと同じ話です。
「胸が大きい」というキャラクターが表紙を飾る場合、胸を大きく描くのは当然でしょう。それが「性的」だとするなら、「何」が悪いのでしょうか。
そもそも「胸の大きいキャラクター」という設定が悪いのでしょうか。
現実で、胸の大きな女性が自分の写真を撮ったり(あるいは撮ってもらったり)、絵を描いた(描いてもらった)。
では、その写真や絵は「女性を性的に消費する」もの、でしょうか。
仮にその写真や絵が「女性を性的に消費する」もの、と判断された場合、「何」が悪いのでしょうか。
「胸の大きい女性」の存在が悪いのでしょうか?
「女性を性的に消費する」とは、誰が判断するのか、教えてください。
>>3が言ってるのは快不快の話じゃなくね?
何か人の属性が商業の対象として消費されることがいけないのなら
今回の議論のように女性性の消費が悪い、という議論自体が一方的だという話で。
感動ポルノもホモも美しい男性アイドルもみな一様に商業的消費をされている中で
確かにラノベは無駄に市民権を得て平積まれているところで目立つでしょうけど
その対象や作家が悪だ、じゃないでしょうと。
となると、つまりは世の中の資本主義的システムの中で
もはや人の性質を取り上げた製品で金を取るものは全てアングラでなければ許されない
という結論にしかならないわけで。
逆に何かを許すならすべてを許さないといけないので、そうであれば>>3のように
全ての消費はいいじゃん!ってなるしかないでしょう。
おおもとのツイートも娘さんが「何が」「どう」気持ち悪いのか、明確にしていませんし。
それに、
>当事者が「私のこの体に価値があるんだ」とか「私のこの挑戦には価値があるんだ」と認識している場合は単なる自発的な行動にすぎませんが、その規定が他者の手に委ねられると、それは利用や消費の色を帯びます。
と言っているのに、自撮りやグラビアといった主体的なアピールを例に使うのはズレているように思います。すべての性的行為や「セクシーな媒体」を否定しているわけではないかと。
当事者以外の人間が、本人の意志に関係なく、性的な価値があるかどうかでその人の価値を決めてよい…
そういう風潮を助長することが問題だと述べているのだと思いましたが。
人間がそのように設計された動物である以上、男性に「女性の空想的消費」をやめさせるのは困難でしょう。教育によって変えてゆける可能性はありますが、おそらく時間がかかる。従って、本記事の言及している状況を早急に解消する方法は、適切なゾーニングを行うことでしょう。現状でも、露骨な性描写のある書籍が書店に平積みされることはないですし、そのことについては社会的な合意が成立しています。裏を返せば、そうした既存のゾーニングがあるがゆえに、ライトノベル等の性描写は先鋭化したとも考えられるわけで、ここには一つのイタチごっこがあります。
ところで、書店からそうした書籍が消え去り、そうしたコンテンツがインターネットの片隅で消費されるようになれば、筆者は満足するのでしょうか。
この理屈ならスポーツ雑誌もNG。月刊ボディビルなんてもってのほかということになる。とうてい社会に受け入れられない考え。
めんどくさいなー。
なんでこうありとあらゆるものに対してとげとげできるのか不思議だわ。
こういうものなのね、でいいじゃんww
それを性的だーなんだーって
真面目かっ!
巨乳女子は世の中にいくらでも実在します。差別はやめてください。
そもそも表現側は性的なものとして利用してないという時点で話がおかしいよ規制派さん。
相手の特徴をプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは個々人の判断に委ねられているので、それを性的と判断してるのは規制派が性的なものと認定するからです。
これはどうみても本屋の判断に対する客としての快不快の問題でしかない。
本そのものに対する批判は含まれていないのに表紙が問題とかお門違いもいいところ。
解釈が気持ち悪い。女性は人格がなく意志薄弱なので我々が守らなけば「価値が損なわれてしまう」と考えてなければ、こんな思考にはならない。イスラム圏に行けば?
↑
シュナムル氏はこの一文の意味が分かってないのだろうな
写真集、雑誌、マンガとか他にも類似のものはあるわけで。
しかも内容が必ずしもそういった性的なことを意識させるわけでもないからそういう意味では上に列挙したものの方が場合によっては問題だと思うのになぜ偏った見方をしてラノベ単体をメインで叩くのかがまず疑問。
偏見持ってるような人が差別だの何だの語るのはおかしいと思うが。
あとね、そもそも本屋にも18禁スペースとかあるんだし、ラノベのコーナーなんて基本すみの方なんだから行かなきゃよくないか?18禁スペースわざわざ言って文句言うのと同じじゃない?
みんな好みはそれぞれなんだし。
ここに論理の飛躍がある
「これには価値がある」と宣言したとして「これ以外のものは価値がない」という意味にはならない
頭が悪い
>その属性に該当する人々を人としてではなく、その特徴から得られる利益を提供するだけのものとして扱うと同時に
>その特徴から外れる人々に価値を認めないということでもあります。
前提となっているこの一文ですが、典型的な認知のゆがみであると思います
・花より男子のヒーローは、美形で高収入の御曹司。だからこの作品は、美形ではなく金持ちでもない男性には価値がないと言っている
・ボディビルの大会は、筋肉のたくましさと美しさを競っている。だから筋肉のない人間には、価値がないと言っている
・ブラックジャック最大の特徴と言えば、誰もが認める天才外科医であるということ。だからブラックジャックという作品は、天才ではない外科医に価値がないと言っている
・スポーツ漫画は、スポーツをしていない人間には価値がないと言っている。
どう考えてもそうはならないと言いますか、真顔で主張すればするほど意味のわからない案件ですね・・・
そのような見方をするのは流石に自意識過剰であるか,ないしはそもそも現実と空想の区別がついていないせいだと思う.
少なくとも需要があるからそのような書籍が置いてあるのであって,しかもそれを女性が一切消費しないというわけでもなかろう.
とあるが、この主張をするために見出しなどで自らこの主張に反してる行動を取ってる。
貴方の主張に対する反論自体、ひとつの主張であり、誇張せずに対峙するべきだが、形容詞を付与しながら反論に対峙してる。
論点は面白いが、その論点を自ら破棄するのは頂けない(俗に言うダブスタ)
対象は何であれ、何かを見て不快に思うかどうか、欲情するかどうかは受け手の自由であり、別に受け取り方自体に侵害性があるわけではありません。
もちろんその気持ちを表に出した時点で、書き手にもなる点には注意が必要ですが、他者の属性に対して「気持ち悪い」と言うのと、自分の属性の描かれ方に対して「気持ち悪い」というのとでは、意味が全く異なります。
だから下着屋やボディビルや巨乳女子の実在を持ち出しても意味はないわけです。下着屋はまず当事者=実際に下着を買い、身につける女性に向けた店作りをしていますし、ボディビルや巨乳女子も、それだけでは単に当事者がいるだけです。彼ら、彼女らが当事者として表現されることを望み、撮影されているのであれば(そしてそこに搾取構造が存在しなければ)、巨乳だろうがヌードだろうが侵害性はありませんが、同意なくして(搾取構造の中で)撮影をしているのであればそれは単なる盗撮であり、当然そこには侵害性が存在します。
ラノベ表紙のようなフィクションの場合でも、実在する概念や集団をモチーフにした表現をする以上、他者への侵害が発生する可能性があるわけで、「描かれる当事者の同意」というエクスキューズが(でき)ない分、構造的に侵害性がより先鋭化するのは、実際の表現物が証明しています。
女に都合よく去勢されて、取り柄のない設定のヒロインに一途にさせられて、壁ドンとかしちゃう。
物語上は優しさに惹かれる?
それ異世界ハーレムものでも同じだから。
こういうのがオーケーだとするなら、それは受け手の心象に依存するんじゃねぇの?と思うんだよ。
アリエナイほど都合良く描かれた男は、描き手が弱者たる女性で、苦痛を訴える男が居ないからオーケーで。
アリエナイほど都合良く描かれた女は、描き手が強者たる男性で、苦痛を訴える女が居るからNG。
描き手の侵害性とか耳触りの良い切断処理してんじゃねぇと思うんだよな。
男性誌で女性タレントが水着になってると、性搾取
AKB48は、性搾取
女性誌で男性タレントが半裸でも無問題
ジャニタレも、無問題
物語都合で、男が人形になるのはリアルな恋愛wで、女が人形になると性搾取という時、【他者】を描く際の侵害性なんて関係ないんだよ。
全部受け手の気持ちの問題だよ。
それを感じないならそもそもラノベ表紙や男性誌のグラビアとは「他者の描かれ方(侵害性の有無、内容)」が違うということで、両者を並列し相対化することに意味はありません。
ここでハァ??となった
強調することがなぜ外れる人々に価値を認めないことになるのか
キャラの許諾なく勝手に水着にされたワンピースのナミと、勝手にビキニアーマーにさせられた幻夢戦記レダの朝霧 陽子と、件の境界線上のホライゾンの賢姉と、3枚の絵を並べて受け取り方が違うのだとしたら
そりゃ、文脈から勝手に作った受け手の偏見による補正でしょ
名誉リア充アニメのワンピースはOKとか
女性のいのまた絵はOKとか
エロいと話題になったラノベはNGとか
全部一緒、問題だと言うなら、もう最近のラノベがエロくなったとかそういう話じゃない
どれもこれも危険がアブナイ可能性があるから、年齢関係なく男性コーナーを設けたほうがいい
女性週刊誌の方が過激な見出しを作ってる
結局自分が不快だから理屈を頑張りましたって感じにしか見えない
結局叩きやすいから、自分が不快だからって意図が透けて見える
多分この子供は巨乳ディスってるだけだろうけど
仮に3人に同じ格好と同じ表情をさせて本の表紙に載せれば、同じような受け取り方をされる(侵害性を感じる)と思いますよ。
でも実際には作品(書き手)によって書き方が異なるのですから、受け取り方が違うのは当たり前だとしか。
結局、個別の書き手の表現に対する責任と侵害性に対する批判から逃げるために、ただの下着から凌辱描写まで「全部一緒」くたに「エロ」にしようとしているのは明らかに「表現の自由戦士」の方でしょう。
実在する人物より創作物のほうが主体性がないぶん悪影響という話ですか?
視野狭窄に陥っている過激派フェミニストの人々は認めようとしませんが、件の表紙くらいの胸の女性は現実にいくらでも実在します。フィクションのキャラクターを勝手に性的に眼差して、ただ胸が大きいだけで不適切だと公から排除しようとしないでください。同じ特徴を持つ女性への差別や抑圧に繋がることを強く危惧します。
つまり、表情とか格好とかから「受け取る」、受けての感想が全てですよね。
ジェンダーロールを押し付けられて、性的なイコンにすらなってるナミもオーケーなんだから
でも一方で、人工知能学会誌の表紙のように、ケーブルでつないで掃除させただけで、女性差別だ描くなと言われる。
あなたは「そう思わない」という感想を持つかもしれないが、違うという感想を持つなら、誰の感想を「基準感想」にしましょうか?
その人の気分を害したらNG、その人が差別と感じたら差別という、基準器です
すべての表象を、その人に見てもらって、検閲するのです
でも変なんですよね
だって、同意があれば、性的消費を目的としたセクシーな男性タレントの半裸が女性誌の表紙を飾ってもいいわけでしょう?
同意があれば、魅せる下着とか言いながら、セクシーな女性モデルの半裸が女性誌の表紙を飾っていいわけでしょう?
同意がないのが侵害で問題なんじゃなかったでしたっけねぇ?
>対象は何であれ、何かを見て不快に思うかどうか、欲情するかどうかは受け手の自由であり
>別に受け取り方自体に侵害性があるわけではありません。
>下着屋はまず当事者=実際に下着を買い、身につける女性に向けた店作りをしていますし
>ボディビルや巨乳女子も、それだけでは単に当事者がいるだけです。
>彼ら、彼女らが当事者として表現されることを望み
>撮影されているのであれば(そしてそこに搾取構造が存在しなければ)、巨乳だろうがヌードだろうが侵害性はありません
ライトノベルの表紙が駄目な理由
>仮に3人に同じ格好と同じ表情をさせて本の表紙に載せれば
>同じような受け取り方をされる(侵害性を感じる)と思いますよ。
どうして実在のボディビルなどは「どう考えるかは受け手の自由。本人が望んでるならok」となって、ライトノベルの表紙は「受け取り手が侵害性を感じるかどうか」がポイントになるのでしょうか?
最も分厚いライトノベルを書くと言われてる川上稔さんが、15年以上前続けてきた表紙でエロめのイラストを使う手法、ファンからすると今更感しかないばかりか、作品を読む気も調べる気もなくご批判されていることが丸わかりだから、ケンカの相手を間違えていられるのかと思います。
余談ではごさいますが、かつてあなたの小説をけちょんけちょんにこき下ろした人が、ちょうど川上稔に関する記事を書いていたので、URLの欄で共有させていただきます。
陰ながら応援しています
私が不快だから規制しろー!!!って言いたいんだろ?
まともな議論は難しいだろうなという感想です。
ラディカル・フェミニズムが快不快を問題にしているわけではないのは分かりますが、
「人は不快な感情に基づかずに問題意識を持てるのか」というメタな視点からの批判もあり得るのです。
不快に思わない方が多いだろうからどうせ解決するのはまだまだ先何でしょうねって
皆さんのコメント見て思いました。
https://rapt-neo.com/?p=9797
「女は性的なコンテンツ」の概念を強調するものを普通に陳列するのは、あたかもそれが「おおやけにしてよい当然の概念である」と錯覚させるのでNG、とするのは筋が通っていると思うが。
女は男にとって性的であるが同時に人間で一個人であるというバランスを忘れて性的な物体とだけ認識すると実際害がおきるので、「女が性的な物体であることをそんな全力で(おおやけに)肯定するのはまずい」。
実在の巨乳がダメなのではなく、乳のサイズを性的な評価として品評して喜ぶ層が実在して(その存在は広く知れ渡っている)、実際「その層の性的な品評に向けた巨乳作品」が沢山存在して、それは結局のところ「女は性的コンテンツ」という扱いをするものだから、普通に陳列するのがNG。
つまり「性的評価に向けたもの」というのが見え透いていると、その意図ごと全力で肯定することになるからおおやけな陳列はできない。
究極、女の性を理由にした害が一般的でないのであれば、おおやけに並んでも問題にならないと思う。