これの件です。正論7月号に掲載された『セクハラ?チンパンジーでは常識ですよ 他人の尻馬に乗る#METOO運動』 という記事が掲載されています。表紙、目次、紙面でそれぞれタイトルが微妙に異なるといういい加減さですが、内容もいい加減です。雑誌「正論」公式アカウント@zasshiseiron
【異論暴論】正論7月号来月1日発売 セクハラ問題を考える 非難し合う社会にしない https://t.co/5bsnRbYDZE @Sankei_newsさんから
2018/05/30 09:17:39
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それはそうでしょう。対談したうち竹内久美子氏は既に『正論』誌上で「座間市の連続殺人事件は女性の生理に原因がある」(『正論』によると座間市連続殺人事件の遠因は生理らしいです)「リベラルは睾丸が小さい、モテない人がなるもの」(『正論』によるとリベラルはモテない男がなるものらしいぞ!)などというトンデモを連発している自称動物学者です。
竹内は動物学者を名乗っており、これは一見すると心理学と関係ないように見えるかもしれません。しかし生物学と心理学は実は大きな接点があり、また氏の主張も心理学の領域に被るものでもあります。いい加減、専門家のふりをした素人に生物学や心理学を棄損されるわけにはいきません。
また愚かなだけであれば「バーカ」で済む話かもしれませんが、後述するように卑劣でもある記事になっているので、その点も明らかにする必要があるでしょう。
「チンパンジーなら普通」だったらどうした?
この記事の基本的な論調は「人々がセクハラと騒ぐものはチンパンジーなら普通。セクハラは生殖を第一目標とする生物ならどんな種類でもするもの」というものです。記事では具体的な例を大量に挙げていますが、ここでは取り上げません。私は生物学者ではないですし、仮にその全てが正しかったとしても、以下の理由で意味がないからです。
この記事は根本的な誤りを犯しています。それは、セクハラは人間社会の規範や倫理の問題であるのに、チンパンジーその他の動物の生物学的な習性を根拠に反論しているということです。カテゴリーミステイクと言えばわかりやすいでしょうか。
例えばこれは、「ファストフードばかりではなくて野菜をたくさん食べろ」という主張に「ジャガイモも野菜だ」と反論するようなものです。前者は栄養学の視点からの主張であり、まさにそれが議論の中心であるのに後者は生物学の分類からそれに反論しています。ここの議論で大事なのは栄養素としてビタミンとか食物繊維をとれという話であって、生物学的に野菜に分類されるものを食べろという話ではありません。
セクハラに話を戻せば、ここで問題になっているのはセクハラはなぜだめなのか、どうしたらそれを防げるのかという人間社会の話であるはずです。しかしこの記事はほかの動物の習性という、人間社会にまったく関係のないものを取り出して反論しているのです。アオアズマヤマドリがどうやって求愛するかとかぶっちゃけどうでもいいです。
よし、まずはそんなことを言っているフェミニストを屏風から出してくれ
この記事ではフェミニストとへの攻撃も盛んにおこなわれていますが、よく読んでみるとちょっと様子がおかしいです。該当する部分を引用してみましょう。(引用文中の数字は引用者が加えた)
長谷川(引用者注:長谷川三千子) フェミニストは、天才が男ばかりというのはけしからんと言う。でもメスの立場から見ると、天才のどこが偉いの、ということになる。①それぞれ見てみましょう。
竹内 動物はメスがオスを選ぶのが大原則。
(中略)
竹内 でも社会との接点ができて「はっはー、この世は女が動かしてるんだ。女に生まれて大成功、やったー」と気付きました。フェミニストって目が曇ってるのか、それとも現実を見たくないのか……。②
長谷川 でも生物学者という場合はどうなんでしょうか。長谷川眞理子さんとご主人の寿一さんとか。
竹内 眞理子さんは完全にフェミニストで、旦那さんは日本型リベラルなのかなあ。別冊正論『日本型リベラルの化けの皮』では名前を出しませんでしたが、研究者として歪曲の女王が長谷川眞理子さん(笑)だと思います。③
(中略)
長谷川 なるほどねえ。今のお話から昨今のセクハラ騒動にかけた視点が見えてくる感じがしますね。要するに人間はいろいろ欠点があるものだけど、人物、人間力がうんと大きければ、そういうの欠点は問題にならないほど小さなものになる。ただ、こういう視点が今は許されない感じ。
竹内 そこが問題ですね。
長谷川 なぜそうなったのか。ひとつには、「人間の器」なんて言葉が死語になってる、ということもありますが、いま世の中がすべて「フェミニスト流」の発想に染まっている、ということが大きいと思います。つまり、女性は被害者だという考えから出発してすべてのものごとを見る。だから、気に喰わない男に触られたらぶん殴ってやればいいのに、セクハラ被害だ、#MeTooだ、となる。しかもそれを男女平等の旗印のもとに叫ぶんですから、矛盾もいいところです。④
(中略)
竹内 女が子育てするのはとても大事。単に育てるだけではなく、自分の子を自分の色に染め上げ、自分の思いを注入し、手なづけることができる。すごい強みがあるんですよね。
長谷川 子を産んで育てることイコール文化注入になるわけだから、文化の担い手の主役は女だということになります。そうするとフェミニストは何が不満なのか。
竹内 女が完全優位で、こんなにいいとこ取りなのに、なおかつ平等とは……わからない。
長谷川 結局のところ、メスは偉いんだ、ということを実感できない人がフェミニストになるんでしょうかね。⑤
①そんなフェミニストいない。まぁネットとかを探せばフェミニストだって万単位でいるでしょうから、探せば一人くらい入るかもしれませんけど、少なくとも主流の主張ではないですね。おそらく歴史的偉人が男性ばかりであることに対し「女性への差別と偏見が女性の成果を覆い隠している」などと批判されていることを曲解したのではないかと思います。
②上述したように、生物学の話と人間社会の話を混同しているミスです。当時は高校生だったらしいので仕方ないかもしれませんが、もういい大人なので「気づいて」ほしいところです。目が曇っているのは自分のほうです。
③少なくとも僕の知る限りでは長谷川眞理子氏がフェミニストだとは聞いたこともないです(専門の視点から特に性選択に関しての著書があるようですが、それってフェミニズムなのか?)。詳しくないのでよくわかりませんが、研究分野としてフェミニズムそのものの専門家ではないことは間違いないのでは。この後には不倫がどうとかカンジャール族がどうとかという話を、つまり『睾丸が小さい奴がリベラルに』という正論の記事と同じことを繰り返しています。長谷川寿一氏を「日本型リベラル」と評したことと含めて考えると、話題のふり幅の狭さが気になります。批判も一切耳に入ってないのでしょう。
④女性が差別されているという、フェミニストの主張の大枠を「女性は被害者だという考えから出発して」云々と表現することはまぁ、不可能ではないでしょう。しかしそこから先は意味不明です。ハラスメントは「気に喰わない男に触られたらぶん殴ってやればいい」ということが滅多にできない関係性を利用して行われることを無視していますし、それが男女平等とどう矛盾するかもよくわかりません。
⑤この部分はあまりにも単純なものの見方が露呈しているところでしょう。いうまでもなく、子供は母親の価値観だけを吸収するわけではありません。仮に母親が自身や女性に都合のいい考え方を子供に教え込んでも、外の社会が男尊女卑に溢れていればどうなるかは自明です。女性が文化の担い手という考え方も、女性が少なくない文化的営みにおいて「女子禁制」とされてきたことと矛盾しますし、それを無視しても子育てを介さないと担い手になれないという状況を「文化を担っている」とは言えないでしょう。何より、子供を別に育てたくないという女性の意見を無視しています。
あまりにも単調な世界観
長谷川 しかし何にせよ、生物にとって生存と繁殖は二大目標。人間だって繁殖なしには存続しえないのに、それがあまりにも軽視されている気がします。上掲の部分からわかるのは、対談した二人のあまりにも単調で単純な世界観です。この世界には子供を産まずに人生を送る人のことはすっかり抜け落ちています。これも、動物の習性をそのまま人間に当てはめるカテゴリーミステイクからくるものです。
(中略)
長谷川 今の日本人は、やたらと「共生」とか「きずな」とか甘く美しい言葉を言いたてているうちに、荒々しい生物としての力が弱まってしまうのではないか、という懸念もありますね。さきほどもオタクとセクハラ男の話が出ましたが、どっちが日本の繁栄に大事かと言えば、セクハラ男の方かもしれないですね。
生殖第一!な考え方からすれば確かにフィギュアにhshs(死語)しているオタクよりもセクハラ男のほうが子供を作る確率が高いでしょうが、この視点ではセクハラ被害を受ける女性の苦しみは生殖のための尊い犠牲、というほど殊勝なものとすら見られていないでしょう。いうまでもなく、人間は生殖のために生きるのではありません。ましてや国家だとか人類だとかの存続なんて大義名分を果たす義務などどこにもないのです。自分がそう思うならば勝手にすればいいですが、こちらに押し付けてくるなと。
またこのような単調な世界観は、上掲のようなフェミニズム観にも影響しています。あまりフェミニストとして意識されないと思う長谷川眞理子氏を「完全に」という形容動詞までつけてフェミニストだと断言するのが象徴的です。確かに、長谷川眞理子氏は竹内よりも良識的な意見の持ち主でしょうし、それを勘案すればフェミニストだということにもなりそうですが、この場合どちらかと言えば竹内の内部にある「保守に批判的な女性=フェミニスト」という図式がそのまま適用されただけではないかと思います。男性なら日本型リベラルです。
氏の内部にあるフェミニスト感がかなりおかしなことに関しても、おそらくフェミニストを批判するけど実際に彼らの主張に触れたことはないからではないかと思います。1冊でも本を読めばこんなことにはならないはずです。たぶん自身と思想の近い誰かの「フェミニストはこう言っている」という妄言を寄せ集めた結果なのではなかろうかと。
あと直接の関係はありませんが、竹内の師匠に当たる日高敏隆氏はそれはもう滅茶苦茶なセクハラ・アカハラ野郎で、学生に手を出し愛人にしたその学生をひいきするということをしていたようです。竹内本人が言うのですから間違いないでしょう。掲載雑誌が『正論』でなければただの内部告発です。でも竹内はそれを問題視していないようだったので、この師匠あっての弟子なのでしょう。
愚かだけでなく品性に欠ける
竹内 チンパンジーは複数のオスと複数のメス、それにメスの子供たちからなる数十―百頭ほどの集団で暮らし、婚姻形態は乱婚的なんです。さて、記事の冒頭に愚かだけでなく卑劣だとも書きましたが、上がそれに該当する部分です。多くは語りませんが、このような認識の人間にハラスメントを語ることができるとは到底思えません。当然、このような記事を掲載した『正論』編集部の人権意識や良心も問われます。問うことのできるほどにそれらが残っていればの話ですが。
長谷川 乱婚「的」なんですね。
竹内 メスが発情すると集団の全てのオスがやってきますが、メスは拒まない。一日に何回も、同じオスとも交尾して、最高記録が五十回。
長谷川 慰安婦問題とかで「一日何十人もの相手をさせられて人権侵害」とか言われますが、チンパンジーなら全然OKと。問題はメスが発情しているかいないか。
コメント
コメント一覧 (17)
正直に申し上げて、正論7月号の内容はアホです。ですが、貴方様の必死の様相の理路整然と言うか、理路整然に拘り続けるヒステリックな冷静さによって記述されている反論も、アホです。
この手の論議で根本的に欠けてい視点。それは。
感情主導で理屈を思いつきがちな女という生物の中に潜んでいる、ほんの一部の人々が。ことさらヒステリックに主張したがるセクハラという概念を。
理屈主導で冷静に思考して、それを継続している内に、それが昂じて、結果的に感情的な反論の応酬をしてしまいがちな男という生物が、理解しようとする愚かさです。
その結果、全ての女が、本当はバラバラに捉えている(何故なら感情ですから)セクハラの概念を。貴方のように冷静で、理論的に物事を構築して考える人々が陥りやすい、無理やり一元的な類型にあてはめて捉えようとするオマヌケさなのです。
はっきり言います。女という生物は。タイプでもない男にタッチされたら嫌悪感を感じます。ですがたとえ見ず知らずでも、好きなタイプ男にタッチされたら喜びを感じるのです。それがたとえ、電車の中でも、です。
痴漢行為がなくならないのは、実はこれが原因です。明らかに歓んでいる女性がいるのです。ですがその女性でも、好きでもないタイプに触られたら嫌悪感を感じます。
後者のような。肉体的接触行為であれば、それは痴漢です。ですがこれが言葉による接触行為(この感覚がわかるでしょうか?)であればセクハラとなります。
はっきり言って、そのセクハラを、本当に心の中で歓んでいる女性はいるのです。おそらくほとんどの女性です。ただしそれは、タイプのオトコでなければならないだけなのです。
誰かのツイに取り上げられていたので、この記事を拝見しました。
第1投のコメント、明らかにネトウヨがビアン偽装して書き込んだものですね。
卑怯者!
いかな好みのタイプの男性であっても、いきなり電車の中で触ってきたら、それは単なる痴漢です。
むしろ好みのタイプであればこそ、一層嫌悪と怒りが募りますよね。
それにしても、竹内・長谷川のトンデモ反フェミニズム論(論、などという言葉を使うのは不適切な駄会話)のひどさ、裸で両手を上げて外に走り出したくなるレベルです。
この2人や正論編集部はチンパンを引き合いに出すことによって、セクハラやレイプを行う男性を擁護できると考えたのでしょうか? いやはや。
主様の解説もいちいちごもっともですし、ありがとうございました。
真偽はともかく決めつけはよくないです。
そういった色眼鏡で物事を見たり思考停止して極論ファーストで考え、型に無理やりはめようとする人たちが多くてはセクハラ問題という本当に重要な課題がいつまでたっても解決しないと思いますよ。
女のくせにでしゃばるな ゴミクズは消えろ
「本当は心の中で喜んでいる」なら、それは一般的にいう“セクハラ”ではないのですよ。
不快感・嫌悪感を持ちながら、力関係その他の事情で拒否できない人が存在するからこそ、“セクシャルハラスメント”が倫理的な問題、時には犯罪行為を形成するような問題となるのです。
2番目のコメントは無視しますが、こちらに対しては返答したいと思います。
「仰るとおり」だと思います。セクハラ問題の論議が空回りするのは、本来は受け手の感情で「セクハラかセクハラでないのか」が決まるのに、それを「男性の行為にあてはめて論議するから」だと認識しています。
ネットで、女性向けの話題の中で多く記載されているものに「気になる男性を振り向かせる方法」というカテゴリーがあります。その中の記載で定番のように出てくるのが「さり気なくタッチする」とか、「香水の香りが届くように近づく」とか、「じっと眼を見つめる」とか、です。
でもこれを男女逆転させたら、まるでセクハラの一覧表になってしまうのです。変だとは思いませんか?そして気づくべきだと思うのです。
つまり行為の問題にしてしまうと、本質を間違えてしまうのです。これは「女性の感情」の問題であるのに、その感情の発生原因を「男性の行為だけ」にあてはめようとしてしまいがちだから駄目なのです。
「私は、貴方に興味がありませんから、やめてください」と女性が男性に伝えたら終了するはずのものです。好意を持ってアタックしてくる女性に対して、男性がそれを伝えるべきであるのと同じです。
ちなみにLGBTの世界では、それが常識です。最初にタイプをはっきりとさせ、それを誰にも最初に伝えるのがルールであり、そのた上で相手を探します。そうでないと効率が悪いし、互いに嫌な気持ちになるからです。
重複したコメントは消しておきました。なお私は「セクハラは受け手の感情で決まる」という立場には立っていません。むろん被害者の感情も大事ですが、セクハラとして裁かれるべきかどうかある程度客観的に規定できると考えています。この点もおいおい記事にできればと思います。
チンパンジーより社会性が発達したから動物的本能をコントロールすることを学び
進化してきたのではないだろうか。
動物の事ばかり研究しすぎて現実の人間社会を見失っているようなご発言。
『であるならセクハラは自然の摂理にかなうものだ!』
『セクハラが自然の摂理にかなうものであるからセクハラを全否定するのはおかしい!』
竹内久美子氏の頭の中にはは↑のような考え方があるのではないかと思いますが、そういう考え方は自然主義的誤謬ですから正しくはないんですよね。(実際にチンパンジーがセクハラをするしないに関わらず)
自然であること=正しいこと、という図式は成立しないはずです。
> 女という生物は。たとえ見ず知らずでも、好きなタイプ男にタッチされたら喜びを感じるのです。それがたとえ、電車の中でも、です
あり得ないです。
これこそ、男の妄想の中にある「理想の痴女」です。AV見過ぎじゃないですか?
通常、女性は言葉を交わしたこともない、どこの馬の骨とも分からぬ男に電車内などでタッチされたら、それは暴力、痴漢行為としか捉えられません。
男女には力の差があり、常に女性は暴力を受ける側です。強姦はほぼ100パーセント、男→女です。
だからあなたをビアン偽装男性と判定しました。
悪しからず。
コメント欄にも色んな人が来るでしょうが、落ち着いてサイト運営して頂ければと思います。
人間の中にある人が育てる価値があって、相手がどう思うかどうかで変わることではないはずです。相手が悪く思わなければ何をしてもいいのでしょうか?そんな温室の植物のような正義感は人が頑張って支えなければ枯れてしまうかもしれない。弱々しくても大切なことです。だから人として嫌がることはしないようにしようという心の話をするのだと思います。
誰も嫌がらない国へいけば好き勝手にやりますか?それでは自分という人格はどうなったのでしょう。
自分と話し合うことなのに他の人に託したり、種を比べたりして言い訳をしてもやっぱり自分が許したのならその選択のせいです。倫理観の話で仕方ない知能であったり生態の話じゃない。
セクハラというラインを引きにくい価値が存在することをわかっていなければならなくて、それをないものにしたらたくさん傷つく人が生まれることは深刻だと知っていること。死ぬまで引きずる人もいることをわからなければならないもの。多様な人の尊厳をわかり合うためにもそういう感覚の存在もわかり合う必要があるのだと思います。
そもそもセクハラは女性だけが受けるものではない。
私は男だが上司(男)にセクハラを受けたことがある。
何度か尻を触られたのだ。
私が巡り合った上司の中では(仕事面では)比較的マシな方だったが、この一点で最低最悪と評価する。出来事に理解が追い付かずに黙っていたが、訴えたほうがよかったかもしれない。
セクハラは女性が勝手に言い立てるだけのものという考え方はそれこそ『男性差別』と言わざるを得ない。