京の萌え燃え日和

ユーフォはじめ京アニ作品と咲シリーズを応援するブログです。 咲シリーズは宮永咲ちゃん&清澄高校&シノハユ推しです。 その他に艦これも少しあります。旧ブログ名は咲クラ女子

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編入生のジャングルポケットを可愛がりたい栗東寮一同

栗東寮にいる先輩方やポニーちゃんたちは面倒見がいいウマ娘ばかりだ。その面倒見の良さには舌を巻く。

フリースタイル出身のポッケこと、ジャングルポケットが編入した時。最初は目付きの悪さと粗暴な言動で萎縮した者もいたが。見た目に反してジャングルポケットが人懐っこくて少しばかり不器用と知ると。もう、栗東寮の皆は放っておけない。


今朝も

「おはようさん。ポッケ、ちょい待ち、リボンがズレてるで」

朝の食堂でポッケのリボンを直してあげるのはタマモクロス先輩だ。普段はポッケと同室のナリタトップロードが制服のリボンを結んであげるらしいが。ナリタトップロードは海外遠征中だ。

「よっしゃ。これでリボンはバッチリや」

「有難うございまっす!」

「いいって。ねぇねに任しとき!」

実家にたくさんの妹や弟がいるタマモクロス先輩にとって、ポッケは可愛い妹分なんだろう。たまに駄菓子も買ってあげているらしい。

「ポッケちゃん、ひとりで寂しくないですかぁ? 私がポッケちゃんの部屋に泊まりに行ってもいいですからねぇ」

スーパークリーク先輩は部屋でひとりで過ごすポッケが気になるらしい。

「今のところは大丈夫っす。もし、寂しくなったら、先輩方の部屋に行きます」

「ええ、是非来てくださいねぇ」

「まあ、ホームシックになる前にうちらの部屋においでよ。事前に部屋に来るのを教えてくれたら、アンタの好きなお菓子も買っとくから」

スーパークリーク先輩と同室のナリタタイシンも自分では認めないけど、面倒見がいいタイプだ。根性があるポッケを気に入ったらしい。

「有難うございますっ!」


「ジャングルポケット」

「オグリ先輩、おはようございますっ!」

「君は広いトレセン学園で迷子になっていないか? 迷子になりそうな時はクリークに手を繋いでもらうといい。あと、学食のハンバーグは美味しいぞ」

編入組のオグリキャップ先輩も同じ立場のポッケを気に掛けてアドバイスしている。
だからか、たまにポッケがクリーク先輩に手を引かれて歩いているのは。クリーク先輩はウキウキしているし、ポッケも安心しているらしい。兄がいるポッケは年上に甘えるのも上手だから。

「はいっ! オグリ先輩のお陰で迷子にならないし。迷った時は何故か誰かがすぐに助けてくれるんすよ」

栗東寮の皆は編入したオグリ先輩や新入生を放っておけない性質だしね。たまに、高等部でもトレセン学園内で迷子になるポニーちゃんがいるけど。そんな時も誰かがすぐに気が付いて助けに行く。

「それは良かった。スマホを持っていれば助けを呼べるから、必ずスマホを持ち歩くんだ」

「はいっ!」

オグリキャップ先輩が頭を撫でようとすると、ポッケの耳は撫でやすいようにとペタリと垂れた。こんなところも愛され上手なのだろう。だから、口うるさいと言われがちなエアグルーヴも

「ジャングルポケット、この前の風邪は治ったのか? 走りたい気持ちはわかるが今週いっぱいは休めよ」

と声を掛けている。軽い風邪で完全に治ってるんだけど。2人の妹がいるエアグルーヴにとっても、年下のジャングルポケットは世話を焼きたくなる存在らしい。

「大丈夫だ。ほら、すっかり治ってるから今日から走ってくる。心配してくれてありがとよ」

「仕方ない奴だ。トローチをやるから喉に違和感があったら舐めろ。いや、その前に手洗いうがいをしっかりとだな……」

「姉貴、わかってるって! あっ……」

エアグルーヴの言い方で実家の兄を思い出したのか。ポッケが無意識にエアグルーヴを姉貴と呼んだ。その瞬間。

「ポッケ、うちのこともねぇねと呼んでかまへんからな!」

「私のことはママと呼んでください!」

「ポッケ。一度でいいから、私をお姉ちゃんと呼んでくれないか?」

タマモクロス先輩、スーパークリーク先輩、ビワハヤヒデがポッケに迫った。しかも、

「お前が私を姉貴と呼びたいのなら、今後は姉貴と呼んでくれて構わないぞ」

エアグルーヴまで、うっかりポッケが口にした姉貴呼びを気に入ったらしい。

「えっと。エアグルーヴが実家の兄貴みたいな言い方するからよ。つい、姉貴と呼んじまっただけなんだ。それによ。先輩たちをお姉ちゃんとか呼び続けたら、併走やレースの時に甘えそうで。だから、俺は……」

ポッケが拙いながらも姉呼びを断る理由に、先輩方はますます胸をキュンとさせているのが手に取るようにわかる。妹っぽいだけでなく、後輩が野心むき出しで自分を追い越そうとする姿もまた歓迎しているから。

「そっかそっかぁ。ポッケはエラいなあ。その意気やで。併走する時は甘えてきても一切手加減しないから安心しとき」

「本当にポッケちゃんは闘争心もあって、いいこいいこしたくなります。大丈夫ですよぉ。併走で負かした後は優しく慰めてあげますからねぇ」

タマモクロス先輩とスーパークリーク先輩は両側からポッケの頭を撫でているし。ビワハヤヒデに至っては。

「済まない。もう一度だけ、お姉ちゃんと言ってもらえないだろうか。今度はキチンと録音する」

など口走りながら、ポッケにスマホを向けている。でも、3人の気持ちもわからなくもない。だってさ……



******



消灯10分前。

ドンドン

寮長部屋のドアが荒々しくノックされる。このノック音はポッケしかいない。

「ポッケ、入っておいで」

「うん……」

荒々しいノックしたとは思えないぐらい、ポッケは泣きそうな顔で大きなライオンのぬいぐるみを抱き締めていた。

「ひとりで寂しくなっちゃった?」

「うん」

大きな瞳が潤んでいる。学校や食堂が賑やかな分、ひとりで寮の部屋で過ごすのが寂しくなったらしい。

「今夜は一緒に眠ろうね」

「お姉ちゃあん……」

ポッケは寂しくなる時だけ、私をお姉ちゃんと呼んで甘えてくる。私は併走の相手もレースの出走もどちらもないから甘えやすいようだ。

「よしよし。私は消灯の見回りに行くけど、もう少しだけお留守番を頑張れるかな?」

「うん。この子と頑張る……」

ライオンのぬいぐるみをギュッと抱き締める仕草は、まさに妹そのもので胸がキュンとする。寮長の仕事を放り出して、今すぐにポッケに添い寝をしてあげたい。

「ポッケはいい子だね。すぐに消灯の見回りを終わらせて戻るよ」

頭を撫でると少しだけ笑顔が戻ってきた。私が頭を撫でやすいように耳をペタリと倒したままなのも愛おしい。誰だって、こんな可愛い妹分が欲しくなるに決まっている。

今朝、スーパークリーク先輩と同室のナリタタイシンがポッケを部屋に誘っていたのに、どうして寮長部屋に来たのかとか。そんな野暮なことは聞かない。私もポッケを甘やかしたいからね。

「お姉ちゃん。俺が寮長部屋に泊まったのは誰にも言わないで。お姉ちゃんと呼んだのも内緒で……」

私のカットソーの裾を掴みながらのお願いまで可愛い。こんなに可愛いポッケを皆には内緒で独り占めしたい気持ちは私も同じだ。

「もちろんだよ。ふたりだけの秘密だ」

人差し指を口に当てながら答えたら、ポッケがホッとした顔になった。明日の朝になれば、ポッケの人恋しさも落ち着いて。いつものように
「フジさーーーーーんっ!」
と賑やかな大声で呼ぶのだろう。それでいい。

君が誰かの大切なウマ娘になるまで。もう少しだけ、君のお姉ちゃん役を演じさせて欲しい。そんなことを思いながら、愛おしい妹分の頭をもう一度撫でた。



< Fin. >

フジさんから手紙をもらった日

朝、起きて。身仕度をしてたら、机の上に白い封筒が置いてあるのに気が付いた。

【 Dear ジャングルポケット 】
と書かれた封筒を裏返すと
【 フジキセキ 】
と端正な字で書いてある。
この筆跡はフジさんに間違いねぇ。それに、寝る前には何もなかった机の上に手紙を置けるのも、消灯後の見回りをする寮長のフジさんだけだ。同室のトップロードことナリタトップロードは遠征中だから。

まだ時間があるから。封筒から手紙を取り出して読み始めた。




Dear ジャングルポケット

改めてフルネームで呼ぶと何だか照れくさいね。君をフルネームで呼んだ記憶はないから。でも、手紙だからフルネームの方がいいのかな。

君と出会ってから、もう何年になるんだろう。初めて、トレセン学園で君と出会った時は興奮した君に両手を強く握りしめられて驚いたよ。私の走りを見て、あんなに興奮した子は君が初めてだったから。それに君と出会った当時の私は既にレースから離脱していたから。

驚いたと言えば、君と同室のナリタトップロードが珍しく寮長部屋に来たことがあってね……





消灯30分前。寮長部屋のドアがノックされた。誰か、急病になったかな。そう思いながら、ドアに向かって
「どうぞー」
と声をかける。

「失礼しまーす」

そう言いながら入ってきたのは、同級生のトプロことナリタトップロードだ。トプロから病気や怪我の気配はない。すると、彼女と同室のジャングルポケットが急病になったか、誰かとトラブルになったんだろうか。そうだとしても、目の前のトプロは焦っている様子はない。

「何かあった?」

「いえ。何もないんですけど。寮長にポッケちゃんのことをお願いしたくて来ました」

彼女がポッケちゃんと呼ぶのはジャングルポケットのことだ。やはり、ポッケがトラブルを起こしてしまったか。

「ゴメン。また、ポッケが何かやらかしたんだよね。私から言っておくよ」

「いえ、ポッケちゃんは何もトラブルを起こしてないんですけど。私は明日から遠征するので、その間にポッケちゃんのお世話を寮長にお願いします!」

「待って? たしかに、ポッケは編入したばかりだけど中学生だよ。お世話をする必要があるの?」

「はい! ポッケちゃん、制服のリボンが結べないんです」

「え?」

中学生でリボン結びができない子がいる? そんなバカな。

「だから、私が毎朝結んであげてるんです。あと、ポッケちゃんは朝も弱いから、遅刻しないように起こしているんですよ」

「つまり、トプロの代わりに私がポッケの朝の面倒を見ればいいんだね」

「あと、夜の添い寝もお願いします。ポッケちゃん、寂しがり屋だから」

ポッケが編入する時、面倒見が良さそうなトプロと同室にしたけど、ここまで世話が焼けるとは。トプロに申し訳なくなってきた。

「わかった。トプロが遠征中は私がポッケの世話をするよ。ポッケと同室にしちゃって何だかゴメンね」

「いえ! ポッケちゃんの世話を焼くのは好きですし。レースはもちろん、サッカーや他の話でも盛り上がるからスゴく楽しいですよ」

「そっか。じゃあ、遠征をが……楽しんできてね」

生真面目なトプロに「頑張れ」と伝えるのは追い詰めてしまう気がして、「楽しんで」と言い換えた。

「有難うございます! お土産もスゴくいっぱい買ってきますね! 失礼しました」

足取り軽く寮長部屋を出たトプロを見送り。明日からのポッケの世話について考える。添い寝も必要なら、寮長部屋に泊まってもらうべきかな。



翌日。
ポッケが荷物を持って寮長部屋に来た。大きなぬいぐるみも抱えていて、添い寝が必要な寂しがり屋なのは本当だと知った。

「今日から3日間よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いしまっす!」

ポッケの荷物を置いてもらってから、ふたりでテーブルに向き合って座る。

「トレセン学園はどうだい?」

「スゲー楽しいっす! 宿題が多いのだけは勘弁だけど……」

「今日も宿題が出た?」

そう聞けば、泣きそうな顔で頷いている。トレセン学園はレースに関する知識以外にも普通の勉強もする。編入したポッケにはレースに関する知識も一から学ぶ必要があって大変そうだ。

「じゃあさ。まず、宿題を片付けちゃおうか。私が勉強を見てあげるよ」

「いいんっすか?」

「もちろん。トプロからポッケのことを頼まれているからね。トプロがいない間は私が代役だ」

「うぉおおおっ! フジさんが勉強を見てくれるなら、頑張れるぜ!」

威勢がいいポッケだけど、ノートを開いた途端に眠りそうになっている。

「こーら。まだ、宿題は始まったばかりだよ」

「うーん……」

ポッケのノートを見ると、レースの区分けが書いてある。ピラミッド型の図形に、G1、G2、G3、オープン…と末広がりになるのを何度も見たっけ。

「レースの区分けかぁ。懐かしいな」

「G1、G2、G3とか訳分からねぇ……」

「んー。G1は勝負服を着られるレースと覚えるのはどうかな。G2以下は体操着だよ」

「しょうぶふく?」

「うん。こんな感じでね。みんな思い思いの勝負服をこしらえて着るんだ」

朝日杯の写真を見せると、ポッケが食いついてきた。やっぱり、個人ごとに違う勝負服には憧れるよね。

「スゲぇ……。俺もフジさんの勝負服を着たい!」

「ダーメ。ポッケはポッケに相応しい勝負服を作らないと」

「勝負服を着られるのはG1だけか。だから、弥生賞のフジさんは体操着だったんだな」

「うん、そうだよ。弥生賞はG2だからね」

「ヨッシャ! G1とそれ以外は覚えたぜ!」

「いい調子だよ。G2以下はレースに出たり、他のウマ娘のレースを見たりするうちに覚えられると思うよ」

最初から難しいことを教えると混乱しそうだ。まずは勝負服の有無だけでいい。

「クラシックさん……何とかれーす? これ、何て書いてあるんだ?」

ポッケが「[[rb:皐月賞 > さつきしょう]]」の文字を指差している。たしかに、まだ中学生のポッケには難しい漢字だ。

「ああ、さつきしょうだね。日本ダービーと[[rb:菊花賞 > きっかしょう]]の3つをクラシック[[rb:三冠 > さんかん]]レースと呼ぶんだ。それぞれ、クラシック期の1回しか出られないレースだ……よ」

ダメだな。クラシック三冠レースの話をすると、未だに出られなかった未練がましい気持ちが出てしまう。ポッケに私の未練は関係ないのに。彼女を困らせないように笑顔を作らなきゃ……

「フジさん。俺、上手く言えねぇけど。フジさんの分も走るから! ナベさんが俺を鍛えてくれてるんだ。俺がナベさんは最強のトレーナーだって証明してやる! フジさんもスゲー強かったんだって、このクラシックさんかんレースとやらに出て証明してやる、から……」

言いたいことだけ言って、ポッケはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。無理もない。今日もナベさんの厳しいトレーニングを頑張ったんだ。

「有難う。でも、君は私の想いを背負わなくていいんだよ。君だけの……」

ナベさんをダービートレーナーにして欲しい。大きすぎる夢をデビューもしていないポッケに背負わせたくない。私が叶わなかった夢を懐いてくれるこの子に託す訳には。

でも。
ポッケの走りを見ていると、この子ならクラシック三冠達成も夢ではないとも思う。強靭な足腰、どんなに走っても疲れないスタミナ、大きな怪我をしにくい身体。ポッケ本人は自覚してないけど、才能に溢れている。
よほど強いライバルがいない限りは、ポッケ世代のクラシック三冠レースはポッケの独壇場になるに違いない。

「ポッケは怪我をしないでたくさんのレースを走れるといいな。そう祈っている」

まずはクラシック三冠レースに出走できるか。クラシック三冠レース後のシニア期に活躍するか。どちらの道に進むとしても怪我をしないのが一番だ。私のようにクラシック三冠レース前に大怪我をしたら、全てが台無しになる。ポッケには同じ思いを味合わせたくない。

「ふじしゃん、まかしぇてくだしゃ。ぜってー、さいきょーになりゅかりゃ」

「ふふっ、寝言かな。任せてください、最強になるから、か。本当にポッケは強いなあ」

テーブルに突っ伏したポッケを抱き上げると、思ったよりも軽い。パフェや甘いものが好きだけど、キチンと体重調整も頑張っているようだ。ベッドに横たえて毛布を掛けた。

「ゆっくりお休み。うわっ!?」

眠っているはずのポッケに腕を引かれて、私もベッドにもつれ込んだ。そういえば、添い寝も必要だとトプロが言ってたな。

「添い寝が必要なら、君が遠征する時は私も同行しないとだね。明日にでもナベさんに許可を取ろう」

勉強の面倒も見て、添い寝もして。明日の朝になれば、身仕度を手伝う。まるで、妹ができたみたいだ。出会った頃のポッケは、私を「フジの姐さん」と呼んでいたし。


翌日。
目を覚ますと、ポッケは私にしがみついて眠っていた。寝顔は更に幼く見えて愛くるしい。でも、そろそろ起こさないとね。

「ポッケ、おはよう」

「んー、あと5分だけー」

寝ぼけた声も可愛い。だけど、そろそろ目を覚ましてもらわないと。さて。

「ひゃあああっ!!!」

ポッケの背中に少し冷やした手を突っ込んだら、一気に起きた。耳元で悲鳴を上げられたから、キーンと耳鳴りがするけど。

「おはよう。朝だから、そろそろ起きよう」

「ああっ!? フジさんだ! えっと。まず、おはようございます?」

「昨夜、寮長部屋に泊まったのを忘れちゃったかな? 顔を洗って制服に着替えて食堂に行こう」

「う、うん……」

制服に着替えると言った瞬間、ポッケの顔が曇った。本当にリボン結びができないんだ。意外と不器用で微笑ましくなる。

「制服のリボンは結んであげるから心配しないで」

「有難うございます。練習してるんだけど、真っ直ぐ結べなくて……」

支度しながら会話をする。意外と難しそうな髪の編み込みはポッケひとりでできていた。胸元と腰のリボンも結んでいたけど、どちらも少し斜めになっている。たぶん、几帳面で世話焼きなトプロには結べていないように見えるから結び直してあげるのだろう。

「綺麗にリボンを結ぶのは難しいよね」

着替え終わったポッケの制服のリボンを結び直してあげた。妹がいたら、こんな感じかもしれない。

「ほら、できた。さあ、食堂に行こうか」

「有難うございますっ!」

跳ねるように私の隣を歩くポッケを見て、妹ができたようで嬉しくて。だから、ポッケが一人前になるまで、私が面倒を見てあげたいと願ってしまった。






ナリタトップロードから君の世話を頼まれたのもあって。出会ってしばらくは、君が妹のように思えたから過保護に接してしまったかもしれないね。
寮長部屋に泊まった時は君の制服のリボンを結んであげて。G1のレースの時は勝負服のリボンを結んであげていた。

だから、昨年のジャパンカップ。君から

「次から客席で待っていてください。リボンも結べるようになったので!」

と言われた時は嬉しい気持ちや頼もしく思うよりも寂しかったんだ。だけど、君はトゥィンクルレースに復帰すると伝えた私のために、あえて宣戦布告したんだよね。

明日、記者会見で発表するけれど。今度のジャパンカップでトゥインクルレースに私は復帰する。現チャンピオンでダービーウマ娘の君に勝てる要素があるとすれば、今年のジャパンカップは中山レース場だから右回りになるぐらいだろう。
だけど、昨年よりも更に強くなっている君だ。復帰したばかりの私では相手にならないかもしれないね。それでも、全力で君に挑ませてもらうよ。

私に走る気力を取り戻させてくれて有難う。そして、ターフで会うのを楽しみにしている。


From フジキセキ





フジさんから手紙をもらうのは初めてで。スゲー嬉しくて、すぐに開けて読んだけどよ。読むうちにただの手紙じゃねぇと気が付き、身体が勝手に震えてくる。

「これは手紙じゃねぇ。果たし状だ!」

フジさんが本気で俺に宣戦布告してやがる。文体こそ柔らかいし、いつもの綺麗な字で書いてるけど。
「今年のジャパンカップは私が勝たせてもらう」
と言ってるのが伝わってきた。

たしかに、今年のジャパンカップは中山レース場でフジさんが得意で俺が苦手な右回りだ。そして、俺の足は手負いの獣のようなものだ。完全復帰したフジさんと比べて分が悪い。
俺の足のことはフジさんに内緒にしてくれとナベさんには言ったけど、きっとフジさんにはわかってる。俺の練習メニューが露骨に変わって、通院するために何度も早上がりしてるから。

「でもよ。たとえ、相手がフジさんだとしても。いや。相手がフジキセキだからこそ、ぜってーに勝ちてぇよなああっ!」

手紙を握りしめて[[rb:吼 > ほ]]える。ナベさんが俺の足が持つのはジャパンカップまでだと言うなら。そのジャパンカップでフジキセキを倒して、真の最強になってから引退してやろうじゃねぇか。

フジキセキと公式のレースで戦える。
その事実に武者震いしながら朝の仕度の続きをした。昨年の夏まで、なかなか真っ直ぐ結べなかった制服のリボンは胸元のも腰のも自分で綺麗に結べるようになった。



< Fin. >

俺のデビュー戦前夜とフジさん

< side ジャングルポケット > 


明日の札幌レース場で俺はデビュー戦に出走する。さっき、同じ部屋に泊まるフジさんこと、フジキセキさんと「お休み」を言い合って何分経ったんだろう?

早く眠らなきゃと思って目を閉じるんだけどよ。明日のデビュー戦に興奮して眠れねぇ! 走るのは問題ない。それよりもだ。レースの後のウイニングライブ。「Make debut!」を歌うんだよな? 絶対に俺は勝つからよ。1着はセンターで歌うんだよな。

「ポッケ、眠れないのかい?」

布団の中で寝返りしまくってたからか、フジさんから声を掛けられた。フジさんは俺のデビュー戦のために、わざわざ一緒に札幌に来てくれた。他の奴らは、ひとりで泊まってるんだよな。憧れの人がサポートまでしてくれて俺は恵まれてる。

「眠れないなら、こっちにおいで」

浴衣姿のフジさんが手招きしてる。ナベさんの家に泊まった時みてぇだ。頷いてフジさんが横たわっている布団に行った。

「うーん。この浴衣だとポッケには寝心地が悪そうだね。私のルームウェアを貸すよ」

フジさんが起き上がってバッグからTシャツとハーフパンツを取り出し、俺の手に乗せる。

「ポッケのサイズに合うはずだから着てみて」

「は、はい」

言われるがままに肩からずり落ちていた浴衣を脱ぎ、レモンイエローのTシャツとライムグリーンのハーフパンツに着替えた。大きいサイズのTシャツとウエストがゆったりしているハーフパンツは着心地抜群だ。

「良かった。ポッケに似合っているからあげるよ。今度から遠征の時はパジャマ代わりに持ち歩いて。レース前夜にグッスリ眠るのも大切だからね」

「有難うございます!」

「じゃあ、寝ようか。おいで」

フジさんに言われるがままに布団に入ると抱き締められた。柔らかくて。札幌に来ても俺のためにレモネードを作ってくれるから、かすかにレモンの香りがして。先輩を通り越して、まるで俺の姉貴みてぇだ。

「あんなに練習したんだから大丈夫だよ。それにね。もし、デビュー戦に勝てなかったとしても未勝利戦がたくさんある。過去に未勝利戦に何度も出走したG1ウマ娘もいるよ」

「でも、俺はフジさんみたいに無敗で最強のウマ娘になりてぇんだ」

「有難う。だけど、私は最強じゃないよ。クラシックレースを走れていないから」

寂しそうに笑うのが常夜灯でも見える。フジさんは自分のレースの話になると、寂しそうに笑う。直接見た弥生賞以外の他のレースだって、スゲー走りをしてたのに。

「フジさん、そんなことねぇよ。ずっと、フジさんは最強だ……」

「有難う。でも、今は私のことよりポッケの明日のデビュー戦が大切だ。不安なことは吐き出してしまおう。全て受け止めるから」

「フジさんはウイニングライブを全部センターで歌ったんだよな? スゲー緊張したのか?」

「ウイニングライブ? あははっ。なーんだ、ポッケは勝つことしか考えてないんだね。ウイニングライブは楽しかったよ」

「楽しい?」

フジさんはスゲーな。ウイニングライブを大勢の前でも緊張しないどころか、楽しめてたのかよ。

「うん。声援を送ってくれた人たちに感謝の気持ちを歌で伝えられるからね。私は舞台出身だからレースよりもウイニングライブの方が慣れていたんだ」

「俺はカラオケなら得意だけど、大勢の前で歌うライブは初めてだからよ……」

「大丈夫。一緒に練習して力強く歌えるようになったじゃないか。私はポッケの歌声のファンでもあるよ。それじゃ、物足りない?」

「全く自信ねぇ」

「じゃあ、小声で一緒に歌ってみようか。せーの」

フジさんの「せーの」に合わせて「Make  debut!」を歌う。
一緒に歌おうと言われたのに。俺はフジさんの美声で紡がれる歌に聴き惚れて。そして、スゲー眠くなってきた。フジさんの腕の中は温かくて安心できて……

「ふふっ。まさか、「Make debut!」が子守唄になるとはね。でも、これで朝までグッスリ眠れるかな。お休み、ポッケ。君なら大丈夫だよ」

歌うのをやめたフジさんの落ち着いた低めの声も心地いい。

「ポッケ、ナベさんを遠い札幌まで連れてきてくれて有難う。私はナベさんを新潟までしか連れて行けなかったから。私の分もナベさんをたくさんのレース場に連れて行って欲しいな。なんて、ポッケに期待し過ぎちゃってるよね。でも、これが私の本心なんだ。君に色々と想いを背負わせてゴメン……」

フジさん、謝らないでくれよ。俺はフジさんがナベさんと出会わせてくれたから、メイクデビューできるんだ。選抜レースに何度出て勝とうが、スカウトされなかった俺をフジさんがナベさんに引き合わせてくれたから、スタートラインに立てたんだ。

でも、スゲー眠くてフジさんの呟きに反論できねぇ。たった一言、フジさんに
「いくらでも俺に期待してくれ!」
と伝えるだけなのに。そうすれば、フジさんはあの寂しそうな笑顔をやめてくれるかもしれねぇのによ……

[newpage]
< side フジキセキ >


「ポッケ、ゴメンね……」

何度めだろう。ポッケの寝顔にゴメンと呟くのは。ポッケが選抜レースで勝っても、トレーナーたちはスカウトしなかった。編入したばかりの荒々しい口調で喋るウマ娘を引き受ける覚悟がないから。ポッケが何度めかの選抜レースで勝った時。

「君に相応しいトレーナーさんを紹介するよ。さあ、ついておいで」

とナベさんに引き合わせた。ナベさんはポッケの経歴と選抜レースで何度も勝っていることを知った時。ポッケに河川敷のコースを走れと言った。

まだ、当時は芝が伸び放題で整備されていないコースだ。不良バ場の方がマシだろう。でも、ポッケは荒れまくったコースを危なげなく力強く走りきった。

「一周走ったぜ」

と走った直後なのに笑いながら。
天性の末脚と強靭な足腰と長距離でも十分に走れそうなスタミナ。この子は私たちの夢の続きを見せてくれるかもしれない。ナベさんも同じことを思ったからか、

「ワシの練習は厳しいぞ。それでも、付いてくるか?」

とだけ、ポッケに言った。ポッケは

「もちろんだぜ。やったー! やっと、トレーナーが付いたからすぐにメイクデビューできるぜ」

無邪気に喜んだ。


それから、トレーニングを兼ねてコースを整備して、ナベさんがポッケを指導した。練習がキツいと伝えた割には私の弥生賞前後のトレーニングメニューよりも負荷は軽めだ。ポッケに私の二の舞をさせたくない。痛いほど、理解した。

私はナベさんに期待させるだけ期待させて大怪我をしたから。ダービートレーナーどころか、ダービーの景色も。いや、クラシック三冠レース以降の景色を見せることできなかった。身体が頑丈で驚異的な末脚が武器のポッケに、ナベさんの夢の続きを託したい。

「……ふじしゃん」

不意に名前を呼ばれてドキリとしたら、ポッケの寝言だった。

「ふじしゃん……、おれ、[[rb:しゃいきょー > 最強]]になりゅかりゃ」

「ふふっ。夢の中でもレースに出るのかな」

思わず、寝言に応えてしまった。寝言に反応してはいけないと聞いたことがあるのに。

「[[rb:らかりゃ > だから]]、おれに[[rb:きちゃい > 期待]]してくれ」

寝言は本音だとの説もある。ポッケの「俺に期待してくれ」が本音なら。私がポッケに期待して夢を見てしまうことに罪悪感を持たなくて良いのかもしれない。

「……でも。さすがに、ダービーウマ娘になって欲しいは期待し過ぎだよね」

毎年デビューするたくさんのウマ娘から、ダービーに出走できるのは18人だけ。更に勝者は1人のみだ。これからデビューするポッケがたくさんいる同期の頂点に立つ可能性は低い。

それでも、ポッケならダービーウマ娘になれるかもしれないと期待してしまうんだ。私が怪我をしてからレースの世界から去ったナベさんがポッケの走りを見て、すぐにトレーナー業に復帰したから。

「今はまだ、君にダービーウマ娘になって欲しいまでは言わないよ。でも、皐月賞に出走できたら。改めて、君が起きている時に私の本音を話させて欲しい」

レース前とは思えない無邪気な寝顔にそっと呟いた。



< Fin. >

デビュー戦1週間前のジャングルポケットとフジキセキ

デビュー戦1週間前。
ナベさんの家の近くにあるコースで練習していた時だ。

「痛っ!」

スゲー小さい声だけど、俺のトレーニングを見守ってくれているフジさんの悲鳴が聞こえた。それはナベさんも同じで。

「フジっ! 古傷がぶり返したかっ!」

フジさんのハイソックスを脱がして確認している。

「あはは、大げさだよ。あの時、怪我したのとは反対の足を少し捻っただけ。っ……」

嘘つけ。スゲー痛そうに顔をしかめてるじゃねぇか。

「捻挫を甘く見るな。ポッケ、悪いが、トレーニングはフジをおんぶで整形外科に連れて行くメニューに変えるぞ」

「そんな悪いよ。ポッケは札幌レース場でのメイクデビューを1週間後に控えているんだ。私を長時間おんぶしていたら負荷も大きい。ナベさんの家にある松葉杖を使えば、ひとりで整形外科に行けるから」

「ポッケは頑丈な身体だから心配するな。ポッケがトレーニングで引いている巨大タイヤよりもお前さんはずっと軽い。それに捻挫した足を悪化させたら札幌まで行けないだろうが」

ナベさんの説得で、やっとフジさんが頷いてくれた。

「ポッケ、迷惑をかけてゴメンね」

「何を言ってるんだよ。フジさんのお陰で俺はメイクデビューできるんだぜ。たまには恩返しさせてくれよ」

「うん。有難う」

でも、フジさんは笑顔に戻らなかった。相当、痛みが強いのかもしれねぇ。早く病院に連れて行かねぇと。フジさんをおんぶして、ナベさんが信頼している整形外科に連れて行った。



******



整形外科で診察してもらってから、栗東寮にフジさんを連れて帰ってきた。

普段は厳しくておっかないエアグルーヴが俺におんぶされたフジさんを見て血相を変えて。すぐに寮長の仕事の代理を申し出た。
きっと、フジさんの皐月賞前の怪我は相当ヤバかったんだ。ナベさんとエアグルーヴが瞬時に動くぐらいに。

だけど、フジさんは皆に気遣われるのを極度に嫌がる。怪我をした時ぐらい甘えてもいいのによ。そう思いながら、フジさんをベッドに降ろした。

「数日間安静で済んで良かったぜ。フジさん?」

「本当にゴメン……」

フジさんの足は捻挫で数日間安静にすれば治るらしい。俺のデビュー戦にも十分に間に合う。なのに、フジさんは俺に謝り続けている。

「そんなに謝るなって。俺のデビュー戦には十分間に合うじゃねぇか」

「でも、君の大事なデビュー戦前に怪我をして足を引っ張るなんて……」

「俺がレースに出られるのは、フジさんがナベさんに引き合わせてくれたからだ。模擬レースで勝っても誰も俺に声を掛けてこねぇ。そんな状況を打ち破ってくれたのはフジさんだろ? ナベさんに会わせてくれてよ。ずっと俺のトレーニングに付き合ってくれたじゃねぇか。だから、足を引っ張るとか言うなよ」

「ゴメン、ゴメンね……」

俺なりに言葉を尽くしても、フジさんは謝り続けてしまう。どうしたらいいんだ。

「ポッケに期待を背負わせてしまっているのに。なのに、たかが捻挫でレース直前のトレーニングを中断させてしまった……。謝っても謝りきれないよ」

俯いたままのフジさんが本音を呟いた気がした。

「期待されてるのはスゲー嬉しいっす!」

「え?」

フジさんの謝罪が止まって、俯いてたフジさんが顔を上げた。本音には本音をぶつけるしかねぇ。

「俺は最強になる。そう決めてトレセン学園に転入したんだ。だから、今後も俺に期待していてくれ!」

「ぽっけ?」

ポカンと俺を見ているフジさんにとって、俺は珍しいタイプなんだ。プレッシャーすら楽しくなる性格なのは長所と言われた理由が、今わかった気がする。

「俺は期待されればされるほど、強くなるタイプだ。フリースタイルの時も応援してくれる奴が多い方がよく勝てた。だから、フジさんは俺にバンバン期待しちゃってください!」

「ぷっ。あははっ。そっか。ポッケはプレッシャーに強いタイプなんだね。じゃあ、君の未来に期待しちゃおうかな」

やっと、フジさんが笑ってくれた。

「任せてくださいよ。俺は絶対に最強になるから! それに、ナベさんが最近の俺は走り過ぎだって叱ってたじゃねぇっすか。だから、フジさんの捻挫がなくても休めと言ってきたに違いねぇ」

「そうだね。ポッケは十分に調整できているから、息抜きも必要だよね。本当に有難う」

「礼を言われることなんかしてねぇけどよ」

「ううん。君がトゥインクルレースを目指してくれているだけで、お礼を言いたいよ。ナベさんをレースの世界に戻してくれて有難う」

「変なフジさん。ナベさんを俺に引き合わせたのはフジさんじゃねぇか」

「それでもやっぱり有難うを言わせて欲しいな」

いつもの儚げな笑みを浮かべているが、さっきの俯いたままの姿よりはずっとマシだ。

「そうだ! 明日の放課後に商店街のカフェにパフェを食べに行こうよ。ポッケに今日のお礼もしたいし、パフェを奢らせてくれるかい?」

ズルいなあ、フジさん。
俺がパフェを好きなのを知って誘ってくるんだから。でも、フジさんが寮長部屋にひとりきりで籠るよりマシかもしれねぇ。

「やったー! 俺、パフェ大好きだから、ジャンボパフェを頼んじゃいますよ!」

大げさに喜んでみる。だけど、やり過ぎたのか、フジさんが渋い顔に変わった。

「うーん。いつもなら、喜んでと言いたいけど。ポッケは1週間後にデビュー戦を控えてるよね?」

「うっ……。じゃあ、何でカフェに誘うんですか。拷問っすかー!」

「あははっ。明日、ポッケを連れて行くカフェはね。レース前のウマ娘も食べられるように低カロリーのパフェを作っているんだ。さすがにジャンボパフェだとカロリーオーバーしちゃうけどね」

ウインクしながら話すフジさんはいつもどおりに戻ってホッとした。

「わかりました。明日は普通サイズのパフェをひとつだけ食べます。でも、デビュー戦で俺が勝ったら、ジャンボパフェに付き合ってくださいよ! 約束した俺が支払いますから」

「うん。デビュー戦から帰ってきたら、お祝いにカフェに行こうね」

フジさんが突き出した拳に俺も右手で拳を作って合わせて、グータッチをする。
フリースタイル時代もやっていたグータッチをトレセン学園でもするのは意外だ。だけど、気合いを入れたい時や勝った時の気持ちはフリースタイルもトレセンも同じなのかもしれねぇな。



******



翌日。
フジさんが商店街の中にあるカフェに連れて来てくれた。フジさんが捻挫している足のことを考えたらおんぶして来たかったけど、松葉杖で大丈夫だと頑なに断られてしまった。

俺たちのテーブルに運ばれたのは、フジさんが注文してくれたさくらんぼパフェとホットコーヒーだ。

「はい、ポッケ。ここのさくらんぼパフェは美味しいらしいから味わってね」

「フジさんはパフェを食べねぇのかよ」

「実は甘いものが苦手なんだ。だから、ポッケは私に遠慮しないで食べて」

「はいっ! いっただきまーす!」

さくらんぼパフェを食べる俺をフジさんはブラックコーヒーを飲みながら見てくれている。やっぱり、フジさんは大人でスゲー格好いいや。

「どうしたの? パフェが口に合わなかった?」

「パフェはスゲー美味しいっす! フジさんがブラックコーヒーを飲んでるのが大人だと思って」

「あはは。そんなことないよ。一口飲んでみる?」

フジさんがコーヒーカップを差し出してきた。一瞬で目が覚めるようなコーヒーの香りがする。漆黒の液体がいかにも苦そうだ。でも、フジさんが飲んでるコーヒーを俺も飲んでみたい。

「いただきます……。熱っ! 苦っ!」

初めてのブラックコーヒーは想像以上に苦くて熱かった。こんな苦いのを美味しそうにフジさんは飲んでたのかよ。

「まだ熱かったんだね。ほら、お水を飲んで」

差し出されたグラスの水を飲み干した。それでも、まだ口の中にコーヒーの苦さが残っている。

「はい、あーん。これでコーヒーの苦みは取れるはずだよ」

口の前に出されたのは、バニラアイスを乗せたスプーンだ。思わず、苦いのから逃れたくて差し出されたスプーンを咥えてアイスを飲み込んでしまったけどよ。もしかしなくても、恋人のようなやり取りをしてしまったのか。

「まだ口の中が苦い? もっとアイスを食べさせようか? それとも生クリームの方がいいかな?」

「大丈夫っす! ひとりで食いますからっ!!」

キョトンとしないで欲しい。まさか、フジさんは誰にでも「はい、あーん」をやってあげているのか。深く考えるのはやめようと生クリームを口に入れた時。

「ふふっ。ポッケは可愛いなあ。まるで、妹ができたみたいだ」

「ぶふぉっ!」

い も う と !
想像もしなかった言葉に口に含んでいた生クリームを吹き出してしまった。

「わっ。こーら、お行儀悪いよ」

叱りながらもフジさんはハンカチで俺の口元を拭いてくれる。さすがに恋人じゃねぇか。どう見たって小さい子ども扱いだ。生クリームが飛び散ったはずのテーブルも綺麗になってるしよ。

「フジさんが悪いんだ。俺を可愛いとか妹とか急に言い出すから」

「ゴメンね。でも、ポッケを可愛い妹分だと思っているのは本心だよ」

フジさんは穏やかに笑ってる。昨日のように謝り続けられるより、まだ笑ってくれてる方がいいや。

でもよ。
フジさんが笑顔に戻って良かったと言ったら、ずっと作り笑顔をさせてしまいそうだ。フジさんは気遣いの塊で何よりもエンターテイナーだから。

俺がフジさんのレースを初めて見た弥生賞の時。あの時のフジさんはレース中でも不敵に笑ってるように見えたし、勝った時は心から嬉しそうだった。いつか、あの時のフジさんの力強い笑顔が見たい。

だから、俺は

「フジさんの妹分になれて光栄っす!」

とだけ伝える。
いつか、俺の走りでフジさんを力強い笑顔にさせたい。そう願いながらスプーンでアイスを掬って頬張った。



< Fin. >

ジャングルポケットとフジキセキの相合傘

ナベさんの家の近くでトレーニングをしていたら、かなり大粒の雨が降ってきた。俺にとっては雨天時の練習にもなるけどよ。付き合ってくれるフジさんと年寄りに片足を突っ込んだナベさんに悪いなと思っていたら、

「トレーニングは中止じゃ。ふたりとも気をつけて帰れ」

ナベさんから帰宅命令が出た。

「はい」
「へーい」

トレーニングに付き合ってくれてるフジさんを濡らす訳にはいかねぇからな。しかし、傘を持ってきてねぇや。走って帰るか。スクールバッグを肩に引っ掛けて走ろうとした時。

「ポッケ、待って。一緒に帰ろう」

フジさんが傘を差し出してくれたのは。まさか、相合傘か?

「ナベさんから借りた傘は結構大きくてね。密着すれば、2人ともそんなに濡れずに済むよ」

やっぱり、相合傘か。ナベさんの紺色の傘はスゲー大きくて、たしかに密着すれば濡れなさそうだ。

「よ、よろしくお願いしま……、うわっ!」

「こーら。そんなに離れてたらポッケが濡れちゃうよ。寮に着くまで我慢して」

フジさんに肩を抱かれて、スゲードキドキする。さっきまでのトレーニングよりも心臓が速く鳴ってるのがわかる。

「いい子だね。いい子のポッケには寮に着いたらホットレモネードかココアを入れてあげるよ」

俺は肩を抱かれてドキドキしてるのによ。フジさんは平然としてる。やっぱり、スゲー大人だ。歳はそんなに変わらないけど中身が全然違う。
いつかは俺も相合傘をした奴の肩を平然と抱けるようになれるのか。いや、無理だ。絶対に真っ赤な顔になっている。触らなくても頬が熱い。

そっと、隣を盗み見ると。首まで顔を赤くして耳をペタリと倒したフジさんがいた。フジさんが赤面するのを初めて見た。

「こーら。盗み見はダメだよ。危ないから前を向いて歩いて」

フジさんに注意されたけどよ。相変わらず、耳をペタリと倒して、尻尾が左右に揺れてソワソワしててよ。こんなに全身で照れてるフジさんを見るのは滅多にない。

「もう。私をずっと見ていても面白くないし、危ないからさ……」

だんだん声も小さくなって、スゲー可愛い。フジさんが照れる姿は愛らしくて。思わず、腰を抱いてしまう。

「ひゃっ!?」

「密着しないと濡れると言ったのはフジさんだぜ? ほら、こっちにおいで。なんてな?」

俺の冗談が聞こえたのか聞こえてないのか。フジさんは固まったままだ。冗談を言いすぎたか。

「済まねぇ。やりすぎた」

「ポッケのバカ……」

ジト目で罵倒された。ヤベー。フジさんは怒ってるのに、ご褒美にしかならねぇ。だけど、そろそろやめとくか。フジさんの腰から手を離す。

「あー。結構、土砂降りになってきたしよ。一旦、ナベさんの家に戻って、もう1本傘を借りようぜ」

「ダメだよ。私たちを送り出したナベさんは晩酌を始めてる頃だから邪魔になる……」

真っ赤に染まってたフジさんの顔が一気に血の気が引いてく。
ナベさんの晩酌。
きっと、フジさんには晩酌をしてるナベさんが耐えられないんだ。時々、ナベさんから強い酒の匂いがするから飲み潰れてるに違いねぇ。フジさんもナベさんが酔い潰れてるのを知ってるんだ。だから、こんなにも苦しそうな顔になっちまった。

「そっか。残念だなー。ナベさんの晩酌のアテをもらい損ねちまった」

「ポッケ!」

「冗談だ。びしょ濡れになる前に帰ろうぜ」

「うん」

無邪気なフリをするのは簡単だ。昔から慣れっこだ。だがよ。時折、フジさんが苦しそうな顔をするのを何とかしてやりてぇ。

間違いなく、フジさんはクラシック三冠レース前に怪我で離脱したのを後悔してるに違いない。そして、ナベさんもフジさんをクラシック三冠レースで走らせてやれなかったことを悔やんでる。ふたりとも俺の足の調子にはスゲー気を配ってくれるから。

ふと、フジさんの手を触るとスゲー冷たくなってる。傘を差してるのに、こんなに冷えてるのはかなり濡れてるんじゃねぇか。

「フジさん、すっかり冷えてる。俺に傘を傾けすぎじゃねぇか」

「そ、そんなことはない……よ?」

意外とフジさんは嘘を付くのが下手だ。顔を見なくても少し震える声と小さくなっていく語尾が嘘だと雄弁に語ってる。

「ふたりで仲良く濡れてさ、寮に着いたらすぐに風呂に入ろうぜ。俺に気を遣ってフジさんが風邪を引くのは絶対に嫌だからな」

「うん。ゴメン」

「わかればいいんだ。じゃあ、さっさと帰ろうぜ」

フジさんの手から傘を奪う。やっばり、俺が濡れないようにしてくれてたんだ。チラリと見えたフジさんの右腕と右肩は雨で濡れて、ジャージが張り付いてた。

「私の方が背が高いから傘を持つよ」

「ダメだ。フジさんはすぐに自分を犠牲にするから、ここから先は俺が傘を差す」

「ポッケはさっきまでトレーニングで疲れているじゃないか」

「途中で切り上げたから、そんなに疲れてねぇ。全然、大丈夫だ。さあ、行こうぜ」

正直、普段よりも腕を伸ばして傘を差すのはキツい。だけど、フジさんに傘を持たせたら右半身びしょ濡れとかなりそうだ。実際にかなり濡れてジャージが張り付いてたしよ。これも筋力トレーニングだ、トレーニング!

「ゴメン。やっばり、私が傘を持つから」

なのに。フジさんから傘を取り上げられた。

「今度は平等にするから、私に傘を持たせてくれるかい?」

「……わかった」

フジさんの宣言どおり、俺の左肩も少し濡れてきた。でも、フジさんだけびしょ濡れになるより、ふたりで仲良く少しずつ濡れる方がマシだ。

俺たちは、ただ並んで栗東寮を目指した。



< Fin. >

フジさん特製のレモネード

「ポッケ、今日もお疲れ様」

「有難うございます!」

トレーニング後にフジさんが渡してくれる特製レモネードが大好きだ。甘酸っぱくて、何よりもフジさんの手作り! 俺はフジさん特製のレモネードをがぶ飲みしていいのかな。喉が渇いてたから一気に飲み干してしまった。

「お代わりもあるよ。はい、どうぞ」

グラスが空になった途端に、新しいグラスを渡される。俺、こんなにスゲーいいサービスを受けていいのかよ。

「浮かない顔をしてどうしたんだい? 今日は記録更新もしたじゃないか」

「トレーニングで悩んでる訳じゃなくて。俺はこんなにフジさんによくしてもらっていいのかなって」

フジさんの瞳が見開いた。やっぱり、俺はサービスしてもらい過ぎだよな。

「あははっ。そんなことを気にしてたんだ。もちろん、いいんだよ。君は私の妹弟子なんだから」

淡い微笑みを浮かべている。

「ポッケにナベさんを紹介したのは私だからね。君のトレーニングを見守りたいと思ってるし。迷惑じゃなければ、メイクデビューも現地で応援したいんだ」

「マジ……っすか?」

栗東寮の寮長もしてるフジさんが俺のトレーニングに付き合ってくれてるのもスゲー恵まれてると思ったけどよ。メイクデビューも現地で応援してくれるのか? メイクデビューは札幌レース場を予定してるのに?

「マジだよ。ナベさんには許可をもらったんだけど、肝心のポッケに札幌レース場まで同伴して行っていいか聞いてなかったね」

え?
俺のメイクデビューにフジさんが札幌まで同行してくれる? 俺は夢を見てるんだよな? そうだ。多忙なフジさんが俺に同行する訳…… 

「痛っ!」

つねったほっぺは痛くてヒリヒリする。これは夢じゃねぇ!

「大丈夫かい? 頬をつねったらポッケの綺麗な肌を傷付けるよ」

「だ、だってよ。フジさんが札幌まで付いてきてくれるなんて夢みてぇで」

「夢じゃないから。まずは赤くなった頬を治してあげる。これはうるおいハンドクリームと言ってね。ウマ娘の肌あれをはじめ、肌のトラブル全般に効くんだ」

フジさんがクリームを俺の頬に塗った瞬間、痛みがあっという間に取れた。スゲー! 魔法みてぇだ!

「良かった。頬の赤みも取れたね。このうるおいハンドクリームはポッケにあげるよ。ナベさんがトレーナーだから滅多に使うことはないと思うけど。レースに連戦して肌あれした時、特に重宝するらしい」

一瞬だけ伏し目がちになったフジさんは、また淡い微笑みを浮かべている。フジさんの戦績は4戦4勝。現役時代、適度に出走してたフジさんは肌あれの経験がないんだろうな。このクリームも新品だったから。

「有難うございますっ! 大切に使います!」

「あはは。あまり使うことがないといいね。おや。また、レモネードを飲みきったみたいだから、お代わりを持ってくるよ」

フジさんが寂しそうに見えて、思わず抱き着いてしまった。

「どうしたのかな? やっぱり、何か悩んでる? 私で良ければ話を聞こうか」

振り返ったフジさんにはお見通しだ。でもよ、フジさんが寂しそうだからなんて言えねぇ。そんなことを言ったら、フジさんは俺の前で作り笑いしかしなくなる。まるで、永遠に仮面を被り続けるエンターテイナーのように。

「きゅ、急に甘えたくなっただけっす」

「あははっ。遠慮なくお姉ちゃんに甘えていいんだよ。なんてね」

振り向いたフジさんが俺を抱きしめ返してくれる。柔らかくて何かいい匂いがして。本当に俺の姉貴みたいだ。

「メイクデビュー前は色々と不安になるよね。でも、ポッケなら大丈夫だよ」

良かった。俺が抱き着いたのをデビュー前の情緒不安定のせいだと誤解してくれた。勘違いしてもらった方がいいや。頷くと、頭を撫でてくれる。温かくて少しだけくすぐったい。

「札幌のレース場は走りやすかったとエアグルーヴから聞いているし、何も心配ないからね」

フジさんが言うエアグルーヴは札幌記念で連覇した女帝と呼ばれる有名なウマ娘だ。メイクデビューも札幌レース場だったと聞く。
きっと、フジさんは俺のためにエアグルーヴに札幌レース場のことを聞いてくれたんだ。フジさん自身は走ったことがないレース場だから。

「有難うございます」

「ううん。私は札幌レース場の情報提供ぐらいしか、ポッケにしてあげられないから」

見上げると、スゲー寂しそうな顔をしている。と思ったのも一瞬で胸の中に強く抱かれた。

「わふっ!?」

「こーら。お姉ちゃんの顔を盗み見しちゃダメじゃないか。もう少しだけ、私の胸の中にいて……」

喜怒哀楽がすぐに顔に出てしまう俺と違って、フジさんは大人だ。様々な感情を表に出さないように淡い笑みを浮かべている。そのフジさんが俺を抱きしめてるのは顔を見られたくないからだ。なら、俺は素直にフジさんの胸の中にいよう。
コクンと頷くと、

「よしよし。ポッケはいい子だね」

少しだけ、いつものフジさんの声に戻ってきた。そして、また頭を撫でられる。フジさんが頭を撫でてくれるたび、レモンの爽やかな香りがする。いい匂いの正体はレモンだったのか。
あの特製レモネードはフジさんが大量のレモンを切ったり絞ったりして作ってくれてるんだって伝わってきた。

「フジさん、いつもレモネードを作ってくれて有難うございます!」

「急にどうしたんだい?」

「こうしてると、フジさんからレモンのいい香りがしてよ。レモネードを大量に手作りしてくれてんだと気が付いたから……」

「本当にポッケはいい子だね。ますます、ポッケのためにレモネードを作りたくなるよ」

俺を抱きしめる腕が少し緩んで。そっと見上げると、いつもの笑顔より嬉しそうな表情を浮かべていた。でも、まだ甘えてるフリをして再び抱き着く。

いつまでも、姉貴のような存在でいて欲しい。本当の願い
【 全盛期のフジキセキと真剣勝負で芝2000メートルを走りたい 】
は叶えられないから。せめて、新しい夢ぐらいはもう少しだけ見ていたい。レモンの香りに包まれながら、願っていた。



< Fin. >

君がフジさんと呼んでくれた日

トレセン学園の入学式。
桜並木をキョロキョロしながら歩く初々しいポニーちゃんでいっぱいだ。数年前に真新しい制服に身を包んで、この桜並木を初めて歩いていたのを思い出す。そんなポニーちゃんたちをどこか懐かしく見ていた時だ。

「いたっ!!! あーねーさーんっ!!!」

大音量で誰かを「あねさん」と呼ぶ声が聞こえた。姉妹でトレセン学園に入学したのかな。ビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹を思い出す。姉に懐く妹のやり取りは聞いているだけで微笑まし……

「姐さんっ!!!」

「はい?」

姐さんと呼ぶポニーちゃんは笑顔で私の両手を掴んでブンブン振っている。緊張し過ぎて私をお姉ちゃんと間違えちゃったかな?

「私はフジキセキだよ。君のお姉ちゃんではないからね。一緒にお姉ちゃんを探しに……」

「うぉおおおおっ!!! 姐さんが俺に向かって喋ってくれてたぁああああっ!!! 姐さんの弥生賞、最高だったっす!!!」

大声で叫びながら、私の両手を更にブンブン振っていて。姐さんとは私のことか。もしかすると、目の前のポニーちゃんは私のファンなのかな。私の走りでこんなに熱くなってくれるポニーちゃんがいるんだ。嬉しいな。嬉しいけど。でも、もう、私は……

「姐さん、足は大丈夫……じゃねぇよな。ニュースで見た。まだ、ずっと立っていたら辛ぇんじゃねぇか」

「これぐらいは全然平気だよ」

大怪我したのも知っちゃってたか。でも、寮長として新入生や転入生の歓迎はしたいから、もう少し頑張らなきゃ。作り笑顔で答えたのに、目の前のポニーちゃんは私を抱き上げた。

「ダメだっ! ますます、姐さんの足が悪化してしまう。姐さんはどこかで休んだ方がいいぜ」

参ったな。転入生のポニーちゃんにお姫さま抱っこをされるとは思わなかった。そして、人気のない場所に連れて行かれてベンチに下ろされる。

「ここなら大丈夫か。俺たち転入生や新入生の案内なら他の奴らがやってるしよ。姐さんは少しでも休んで足を回復させねぇとな」

「ダメだよ。私は栗東寮の寮長だからね。案内を一番頑張らないと」

「じゃあ、今は絶対に休んだ方がいいぜ。寮長は大変なんだろ。誰もができる仕事は他の奴らに任せた方がいい」

面白いポニーちゃんだ。トレセン学園に転入する前は何かのリーダーをしていたに違いない。強引とも思える言動と優しさは、トレセン学園の生徒会長シンボリルドルフに少し似ているから。せっかくの好意を受け入れて休もうかな。

「有難う。じゃあ、ここに座って君の案内に専念するとしよう。まずは名前を教えてくれるかい?」

「俺はジャングルポケットだ。仲間からはポッケと呼ばれてるから、姐さんもポッケと呼んでくれ」

「うん。私もフジでいいんだよ。どうやら、ポッケとはそんなに年が離れていなそうだからね」

「フジの姐さんっすね! わかりました!」

「ひとまず、姐さんから離れようか?」

「弥生賞で超スゲー走りをした姐さんを尊敬したいっす。だから、俺はフジの姐さんと呼びます」

瞳をキラキラさせて話すポッケに、これ以上は姐さん抜きで呼んで欲しいと言えなかった。

しばらく、ポッケと話していると野良レースと呼ばれるフリースタイルのリーダーをやっていたこと。たまたま、仲間と見に来た弥生賞で私を見てトゥインクルシリーズで走ろうと転向したこと。仲間3人と共にトレセン学園の編入試験に合格したことを教えてくれた。

「俺、トレセン学園に入ったら、フジの姐さんに追いかけてきたと伝えたかったっす!」

「じゃあ、今ので夢は叶ったのかな」

「まだまだだ」

野望に満ちた瞳は先を見据えているようだ。

「俺の夢はトゥインクルシリーズで最強になることだから。フジの姐さんのように強くて速くなりてぇ」

こそばゆいな。現実の私はもう走れないのに。再び走れるようになったとしてもジョギング程度なのに。弥生賞の走りを見ただけで、こんなにも私に憧れてくれるんだ。

「そっか。じゃあ、君がトゥインクルレースで最強になるのを見守っているよ」

「任せてくださいっ!」

胸をポンッと叩く姿が眩しい。怪我をする前の私もこんな感じに無敵だったのかな。ポッケは身体が頑丈そうだから、私のように早々と引退することもなさそうだ。無限に広がる可能性があまりにも眩しくて、そっとポッケから目を逸らした。



******



翌日。
ポッケはトレーニング場にいた。

「フジの姐さーんっ!! 俺の走りを見ててくださいっ!!!」

相変わらずの大声で私に呼び掛けると、デタラメなフォームで走って行く。併走の駆け引きも下手だ。なのに、ポッケは最後の直線で一気に抜き去った。

「俺が勝ったぁああああっ!」

走り終わった後なのに、大声で勝ったことを伝えられるスタミナ。最後の末脚。この子はトレーナーが付けば、かなり強くなれそうだ。

「本当にスゴい、スゴいよ!」

ポッケに見えるように大げさに拍手をして勝利を称える。眩しいな。スゴく眩しくて、あっという間に私の4戦4勝なんか抜き去ってしまう。そして、私のことも忘れちゃうかもしれないな。私の時代はとっくに終わったから。
ポッケなら模擬レースで勝って、すぐにトレーナーが付く。順調にメイクデビューして、そして……


だけど。私の思惑に反して、ポッケが入学して1年が過ぎ。まだ、ポッケはメイクデビューの目処どころか、トレーナーすらいなかった。今年のはじめに本格化も迎えたばかりなのに。

トレセン学園にいる今のトレーナーたちはポッケが模擬レースで圧勝しても、彼女に声を掛けなかった。無茶苦茶なフォームに荒削りの走り。
「今日も絶対に俺が勝つ!」
とビッグマウスとも思える宣戦布告。そんな子のトレーナーになるのが怖いんだ。ポッケと追い比べした2着になった素直そうな子にはトレーナーが群がっているのに。

このままだとポッケは最強どころか。トゥインクルレースに出られない。トレーナーが付かないとメイクデビューすら出来ない仕組みだから。

「……ナベさんなら、ポッケのトレーナーになってくれるかもしれない」

かつて、私のトレーナーだったナベさん。まだ、ナベさんは私の復活を待つと宣言した通り、誰のトレーナーにもなっていない。ポッケのトレーナーはナベさんしかいない。

「くっそぉおおおっ!」

誰からも声を掛けられなかったポッケが悔しそうに叫ぶ。無理もない。私が見ているだけで模擬レースで3回も圧勝しているのに誰からも声を掛けられないんだ。悔しいに決まっている。

「ポッケ、今回も強かったね」

「ふじのあねさん? ははっ、変なところを見られちゃったな」

「模擬レースで圧勝した君に相応しいトレーナーさんを紹介するよ。さあ、ついておいで」

ポッケの手を引き、多摩川のほとりにあるナベさんの家に向かって歩き出す。全力疾走後にトレセン学園から離れたナベさんの家に行くのは普通のポニーちゃんには不可能だ。だけど、ポッケはスタミナがある。

「俺に会わせたいトレーナーは、まだ先にいるのか?」

「うん。多摩川のほとりにある家にいるんだ」

「じゃあ、まだまだ先だよな。フジの姐さん、俺の背中に乗ってくれ」

「大丈夫だよ。模擬レースで走って疲れている君におんぶされる訳にはいかないよ」

「あんなの何ともないっす。まだ全力を出してねぇし。だから、遠慮なく俺におぶわれてくれ」

身震いした。
模擬レースで圧勝しておきながら、全力疾走していなかったとは。たしかに、すぐに呼吸も戻っていた。この子は本当に最強になるかもしれない。

「ほら。フジの姐さんは怪我の後遺症でまだ長い距離を歩くのが辛いんだろ?」

「うわっ!?」

気が付くと、ポッケの背中にいた。私よりも小さいのに背中は大きく見えて頼りがいありそうだ。

「ゴメンね」

「こういう時は謝るんじゃなくて、有難うっすよ」

「うん、有難う」

ポッケの背中は暖かくて気持ち良くて。うっかり眠ってしまった。



「多摩川のほとりにある家。ここか? ここしか家っぽいのはねぇよな。しかし、ボロい家だなあ。おーい! ココはフジの姐さんを知っているトレーナーの家かぁ!?」

ポッケの大声で目が覚めた。気が付くと、ナベさんの家の前に到着している。

「フジ……? フジキセキじゃと!?」

懐かしいナベさんことタナベトレーナーの声が聞こえてきた。やがて、ナベさんが家から出てきた。

「フジ! お前さん、また怪我がぶり返したのか!」

「ナベさん、お久しぶりです。怪我は大丈夫ですよ。それより……」

「また、お前さんは無理をして! 家に入って座っていろ。今すぐにタクシーを呼ぶ!」

「ま、待って。本当に私は大丈夫なんだ。今日、ナベさんのところに来たのはこの子のトレーナーになって欲しくてお願いに来たんだ。今日も模擬レースで勝ってもトレーナーが付かなくてね」

「なにっ!? 模擬レースで勝ったのにトレーナーにスカウトされなかっただと!? しかも、模擬レース後にフジをおぶって、ここまで……」

ポッケの経緯を聞いたナベさんが絶句している。当たり前だ。模擬レースで勝ったのにトレーナーからスカウトされないウマ娘なんておかしい。ポッケは口調は荒々しいけど、素行は全く悪くないのに。

「お前さん、フジをおぶってきたばかりで悪いが、あのコースを一周走ってくれないか?」

「ああ、あのコースを走ればいいんだな」

「ポッケ、今度はちゃんと全力疾走するんたよ!」

「わかった!」

ポッケが私も練習で数えきれないほど走ったコースを駆け抜けて行く。私が走っていた頃よりも草が伸びて荒れていて、不良バ場の方がマシなぐらいだ。でも、ポッケは雑草に足を取られることなく力強く走りきった。

「一周走ったぜ」

走り終わった直後でもニカッと笑えるスタミナ。荒れたコースも難なく走りきる足腰。やっぱり、ここに連れて来て良かった。隣でポッケの走りを見ていたナベさんの空気が変わったから。そして。

「ワシの練習は厳しいぞ。それでも、付いてくるか?」

数年前に私に伝えたのと同じ言葉を発した。

「もちろんだぜ。やったー! やっと、トレーナーが付いたからすぐにメイクデビューできるぜ」

ポッケが飛び跳ねながら喜んでいる。

「フジ。お前さん、とんでもない逸材を見つけてきたな。間違いなく、ポッケは名前を残すウマ娘になる。お前さんのようにな」

「あはは。私はクラシック三冠レースに出ていないから名前なんて残せないよ。G1も朝日杯しか勝ってないしさ」

「そう思っているのはお前さんだけだ。お前さんは伝説になっているよ」

ナベさんの遠い目を見ないフリをした。ナベさんをダービートレーナーどころか、ウマ娘をダービーに出走させたトレーナーにすらさせてあげられなかった。たぶん、私は一生後悔を抱いて過ごすんだろう。

「フジさーんっ! 」

大声で名前を呼ばれて俯いてたことに気がついた。顔を上げれば、ポッケが笑顔で手を振っている。

「俺、スゲー頑張ります! だから、たまにでいいので俺を見ていてくださいっ! フジさんっ!」

姐さんと呼ばなくなった理由はわからない。理由なんかないのかもしれない。だけど、フジの姐さんと呼ばれるより、フジさんの方がずっといい。

「うん。ポッケの成長をずっと見届けるよ!」

大声を出さなくてもウマ娘の聴力なら届くのに。ポッケにつられて大声で返事をしてしまった。手助けが要らなくなるまで、私がポッケとナベさんとの橋渡し役をやりたいと胸に誓った。



< Fin. >

ママ先輩のユーフォニアム

合宿から帰ってきて、いつもどおりの学校での練習が始まろうとする日の朝。低音パートが練習する3年3組の教室にはママ先輩こと黒江真由先輩しかいなかった。

「ママ先輩、おはようございます」

「佳穂ちゃん、おはよう。今日も暑いね」

「はい」

「ねぇ、佳穂ちゃんはユーフォ好き?」

突然、ママ先輩にユーフォが好きか聞かれた。
清良女子から転入して、自分のユーフォニアムを持っているママ先輩。部長の黄前久美子先輩と同じぐらいユーフォニアムが上手で。きっと、ユーフォニアムを大好きなんだと思う。
ユーフォニアムを愛しているママ先輩に低音パートに入った理由を伝えるのは恥ずかしい。

「ええっと……」

「私はユーフォ好きなの。ユーフォは主旋律を吹くことはあまりないけど、他の楽器と合奏すると深みが増してね。そんな風に他の楽器を低めの柔らかい音で支えるユーフォが大好き」

やっぱり、ママ先輩はユーフォニアムを愛しているんだ。ますます、私が低音パートに入った理由を伝えたくないな。だって、低音は人気がないと聞いたから、友だちと一緒にいられそうだなんて。きっと、私の不純な動機を聞いたら、ママ先輩を悲しませてしまう。

「あの、私は……」

「うふっ。困らせちゃってゴメンね。この前、佳穂ちゃんたちが低音パートに入った理由は聞いちゃったんだ」

「あわわわっ! や、やっぱり、低音なら友だちと一緒にいられそうって不純な動機ですよね。すみません!」

「いいんだよ。私も最初からユーフォを大好きだった訳じゃないから」

「え?」

「吹奏楽をを始める時にね。トランペットを希望したの。だけど、トランペットの希望者が多くてユーフォ担当に回されたから、むしろ嫌いだったの。でも、ユーフォを吹くうちにユーフォが嫌いから好きになって楽器を買ってもらっちゃった」

意外だった。
ママ先輩がトランペットを希望していた過去があるなんて。でも、トランペットパートをユーフォで吹いてたって聞いたことがあるから、今もトランペットも好きなのかもしれない。

「なんてね。半分は嘘かな。ユーフォだったら、コンクールメンバー争いがないと思ってたの。あまり人気がない楽器だから転校生でも担当しやすいかなって。
まさか、北宇治にユーフォ担当が3人もいるとは思わなかったし、コンクールでユーフォのソリがある曲を吹くのは予想外だったな……」

ママ先輩が空を見上げながら呟くように言っている。
先日の関西大会のオーディション。
もちろん、初心者の私は落選したけど。ユーフォは3人から2人に減らされ、久石奏先輩も落選した。そして、ソリは久美子部長からママ先輩に変更になった。

奏先輩はショックを受けてるのに、いつもと変わらない表情で私に接してくれる。目元が赤くなっているのに気付かないフリするのが精いっぱいだ。そして、久美子部長は一気にやつれた。いつ倒れてもおかしくない状態なのに気丈に振る舞っている。

先輩2人の様子にママ先輩だって気が付いている。コンクールメンバーを辞退したいと久美子部長と言い争うのも何度か聞いてしまった。でも。

「私はママ先輩のユーフォをコンクールでも聴きたいです! ママ先輩のソリも聴きたいです!」

こんなにユーフォを好きだと言うママ先輩がコンクールを辞退するのはおかしい。ママ先輩だって、コンクールで吹くべきたって強く思う。
久美子部長だって悔しさを押し殺して、ママ先輩がソリを吹くべきなんだと譲らないんだ。北宇治の目標は全国金だから。滝先生が選んだ人がソリを吹くべきなんだって思われるから、ママ先輩を必死に説得してるんだ。

「有難う。でも、ずっと北宇治で頑張ってきた久美子ちゃんや奏ちゃんに悪いから、やっぱり辞退しようかなって……」

「ママ先輩だって、今は北宇治でいっぱいいっぱい頑張ってるじゃないですか。私はママ先輩の力強いユーフォが大好きです。力強いのに綺麗な音で。いつか、私もあんな音を出したい。ママ先輩は私の目標なんです。だから、コンクールでソリも吹いてくださいよ。私の分もユーフォを関西大会で響かせてくださいっ!」

感情もグチャグチャで、涙までたくさん出てきて。スゴくみっともない顔で支離滅裂な言葉をママ先輩にぶつけてしまったのに。

「有難う。嬉しいな……」

ママ先輩は私を優しく抱き締めてくれた。

「誰もが私にコンクールに出てほしくないと思っていたの。久美子ちゃんが引き留めるのも部長としての建前だと思ってたし。他の子たちもそう。私を責めるようなメロディしか聴こえなくて、好きな合奏も嫌いになりかけてた。でも、佳穂ちゃんの言葉で、また合奏を好きになれそう」

「ママぜんばいいいっ!」

「そうだ。もうひとつ、いいかな?」

「はい」

ママ先輩が私の顔をハンカチで拭いてくれる。本当にママみたい。そう思った時。

「 あのね。ママってあまり好きじゃない愛称なの。だから、真由先輩って呼んでくれると嬉しいな」

ママってあまり好きじゃないと聞かされた。葉月先輩がママちゃんと呼んでるから、ママ先輩と私たちも呼んでたけど。本当は嫌なんだ。底抜けに優しい真由先輩が嫌がることはしたくない。

「はい! 真由先輩!」

だって、真由先輩と呼んだだけで、スゴく嬉しそうな笑顔を浮かべられるんだから。私は真由先輩に笑顔でいて欲しい。

「佳穂ちゃん、有難う。合奏しよっか」

「はい」

「何か、吹きたい曲はある?」

「365日のマーチが吹きたいです」

サンフェスで吹いた365日のマーチ。練習していた時は苦しくて辛かっただけなのに。サンフェス本番は沿道のお客さんが誉めてくれるから楽しくて。なのに、翌日からは一切吹くことがなくなって寂しかった。

「いいよ。365日のマーチはいい曲だよね。歌詞に【 3歩進んで2歩下がる 】があって。まるで、私みたいだなって」

「真由先輩でも後ろに下がることあるんですか? 意外です」

「うん。力みすぎてピッチがズレちゃったり。そんなのばっかり。だから、たくさん練習しなくちゃと思ってる。練習でできないことは本番でもできないもの。じゃあ、せーので吹こうか」

真由先輩の「せーの!」で、365日のマーチを吹く。初心者の私に合わせて少しスローテンポにしてくれる真由先輩との合奏は楽しい。
Bメンバーの練習にも付き合ってくれた真由先輩の努力が報われたらいいな。そんなことを思いながら、【 3歩進んで2歩下がる 】のところを吹いた。



< Fin. >

熱発

< side フジキセキ >


39.6℃。
酷い高熱だな。さすがに、寮長の仕事はできなくて、エアグルーヴに代理を頼んでしまった。誰かに頼りたくはないけど動けないから仕方ない。急に頼んだエアグルーヴは看病も申し出てくれたけど、仕事をしてもらうだけで十分だし。何よりも部屋にいたら気を遣いそうで断ってしまった。

寮長部屋のドアがバーンと開けられた。
誰だろう? 起きて対応しなきゃ……

「フジキセキ!」

夢でも見てるのかな? 美浦寮の会長さんが息を切らして立っていて。思わず、ベッドから飛び起きた。

「高熱が出ているんだろう? ベッドで眠っていなさい。私は看病に来たから」

飛び起きた私を会長さんが抱き上げてベッドに戻してくれる。片想いをしている会長さんにお姫様抱っこをしてもらったなんて、まるで夢みたいだ。

「あはは……、すみま……せん」

「無理に喋らなくていい。君の熱が下がるまで傍にいるから」

やっぱり、夢だよね。夢なら、少しぐらい大胆なお願いをしてもいいよね。

「添い寝して……」

「もちろんだ」

会長さんがベッドに入ってきて抱き締めてくれる。

「君が元気になるまで添い寝をしているから、安心して眠るんだ」

頭まで撫でてくださって嬉しいな。高熱を出すと会長さんを独り占めできるんだ。しかも、熱が下がるまで添い寝もしてくれる。ずっと、高熱だったらいいのに。そうしたら、永遠に会長さんに甘えていられるから……





< side シンボリルドルフ >


フジキセキが高熱を出してから一週間経った。初日こそは会話ができたフジキセキだったが。今は病院で点滴に繋がれて眠り続けたままだ。

熱が下がらず眠り続けて食事も摂れなくなったから入院することになり、私が付き添うことになった。生徒会の仕事が気にならないと言えば嘘になる。だが、傍にいると約束したのは守ってやりたい。添い寝できなくなった詫びもしたい。

「また、君と他愛ない会話をしたいよ」

フジキセキは、クラスメイトが眉をしかめる駄洒落を笑ってくれる数少ないウマ娘で。私が悩んでいる時はさりげなく隣に来て話を聞いてくれる。

そんなフジキセキだからこそ、高熱で倒れたと聞いた時に栗東寮に駆け付けてしまったのかもしれない。
しかも、寮長部屋に入った私に添い寝までおねだりしてくれたのだ。そんな彼女を見捨てる訳にはいかない。退院するまでは隣にいたいと願う。

「童話では王子が眠り姫にキスをすると、目を覚ますそうだが。君も起きてくれるだろうか」

起きている時のフジキセキは王子様役が似合い、男装の麗人とも噂されている。だが、目の前で眠り続けているフジキセキは、意外と色白で高熱のために赤い頬。そして、黒く長い睫毛に赤い唇。まさに、お姫様と形容するのが相応しい。

「私が王子では不服かもしれないね。だが、私は眠り続けて衰弱していく君を見ているのが辛いんだ。起きた後で罵倒されても構わない。だから、私のキスで起きてくれ」

少し乾いている赤い唇に自分のを重ねる。

これだけでは起きないか。当たり前だ。王子のキスでお姫様が目を覚ますのは童話の中だけ。現実は……

「んっ……、ここドコ?」

願いが叶ったのか、数日ぶりにフジキセキが目を開けて喋った。

「フジキセキっ!」

思わず、抱き締めてしまった。

「かいちょさん? なんで?」

「何で?」の言葉が胸に痛い。キスに気が付いてしまったのかもしれない。本人の了承を得ないキスは暴力そのものだ。こんな私がフジキセキを抱き締める資格なんかなかった。
フジキセキをベッドに戻して、近くの荷物を乱暴にバッグに詰め込む。一刻も早く立ち去ろう。

「君は高熱が続いて目を覚まさなくてね。数日前から入院しているんだ。でも、目を覚まして良かった。私は帰るから、ゆっくり休んでくれ」

荷物をまとめて持って椅子から立ち上がろうとすると、フジキセキの手が伸びて私の服の裾を掴んできた。掴んでいる指は震えていて、かなり勇気を出したらしい。

「かえっちゃやだ。まだ、いっしょにいて……」

「フジキセキ?」

「だって、こーねつじゃないと、かいちょさんといられないもん。ふじ、ねつあるよ」

高熱で朦朧としてるのか、喋り方が危ういし。何よりも私に都合が良すぎて信じていいのかわからない。だが、もしも話している内容が本当なら目を覚まさなかった理由になる。

「わかった。君が望むなら傍にいるよ」

「うん。やくそく……」

指切りしようと小指を出しているが。力尽きて再び眠ってしまった。

「大丈夫だよ。約束は必ず守るから」

力尽きてベッドに沈んだ手を取り小指を絡ませる。再び眠りについた彼女に指切りをする意味はないかもしれない。だが、指切りをしたがってた意思を汲んでやりたい。私はフジキセキを愛しているから。




******



フジキセキが目を覚ましてから、みるみる熱も下がり回復してきた。明日、退院できるというのにフジキセキは浮かない顔をして窓の外を眺めている。

「物憂げな顔をして、どうしたんだい? やっと、明日は寮に帰れるんだ。しばらく、君は私と同じ部屋で過ごしてもらうがね」

「え?」

更に落ち込ませてしまうかと思った提案に意外と食いついてきた。やはり、高熱のままでいたいと願ってしまった理由は私と共にいたいからかもしれない。夢のような話だが。

「入院するほどの高熱だったんだ。しばらくは学園も寮長の仕事もトレーニングもお休みだ。私の部屋でゆっくり過ごしなさい。私も君の看病で付き添うから」

「いいんですか?」

「君は目を離すと無理をしそうだからね。お目付け役が必要だろう。だから、私と生活するのは窮屈かもしれないが我慢してくれ」

「我慢なんかじゃないっ!」

フジキセキが抱き着いてきた。さっき、点滴も外れたから自由に動けるようになったんだな。いや、待てよ。何故、フジキセキは私に抱き着いてきたんだ?

「熱が下がっても会長さんを独り占めできるなんて夢みたいで。ずっと……」

可愛いことを言ってくれる彼女に教えなくてはいけないな。

「実は、私も君を独り占めしたいんだ。だからね。もう二度と熱が下がらないように願うのはやめてくれ。私は君を愛しているから」

と。



< Fin. >

奏と梨々花のキスの日

5月23日の放課後。
サンフェスが終わったばかりだけど、コンクールが控えている私たち吹奏楽部員に休みはない。今日も普段どおりに部活だ。

個人練習に向かう道中で、

「さっ、さっちゃん! 学校じゃ、ダメだって!」

「ええーっ、キスぐらいならセーフだよ。今日はキスの日だよ? みっちゃん、もう一回キスしよ」

「だから、ダメ……。むぐっ♡♡」

「んむぅっ♡♡」

美玲とさつきのキスを見てしまった。いくら、人気がない裏庭だからって、絶対に誰も来ないとは限らないのに。現に、私はふたりのキスを目撃している。

でも、私に見られたことに気づかないふたりはキスに夢中で。触れ合うだけのフレンチキスじゃなくて、舌を絡み合うディープキスまでし始めた。
さつきの方がリードする側なんだ……じゃなくて。いつから、ふたりはディープキスをする仲になったんだろう。ディープキスをするってことは恋人……だし。

やっと、ふたりの唇が離れたと思ったら、ふたりの唇の間にキラキラした糸が見える。ディープキスをしたんだから、唾液も大量に出るんだ。そんな知識をこのふたりから学びたくなかった。見つからないように、そっと裏庭を離れた。



******


美玲とさつきの濃厚なキスが頭の中から離れないまま、練習が終わった。コンクールのオーディションも近いのに、いつまでもキスに引きずられている場合じゃないのに。ボーッとしていたら、

「奏チャン、一緒に帰りませんか?」

梨々花に声を掛けられた。

「あっ、うん」

「何かあった?」

急に小声で梨々花が囁いてくる。心配かけさせる訳にはいかないから、

「何もないよ」

と普段よりも笑顔を作って答える。

「んー。何もないと答えるのは、何かあったんですねぇ。お姉さんが話を聞いてあげましょう。まず、奏チャンはユーフォニアムを仕舞ってください」

全く、梨々花には叶わないな。いっそ、さっき見てしまった美玲とさつきのキスの話をしちゃおうか。梨々花なら聞いてくれる。だって……

「わかった。ユーフォを片付けてくる」

ユーフォを置いてくると言ったのに、梨々花は付いてきてくれて。そして、私がユーフォをケースに仕舞うと。私の手を引いて歩き出した。

「どこに行くの?」

「ちょっと、いいところですよー」

微笑みながら、梨々花は階段を上って行く。気が付いたら、屋上にたどり着いた。昼間よりも涼しい風が心地よい。

「到着しました。いいところでしょ? ここなら、誰も来ませんよ」

「うん……」

「ユーフォか低音で何かあったよね? 久美子先輩にも絶対に話さないから、私に話してくれる?」

久美子先輩と同じ1年生指導係をしている梨々花らしい言い回しで。ちょっとだけ言い方や話を聞く手段が久美子先輩に似ていて微笑ましく思う。
でも、だからこそ、梨々花が思っているようなことで悩んではいなくて。さっきの美玲とさつきのキスについて話すかどうか悩む。

「あのさ。黒江先輩とのことなら何もないよ。ユーフォはオーディションで3人合格すると思うし。さすがに、私がソリを担当するのは厳しいけど」

「久美子先輩がソリを取られそうなのが心配? それとも、黒江先輩がオーディションを辞退するかもしれないのが嫌なの?」

あー、梨々花もユーフォのソリが誰になるか気になるんだ。黒江先輩が何度も
「オーディションを辞退しようか」
と話されるから、他パートの梨々花まで知ってしまっている。そこまで仰るなら、退部されてもいいのに。とまで思わなくもない。でも、そんな黒い胸のうちを梨々花に話したくないな。だって。

「うん、正直。でも、どっちも私にはどうしようもできないから見ているしかないよ。それより、ね?」

陽が沈んでいく綺麗な夕焼けを見ていると。今はユーフォパートの問題とか話すのが勿体なく思えてきた。だって、梨々花は私の恋人なんだから。インスタ映えしそうな綺麗な夕焼けの中で恋人らしいことをしたい。

「それより、なあに?」

私の声が甘くなってきたのか。梨々花も普段よりも少し高くて甘ったるい声で聞き返してくれた。

「きょ、今日はキスの日なんだって」

「うんうん。奏は可愛いね」

向き合って立っていたはずの梨々花が隣に来たと思ったら、頬にキスを落とされた。キスしてもらえて嬉しいけど、もっと欲しいと思う私は欲張りだ。

「……頬だけじゃ、嫌」

「素直にワガママを言う奏が大好きだよ」

梨々花の唇が迫ってきたから、慌てて目を閉じると。温かいものが唇に重なってきた。夕焼けの中で梨々花とキスできて嬉しい。

「奏、口を少し開けて」

「うん。んぐっ!?」

言われたとおりに口を開けたら、梨々花の舌が咥内に入ってきた。

「キスが終わるまで、鼻呼吸してて」

一旦、唇が離れて。梨々花から指示されて頷くのが精いっぱいだ。

「んんっ♡♡ んむぅっ♡♡」

こんなに濃厚なキスをしたのは初めてで、鼻呼吸していても頭がクラクラしてくる。梨々花が腰を支えてくれるから座り込まないで済んでるけど。

「んっ♡♡ 今日はこの辺にしよっか。奏?」

梨々花の唇が離れたのに、私の頭はクラクラしたままでボーッとしてしまう。

「初めてのディープキスは刺激が強かったんだね。本当に奏は可愛い」

頭を撫でられながら、近くにあったベンチに座らされている。すっかり、梨々花にされるがままだけど。梨々花だからかな。頭がクラクラしても、またディープキスをして欲しくなる。

「キス顔しておねだりしてもダメ。これ以上、ディープキスしたら、奏は家に帰れなくなっちゃうよ。さすがに、奏をおぶって連れて帰れないからね」

「ん……」

「また、今度。ね?」

幼い子のように言い聞かされて、握られた手は大きくて温かかった。



< Fin. >
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