ここのところ、記述が1日遅れのようになってしまい申し訳ないのだが、今日も昨日の話を書く。結局、夜、酔っ払って帰宅するのが良くない。とは分かっているのだが・・・。
昨日、弘前市立図書館後援会の総会が開催された。図書館後援会といってもご存じない方も多いかもしれない。年会費3000円で、どなたでも入会できる。その会費のみが収入源だが、集ったお金で、市の予算だけでは賄いきれない、図書館の備品や消耗品を購入したり、図書館が行う読書活動への助成をしている団体だ。これまでも、返却ボックスや図書整理用の台車等を援助してきた。
僕は、この会で、現在、監事を務めさせていただいている。父親から引き継いだ形だが、本屋を倒産させたあとも、途絶えることなく役員に名を連ねさせていただいた。本当に有難い話だ。
よく、「図書館は、その都市の文化のバロメーター」と言われる。実際に僕も、いろいろな町の公立図書館を視察にいってきて、その言葉の意味を実感している。図書予算の多寡やスペースの広さや蔵書の数だけの問題ではない。一生懸命やっている図書館は、せまくても、蔵書が少なくても、様々な工夫を凝らして、市民のニーズに応えている。例えば、袖ヶ浦市の図書館では、予約人数が多くて、なかなか希望者に本が渡らない物に限って、市民からの寄贈を受け付けている。それなりに集まるそうだ。弘前市でも、長いものだと、2か月3カ月待たされるケースもままある。一考を要するのではと、議会で質問をしたこともある。
弘前の図書館は、決してレベルが低いわけではない。むしろ、人口当たりの蔵書数は、全国でも上位の方だ。所蔵している古文書も多い。資料センターとしての価値は、これもまた全国有数と言ってもよいのかもしれない。
反面、予算の関係もあって、防犯ゲートがまだ設置されていないなど、課題も多い。未返却も併せて、年間の紛失図書は相当数に上ると以前聞いた。開架率が低いのも気になる。かといって、開架スペースはもうぎりぎりである。打開策の例として、市川市で見た例を上げる。市川市の図書館は、床から天井ぎりぎりまで、びっしりと本が並んでいる棚がある。当然、背伸びしても手は届かないので、梯子が備え付けられていた。仮に、手に取りにくい高さに並んでいても、実際に本の背表紙を見ることができるのと、目録やPCのディスプレー上でタイトルだけをみるのとでは、印象は全然違う。開架率のアップも工夫の余地はあると思う。
図書館行政について、あまり採り上げる議員は、残念ながら少ない。でも、図書館は、弘前の教育・文化・産業等にとって、無くてはならない施設であるし、一層の充実を図っていかなければならない。その意味で、僕の責任は重大なのだ・・・、とひとり前考えている。
残念なことは、数年前、図書館や学校図書のことを議会で採り上げたら、ある議員から「利益誘導ではないか」と批判された。冗談じゃない。もう本屋を止めて10年にもなる。その議員は、4月の改選期で引退されたが、そのような受け止め方しかできない先輩がいたことはショックであった。
ともあれ、市民の図書館を市民の力で育てていく。最近「市民との協働」という言葉が一種の流行りだが、図書館後援会の活動は、今思えば、その走りであったようにも思える。
振り返れば弘前市立図書館には昭和30年後半の山口館長時代に、良くレコードコンサートを聴きに出かけたものでした。館長自身の解説で聞いたクラッシック音楽の思い出は今も懐かしく残っております。
体育施設もそうですが、文化施設も自由主義経済の標的とされ、導入された指定管理制度のもとに大事な何かが失われているように思います。
図書館行政については、すでに目を通されているかとは思いますが、「世界」4月号に大江正章氏の面白い論稿が掲載されています。