endometrioid carcinomaから

ガン・サバイバー・只今人生のサバイバル中です

シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護&シングル・サバイバルライフのブログです。こんなサバイバーもいるってことで、掲載を続けることに。余命が長くなったように、文章も長~いブログです^^

ハロー・グレア・スターバースト~白内障手術のその後

 清々しい晴天の続く新年となった。
真冬は、大気が澄み星が美しく輝く。
お昼間は日向ぼっこしたくなるほど、お日さまの光があたたかく感じられる。

 残念なことに、白内障の手術後の私の右眼には、光が眩しく映る。
左眼は手術をしないままでいるが、脳の視覚野が適応したのか、視力は、充分に回復したのが嬉しい。
右眼と左眼がそれぞれの欠点を補いあって、上手にバランスをとって働いてくれているようで、普段は疲れ目にならない限りは、メガネをかける必要が無くなっている。
 単焦点レンズで少し遠視になったが、人工レンズの左眼の視力は、集中すると針の孔に糸が通せるまでに回復している不思議な現象もある。

 手術後の左眼の日常生活での不自由は、光が気持ち悪く映るようになったことだった。
特に夜景を見る時に、この現象がはっきりと自覚できる。
私の左眼は、光の取り込み具合が苦手になったようで、これが、目下の疲れ目の一番の原因となっている。
ひとつひとつの光がキラキラと放射線を放つ。
時には、ひとつの光がクリスマスツリーのように三角形に拡大して輝くという奇妙な光景が映るので、それらの光に驚いて困惑することもある。

 この異常な光の映像を観ることは、最初はかなり辛かった。
が、最近は慣れも出て来たのか、夜景を眺める時は左目が優位に働らくようになったらしく、どうにか許容範囲に収まってくれた。とは言え、突然視界に現れる星の爆発やクリスマスツリーには未だ驚く時があるし、ギラギラとした夜景の鑑賞は、私にとっては、かなり疲れるようになってしまった。
 車を運転する時も、夜間でも、眩しい光線を遮る特殊なサングラスを掛けることにしている。裸眼で運転するとかなり疲れを感じるのは、脳が入力される光を頑張って上手に処理してくれているからかしらと思う。


 さて、昨年の12月に、久しぶりに美術展を楽しむ機会があった。
コロナ以降、感染症が大流行りのここ数年、美術芸術展にも来訪を自粛していた。というか、国内で観ることが出来る自分の見たいものの多くは、若い時期に見尽くしたという感がある。
60歳に近づいた年代になって以降、それまでに観たアート作品が放つ時を超えたspiritのような何かを感じる能力が、少し衰退して来たことを感じていたこともある。
 とはいえ、今回は、モネが晩年に描いた睡蓮の一枚が来訪していると聞いたことから、コロナもインフルも感染者数が減っている時期を狙って、訪ねることにした。
 
 高校時代、美術部で絵画を描いていた私は、印象派を好んでいた。
ルノワールとモネの絵画に描かれた光に心惹かれ、自分もそれに近い作品を描こう・と、筆をとっていた時代だった。

 モネは、晩年、白内障を患っていたと言う。
その彼の視力で描いた睡蓮の絵画を、観たくなったのだ。
偶然にも、私は、左目に白内障を持っている。本来は、オランジェリー美術館に展示されている睡蓮が見たかったのだけど、コロナ以来欧州の事情も変わったようで、現地に住まいしている遠縁の話では、あと10年は以前のような状況には戻らないと伝え聞くから、生涯において現地に旅ができるかどうかは心許ない。私が、右眼だけの白内障の手術を選択したのは、実は、白内障の瞳で、モネの晩年の作品を見たいという希望もあったからだった。

 美術館の設備はこの半世紀の間に、非常に巧に様々な演出効果が周到した設えになった。
しかし、今回の美術展では、案の定、感受性豊かな若い時期に感動に満ちて観た絵画が、単なる絵画と目に映る感覚の移ろいに私は戸惑いと失望を覚えた。
 この感性の衰退は、一体どうしたものか?
自身がアートの世界から遠ざかったからだろうか?
それだけが原因というよりも、感覚と感受性の衰えが自覚されるお年頃に至っていることを自覚せざるを得なかった。
 あれほど憧れた印象派の絵画のきらめきが、私の感性の中で、もはや色褪せた感覚が、たまらなく寂しかった。
 待望のモネの睡蓮の絵画を前にしても、さほどの感激は無かった。
感受性豊かな年代に、実際に直接見ておかなければ、時を逸するものは多くあることが痛感された。

 試みに、私は片手で右眼を覆った。
すると、
なんということだろう!
今まで見たモネの睡蓮とは段違いの水面に浮かぶ睡蓮が、得も言えぬ香気を放って私の左眼に浮かび上がった。そよぐ風の匂い、池の水面に移る晴天の雲の流れ、周囲の樹木のそよぎ・・・
 その感動は、一枚の絵画の中に、これまで見たことのない夢のような世界を見させてくれるに充分だった。
どれくらいの時間だったか、私は、とても、とても長い時間、その光景を眺めていた。

 ふと、入口に戻って、私は左眼の視力を意識して、それぞれの作品を眺め直すことにした。
そこに展示されていた絵画のそれぞれは、最初に眺めた単なる絵画展に飾られた絵・ではなく、描写された景色が、きらめく光の色彩を発してそれぞれに素晴らしい光景となって私の感性を蘇らせてくれた。
 印象派の絵画の魅力は、白内障の眼を持った時にその真髄が見えると言いたくなるほど、素晴らしい絵画展の鑑賞となった。


 今、このパソコンのディスプレイを見ているのは、私の右眼の視力が優位になっている。
左眼の視力だけを意識すると、ホワイトアウトするから、私の左眼の白内障は以前より進行していることがよく分かる。眼鏡を作ろうと眼鏡市場に立ち寄った時、店長が、左眼は眼鏡で調節しても充分な視力が出ないと正直に話して下さったことがあって、眼鏡は諦めることにしたから、普段の私の視力は、右眼に負うことが多い。
このアンバランスからか、以前と同様にパソコン仕事を8時間ほど続けると、左眼は、ますます霞んで、眼精疲労が嵩じて片頭痛まで感じるようになった困った現実もある。


 だけど、私には、未だ、この自然な眼のままに見たい光景がある。

 片眼しか手術しなかったことを、何故?と問われることも多い。
最初は、術後の見え方が分からないのだから、片方が上手くいったら、もう片方もとも思っていたが、まるで、「こんにちは、グレア!&スターバースト!」と挨拶されたかのように、右眼にそれらの症状が発症したことで、片眼だけにして本当に良かったと思っていた。が、もうひとつ、かけがえのない大切な自然が、今尚、私の視界に宿っていることの喜びは殊の外大きい。

 友人のお一人に、出産時の事故で片眼の視力を失くした人がおられる。
米国滞在の長かった彼は、何度か角膜移植を受けているが、充分な視力は戻らない。だが、片眼がブラックで片眼がグレーのミックスであることが、エキゾチックな彼の容姿の魅力を倍増しているハンサムガイだ。
 父のバイオグラフィーの資料探しで、国会図書館で在りし日の大伯父の容姿の描写の記録があった。
大伯父の晩年は、その風貌から独眼竜と呼ばれていて、一見自論を曲げない風情であったが納得ゆく説明を受けると案外簡単に自論を訂正する柔軟性豊かな、ちょっと天然と言いたくなるようなお人柄であったと言う。大伯父の60代後半の描写であるから、当時から、大伯父にもおそらく白内障が進行していたのだろうと思う。
 私の父母もまた、白内障を宿していた。母は手術嫌いだったので、途中で眼鏡を掛けていたが特に不自由はなく終生そのままであったし、父は60代に片眼だけを手術し、秀でた武道家としての能力を体得していた彼もまた何らかの不具合を直感したようで、もう片方はそのまま行くと断言していたことが思い出された。

 友人や父母の事例を知らなかったら、もしかしたら、私は安易に両眼を手術していたかもしれないことを思うと、この世で頂くご縁と交友には、尽きせぬ感謝の気持ちが絶えることはない。
 願わくば、私もこのままで生涯を送れたらと思う。

 眼科的には、特に異常は無さそうであるし、折角、私の脳が使い慣れて来た右眼のレンズを入れ替えれば、脳に新たなトレーニングが必要とされるかもしれない。 
今思えば、左眼の手術の時は、私は迂闊にも何ら研究せずに手術を受けてしまったが、左眼が霧に閉ざされる頃には、次回は、グレアやスターバーストが発症しない優れたレンズの選択をしっかり考慮して、また、改めて考えればいいことだと思っている。


 人生には、様々な災難や傷病や不幸や悩みが次々にやって来る。
恩師の言葉が、思い出される。
「大きな山を越えた時、目の前には更に大雄峰が聳え立つ」

 今なら、恩師に私はこう応えるだろう。
「どんな大雄峰にも私は一歩一歩歩みを進めます。周囲は自然の祝福に満ちているのですから。それが自然(じねん)ではないでしょうか。」 

 年を重ねる毎に、私は「わがまま」になりたいと思う。

 今年も、もうすぐ花の季節が来る。
樹齢200年を越える庭の梅は、枝は折れ樹勢も随分衰弱している。
それでも、今年も「思いのまま」に花が咲き、馥郁とした香りを漂わせるだろう。




 

新年の歌

 2025年、元旦。

 大晦日ぎりぎりで、新年の幕開けに際する用意を整え、今年も無事、新しい年神さまをお迎えすることができた。

 クリスマス前に、恒例の若松と万年青を花屋で買い求めた。
時代の変化と共に、格花を生ける者も教える者も激減したらしく、なかなかいい樹や葉の花材が手に入らなくなって久しい。
ここ数年、馴染の花屋に無理を言って、毎年、これだけは、仕入れて頂くことにしている。
 茶室の床には、柳と紅白の椿も欲しくなるが、茶華道の教室を休眠した現状で、個人的な道楽に費やす費用としては、これはちょっと我慢している。
気分の向いた年には、川辺のお寺の柳の枝と赤い椿を高枝切りハサミを持って頂きにゆくこともあったが、ご住職が他界されて以来、無人寺になっているので、これも気が引ける。
 庭先に白の侘助があるので、15年程前に、山手の庭に赤い椿と柳を植樹したことがあった。ところが、山手の草刈りは重労働。
以前お願いしていた馴染の山師さんが高齢になられた後、アウトドア仲間の友人に草刈りを頼んでいたら、見分けが下手で、植樹した若木を悉く切られてしまった。
それ以来、再植樹はしないままで来たが、その友人も高齢になって、次第に仕事が雑になったので、昨年からは、致し方なく、私が筋肉痛に苛まれながら、自力で僅かづつ草刈りをするようになった。
 気が付くと、山の南斜面の雑木を伐採した後に、野性の笹が茂ってしまっているのをどうにかしたい。笹は日陰になると繁茂し難くなるので、今年は、こころみに、柳と椿と何種類かの樹木を再植樹しようかと思っているが、笹に打ち勝つ樹木があるかどうかは不明だ。

 さて、今年の蔓延青の包みを開くと、例年九重の9枚のものを頼んでいたのに、15枚入っていた。
九枚であれば、手慣れたもので、半時間ほどで生け上がるが、15枚はちょっと手強い。
 7・5・3の三株の格花に仕上げる。
問題は、万年青は、葉蘭と同様に、一枚一枚の葉が右向きと左向きに分かれる。左向きの葉を右向きに生けるには手間とコツが必要。多分、花屋さんでは、その辺りは無頓着に、右と左の葉っぱを中央で半分に分けているようで、15枚の場合には、向きが同じの葉っぱが数枚増える。
 「あんたさんの腕なら、上手に入りますやろ。」
と、帰り際に店主が言ってたのは、このご厚情の数枚のプレゼントだったことに感謝しつつ、じっくり生けていると2時間ほど掛かった。

 若松は、例年通り7本。
真直ぐな枝を適材適所に見立てる。一見同じ枝のように見えるが、これもまた微妙にそれぞれの枝に違いがある。主になる枝の繊維を柔らかくして矯めやすくして生ける。幹は、藁で磨いて光沢を出す。

 例年の華生けではあるが、手に入る花材は都度都度微妙に異なり、その一本一本を上手に生かす醍醐味を味わいながら、これは、人間関係のトレーニングのようでもあると、しみじみと思うものがあった。

 格花以外は、周囲で手に入る花を使うことが多くなった。 
とは言え、今年は、中庭の松の枝ぶりが落ち着いて、秋の剪定では、松の枝ものは出なかったので、神華と仏花、墓前華用の短い枝だけを取り置いていただけだから、私部屋の床の華と玄関の次の間の客迎えの花材に悩んだ。
 裏庭の梅は、そろそろ剪定を必要としている。それを程々の高さに剪定して、太枝を生けようと思い、2か月ほど眺めていたが、正月前に剪定しても、今年はつぼみが固く、花が咲かない可能性が高い様子だったので、断念することにした。
 ツンツン角のように突き出た徒長枝だけを頂いて、神華と仏華と墓前華用にして、更に長い徒長枝を、直販所で目についた枝付きの若松と白黄の菊と、南天の実とを合わせることにした。
 お行儀が良すぎて、これを、華と呼ぶには、何かが欠けている感覚。

 昔、米国の友人宅で、Japanese flour arrangementの集い?をさせて頂いた時に、あちらの方々に受ける華やかさをプラスしようと、金銀の水引きを生け花に舞わせたことがあった。
「この美しい金銀は何を意味するの?」と聞かれた時に、「神々が降臨するという意味があります。」なあんて、答えたことを思い出した。
 金銀の水引きを輪にして舞わせてみたら、はんなりとした風情が加わって、新年にふさわしい風情に仕上がった。

 玄関には、しめ縄を。神前や佛前や、床や各所に鏡餅を。
家中を掃除する体力はないが、特に、年神さまが降臨される道に当たる部屋と通路は念入りに掃除する。
 あと何年、この所作が出来るのだろうか?と少々心許なく思いながらも、今年もどうにか、これらが出来たことに感謝と感動の気持ちに。
 
 元旦の幕開けに、以前は八幡神社にお参りしていたが、階段からおっこちて以来、左足の調子がよくなく、108段の急峻な階段を登る自信はまだ回復していない。
 以来、新年を迎える為に玄関を開けて、それぞれの神様の前に蝋燭を灯して、年神さまの降臨をお招きすることにした。
神々には祝詞を、仏前には読経を、神仏習合の修験の権現さんにはその祝詞?と読経を。
私的な行事なので、気分の向いた内容を選んで、時にははしょりながら、1~2時間ほどかけてそれぞれの神様と新年のお祝いをする。一連の祝詞や読経を終える頃には、清々しい新年の心が宿る心地よさがある。
 
 新年の御題は、「夢」。
今年は、偶然、この御題に因んだお香が手に入った。
本当に夢を思わせる香りの良さに歌を詠みたくなった。
 世界平和と、すべての人々の健康と幸福を祈る歌を詠みたい。


 昨年も、内外ともに、悲しく残念なニュースや知らせが多い年でした。

 馴染の寿司屋さんにおせち料理を頼んでいたら、昨日お届けしてくれた娘さんから、実は女将さんがコロナのワクチンで膵炎を発症し予後不良との話を聞きました。体調不良とは聞いていましたが、2年間も詳細を沈黙されていたのでした。
 洗脳のようなワクチン接種圧力は、ww2前の大政翼賛会が参戦に反対した人々を抑圧した時代を彷彿させるものがありました。
 或いは、信じるか信じないか?ワクチンに関して、当然続けられるべき統計も廃止され、何ら論議もされないまま、懐疑的思考はすべてデマといわんがばかりの社会通念まで発生させた洗脳も発生しました。現在も未だその洗脳は少しづつ解けながらも、社会的に続いているようです。
 私自身、医療者の端くれですが、自身がアレルギー体質であったことでワクチンの接種をしないという判断をしたことで、何度もの脅迫と差別を受けたことは、社会的心理の問題として、決して忘れてはならないと志しています。
 昨年くらいから、ようやく、コロナワクチンの副作用が、メディアで話題になり始めて、皆さん、様々な副作用について、ようやく、お話されるようになった感があります。
 

 真摯な社会問題が多い一方で、大晦日に、3名の友人から同じ動画が届きました。
嫌な事や悲しいことは、今年中に忘れて、楽しかったこといい事だけを覚えて新年を迎えましょう。嫌な事は新しい年に持ち越さないように忘れましょう・と、幼稚な口調のAIが、列車の旅のアナウンスメントとして話す、ほんわかとした見栄えの良い動画でした。
 最初に送ってくれた友人は、昨年、熾烈な離婚騒動を経験していたので、お気持ちが察せられ、私自身も、年末まで思いもよらぬストーカー災難があったことを話していたので、一見、口当たりの良い動画を送ってくれたとしみじみと感じ入りました。

 が、社会的に嫌なこと悲しいことに公憤を感じることを忘れる人々が増えれば、亡国です。
また、悲しさや嫌な思いは、忘れるのではなくどのような昇華するかが大切。というか、忘れる程度の嫌な事や悲しい事など、ごく些細な個人的な一時的な感情に過ぎません。

 ところが、他にも、さほど親しくない2名から、同じ動画が届きました。
最初の友人からの送付は、お互いに共感できる軽いジョーク的な意味がありました。
しかし、他の2名とは共感できる意味などなく、唖然としました。

 真剣に辛い思いをし続けている・今、傷病に苦しんでいる場合もあるというのに、相手の状況を確かめもせずに、何も考えることなく忘れましょう動画を送りつけて来るのは、かなり失敬で、相手に対する思いやりの欠如と言うしかなさそうです。
さらに、嫌なことや悲しいことは、沈思熟考し自ら解決努力してゆく種類の物事で、それを忘れることで誤魔化しては、人間の成長が停止します。

 この動画って、人類を思慮浅くアホにする新手の洗脳じゃない?
・・・時間給対パーフォーマンスを追求する安請け合いの心理カウンセラーみたい。
人類は、肉体は衰弱しても、最後の瞬間まで、心が成長し、至福の死に至る能力を有しているというのに・・・
これは、私の昨年最後の溜息でした。


 青黒色のご神体で憤怒のお姿をした蔵王大権現の存在は、神道における荒魂にも似ている・・・
と、新年の祝詞と読経の中で、古来の宗教のパラダイムの荘厳を心に宿したいと切に願いました。


 ご来光輝かしい一年のの幕開けに際して、改めて、大切にしたいこと守るべきことを分別する自身の感性と判断力を鍛錬しなければと念う新年になりました。
 
 難儀や傷病や苦境をサバイブする親愛なる方々が、新しい年に、ご快調を取り戻しご多幸に満ちる1年をお過ごし頂けることを、心よりお祈りいたします。

  



 
 
  


 
 



 






 





 年の瀬が押し迫ってから、万年青の格花を生けようと、包みを開いたら、毎年は、友情と恋愛を呼ぶ九重の九枚のものを依頼していたのに、今年は、15枚と実が2つ入っていた。




 







 

夏のビッグバーン・2・ロマンス詐欺に要注意

 恋は人の心に強いトランスを引き起こす。
人の意識は、様々な物事で、変容する。これを変性意識と言う。宗教への妄信、祭りでの陶酔、高速道路を運転する場合にも独特の意識の変容が発生する。酒やドラッグも同様に人の意識を変性させる。
 恋した時の人の意識は、学術的にも変性意識の一種に分類されている。更に変性意識状態にある人心は、様々な暗示や思い込みに従い拘りやすくなるという特性もある。
 
 とある医学会での催眠の中級講習会でのこと、朝が苦手な私は、睡魔に襲われていた。肘をついて両手の指を組み、テキストを見ているふりをして、うたた寝することにした。それを目ざとく見つけた講師が、「あら・・・そんなことしてると固まってしまいますよ~固まってしまいますよ~。」と静かに私に囁いた。
 しまった!と思ったのは後の祭り。彼は、催眠のエキスパートだ。
私は、本当に固まってしまった。組んでいた両手の指がほどけない。そんなバカな・・・。
うとうとと微睡む意識には、言葉の暗示がとても素直に入ってくる。
だけど、ここでその暗示に嵌る訳にはゆかない。意識を覚醒させて、何事もなかったかのように私は両指を静かに解いた。
 お昼休みに美味しいランチを食べ、会場の周囲の散策を楽しんだ私は、朝のアクシデントをすっかり忘れていた。ところが、午後の実技講習の時、相手が掛けた同じ催眠が解けなくなって私は固まってしまった。うたた寝中に掛けられた言葉の暗示効果が続いていたのだ。なんという不覚!と、エイヤ!と、渾身の力づくで解くという行動に出た私は、周囲の皆さんに大笑いされた。催眠効果は、後にも持続する場合もある。
 「言霊」という言葉があるのは、人類は、古くから、言葉が持つ力を熟知していたからではないかしら、と、思う。


 現代には、言葉が氾濫している。
記紀万葉の時代の美しい恋歌を謳える人はいなくなって、メールでのテキストベースでの紋切型の短文チャットが繁茂している。
 婚活サイトでも、内容のある文章を送ってくる人は5%程度。あとは、挨拶や意味のない短文の連打。メールやLINEだけで恋愛出来る人達の想像力はスゴイと思うのだけど、本当に恋する人もおられる。


 兄の問題に気を取られていた私は、隣町のボランティア組織の会長からメールが届いていたことを失念してしまっていた。
「どんな病気も治るシールの講習会に来ませんか?」という変な内容で、いつもの会長らしくない奇妙なメールだった。
 ふと、その奇妙さに気が付いた私は彼に電話をした。
副会長がそのシールに嵌っていたらしく、どんな病気でも張れば治るシールという触れ込みで、副会長が、田舎町で講習会を開いていたという。
「それって、違法行為になりますよ~、副会長大丈夫なのですか?」と何気なく言ったら、「大丈夫じゃなさそうです」と言う。「お金がないらしくて。」と。。。
「えっ?何故、お金に困っておられるのですか?」
「30代でご主人を失くして、その後、年金暮しですから。」と。。。
「それはお気の毒ですね。でも、これまでも年金で暮らしておられたのでしたら、年金は無くなることはないでから大丈夫ですよ。」
「いや、実は、ネットで知り合った素敵なお相手がおられるようでして。。。LINEで仲良くなって、あなたの為にお金を増やしてあげましょうって言う投資話を持ち掛けられて上海の銀行に1千万を送ったらしいのです。」
「・・それは大丈夫じゃないですね。」
「そうなんです。それで、そのお金が5千万に増えて、今、関空の税関の手前で預かってもらっているんです。一日の保管料が5万円かかるとのことで、副会長にはもうお金がないと言うので、貸してあげてるのです。」
「えっ???毎日5万円?それって、詐欺ではないのですか?」
「ロマンス詐欺ではないかと思うのですが、その小包の写真が送られて来てるんです。」
「???小包では現金は送れないですが。」
「それが、送られて来てるんです。」
「それは、詐欺だと思います。詐欺でなければマネーロンダリングとか・・何か怪しい話です。」
「詐欺であっても、とにかく取り返さないと可哀そうですから。」
「会長まで騙されてるのではないですか?」
「関空まで返って来てるなら、もう少しですから。」
「本当かどうか。未だ一日5万円を要求されているのも詐欺ですよ。関空では小包を停留させることはないはずです。」
「それが・・・・・」
電話が途切れた。
LINEに、写真が送られて来た。
フェディックスの窓口の前におかれた段ボール箱の前に、日本語で、副会長の住所・氏名・電話番号が書かれているカードが映っている。
「海外から日本語で小包が届くはずがないです。」
「いやあ、それが本当なんです。」と。
「警察に相談した方がいいです。」
「相談しても、海外に送金したお金は戻って来ませんと言われたらしくて。このままでは、副会長は家屋敷も失くしてしまうのが可哀そうで、」
「お気の毒ですが、そこにお金を貸しても解決しませんよ。毎日の5万円も詐欺です。会長が副会長を連れてご一緒に警察に相談に行かれた方がいいです。」
「そうですね。そうします。」との返事があったので、そうするものと思っていた。

 念のため、商社で海外諸国と取引をしている友達に写メを送って、真偽の判断を仰ぐことにした。
「あなたの言う通り詐欺ですね。それにこの写真は、合成写真です。よく見て下さい。フェディックスの受付の写真の上に、その女性の住所氏名電話番号を書いた紙を貼って、撮影しているのが分かります。それに、ご存じの通り、小包で現金を送るのは犯罪です。もし本当に、その人がお金を振り込んだとしても返って来ないと思わないと。これ以上の被害を防ぐのが大切ですから。」
「ええ、警察に相談にゆくようにと言いましたから、多分行かれると思います。」

 ところが、翌日、新たな写メが送られて来た。
フェディックスの伝票を模した伝票の写真だった。
そこにも、日本語で住所氏名が書かれていて、内容物の欄に5000万円と書かれている。
フェディックスのh.p.から追跡番号を入れてみたが、その伝票に書かれていた番号は追跡番号ではなかった。
 会長に電話を掛けたら、
「これ本物みたいなんです。」
と仰る。
「いえ、これは偽ものです。フェディックスのh.p.で確認しましたが、これには追跡番号が記載されていないです。一刻も早く、これ以上被害に遭わないように、警察に相談に行ってください。」
しかし、私の説得は暖簾に腕押しという感覚だった。
「会長、大丈夫ですか?」とまで、申し上げなければならない感覚だったが、そこまで言っては失礼だ。
どうにかこうにか、警察に相談にゆくことを納得してくれた、と、思った。
眠れない夜を過ごした私は、念のために翌日も電話を掛けることにした。
「警察では、どのように言ってましたか?」
「いえ、あれは本当みたいなので、警察には行ってないんです。」
・・・・・・・・・・
 友達の見解も伝えたが、私の話は、全く信用される様子はなかった。
 
 会長は、私の親戚でもある。かくなる上は、親戚を利用するしかない。
「行かれないのでしたら、親戚中に相談しますよ。これから直ぐに警察に行って下さい。副会長が詐欺に掛かられるのは副会長の責任で済むことですが、その詐欺師に副会長の周囲の人まで騙されては二次被害が広がります。副会長は顔が広いのでしょうから狙われやすいとも言えます。詐欺師は、ネットワークを持っています。これから生命に関わる事件にも巻き込まれかねません。副会長の為にも、会長お一人でも警察に相談して下さい!」
「・・・・・わかりました。これから相談に行ってみます。」
未だ半信半疑のようだったが、どうにかこうにか、警察には行ってくれそうだった。
 念の為、所轄の警察署に電話を入れて事情を説明し、二次被害が発生しないようにご配慮をお願いした。
・・・・・・・

 1時間後、会長から電話があった。
「他の人からもお金を借りまくっていたようで・・・よかったです。あと50万円貸してあげようかと思ってました。」
 会長は、かなりのショックを受けておられる様子だった。
しばらくして、「こんなことってあるんですね?」との一言がラインに入った。
 
 私もショックだった。愚兄の事案のショックからようやく抜け出したばかりなのに、会長のお人よしにもほどがあると・・・
思わず、うちの兄もあるあるでしょう!と返したくなったが、こちらには、この夏の二度目のショックで、冗談を言う余裕も失くしていた。


 そんなこんなの日々の後、周囲の人達にそれとなく話を聞くと、どうにかして彼女を助けなければと思ってお金を貸した人が、なんと、数十名もおられたようだった。
 その後、会長も実状を確かめたとのことだったが、副会長ご本人は、借金の自転車操業状態のようで、同窓会でもお金を集めているとか、詐欺だと認識しておられなさそうな気配のまま、被害届も出していないようだったと。
「お子さんはおられないのですか?」と尋ねたら、
「子供たちからも多額の借金をされているとかで、絶縁状態になってるようです。」と。
誰がどう言っても、ご本人は詐欺とは認識されない様子が伺えた。
「副会長さんは確か76歳くらいのご高齢だったと思いますが、判断力に問題は出てないのですか?社協に相談されましたか?」と聞いたら、
「警察でも本人宅に何度も訪問してくれてるようですが、どうすることもできないと言われましたので、社協にも相談しました。が、本人には認知症もないので、町でもどうすることもできないと言われました。」とのこと。
 会長もショックが大きかったはずだが、社会的気配りが行き届いた人格者らしい即座の対応をされたようだった。
 これ以上なすすべはない。
二次被害がこれ以上広がらないよう祈るしかない事案となった。
 

 愚兄には、二次被害が出なかったことがせめてもの慰めだと思ったが、今回は父母もこの世にはいないし、私はかつて兄には大嘘で騙された経験があり、愚兄が愚兄であることを思い知っていたことで、二次被害を逃れただけだったのかもしれない。
 とは言え、季節はこれから寒くなる。
かつて私が父にプレゼントしたお洒落なカーデガンやマフラーと母の遺品の幾つかを添えて、母の子供への愛情の証とも言えるお品を彼に贈って上げようと、県庁にその旨依頼した。
 ら、物品は県庁経由では送れないから、〇〇市に尋ねて欲しいと言う。
 〇〇市の健康福祉課部で電話をたらいまわしにされ、最後に部長直々に、何ら説明もされないまま、私からの電話をはっきりと断られ、一方的に電話を切られた経緯も話した。というのに、記録も取っていなかったようだった。
 福祉介護については、市町村に責任が一元化されていることが、県の動きを鈍くしていることを再認識した。
こんな状態が発生する現状で、地方分権など進められたらとんでもない社会になるじゃない!と、私は内心呟いた。
 再度、経緯を説明しているうちに、〇〇市の行政官の対応の不備に遺憾の念がよみがえり、一応、厚労省のマニュアルと公務員法についても、再度、言及することにした。
ら、伝言は、〇〇市に伝えますとのことだったので、3つの伝言をお願いすることにした。

 1・保護入所後の対応について、〇〇市に、本人とその親族に対して、厚労省のマニュアルと公務
   員法を順守した対応を求める。
 2・私宅に保存している父母の遺品の中で本人が受け継ぐべきものは、市役所に送る。彼が保管して 
   いる父の資料と本は歴史的価値があるので、決して無碍に廃棄することなく、然るべき図書司書 
   に内容を確認頂き、歴史的価値あるものは、図書館に保管頂きたい。
 3・本人の病状と必要な病院受診をしているかどうかの確認報告を頂きたい。
これまでの遺憾な経緯があるから、〇〇市からの私への連絡は、今後すべて書簡でお願いする旨を申し上げた。
 これには、早速伝えますという歯切れいい返事があった。

 〇〇市も愚兄も兄の関係者も、私にとっては、決して関わりたくないアレルゲンであることは間違いない。また蕁麻疹が出るのではないかしら?という不安はある。
とは言え、今後、〇〇市は、いずれこちらに何らかのアプローチを仕掛けて来る。ならば、こちらから仕掛ければ虚を突かれるショックは防ぐことが出来る。蕁麻疹という目安があるのだから、出始めればSTOPすればいいだけだ。
 今、私の手の中にある父のバイオグラフィーの執筆には、年齢的に、もはや兄しか知らない、父の、最も精悍な30代の、力強い活躍の歴史が、欲しい。ここが描き切れないことが、私の過去との戦いを熾烈なものにする一因になっているのは分かっている。私には、兄の脳に認知障害が進行しないうちに取材しなければならないミッションが残っている。
 それにしても、こういうタイミングもまた、父という存在は、その遺言通り、本当に永遠の計らいを私に投げかけているようだ。  




 改めまして、
読んで下さる皆様には、長らくご無沙汰続きの愚痴っぽブログで、大変失礼しています。
私が、この夏のショックから抜け出すには、未だ少し時間が掛かりそうです。

 今まで、人並外れた試練を乗り越えて来た自負はありますが、この年代に至ってのアクシデントの処理は大変疲れます。肉体的にも精神的にもパワーの持続時間が減って来て、本当にウルトラマンになりそう💦

 ロマンス詐欺には要注意ですが、素敵な恋&愛の信頼関係は、ウルトラマンの一番のモチベーション♪です。
あいかわりなく、エンドレスサマーを目指して、知的にシンクロできるパートナー候補とお出会いできる未来を大切に、最優先してゆけたらいいなと思っております。


 米津玄師 - M八七  Kenshi Yonezu - M87

 Top 50 Songs - Kenshi Yonezu

 米津さんの歌は表現に困るほど素敵だったりします。


 
 
 
 










 

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