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「『婚活』症候群」感想

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kindleで「『婚活』症候群」を購入した。

「婚活」症候群 (ディスカヴァー携書)
山田昌弘
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2013-07-26



内容的としては、婚活の現場に即したレビューや最新動向について解説するというよりも、専業主婦や夫婦に代表される昭和的結婚観への批判という「婚活におけるリベラル言説」が中心に据えられていた。
もちろん、これら「婚活におけるリベラル言説」のほとんどは非常にまっとうな内容である。共稼ぎでないととてもじゃないと暮らしていけないとか、女性の子育て支援が重要、とか。これらは非常にまっとうな意見であることは間違いがない。
しかし、不思議なのは結婚観や家族観といったものの「自由」はことさらに言い募るわりに、自己所有権という人間にとって最も基本的な「自由」を無視していることが実に多い、ということだ。ごく簡単に言えば、「どういう家族関係を望み・作るか(もしくは作らないか)」は本人の勝手であり、他の誰かが価値判断を下したり、意見することはできない。この自己所有権というものはこの社会において最も基本的な「自由」だと私は思うのだが、白河・山田両氏にはその認識は薄いらしい。
単純な話、この本を読んで「専業主婦を止めて共稼ぎでやろう!」っていう気になる人っているの?というのがはなはだ疑問なのだ。「専業主婦を望んでいるけど結婚できなくてずっと一人」な人がいて、希望するのは勝手だしそれで結婚できなくてもそれは本人の勝手だろう。要するに「リベラルな家族関係」をいくらリベラル側が推奨ししようが、それが嫌だと思う自由がある以上、どうもすることはできないはずである(保守の場合、こうした矛盾は起こらない)。そして、「フルタイムで仕事するのはかなりキツい」って事がバレちゃってる以上、そうそう人々の意識が変わるとは思えない。「他人」である我々が唯一、できることは「共稼ぎの方が得」「子供がいたほうが得」なようにゲームのルールを変えることだけである。
とはいえ、白河桃子という人の嗅覚は結構凄いと私は思っている。なんせ「婚活」「妊活」と2つも当てちゃってるわけだから、今回の専業主婦批判に関しても私の杞憂であるのかもしれない。

6年経ってようやく始まった婚活‐古田ラジオ‐

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少し古い話で恐縮だが、『Oggi』(小学館)7月号の小特集があまりに衝撃的だった。
で、衝撃的だったのサイゾーウーマンあたりがまた女性誌レビューでもやってくれるのかと思っていたら全然やってくれないので取り上げてみたいと思う。『Oggi』といえば、『CLASSY.』(光文社)、『MISS plus+』(世界文化社)、『BAILA』(集英社)などと並ぶ、アラサ―・コンサバ系女子向けの女性誌だが、7月号の特集は「今、なんとOggiモテ現象」と題して、「Oggi女子がモテる」という特集だった。




何が衝撃的って、「婚活が生まれて6年経つのにおんなじことやってる」ことなのだ。
「Oggiモテ」特集の記事自体は、
1:1991年~2013年の「モテの歴史」を再検証
2:「Oggiモテ」カップル(全員共働き)にインタビュー
3:覆面男子座談会

といった内容で手堅くまとまっているという印象。で、この特集、趣旨としては
・Oggi女子は知的・堅実・向上心がある
・Oggi女子は自分で稼いでいるので安心

という、「優良投資物件」のようなアピールを特集全体で醸し出している。だが、どうも、「売れ残りの優良物件アピール」のように思えてしまうのだが、それはまぁいい。
だが、私はこう思うのだ。
「そもそも、「婚活」ってあんたらを結婚させるために作られた言葉なんですけど…」
と。
「婚活」という言葉が初めて世に出たのは雑誌『AERA』2007年11月5日号「結婚したいなら”婚活”のススメ」である。その記事では婚活している女性が4人登場する。うち「婚活の実例」として紹介されている2人はTV局の報道記者、IT企業勤務と見事なまでのキャリア女子(残り2名の勤務先についての記載はなし)。また、その『AERA』の記事から約1年後の『AERA』2008年10月30日号の特集も凄い。なんせタイトルから「結婚だけできない!」というまるで他には全てを手に入れたかのような口ぶり。で、登場する人たちももちろんキャリア女子たちばかり。

つまり「婚活」という言葉は、1:仕事、2:夫、3:子供という女の3大幸せの総取りを目指した言葉だった。そこには暗黙の了解として仕事については「手に入れているのが前提」になっていた。で、それが言葉が一般化するのにあたってそうした意味が薄れて「結婚に向けて前向きになること」ぐらいの意味になっている。
つまり、何が言いたいのかというと、2007年に「キャリア女子向け」に作られたはずの「婚活」が回りまわって6年後の2013年に「Oggiモテ現象」として「優良投資物件」アピールという形で再点火されているのだ。なぜ、再点火が必要なのかは推して知るべきだが、結局、「婚活」という言葉が5年経って当のキャリア女子を大して幸せにしていないのではないかと疑いたくなってしまうのは私だけだろうか。

お見合いパーティに行く前に考えてほしい5つの事―古田ラジオ

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最近、某村内を中心に立て続けに「お見合いパーティで惨敗した記録」を読む機会があった。
これらの惨敗記録、内容的には面白いのだが、どうも、「婚活パーティ」というゲームの基本的な仕組みを理解していない状態で書かれた記事・コメントが多いような気がするので、今回、婚活パーティについて、基礎中の基礎の内容をまとめた記事を書くことにした。皆さんが参加される時に参考にしていただければ幸いである。

1:お見合いパーティ参加1度目でカップリングできる事はまれ
お見合いパーティの基本的な流れは以下のとおりである。


1:異性全員と2~3分程度話す(通称:回転寿司)→フリータイム。好きな異性と5分前後話す。これを数回繰り返す→3:シートに気に入った異性の名前を記入→4:司会者によって結果発表。男女とも指名していればカップリング成立となる


さて、この一連の流れ、あなたはどんな内容だかわかっただろうか?1回参加した限りでは何が何だかわからないまま途方にくれることがほとんどである。つまり、お見合いパーティというものは、システムを理解していないと交渉のテーブルに着くこと自体が難しく、よほど運が良かったり、人気者でない限り初回参加はかなりの確率で失敗する。

2:3大バッドステータス、ギャンブル・タバコ・アルコール
婚活で言ってはいけないこと、それはギャンブル・タバコ・アルコールである。その人のルックスや性格以前にこの3つのフレーズを口走った瞬間に「選考外」となることを覚悟しよう。これは倫理的な問題というよりも、単に同じ趣味を嗜む人が少なくなる(また、嗜まない人にとってそれは大変苦痛である)という事が大きな問題である(アルコールは他2つよりも許容する人が比較的多い)。だが、相手のステータスが開示されていない以上、こちらもマイナスなステータスを開示する必要はない。お見合いパーティに限ったことではないが、婚活は基本「減点法」であり、「メリットを極力目立たせ、デメリットをを極力目立たなくさせる」事が基本戦術となる。

3:「友達と参加」は絶対NG
オタク婚活サービス「アエルラ」の社長にインタビューした際にも話しを聞いたが、お見合いパーティで「友達と参加」は基本NGである。万が一友達と参加していたとしてもそのことはあえて言う必要はないだろう。これはなぜかというと、
・カップリング後に友達と帰ることを優先して放置される
・物見遊山に来ていると思われる
事が挙げられる。特に物見遊山で来ていることがわかると非常にカップリング確率は下がることになる。もし本気で付き合う相手を探すつもりで参加するつもりなら、「ヲチしにきた」みたいな言い訳は絶対にしない方がいいだろう。

4:お見合いパーティはセンス競争をするところではない
世の中には様々なお見合いパーティがある。中にはアニメやマンガといったオタク向けだったり、野球やサッカーなどのスポーツなど、様々な趣味を媒介にしたお見合いパーティがなされることも多い。だが、それらのほとんどは「話しのとっかかりを作りやすくする」「同じ趣味を楽しむ人間同士連帯感が生まれやすい」といったところを狙って企画されることがほとんどである。よってこうした会でもっとも避けるべきなのは「他人の趣味で優劣を競おうとする」「自分が話してばかりで相手の話しを全く聞かない」という事である。お見合いパーティはセンス競争の場ではない。これは肝に銘じてほしい。

5:カップリングは「面接権の獲得」でしかない
最後に重要なことを。お見合いパーティでいう「カップリング」「カップル成立」とは要するに「2人で引き続きあって話(婚活用語でいうところの「面接」)をする権利」を獲得したに過ぎないということ。この時点で付き合う事が確定しているわけでも、恋愛感情をもっているわけでもない、という事には注意しておこう。
つまり、お見合いパーティでのカップリングとは就職活動における筆記試験通過、エントリーシート通過のようなものなのだ。

以上、いかがだっただろうか。お見合いパーティは、ルールが特殊だが、その一方で一度に多くの異性と知り合えるという大きなメリットもある。是非、パーティのルールを理解したうえで参戦してほしいと思う。

古田ラジオ

アシュレイ・マディソンレビュー:超上級者向けのサイトが見据える先には

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鳴り物入りで日本に上陸した「不倫専門SNS」、「アシュレイ・マディソン」。「ダイヤモンド・オンライン」を始めとする数々のメディアで取り上げられたのでご存知の方も多いだろう。だが、実際の使用感はどんな感じなのだろうか。自分の取材範囲で知りうる限りレビューしてみたいと思う。
なお、本記事では、「不倫の是非」や「サイトとしての訴訟リスク」といった話題については一切触れない。

  • アシュレイ・マディソンの立ち位置


本論に入る前に、そもそも世間で言われている「出会い系サイト」とはどんなサイト群の事を指すのだろうか。「出会い系サイト」は大きく分けて2つに分けられる。


ケータイ型:主にケータイでのアクセスを主体にしたサイト。従量課金制。繁華街にギャル系のモデルを起用して巨大な看板を出して広告していたり、エロ本やオヤジ雑誌に広告を出稿しているのが特徴。代表例:ワクワクメール、YYCなど
PC型:PCでのアクセスをメインにしたサイト。月額定額制。看板などでの告知は少なめだが、ネットではバナー広告などが多い。また、多くはMSNやyahoo!などのポータルサイトと提携していて、「ポータルサイト上の一サービス」として誘導されるのが多いのが特徴。代表例:マッチドットコム、エキサイト恋愛結婚など


最近はomiaiに代表されるfacebookアプリ系のような区別が難しいものもあるが、基本はこの形式に則っているといっていい。ケータイ型とPC型では利用している人の質やサービス形態、もっといえば運営業者が利益を上げている仕組みまでもが全く違っている。では、「アシュレイ・マディソン」はどのサイトに分類されるかというと、両者のいいとこどりをしているような形式である。男性は登録無料の時点ではゲスト会員であり、利用機能が制限されている。一方で課金してフル会員になると、利用ごとに「クレジット」がかかるという従量課金制になる(1クレジットがいくらかは不明)。これはPC型とケータイ型両方の課金システムの特徴を組み合わせた感じである。一方、PCとスマホ両方でアクセス可能で、かつダイヤモンドオンラインやZAKZAK、週プレNEWSといった「オヤジメディア」を中心に続々取り上げられ話題性も十分。日本上陸に向けてそれなりに準備を進めていたことがうかがえる。

  • セキュリティ意識皆無の会員登録制度


では、肝心のアシュレイ・マディソンのサイトはどんな感じなのだろうか。サイトの第一印象は、いわゆる良くある海外製のサイトを無理矢理翻訳したような形式で、婚活業界で言えば「マッチ・ドットコム」のようなややもっさりしたデザインである。「エキサイト恋愛結婚」や「YYC」などに比べると見た目という部分ではかなり見劣りする。一応、スマホアプリ版・PC版の両方が使えるが、スマホアプリ版はしょっちゅう落ちたりするのであまり使い勝手はよくない。
で、どんな人が登録しているのかというと、プロフィールの項目が「私がすごく興奮すること」とか「デートの好み」とかそんなのばかりなので良くわからない。年齢層はやや高めである。全体的に女性よりも男性の方がさらに高い印象。
そして、このサイトの最大の欠点、それは、女性が登録費無料どころか、本人確認すら全くされていないところ。これは凄いことである。日本の出会い系サイトは本人確認書類の提出が義務付けられていたような気がするが、それはまぁいいだろう(良くないけど)。このサイトでは、女性のアカウントがネカマだろうが、詐欺師だろうが全くお構いなしなのだ。その証拠に「ヘルプ」欄を見てみよう。


質問:会員になるためのメンバー審査はありますか?
答:アシュレイ・マディソンのシステムでは、メンバーに対する事前審査や保証は行っていません。常に身の安全にはご注意の上、よく考えて行動して下さい。気を付けていれば、必ずしも不要なリスクをとらなくても楽しむことは可能です。あなたがアシュレイ・マディソンで誰かに始めて会う時、その人は他人なのだということを忘れないようにして下さい。

質問:プロフィールはアシュレイ・マディソンが認証しているのですか?
答:いいえ。わたしたちはメンバーについて審査をしていませんので、プロフィールについて認証を与えてはいません。


なんということでしょう!この開き直りっぷりである。つまり、アシュレイ・マディソンで本当に「不倫相手、ゲットだぜ!」となるには相手のアカウントとメッセージの真贋を読み取る能力が非常に高いレベルで必要であり、これこそがアシュレイ・マディソンが超上級者向けサイトだと思われる理由である。
ところで、このサイトに登録するような「おっさん」がそんな能力を持ち合わせているのだろうか?

古田ラジオ

「街コン婚活成功率3%」の謎

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少し古い話で恐縮だが、日経がこんな記事を出していた。

街コン婚活成功率3% 全国で60万人参加
(内容を確認するには無料会員登録が必要)

「街コン」の婚活成功率が3%なのだという。さて、この数値、高いのか低いのか一体どうなんだろうか。
該当の記事では、

交際に発展する確率は他の婚活手段に引けを取らない。アンケート調査では、後日デートをした人は35.2%、恋人ができた人は9.2%、結婚または婚約した人は3.4%にのぼった。結婚・婚約率は大手婚活支援会社が主催するお見合いパーティーと同水準だ。


と書かれていて、いかにも街コンが婚活に有効(要するに流行っている)であるかのように思える。だが、本当なのだろうか。ためしに、結婚相談所業界の最大手、オーネットの数値を調べてみよう。オーネットの公式ホームページによると、2012年の会員同士の成婚退会社は4,026人だという。同じ年の入会者は18,929人だから、単純計算で入会者の成婚率は約21%という事になる(もちろん、入会者全員が1年で成婚するわけではないのでこの確率は多少下がる)。だが、街コンの3%の数値の実に7倍である。もちろん、他の婚活サービスでは実績を公開していないため、これだけでは断定的なことは言えない。だが、街コンのカップリング率35%というのも、一般的なお見合いパーティのカップリング率と大して変わらないため、結局記事の意図とは違いこの調査結果からわかることは「街コンの婚活成功率は大して高くない(むしろ他のサービスより低い)」という事になる。
なぜ、日経という「大本営発表」でこうした発表がなされたのかについてはわからない。だが、もちろん、街コンに友人作りや飲み目的その他もろもろのために参加するのは構わない。そもそも、飲み会で他の人と知り合うことは楽しいことだ。だが、こうした事実がある事は心に留めておいた方が良いだろう。
基本的に、全ての婚活サービスには確率の差はあれど、「出会い」の可能性がある。どれだけクソなサービスだろうと、その中にあなたの理想の女性がいる可能性は否定できないのだ。だが、現時点では街コンは、参加する事で出会い「も」あるかもしれないという程度の期待値でしかない「副次的婚活サービス」だと言えるだろう。
ちなみに「第14回出生動向基本調査」によると、2010年時点で結婚したカップルの7割が「職場、友人やきょうだい、学校を通じた出会い」がきっかけで結婚している。つまり、確率論で言えば街コンなど参加せず、そこに使っている金を使って友人や同僚に奢って「誰かいい人紹介してくれ」と頼んだ方がよほど確率が高いという事実も申し添えておく。

それにしてもこの記事に書かれている「結婚・婚約率は大手婚活支援会社が主催するお見合いパーティーと同水準だ」というのは一体どこの話しなのだろうか?

古田ラジオ

ぼくわたしがかんがえたせんしんてきなはたらきかた

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あの、マリッサ・メイヤー(google20番目の社員にして、元同社副社長、現YAHOO!CEO)が「在宅勤務者に出社勤務にするかもしくは退職するよう通達」したとしてニュースになっている。
「はてなブックマーク」などを見てみると社畜がどうしたとか言ってる人がいたが、そういう人はスティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』(阪急コミュニケーションズ)を読んでからコメント書き込めよと言いたい。

グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へグーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ [単行本]
著者:スティーブン・レヴィ
出版: 阪急コミュニケーションズ
(2011-12-16)


そもそもgoogleとは極めて「大学」的な組織であり、今回のニュースは単に「(授業にでるかどうかはさておき)大学ぐらい来いよ」という程度の意味しかないと思われる。それはさておき、YAHOO!でこうした決定がなされたのは、その大前提として、在宅勤務という制度自体に意味がない(少なくともコストに見合わない)という事になるのではないだろうか。
そう、我々はいい加減認めるべきなのだ。少し前から「せんしんてきなはたらきかた」だと言われていたもののほとんどは、実は、メリットよりもデメリットの方が大きいのかもしれない、ということに。別に、こんなことはgoogleがどうだとか遠く離れたところにいるエリートさん達の事例を引く必要はない。我々の隣を見てみればこうした事例は枚挙にいとまがないのだ。

例えば、フレックスタイム制が単なる遅刻の言い訳になっていることに。
例えば、ワークライフバランスが単なる既得権の言い換えになっていることに。
例えば、原稿を書くのがwifi完備のカフェでも自宅でも、進捗に大して変わりはないことに(私は、ライターとしての原稿は毎回自宅で書いているが、それで困ったことなど一度もない。考えてみたら当たり前だけど)
例えば、CSRを声高に叫び、CSR経営を標榜する会社に限って社員を酷使し、赤字が出たらすぐ社員を無理矢理リストラしていることに。
例えば、イケダハヤトや安藤美冬が単なるヒモやプラチナディストリビューターでしかないことに。


結局「せんしんてきなはたらきかた」の多くは極めて高度な自己コントロール能力を求められるのだ。それをコントロールできる人はよいが、そんなことできないから我々は会社勤めをしているわけで。ほっとけばCIVでもGTAでもやってしまうからこそ、我々は今日も満員電車に揺られて会社に向かう。だけど、自分がコントロールできないのに「できる」と勘違いするよりはマシだ。

春の文学フリマへの参加に関して

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「奇刊クリルタイ」の今後のイベント参加、中でも毎回お世話になっている春の文学フリマへの参加に関して報告させていただきます。
ご存知の通り、今回の文フリは4月14日に「第十六回文学フリマin大阪」が、4月28日にはニコニコ超会議とコラボした「超文学フリマ」がそれぞれ開催されます。メンバー内で参加可否について検討を重ねましたが、今回は「超文学フリマ」にのみ参加し、文学フリマin大阪には参加しない事といたします。また、手前勝手な言い分で申し訳ないのですが、文学フリマin大阪で委託いただけるサークルさんがいらっしゃれば是非ご一報ください。
なお、これに伴い、「ニコニコ動画」内のサービス「ブロマガ」を開設いたしました。こちらも合わせてお使いください。

キモメンスゴレンVol.3「エア仕事論」にイラっとくる5パターン

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皆さんは「竜退治にはもう飽きた!」というキャッチコピーをご存知でしょうか。TVゲーム『メタルマックス』のTVCMにて、「元ジャイアン」ことたてかべ和也氏のが叫んだこのフレーズは「戦車と人のRPG」である同シリーズを象徴する名キャッチコピーとしてファンの間では語り草となっています。



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ですが、広大な世界にはたてかべ和也氏ならずとも「もう飽きた!」と叫びたくなるような様々な事象が存在することは論をまたないでしょう。今回はそんな中から、仕事における「もう飽きた!」の好事例、「エア仕事論」を
紹介します。「エア仕事論」とはその名の通り、「本人はドヤ顔で語るも、現実には何の意味もない仕事論」「仕事論のフリした自慢・アピール」の総称です。今回は数多くの「エア仕事論」の中から5つを紹介する事で現代社会に対する警鐘とさせていただきたいと思います。

1.コミットメントなき仕事論

コミットメント。様々な人によって指摘されていますが、ビジネスを進めていく上で基本中の基本となる能力です。ビジネス上のある事柄にコミットメント(責任を伴う約束)する以上、責任をもってその業務を遂行する必要があります。ところが、エア仕事論ではこうしたコミットメントは無視され、「自分が気持ちいいか」「自分が有利なポジションにつけるか」「PVが稼げるか」が優先されます。簡単に言えば、全てのエア仕事論はコミットメントなき仕事論だと言えます。
「あの人が気に入らないから俺は仕事しないよ」という人や、「前の会社では○○だった」「googleでは云々」「アップルでは云々」「ワークライフバランスが」「ダイバーシティが」などなど。「エア仕事論をぶつ前に事務員と不倫するのやめろ」(愛知・フレキシブルコンテナバック)「そんなこと言うならとっとと転職しろよ」(尖閣諸島・官房長官)、「あんたが勤めてるのは何の変哲もない日本の中小企業なんですが・・・」(岐阜県・童貞)といわれても仕方がないでしょう。

2.ノマド

「ノマド」とは遊牧民の事ですが、転じて「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といったワークスタイルの事を指します。当初はモバイルやクラウドを使った仕事術やツールの紹介であったはずのノマドですが、フリーランス礼賛と結びつき、現在ではノマドなんだかノ○ソなんだかエア仕事論なんだかよくわからないことになっております。それに伴い、「年収150万円で僕らは自由に生きていく 」(それ単に嫁さんが理解と稼ぎのある人ってだけだろ)とか「月5,000円でサバイバルキットを買えば大丈夫」(新手のネットワークビジネスか)などなど「ノマド的エア仕事論」も増殖傾向です。安易にノマドを信奉する皆さんには「歴史上ほとんどのノマド(遊牧民)は安定した収穫を目指して農耕民族に侵攻、征服後、農耕民族に逆制服(農耕民族化)された」という事実に思いを馳せてほしいものです。


3.「カンブリア宮殿は見ろよ」

『カンブリア宮殿』といえば、各業界の社長を招いての企業PR研究番組です。村上龍と小池栄子の名コンビもすっかり板に付き、テレビ東京の看板番組とも言えるこの番組。あなたは、放送翌日の会議などでやたらとどこかで聞いたような、もっといえば、昨日の夜中に両胸にスイカをつけたねーちゃんとドヤ顔のおっさんから聞いたのと全く同じ内容を話す上司に遭遇する光景に遭遇したことはないのでしょうか。「部長がドヤ顔で「カンブリア宮殿」の話をするのでますます見たくなくなる」(埼玉県・団体職員)「紹介されている事例を1つでも実行してほしい」(ユタ州・NPO)など、彼らの存在は若手社員からの評判が非常に悪いです。番組そのものよりも、「唯一の情報源」「単なる広報番組を先進事例の紹介だと勘違いする」上司の存在が「カンブリア宮殿を見てる人はイタい」という逆効果を生んでいる事実は我々の胸に刻まれるべきです。

4.ぼくがかんがえたさいきょうのますこみぎょうかい

あなたのフォロワーの中にはマスコミ業界の人間でもないのにやたらと「マスメディアの未来」や「マスコミ論」を語りたがる人がいないでしょうか。で、意外とそうした発言がリツイートされてたりします。
「マスコミに入ってから言え」(インターネット・こじらせ女子)「他にやることないのか」(樺太・製麺業)などなど、こちらも評判は悪いです。よくよく考えてみると、業界のインサイダーでもない人が考えた理論がそこまで正しいと言えるのでしょうか。自分の業界に置き換えてみれば、そうした現状が如何にバカバカしい事かよくわかります。しかもタチの悪い事に、そうした発言は就職活動の裏返しのルサンチマンである可能性が多く注意が必要です。ですが、よくよく考えてみると、我々の周りには「ぼくがかんがえたさいきょうのかちょう」や「さいきょうのしんきじぎょう」「さいきょうのえいぎょう」を開陳する人にあふれています。
「さいきょうのかいしゃ」トークはせめて飲み屋での泥酔時ぐらいにとどめておきたいものです。


5.中二病にいつまでも罹患

中二病。本来であれば「中学2年生程度の屁理屈で社会を否定し、結果何の行動も起こさなくなる「病」」の事を総称していますが、世の中には困ったことにこの病にかかったまま大人になって就職……はおろか、管理職になろうが50になろうが中二病がいまだに完治しない人がいます。いい年こいて「俺が中心にならない飲み会には参加しない」という人や、もう50にもなるのに、「俺に従わない後輩とは口もきかない」という人。いつまでたっても「ぼくにはもっとふさわしい仕事がある」と夢想する人。「ぼくはゆうのうなんだい!」というアピールに余念のない人……。
「ほんとに迷惑。早く魔眼に目覚めてダークフレイムマスターに転生してほしい」(岐阜・文化系童貞)「そんなに中二病がいいならアーカム財団にでも入ってろ」(梁山泊・ミニコミ編集)など、中二病を批判する前に自らを省みてほしいと思う事しきりです。


そもそも、エア仕事論とは全ての会社において、全ての安居酒屋で必須の概念でした。ただ、それらは翌日には酒とともにきれいさっぱり忘れ去られていたという意味で、大変健康的なものでした。ですが、今日では全てのエア仕事論はアーカイブ化され「痛い言動」として保存される一方、「事故物件」扱いを恐れない一部の人たちは、エア仕事論を語ることを仕事とするようになりました。我々にできる事は、彼らの発言の不備をあげつらうことではなく、彼らの発言をしっかりとアーカイブ化し、後世の人々に残すことなのではないのでしょうか。2010年代の日本に咲いたあだ花として……。




ビッグダディに見るDQNコミュニケーション-republic1963

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2012年末。年末の改編期には我々が心待ちにしている「アレ」が放送さた。
そう、「痛快!ビッグダディ(BD)」である。
何はなくともBDである!
BDとは整骨院を営む林下清志(通称ビッグダディ)一家、夫婦と子5男8女の合計16人(男6人・女9人)のどたばた劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も奄美大島から愛知県豊田市、香川県小豆島へと移り、その間に妻(前嫁)と離婚→よりを戻して再婚→やっぱり離婚→18歳下の妻(現嫁)と結婚という波乱万丈な人生を送っている。
今回のBD18、ここしばらく封印されてきていた「バトル」が復活し、久々に見応えのある内容であった。だが今回、強調されていたのはBDが繰り出すDQNに特有のコミュニケーション技法、いわば「DQNコミュニケーション」とでもいえるものである。そこで今回は改めてBDにみるDQNのコミュニケーションの特徴について考えてみたいと思う。

  • DQNコミュニケーションの特徴1:怒る

今回放送分でBDが子供たちに対して大爆発した。理由はキノコ狩り時に子供たちが挨拶をしなかった、というのが理由だが、「怒る」というのは広く知られているDQNの行動様式である。さらに、BDの場合、子供に「笑ってた」等のいちゃもんをつけることで怒る事を正当化していた。こうした怒る理由をでっちあげることで自分を正当化するのはDQNの常とう手段である。さらに、こうした理由としてしばしば使われるのが「笑っていた」等の態度(=客観的な事実ではなく、恣意的に判断できるもの)である点には注意しておきたい。

  • DQNコミュニケーションの特徴2:子供

今回放送分で初めて明らかになった事実として「BDは子供のために現嫁との別居を決断した」というものがある。つまり、現嫁との同居では前嫁や前嫁との間の子供の話題がタブー化したため、子供の成長に悪影響を及ぼすというBDの考えが番組内で説明されたのだが、これはうそではないだろうが、本当にそうなのだろうか。そもそも、それが本当なら最初から説明しろよという気にもなる。というか、BDは現嫁との間にできた子供もいるのに、その子の事は心配しなくていいのだろうか。このように「子供」を錦の御旗とし、子供をダシにつかって一点突破を図るのはDQNの様式美と言っても良い。

  • DQNコミュニケーションの特徴3:疑う

今回の放送で主題となったのは、BDの二女の学校問題である。簡単に言って不登校になりかけているのだが、その解消のため、豊田にいる前嫁のところに遊びに行かせる→その時の写真を入れてた写真立てが破損という展開を辿るのだが、その後、写真立てを割ったのは現嫁ではないかとBDが疑い出すという超展開を見せる。そこまでこだわらなくても新しく入れればよくね?というツッコミも聞こえず、BDは別居先の元嫁の元に突撃したわけだが、こうした些細な理由で人を疑い、疑心暗鬼に陥るのはDQNに非常に特徴的な行動様式である。しかも、それを本人に言ったところで何が変わるとおもっているのだろうか。

  • DQNコミュニケーションの特徴4:ほのめかす

BDのDQNコミュニケーションの真骨頂は番組最後の現嫁とのドライブである。この番組上最大の山場において、BDは現嫁からの執拗な同居要請をのらりくらりとかわしていくのだが、この2人の会話がとても面白かった。何が面白いって、現嫁が「どうしても同居してほしい」と言った時にBDは同居するともしないともなんともいわないあいまいな態度を取り続けていた。こうしたBDのほのめかしメソッドは番組内で頻出しており、これが別居の理由なんじゃないの?と疑いたくなるが、基本的にこうした明確に答えを言わない、ほのめかす態度はDQNに極めて特徴的なものである。

こうしてみてきたBDシリーズ。「3月以降の契約は更新しない」というBDの意向もあるという噂もあり、今後もBDのシリーズが続くかどうかは不透明だ。だが、BDというコンテンツが今後どうなろうと、この世紀のDQN番組が成し遂げてきた事がなかったことになることはないであろう。

「希望は戦争」への5年越しの回答:熊代亨『ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く』

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ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解くロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く
著者:熊代 亨
販売元:花伝社
(2012-10)
販売元:Amazon.co.jp


熊代亨『ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く』・・・8点(10点満点中)
※著者様のご厚意により献本いただきました。ありがとうございます。

この本は「はてなダイアリー」やblogosでもおなじみのブロガー「シロクマ(@twit_shirokuma)」氏による初の単著である。「ブログ発」ということなので目次を広げてみると以前見覚えのあるタイトルが並ぶが、それらのほとんどはタイトルのみ拝借した形でほぼ全面的に書き直されている。で、そこで何が語られているかというと、著者も連なる「ロスジェネ世代」を中心とした世代論を精神科医という立場で再解釈したものである。
この本の論旨をごく簡単に言えば、現代(2010年代)は空前の各人が個人的な自己愛を必要とする社会、つまり、集団(ムラや会社)への所属を通した自己愛ではなく、個人的な成功やキャラクター消費によって自己愛が充足される社会である。しかも、そうした自己愛の充足方法や要求水準が年齢相応に成長していかないという問題を抱えがちである、という問題点を示したうえでその解決法(察しの良い人ならわかると思うが、「分相応に年を取れ」という解決法である)が提示される。そして、その過程で明らかにされるのは我々ロスジェネ世代(70年代後半から80年代初め生まれの世代)の「梯子を外された」様子である。つまり、金銭的・社会的な成功によって自己愛を充足させやすいバブル世代と、キャラクター消費によって自己愛を充足させやすいゆとり世代との間で、「バブル的な規範を内面化させながら、それを実行することが極めて難しい」という位置にいるのが我々ロスジェネ世代である。

本書においてはいわゆるブログ文体は極力使われず、汎用性の高い描写がされており(そのため、アニメやゲーム個別の批評はほとんどない)、この本を広く世に問いたい、という意気込みが伝わってきた。また、精神科に対する予備知識はほとんどなくともかなり面白く読むことができた。
本書を読んでいて思い出されるのは赤木智弘『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』(2007年)だった。ロスジェネ世代の「梯子を外された」「こんなはずじゃなかった」という感覚。おそらくそうした世代の声は新自由主義でも先行世代のせいでもなく、他人の無関心によって「なかったこと」になるだろう。だが、『若者を見殺しにする国』から5年、ようやくまともに応答する本が現れた。それが恐らくこの本だ。

だが、本書が示す解決法がいかにも弱い。「分相応な年の取り方をしろ」というのは理屈としてはその通りだが、解決策としては弱い(そもそも、それならまず先行世代が「引退しろ」という話になる)、またコミュニタリアン的な解決策の提示もそういったものが嫌いな人には如何にもウケが悪いだろう。だが、それらを差し引いても現状分析とそれをわかりやすく提示する手法は見事としか言いようがなく、また「ロスジェネ世代」という敗北が決定づけられた世代によるささやかな反抗の記録として、ぜひ一度読んでみてほしいと思う。

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