在外日本人というと、その性質を一括りにまとめがちな所がありますが、
単身で自ら海外移住を決める人達というのは、日本では得られなかった「何か」
を求めてその国に行くと思うので、その性質も住む国によって色々傾向が変わって
くると思います。
実力と学力に自信があってそれを試したいポジティブな人はやっぱりアメリカに
行くでしょうし、真面目に平凡に、でものんびり暮らしたい人はニュージーランドや
カナダを選びそうですし、土着の文化と温もりに活力を感じる人は、タイやベトナム、
インドネシアなど東南アジア方面に行くのではないでしょうか。
で、イタリアを選ぶ日本人の傾向としては、やはりどこかゴーイングマイウェー型の
日本人が多いような気がします。
数少ないですけど私がこっちで知り合った日本人で、旦那さんの海外派遣で
イタリア在住を強いられた方や結婚相手がたまたまイタリア人だった方を除いて、
イタリア大好きでイタリアに来た人というのは、慨してゴーイングマイウェー型が
多かった気がします。アーティスティック、エキセントリックな人達の他に、
ローマは野良猫を保護する施設が多いので、そこでボランティアをしたいから
家族を置いてちょっと住みに来たという超猫好きゴーイングマイウェーの中年女性
もいました。
猫と言えば、こっちで知り合った日本人の十中八九が猫好きでしたが、猫みたいな
性格の人に、イタリアは居心地良いのかなとも思います。
猫というのは堅苦しさや枠に嵌められるのが嫌いで、一方、誰にも要求されて
ないのに変な枠に嵌ったりするゴーイングマイウェーなんですが、
←こんな風に。
例にもれず私もゴーイングマイウェーな性格なうえ、注意力散漫でだらしなく、
小学校の通信簿には「人の話を聴いていない」と書かれ続け、中学では
3年間連続「責任感が無い」と書かれたほど、社会に適応できないタイプの
人間でした。
なので自分なりに努力はしていたものの、18歳まで家族と先生に怒られるのが
日常で、人生前半の思い出がもう、怒られたことしかないくらいなんですが、
やはり感受性の強い時期に怒られるだけの生活を送っていると心が歪んで
しまいます。
その頃自分を励ましてくれたのが欧米のティーンエージャーが出てくる洋画で、
自分と同じ年ごろの子達が凄く自由にのびのびと怒られずに暮らすさまを見ては、
いいないいなと心を躍らせていました。その後はジャンルを問わず洋画だったら
何でも録画をし、ビデオが擦り切れるほど何度も見続けるほどの洋画好きに
なってました。
そのようにして自分の西欧かぶれの土台が出来上がったわけですが、同じくして
日本社会というものが堅苦しくて堪らなく思え、生まれた場所を間違ったとすら思い
ました。なので日本史にも全く興味はなく、日本のしきたりや文化にも興味が無く、
成人式には着物に興味が無く全身黒ずくめで出たほどです。
で、そんな私が現在では日本が大好き堪らず、自分が日本人ということも大好き
でしょうがないのは、やっぱり大好きなイタリアに住むようなったおかげです。
私以上に怒られるべき人間だらけの国を選んだ、というのが良かったのかもしれ
ませんが、ここイタリアで、自分の中に眠っていた良い日本人気質がバタバタ目を
覚まし、気付いたら、周囲で自分よりも礼節あって責任感があって義理堅く親切な
人間はいないんじゃないの?くらいに思えるほど、日本人になっていました。
そして、ああ日本という国は普通にそういう人達だらけが暮らす国なんだと思った
時、俄然日本が美しく愛しく見え出したのです。
結局、自分自身を肯定的に見れるようになったことで、全てを肯定的に見ることが
出来るようになっただけなのですが、ただそれだけのことで、生きていく足取りが
断然軽くなりました。
また自分のことをもっとよく知りたくて、日本の歴史と文化にも興味が沸きました。
日本を好きになったら日本に住んで楽しいし、親切さが身に染みるし、日本的
堅苦しさというのもそれはそれで許せるようになりました。
ところで、日本人気質を素直に出せば出すほど、こっちの人から好感を持た
れるし、日本人というだけで信用されてしまうので、こっちもプレッシャーが
掛かって、更に日本人に磨きが掛かり、現在の私はおそらく日本在住の日本人
よりも、日本人を意識して暮らしています。
もう凄いですね日本人のDNAって。宝物ですね。特にイタリアでは「貴重」なので、
日本に嫌気がさした日本人はイタリアにちょっとばかし住んで「重宝」されてみる
ことをお勧めします。私のように別人になれるかもしれません。
こっちでは財布を拾って届けるだけでヒーローになれます。子供がこれをやったら
新聞にも載ります。もう、いろんな所で簡単にヒーローになれてしまいます。
インテル長友がゴールしてから日本式のお辞儀をして日本人アピールする
気持ちが凄くよく解ります。多分他の国ではコレは出てこなかったと思います。
大らかに良い所を素直に称賛してもらえるイタリアの地だからこそやるのだと
思います。
私の場合はこういった経緯でしたが、海外に住む日本人の多くが、日本への愛情
と敬意をいろんな形で味わっていると思います。
単身で自ら海外移住を決める人達というのは、日本では得られなかった「何か」
を求めてその国に行くと思うので、その性質も住む国によって色々傾向が変わって
くると思います。
実力と学力に自信があってそれを試したいポジティブな人はやっぱりアメリカに
行くでしょうし、真面目に平凡に、でものんびり暮らしたい人はニュージーランドや
カナダを選びそうですし、土着の文化と温もりに活力を感じる人は、タイやベトナム、
インドネシアなど東南アジア方面に行くのではないでしょうか。
で、イタリアを選ぶ日本人の傾向としては、やはりどこかゴーイングマイウェー型の
日本人が多いような気がします。
数少ないですけど私がこっちで知り合った日本人で、旦那さんの海外派遣で
イタリア在住を強いられた方や結婚相手がたまたまイタリア人だった方を除いて、
イタリア大好きでイタリアに来た人というのは、慨してゴーイングマイウェー型が
多かった気がします。アーティスティック、エキセントリックな人達の他に、
ローマは野良猫を保護する施設が多いので、そこでボランティアをしたいから
家族を置いてちょっと住みに来たという超猫好きゴーイングマイウェーの中年女性
もいました。
猫と言えば、こっちで知り合った日本人の十中八九が猫好きでしたが、猫みたいな
性格の人に、イタリアは居心地良いのかなとも思います。
猫というのは堅苦しさや枠に嵌められるのが嫌いで、一方、誰にも要求されて
ないのに変な枠に嵌ったりするゴーイングマイウェーなんですが、
←こんな風に。
例にもれず私もゴーイングマイウェーな性格なうえ、注意力散漫でだらしなく、
小学校の通信簿には「人の話を聴いていない」と書かれ続け、中学では
3年間連続「責任感が無い」と書かれたほど、社会に適応できないタイプの
人間でした。
なので自分なりに努力はしていたものの、18歳まで家族と先生に怒られるのが
日常で、人生前半の思い出がもう、怒られたことしかないくらいなんですが、
やはり感受性の強い時期に怒られるだけの生活を送っていると心が歪んで
しまいます。
その頃自分を励ましてくれたのが欧米のティーンエージャーが出てくる洋画で、
自分と同じ年ごろの子達が凄く自由にのびのびと怒られずに暮らすさまを見ては、
いいないいなと心を躍らせていました。その後はジャンルを問わず洋画だったら
何でも録画をし、ビデオが擦り切れるほど何度も見続けるほどの洋画好きに
なってました。
そのようにして自分の西欧かぶれの土台が出来上がったわけですが、同じくして
日本社会というものが堅苦しくて堪らなく思え、生まれた場所を間違ったとすら思い
ました。なので日本史にも全く興味はなく、日本のしきたりや文化にも興味が無く、
成人式には着物に興味が無く全身黒ずくめで出たほどです。
で、そんな私が現在では日本が大好き堪らず、自分が日本人ということも大好き
でしょうがないのは、やっぱり大好きなイタリアに住むようなったおかげです。
私以上に怒られるべき人間だらけの国を選んだ、というのが良かったのかもしれ
ませんが、ここイタリアで、自分の中に眠っていた良い日本人気質がバタバタ目を
覚まし、気付いたら、周囲で自分よりも礼節あって責任感があって義理堅く親切な
人間はいないんじゃないの?くらいに思えるほど、日本人になっていました。
そして、ああ日本という国は普通にそういう人達だらけが暮らす国なんだと思った
時、俄然日本が美しく愛しく見え出したのです。
結局、自分自身を肯定的に見れるようになったことで、全てを肯定的に見ることが
出来るようになっただけなのですが、ただそれだけのことで、生きていく足取りが
断然軽くなりました。
また自分のことをもっとよく知りたくて、日本の歴史と文化にも興味が沸きました。
日本を好きになったら日本に住んで楽しいし、親切さが身に染みるし、日本的
堅苦しさというのもそれはそれで許せるようになりました。
ところで、日本人気質を素直に出せば出すほど、こっちの人から好感を持た
れるし、日本人というだけで信用されてしまうので、こっちもプレッシャーが
掛かって、更に日本人に磨きが掛かり、現在の私はおそらく日本在住の日本人
よりも、日本人を意識して暮らしています。
もう凄いですね日本人のDNAって。宝物ですね。特にイタリアでは「貴重」なので、
日本に嫌気がさした日本人はイタリアにちょっとばかし住んで「重宝」されてみる
ことをお勧めします。私のように別人になれるかもしれません。
こっちでは財布を拾って届けるだけでヒーローになれます。子供がこれをやったら
新聞にも載ります。もう、いろんな所で簡単にヒーローになれてしまいます。
インテル長友がゴールしてから日本式のお辞儀をして日本人アピールする
気持ちが凄くよく解ります。多分他の国ではコレは出てこなかったと思います。
大らかに良い所を素直に称賛してもらえるイタリアの地だからこそやるのだと
思います。
私の場合はこういった経緯でしたが、海外に住む日本人の多くが、日本への愛情
と敬意をいろんな形で味わっていると思います。
コメント
コメント一覧 (13)
私はこの方50年、日本という国から出たこともなく、ましてや東京にすら行ったことがない超ローカル人間なんです(笑)。
だからアルテヴィータさんのブログは私にとっては『社会へ開かれた窓』みたいなもの…。
こんなローカルな私でも、今日のお話でイタリアに行ってリフレッシュしたくなりました。「誰かほめて~!」って感じで日々過ごしてます(笑)。
これからもお身体に気を付けて、イタリア生活紹介してくださいね。
心温まるコメントをどうもありがとうございます。
鯛子さんのように、必要な何かが全部近い所に揃っていたという人生も、今の私にとってはとても輝いて見えます。
また、たとえ誰もほめてくれなくても、鯛子さんが無意識に周囲の人の心を温めていることが、文面から感じられました。
>『社会へ開かれた窓』
照れます。ありがとうございます。本当は「のぞき穴」程度なんですが。。。
鯛子さんのような多くの日本の方たちが、日本と全く違う風景のイタリアにリフレッシュしに来て下さることを願います。
夢のような楽しい旅行の後で、おうちに帰ってお茶を飲みながら何だかほっとする、その「ほっ」の一時がこれまた素晴らしかったりします。
大摩邇さんのサイトの記事(ADHD)のコメントにもありましたが、アルさんと私の娘(三女)はよく似ているなぁと思いました。
彼女はまだ19歳で、中学までは全然学校に馴染めず、行こうとすると喘息の発作が出てしまうほどの拒否反応だったので、保育園以来ずっと、ほぼ不登校状態が続いていました。
叱られる、と言えば、彼女が歩くと必ず誰かの足を踏み、最初の頃は許せても、だんだんと怒れて来ちゃって、と言うように、他の姉妹からも批難ごうごうでした。
小さい頃は、服を着せれば片っ端から脱いで逃げ、寒い時以外は一年中ほぼ真っ裸。
口癖は誰が教えたのか『やなこった』、雨が降れば軒下の雨垂れの下に立ち、まだ凍てついた川に、どうしても水着(可愛いビキニ)を着て遊びたいと言いはり、でもあまりの水の冷たさに仕方なく諦めて、二度と同じことは言い出さなかった、など、おもしろエピソードのオンパレードです。
本当に子供らしい子供で、いくつになってもこのままかしら~( ̄○ ̄;)と思ってしまうほどです。
ゴーイングマイウェイと言うよりは、自分のやり方以外ではやれない、と言った感じでしょうか。
正に、体験するために生まれて来た、って感じです。
こう言う子は、時には他の人よりも痛みを伴うでしょうが、それをしないと納得できず、自分の中に蓄積されなければ学べないタイプで、それこそが彼女の人生なんですよね。
親としてはいつまでも心配な、でもとっても可愛い永遠子供な存在です。
そんな彼女も中学を卒業してからはコンビニやカフェでバイトをし、周りの人に可愛がられて自信を付け、これからどうなって行くのやら~楽しみなような不安なような~なんですよね。
でも、アルさんの今を拝見して、よし、大丈夫だ!と思っている次第ですo(`▽´)o
三女さん、私とおんなじ、というか殆ど瓜二つですね。私も片頭痛とかいろいろ、病院に行っても原因不明のありとあらゆる病気になる子供時代だったので、母は心配でたまらなく人より多く着せたがり、もうそれがイヤでイヤで。。また、人の靴を履いて帰ってきてしまったり、靴が左右バラバラだったり、中学の入学式に父親の桃色がかったYシャツを着て行ってしまうなど、しょっちゅう。こっちはウケ狙いでやってるわけではないのに、生きているだけで怒られていました。
でも今考えると、私の母も常にハラハラ不安だったと思います。綺麗というだけで毒キノコも食べかねない子供ですから。それは信用してくれと言っても無理があったかもしれません。
三女さんは人と違った視点で物事を見たり楽しんだり出来る人ですから、そんな彼女の良さを理解してくれる人が増えるたびに、大人になるほど、どんどん落ち着いて人間性も増すと思います。視野が広すぎるという長所は、時に足元を見ない欠点にも繋がりますが、経験と共にそこら辺のバランスも取れてくるものです。三女さんだからこその人生を、探りながら力強く生きてほしいと願います。
大丈夫です!うさぎさんがお母さんなんですから。
自分の感情を表すことが下手なゆえあまり多くを語れませんが今回の記事は何か僕の心に響くものがありました(皆様のコメントも含めて)。
否定から肯定を繰り返す過程で寛容さを身に着けていくのかもしれませんね。
確かに今のイタリアは、自分たちの良い資質にも目を向けられなくなるほどに経済的に追い込まれている人達がどんどん増えてますね。お金社会というのが世界中の悪の現況なんですよね。お金よりも大切なものに目を向けるべきなんですが、お金が無いと生きていかれないので、結局「人としてどのように生きるか」より「どのように生命を維持するか」のほうに重点を置かざるを得なくなってストレスが溜まります。日本人のように真面目な性格じゃないし、置かれた状況から何かを悟ろうとする習慣も無いイタリア人にとっては尚更ですね。
>猫好きです。
枠にはまらない寛容なレシピによく現れてますよ(^^)。
猫好きは、人のマイペースがあまり気にならないんですよね。逆に親近感沸いちゃうみたいな。
ゴロゴロするのも大好きなんですよね、これが。
24時間365日付きっきりで監視していたかったでしょうね(^_^;)
わかります、わかります、ケースは違いますが、歩く天然危険物みたいな感じですもん。
油断も隙もありません。
ところが、本人には『興味がある』と言う事以外何もなく、ましてや悪意などこれっぽっちもなく、ただ本当に純粋に『これなぁに?どうなってるの??こうしたらどうなるのかしら???』ですもんね。
もし輪廻転生があるとしたら、『あんたは人間初めてか?地球は初めてか??』と聞きたくなるくらいぶきっちょ(三河弁かな?不器用)な感じです。
でもいつも目をキラキラ輝かせて、時には、公園でノミだらけで今にも死にそうな産まれて間もない仔ネコを拾って、その大きな目に涙をいっぱい溜めて、飼っていいかと懇願し、とにかく人一倍優しい子なんですよね。
『きちんと』『決められた事』を『時間内に』『毎日繰り返し』やる事は超苦手(気が狂うみたい)で、自分のペースで考えて、あれやこれややりながらだと上手く回せるみたいです。
そして、何かにハマると、周囲がその存在を忘れてしまうほど(静かで)の集中力を発揮し、なかなかのレベルで物事を完成させます。
どこでも良いのではなく『自分の居場所』を見つけたら、素晴らしい才能を発揮する力を秘めていると思います。
『生物多様性』と言いますが、人間にも『多様性』があっていいんじゃないかと、それを許せる成熟した社会があってもいいんじゃないかと思います。
で、それまで、私の命が尽きてしまわないように、体力をつけておかねば?と思っています。
三女さん、感性豊かでなかなか天才的素質がありそうですね。エジソンとかも子供時代はこうだったらしいですから。
それに、うさぎさんのようなお母さんで、ちょっと羨ましくなりました。すごく理解されてますよね。
私はいまだに母から本当の意味で理解されません。なぜなら私を全部理解してしまうと、母が今まで正しいと思っていた固定観念というのが崩れてしまうからかもしれません。普段優しい言葉もかけてもらうし、いろいろ尽くしてもらって感謝していますが、時たま「なんでそんな人生になっちゃったの?」みたいながっかりした言い方をされると、私という人間そのものを全否定されたようで、言い返す気力さえ無くなります。なのでいまだに母の愛を求めて止まないので、幾つになっても幼児性が抜けません。
三女さんはその点、本当の意味で強い大人になれると思いますよ。
アルさんのお母様はアルさんを愛するが故に、危ないことにならないようにとついつい注意し過ぎてしまったのですね。
アルさんのスケールの大きさ、世界観にお母様が着いて行けなかったのではないかと思います。
もっとも子供側からしたら、親は親なんですから何としても無条件の愛情を持って育てて欲しいでしょうし、もっと信頼して欲しいでしょうが、実は親も未熟ですから、本当のところ、お互い育ち合い(愛)なんですよね。
私は幸か不幸か、精神疾患が多い父方の家系と、そのせいで精神を病んだ母に育てられ、結婚した相手もとても不安定で生活能力が無く、どうしたらこんな風になってしまうのか、と、離婚してからは独学で心理学を学ぶ毎日だったため、それが今の子育てに生かされているのではないかなと思います。
実は三女以外の姉妹も不登校児で、しかもそれぞれが全く違う特徴の持ち主で、長女は学校に行けなくて苦しくてリストカットをしたこともありましたので、生きていてくれるだけでありがたい、と思うようになりました。
両親に関して言えば私にもたくさんの思いがありますが、私の子供たちや私も同様、人にはそれぞれの精一杯があると思うので、たとえ親とは言え、無理なものは無理なんだろうな、かわいそうだからこれ以上いろいろ要求するのは止めようかな、と思って早15年くらいになります。
アルさんの場合、その足らないと思われる愛情の代わりに、愛情表現たっぷりのイタリア人のご主人に出会われたのではないかなと思います。
過去記事も少し読みましたが、そのダンナ様のたっぷりの愛情を、どうかお母様やお父様に、それこそ恥ずかしがって固まってしまうかもしれませんが、アルさんは元々それができる愛情深い方なのだと思いますよ。
ちなみに、私の理想の人間像は、アルプスの少女ハイジと、風の谷のナウシカですが、三女は正にハイジですね~☆
自分だけじゃなくて、どんな人も学ぶために生まれてきたのだなと改めて思いました。
育ち愛って確かにその通りですね。お互い成長するたびに愛が益々深まりますね。
子は親の鏡といいますが、子供は親が解決しなければならない親自身の問題を、自分の身を通して見せてくれるのだといいます。
私は子が無いので、そこらへん手探りで自分自身の問題を解決しようとしていますが、まだまだ長い時間が掛かりそうです。
ところで、三女さんだけじゃなくて、うさぎさん御自身も私と似ているなと思いました。
私も、このままでは人生踏み外すと思った20代の時に心理学の本を読み漁り、もう加藤諦三さんに救われたといっても過言じゃありません。
あと、私の人間の理想像もナウシカです。中学の時40回くらい繰り返しビデオを見たし、今でもたまに見ると泣けますね、もう生き方が美しすぎて。。
それと、大摩邇さんサイトを常にチェックしちゃうという「自分が身を置く世界の真実や見えないものが知りたくてたまらない」という好奇心の部分も似てます。
なんか、お互いの共感探しでエンドレスになりそうですね。学ぶべきものというのも、もしかするとお互い似てるものを追い求めてるかもしれないですね。
これからもよろしくお願いします(*^o^*)
記事、楽しみにしています☆☆☆