ilktmのブログ

思ったことを少しずつ書いていきます

M-1(2024年)を見て絶望した

M-1を見た。

見たけれど、実は令和ロマンの1回目の漫才だけしか見ていない。

なぜなら令和ロマンが高得点だったことに絶望したからだ。

 

自分はM-1について初回(中川家が優勝した回)から見てて、ただ最近の数回はあまりちゃんと見ていなかった。

去年はだいたい見てて、令和ロマンのネタも見て優勝を見届けたのを覚えている。

 

以前に、野田クリスタルが、M-1は究極の身内大会だと語っていた

https://gendai.media/articles/-/119346?page=1&imp=0

今回のM-1もまさにこれで、M-1のネタって身内ネタなんだなと思ってしまった。

つまり、自分は最近ちゃんと見ていないため身内ではなく、よって身内ネタでは笑えないと気付いてしまったのだ。

 

令和ロマンがトップで出ることになったが、そういうのも身内ネタだ。

つまり、

「令和ロマンは前回トップバッターだった」

「トップバッターで出ることはみんな嫌がる」

「にもかかわらず優勝した」

「優勝したが2年連続で優勝を狙って出場した」

「そしたらまたトップバッターだった」

というM-1を知っている人しか知り得ない内輪ネタを踏まえた、令和ロマンのトップバッターだった。

そこで令和ロマンの漫才の第一声が「終わらせにきました」

ここで会場はウケる。

内輪ネタだから。

でも自分はウケない。

内輪ではないから。

昨年優勝したのはなんとなく知っているしネタも見たけど、あまり記憶にない。

その中で「終わらせにきました」と言われても、面白くない。

悲しい。

内輪から外れていて、みんなは笑っている状態は、とても悲しい。

そんなことを感じた。

 

また令和ロマンのネタは、これは完全に個人的な感覚だけど、自分にはハマらなかった。

いわゆる学校や名前のあるあるネタなんだけど、「確かにそういうことあるよね」という頷きにしかならず、笑いまではいかなかった。

50音順の最後の人が教室の最後尾の端になるとか、その人は余ったプリントを返しに行くとか、擦りまくられたネタにしか思えなかった。

あと渡辺の辺の漢字が色々あるとか、齋藤の齋が刀Tになってるとか、「確かにそう見えるよね」としか思えなかった。

辛い。

辛すぎる。

みんなはこれで爆笑してるのに、自分は笑えない。

笑いのツボが違うのかもしれない。

よく分からない。

ただ、笑えないことだけは確かだった。

 

令和ロマンの1回目のネタを見ながら、「これは置きにいってるのかな」と思った。

観客が一番笑えるものを提供する。

それがM-1で勝つコツだ。

観客は漫才をそれなりに見慣れている人たちだ。

でもあまりにもマニアックなネタにするとウケない。

だからちょうど良い、誰もが知っている教室や名前のネタにしたのだろう。

それはどうなのか?

面白いのか?

自分は面白くないのだが、じゃあ審査員はどうだ?

だから審査員が点数を出す時、かなりドキドキした。

80点台が並ぶかも、とさえ思った。

しかしそうはならず、90点台後半が連発する高得点となった。

絶望。

腕のある漫才師の中でもこの漫才は「良い」とされているのだ。

ああ、自分は完全に蚊帳の外だ。

M-1の外側にいる人間だ。

そう絶望して、それ以降は見なくなった。

 

そういうわけで、今回のM-1で絶望してしまったという話でした。

第一回から考えると本当に観客が漫才慣れ、M-1慣れをしていて、なんか特殊な環境だな、こんな中で優勝することに、大きな意味はあるのか、優勝はすごいことだけど、そこまでのことなのか、そんな疑問がふつふつと湧いてしまった。

まあ、またサブスクとかでネタだけ見ようかなとおもたけど、それでは笑えないんだろうな。

それまでの紹介Vや、審査員とのやり取りなどを踏まえた上での漫才の評価だから、そういう文脈を無視してネタだけ見ても、面白くないんだろうな。

もういっそのこと、それぞれがネタをYouTubeにアップして、観客なしで審査員が見て、ネタだけを見て評価するシステムにすればいいのに。

それの方が公平だ。

でもそれだと番組にならないし、観客の心をどう掴むかも腕前とされてるのだろうから、そんなのはダメなんだろうな。

ほんと、辛い。

グチになってしまったけど、これで終わります。

 

造船太郎さんの件

造船太郎さんという方が、MEGA BIGの1等を8本、2億2190万円当てたと話題になっています。

ただ当選確定のスクリーンショットなどはまだアップロードされてないようです。

ご本人によると、当選結果のサイトが重すぎて見れないとのこと。

https://x.com/zosentarou/status/1831321032088756288

ただ、ここで疑問があります。

当選結果のサイト、そんなに重くなるものだろうか?

正直個人的には、スクショがないと信じることはできません。

ご本人は顔出しでYouTube等に出演しているので、まさか顔出しで偽ったりすることはないと思うのですが・・・。

行く末を見守りたいと思います。

 

(追記)

後日1件だけ当選画面がアップされていました。預金高の画面もアップされて、2億円を超えていたので、本当だったと思われます。すごい!

ミスチルが売れなくなったのはセルフプロデュースになったからでは?という話

Mr.Childrenについて書きたい。

 

ミスチルが売れなくなってきた理由をずっと考えている。

若い人たちはなぜミスチルを聴かなくなったのか。

同時期にブレイクしたスピッツは聴かれているのに。

 

ミスチルが最後に売れたのはHANABIやGIFTの頃だろうか。

対してスピッツは優しいあの子や美しい鰭など最近でも売れた曲がある。

 

ミスチルが売れなくなった理由の一つして、小林武史氏のプロデュースではなくセルフプロデュースになったことだ。

小林武史氏のアレンジではなくなったため、キャッチーさ、ポップさが減った気がする。

小林武史氏は代わりにback numberをプロデュースするようになり、back numberは若い人たちに人気のバンドとなっている。

 

ミスチルのファンの間では小林武史氏のアレンジは評判が悪くなっていた。キーボードやストリングスのアレンジが多く、バンドらしさが減ったというのがその理由だ。

 

しかし結果はどうだろう。小林武史氏が離れてから、ミスチルは売れなくなってしまった。

 

改めてミスチルを聴き直すと、イントロやサビなどのキャッチーさは小林武史氏のお陰でもあるように聴こえる。

ミスチルと思っていたものの一部は、実は小林武史氏だったように思える。

 

ミスチルの最新アルバム「miss you」はセルフプロデュースだが、アレンジは簡素で、デモテープかと思うようなアレンジすらある。

いわゆる「売れ線」の曲を作ることをやめたような曲が多い。

それは手を抜いているというより、自分たちのやりたいことをやっているようである。

 

個人的には、ミスチルに売れてほしい。だから、大衆向けの曲を作り続けてほしいと願っている。

だがボーカルの桜井政博氏はあるインタビューで「これ以上売れたいと思うのは贅沢、バチが当たる」みたいな話をしていた。

ミスチルが売れたのはあの時代にデビューしたからであり、今デビューしたら埋もれてしまうだろうと言っていた。

最近は歌が上手い人が多い、自分では敵わないような話もしていた。

 

それは確かにそういう面もあるだろう。

ただ自分としては、ミスチルにはもっと貪欲であってほしい、なんて思ってしまう。

難しいかもしれないがずっと売れ続けてほしいなんて思ってしまう。

 

最新アルバム「miss you」は売れることを諦めたような曲が多く、個人的には残念だった。

 

対してスピッツは美しい鰭が一年以上前の歌なのにいまだにチャートにランクインしている。

カラオケでもチェリーが定番ソングになっている。

 

自分はミスチルもスピッツも全曲聴いているが、この差はなんなのだろうといつも考えてしまう。

 

スピッツは亀田誠治氏がプロデュース、アレンジを担当しており、それも売れている理由ではないかと思う。

 

やはりセルフプロデュースで売れるのは難しいのではないか、誰か客観的にバンドを見る人が必要なのではないか。

そう思えて仕方がない。

 

ミスチル、また売れてほしいなぁ。

若者の間でも聴かれるバンドであってほしいなぁ。

自分のエゴだけど、そう思ってしまう。

 

以下のYouTubeリンクは、小林武史氏と一度再タッグを組んだ時の曲である。イントロも耳に残りやすく、やはりアレンジが良いと思う。


www.youtube.com

 

 

 

はてな匿名ダイアリーに書くということ

時々、はてな匿名ダイアリー(通称:増田)を書いている。

こんなことを公言する人は少ない気がするが、まあ書いている。

 

本当は書くつもりではなかった。

元々ははてなブックマークを利用しているだけで、はてな匿名ダイアリーはホッテントリ入りした投稿を読むだけだった。

 

それがいつしか増田を自らブックマークするために増田を読むようになり、そして自分でも書くようになった。

 

ただ、増田に入り浸ることはあまり良くない。あそこはネガティブな言動が多く、自分もそれに慣れてしまうからだ。

いつしか自分は酷い増田を書くようになり、それに反省して今は自制をしている。

 

 

さて、はてな匿名ダイアリーこと増田を書くということについて、少し注意書きを記しておきたい。

増田は匿名で簡素なサイトであるが、時と場合により拡散力がある。

旧TwitterであるXで拡散されることがあるからだ。

流れ的にはこんな感じだ。

 

増田が投稿される

↓

増田がはてなブックマークの人気エントリーに入る

↓

それを見た人がXでポストする

↓

Xの主がインフルエンサーならすぐバズるし、そうでなくてもバズる場合がある

 

こんな流れである。

だから簡単な気持ちで増田を書くと、それが何万人、いやもっと多くの人に見られてしまう可能性があるのだ。

 

こんなことを自分は何度か経験し、増田を書く時は注意して書くようになった。

はてなブックマークでも何百ものコメントが付き、もちろん傷つくこともある。

それがXだと何千となる。

日記に賛成が反対かのアンケートまで取られてしまう始末だ。

ちょっと匿名サイトで15分くらいで日記を書いたら、胃が痛くなることが起きてしまうのだ。

 

増田の拡散力を舐めてはいけない。

匿名だろうとなんだろうと、ここはインターネットなのだ。

インターネットの片隅だろうが、突然陽の光が当たる場合がある。

気をつけなければならない。

過激なことを書くのを控えるのはもちろん、過激なことを書かずとも、なんらかの拍子でバズってしまうことがあることを知っておくべきだと思う。

 

ただここに自省がもう一つある。

時々増田をブックマークするのだが、「自分がブックマークしなければこんなにバズって増田の投稿主を傷つけることもなかったのに」と思うことがあるのだ。

そんな時は申し訳なくなる。

 

だが、読んで面白い、気になる増田はブックマークしたい。

申し訳ないが、増田にブックマークのボタンがある以上、それは許してもらえないだろうか。

 

はてな匿名ダイアリーについては他にも書きたいこがあるが、一旦ここまでとする。

 

難しい本を10年くらい読んでいない

 

難しい本を10年くらい読んでいない。

難しい本というのは、例えば岩波文庫とか、学術本とかはもちろん、新書も含む。

10代20代の頃は多少は読んでいたけれど、もう読めなくなってしまった。

ああいう本は読むならちゃんと読まないと、うわべだけ読んでも勘違いしがちだと思って避けてるのと、本の知識より自分の感覚の方が大事だと思うようになったからだと思う。

でも自分の感覚だけだと客観的に見れなくなって陰謀論などに巻き込まれてしまう場合もありそうなので、ネットで新聞などのニュース記事は見るようにする。

という中で今ははてなブックマークとYahoo!ニュースが主な情報源となっている。

 

でもたまには?難しい本を読むのもいいかなと思って、はてなブログを書かれているシロクマ先生の新刊を読んでみようかなと思っている。

たまたまはてなブックマークで新刊を知り、なにかこういうきっかけでもないと読まないので、電子書籍で読んでみようかな。

 

 

 

体重はある地点で均衡する気がする

半年前にダイエットをはじめて、5kgほど痩せた。

でもここ1ヶ月で5kg太った。

差し引きゼロ。元通り!

 

どうしてこうなった。

運動は筋トレとウォーキング。

痩せたのはそのせいではなく食事制限で、高タンパク低糖質低脂質の食事を心がけていた。

でも筋トレをやりはじめてから「食べたい!」という欲求が出てきて、気づいたら元通り。

 

だが不思議なことに、元に戻った以上は増えない。

これはやはり、代謝量と摂取量が均衡したからではないか?

ということは、それなりに太って、それなりに食べるのが一番楽なのではないか?

痩せた体にはならないけど、幸せな気がする。

 

そんなことを思いながら今日も筋トレをする。

ただしチョコモナカジャンボも食べながら。

こっちの方が幸せだ。

 

ちなみに、Anker Eufy Smart Scale P2 Proの体重計で測っている。

自動的にスマホに記録してくれるので便利だ。

中華製だから精度はまあまあかもしれないが(なぜなら筋トレしてるのに筋肉が増えないから!なぜ?)

 

 

 

「漫才とコントはほぼ同じ」と感じた話(2023年M-1感想)

こんにちは。ilktmといいます。

あまりブログは書いてなかったのですが、なんとなくメモ代わりに気軽に書いていこうと思います。

今回はタイトルの通り、漫才とコントはほぼ同じではないかな、と感じたことについて書いていきます。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆

 

去年のM-1。私は久しぶりにリアルタイムで見ました。

M-1は第一回から楽しみに見ていたのですが、ここ数年はちょっとお笑い自体を見なくなっていたので、M-1もあまり見れていませんでした。

 

今回久しぶりにリアルタイムで見るM-1は、楽しく見ることができました。

ただなんというか、自分にはついていけないところもありました。

理由としては、漫才のスピードが速く、ネタも漫才をよく見ている人向けのような感じを受けたからです。

久しぶりにM-1を見た自分としては、ポカーンとしてしまう時間が多かったです。

逆にお客さんはM-1に慣れているというか、早いネタもシュールなネタも拾って、昔見ていたM-1とは会場のあり方が変わったなと感じました。

もちろん自分が漫才に慣れてなかったり、年齢のせいでついていけなくなってる部分はあると思いますが。

 

本題に入ります。

漫才とコントはほぼ同じではないかという話です。

 

M-1は字の如く、漫才のNo. 1を決める大会です。

だから漫才でないといけません。

漫才からコントに入るいわゆるコント漫才でもいいですが、導入は漫才である必要があります。

ただ、M-1を久しぶりに見ていて思ったのは、漫才も「台本」があり、それを演じていることには変わりないのだから、コントみたいなものではないか?ということです。

 

お客さんは、漫才はアドリブではないことを知っています。

漫才師も、台本に沿って今まで練習してきてそれを演じています。

この暗黙の共通理解を、客と漫才師が持っている訳です。

 

コントも同じです。

コント師が台本の通りに演じているのを、お客さんは知っていますし、コント師もそれを前提として演じています。

 

つまり漫才もコントも、台本を演じているのには変わりがない訳です。

 

久しぶりにM-1を見た自分は、これを少し奇妙に感じました。

 

漫才師は、相方のボケを初めて聞いたように会話をします。

でも実際は何百回と練習して聞いた話でしょう。

それをあたかも初めて聞いたかのように演じて、ツッコミを入れるのです。

「いやいや、初めて聞いた訳じゃないじゃん!知ってるよね?」

と観客が言うのはタブーです。

「『俺ラーメン屋の店主やってみたいねん』って言ってるけど、本当は思ってないでしょ?」

というのもタブーです。

何度も練習してること、思ってないことを言うこと、それらは観客は知っているけれど、それは言わない約束?で見ているのです。

これはコントでも同じです。キャラを演じているということを前提で見ているので、演者の素のセリフや仕草が出るのはおかしいということになります。

コントの最中に演者が笑って吹き出してしまうのは基本的にはおかしなことになってしまいます。

 

こういう訳で、漫才とコントはあまり変わらないのでは、と感じた次第です。

 

漫才と言えども、ある意味架空のキャラを演じている部分もあり(悪口キャラなど)、漫才師の人柄そのままで漫才しているわけではないことが多いです。

フリートークやひな壇でのキャラと、漫才でのキャラを使い分けてる漫才師は多いかなと思います。

 

もはや漫才は漫才というより、コントの一部なのではないかとすら思えます。

漫才とコントは別ではなく、コントというジャンルの一つに漫才があるとも言える気もします。

 

もし本当の漫才というものが存在するなら、それはマイクを挟んだ即興のフリートークではないかなと思います(個人的な意見です)。

 

私としては、そんな漫才を本当は見たいような、そんな気持ちになった2023年M-1でした。

 

☆☆☆☆☆☆

 

久しぶりにブログというものを書きましたが、なかなか疲れますね。

これを書くのも時間もかかり、結局2月になってしまいました。

文体や改行などどうすれば分からないまま書きました。はてなブログは行間が広いんですね。またカスタマイズしないといけないかなと感じました。

 

また気が向いたら次も書こうと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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