法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』をきっかけに、個人の感情だけを理由に抗議することの自由が理解されたなら、それは良いことではある

ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』の販売後に判明した、神社内オブジェクト破壊や弥助の立ち位置などの意味について - 法華狼の日記

発売前の試供映像で、神社内のさまざまなアイテムが破壊できるようになっていることが報道などで注目されていた。
 圧力になりうる政治家などならともかく、宗教への敬意などから反発することも自由ではあるし、描写するだけの意味を要望する権利もある。予告段階で書かれた宇野ゆうか氏のエントリのように。
アサシンクリード・シャドウズ「神社の祭壇破壊」について〜それが何を意味するのか理解してこそ、適切に冒涜できる - 宇野ゆうかの備忘録

 つまりゲームデザインでもストーリーでも宇野ゆうか氏のエントリで要望されたペナルティを組みこんだ描写だったようだ。

 他にも多岐にわたる論点にふれた上記エントリに対して、はてなブックマークでid:tikuwa_ore氏が下記のようにコメントし、そこそこはてなスターをあつめて*1注目コメントに入っていた。
[B! !!] ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』の販売後に判明した、神社内オブジェクト破壊や弥助の立ち位置などの意味について - 法華狼の日記

tikuwa_ore 「実在する寺社仏閣による抗議」って点が重要なのに、そこの解説はさらっと流した上で抗議内容(寺社仏閣要素の破壊)だけを拾い、その揚げ足を取るとために他人のポストを引用するいつもの法華狼氏スタイル。

 なお、tikuwa_ore氏はid:niwaradi氏による下記コメントにはてなスターをつけている。無言のはてなスターなので意図はわかりづらいが、「重要」とされた点に左右されないコメントとしか読めない*2。

niwaradi 制作時に史実や現実を元にしてうんぬんかんぬんとかいう余計なことすら言わなければなんの問題もなかった。あと作品発表前の批判はやはりおかしい。

 それはさておき、文脈が不明な段階でおこなわれた抗議が、文脈が判明すると成立しないものであれば、その文脈を指摘する意味はあるだろう。前提が誤認された抗議に対して誤認を指摘することが揚げ足をとることになるだろうか。誤認が解消されれば抗議がとりさげられる可能性があるとは考えないのだろうか。
 それに上記エントリでも下記のようにリンクしたとおり、実在する宗教施設を題材にした作品群についてはすでにエントリをひとつ書いている。解説がほしければリンク先を読むべきだった。

反発のなかでは、日本の作品では実在する建造物を描写するにあたって必ず許可をとるかのような主張もあった。実際は下記エントリで例示したように許可をとりようがないような多数の建造物や、外国の宗教施設を破壊する作品は多数ある。
実在神社をモデルとした『アサシンクリード』の破壊描写に許可が必要であるかのように産経新聞や電ファミニコゲーマーなどが問題視 - 法華狼の日記

 そしてリンク先で下記のように法的根拠の線引きについても簡単に言及した。寺社仏閣が長い歴史をもつからこそ、法的には創作でどのようにあつかっても基本的に許されるのだ。

神社側が登場させないよう要望する権利もあるし、それをゲーム制作者が聞きいれる場合もあるだろう。しかし過去の裁判などで著作権の切れたような古い建造物は作品に登場させても問題ないという線引きがすでにある。

 ここで想定していた過去の裁判とは、平等院の写真をつかったジグソーパズルをめぐる争いだ。弁護士JPニュースの記事がくわしい。
“1000年前の建物”パズルにして販売「無断使用」と訴えた寺院の主張は“無理筋”? 裁判の意外な結末とは | 弁護士JPニュース

自分が撮影した写真やイラストを勝手に商品化されたとあれば、それは著作権侵害になるだろう。だが、それが1世紀も前の建物なら、話は別だ。とっくに著作権は消滅している。ところが、同寺院は、なにかと理由をつけて、販売差し止めや在庫の廃棄などを要求するのだ。

 平等院も正面から著作権をうったえることはできず、実際の文脈とは正反対の解釈を理由のひとつとして抗議していた。

別の記事では、平等院の代理人弁護士が「大切に守ってきた鳳凰堂がパズルでバラバラにされるのは耐えがたいという宗教的な感情を理解してほしい」と述べている*2。これはもう、パズルという文化を真っ向から否定するもので、業界を敵に回す発言だ。

パズルとは、被写体をバラバラに解体することを目的とした遊びではない。その逆である。絵画やアニメなどを用いたパズルは多数存在するが、「バラバラにされるから傷つく」なんて話は聞いたことがない。

 それでもジグソーパズル化した会社は裁判で合法性を確認したうえで販売を在庫分にかぎるという和解をうけいれた。
宗教法人平等院との訴訟について | ジグソーパズルの楽しさ創造カンパニー株式会社やのまん

裁判所が、平等院の主張を否定して「やのまんに違法行為がない」ことを文書で認めて下さったので、和解を受諾することとしました。
本件商品につきましては、著作権者と協議の結果、違法行為はないものの、平等院とことさら軋轢を生みたいわけではなく、また消費者を混乱させてしまった事実を考慮し、令和2年5月31日の期間満了時に、契約の更新をせず商品化許諾契約を終了いたしました。

 しかも一応いったん必ず物理的にバラバラにされるジグソーパズルと違って、もともと『アサシン クリード シャドウズ』は神社内オブジェクトをいっさい破壊せずにプレイできた。
 もしも裁判で争えば、少なくとも日本国内においてはゲーム会社が負けることはないだろう。それでも抗議をうけいれたためか、神社内オブジェクトは破壊できなくなった。


 ちなみに上述した宇野ゆうか氏のエントリのはてなブックマークを確認すると、少なくともこの時点ではtikuwa_ore氏は神社を権利者として認識しているようだ。
[B! 炎上] アサシンクリード・シャドウズ「神社の祭壇破壊」について〜それが何を意味するのか理解してこそ、適切に冒涜できる - 宇野ゆうかの備忘録

tikuwa_ore 的外れなメガテンガーが沸いてるが、権利者の存在しない架空の宗教や歴史・神話上の偉人や神様を弄るのと、権利者が存在する実在の神社を弄るのはまた別の話でしょ。

 宇野ゆうか氏もエントリで「それでも、実在の神社の名前を無許可で使った件に関しては、別問題だが」「UBIsoftは、アメリカのフェアユースの考え方が、世界共通の考え方だと勘違いしたのではないだろうか?」と書いている*3。
 しかし説明してきたように、日本も許可が必要とは考えづらい。むしろ権利を争う線引きがくりかえしひきなおされる米国*4でこそ神社が法的な権利を獲得する可能性が残されているような気がしないでもない。
 だがくりかえし確認するが、法的根拠すらない誤認にもとづく感情的な抗議であったとしても、それをおこなう権利そのものは存在する。悪質すぎる誤認であれば法的に問題視されることはあっても、感情そのものは否定されえない。

*1:スターをつけているのは、id:vivagoat氏、id:kazenezumi氏、id:sakura99氏、id:indorahashi氏、id:malasumasu氏、id:makamaka237氏、id:hinodai氏、id:yoogetsu氏、id:naka_dekoboko氏、id:pribetch氏、id:omega5630氏、id:sigwyg氏。

*2:むしろ戦国時代にさまざまな寺社仏閣へ狼藉がおこなわれたことは史実だろうし、狼藉がおこなわれなかったと確定的に描写することこそ困難だろう。

*3:直後に「戦国時代に大仏殿と回廊が焼失して、首のない大仏だけがそこにある状態の東大寺を再現」という描写も提案しているが、実在する仏閣である東大寺の許可をとることへの言及はない。

*4:UBIソフトは仏国の会社なのに、米国のフェアユースが出てくる意味はよくわからない。

『キミとアイドルプリキュア♪』第8話 みんなでお泊り!アイドルプリキュア大研究!

 紫雨こころがアイドルプリキュアらしくなるため、咲良うたと蒼風ななに学ぼうとする。そこで咲良家でお泊り会をおこなうことに。紫雨はもちろん蒼風も端の家に泊まるのは初めてで……


 演出は前作で数回参加した鬼頭和矢で、カメラ位置を低めにして圧縮気味で敵との対峙を描いたアクションに見どころがあった。描線の太さから上野ケンっぽいと思ったら、作画監督こそ北島勇樹だが、玖遠らぎがひとりはなれるように最後にクレジット。
 脚本の綾奈ゆにこはシリーズ初参加。東映作品にも劇場アニメシリーズ『デジモンアドベンチャー tri.』に共同で参加しているくらい。あまり縁がなさそうだが、『アイカツ!』で仕事をした加藤陽一シリーズ構成のひきあいだろうか。
 ともかく本筋はひたすらアイドルプリキュアを紫雨が愛でて、自分自身もその一員として楽しむ、良くも悪くも二次創作パロディのような内容だった。たしかに敵との戦いだけでなく意図せず芸を楽しませる今作のプリキュアらしい展開ではあるし、超常の能力の私的利用も変身のみで悪用とはいいづらいが。楽しくはしゃぐ描写がつづきつつ、ちょっと疎外されたプリルンで引っかかりをつくったり、早朝にひとりトレーニングをおこなう紫雨の真面目な側面を描いたりして、ただパーティーを楽しむだけの単調な展開ではないところもいい。
 しかし今回も無断アップロードして、カレーの残りもすべてたいらげたプリルンが、アイドルプリキュアの一員としてむかえてもらう結末に悩む。実のところ教訓的なしっぺ返し展開は好きではないのだが、明らかにメインキャラクターにとっても迷惑な愚行が流されてしまうと、作品におけるその行動の位置づけがよくわからなくなる。精神年齢の幼いキャラクターの愚行を強くとがめるべきでないというなら、そういう意図をはっきり描写してほしい。

ファド歌手を目指す少女をフィーチャーした、『ののちゃん』スピンオフ漫画『ROCA』の電子書籍配信が、3月末に停止予定とのこと


[お知らせ]今月末で「ROCA」(unlimited含む)「花の雨」のKindle販売が終了します。unlimitedで読むの忘れてたー!「花の雨」Kindleで買ってなかったー!と思われましたら是非!よろしくお願いします!

 四コマ漫画のスピンオフながら百頁以上ある大作だが、AmazonではKindle UnlimitedやPrime Readingといったサブスクリプションに入っていれば最後まで追加料金なしで読める。

 学校や社会といった枠組みにおさまらず少しはみだす少女たちの、ゆるやかなシスターフッドな関係は近年の『夜のクラゲは泳げない』などに通じるところがある。
 トーンやベタを極力使わず、必要最低限の描線だけでデフォルメされた人体をあらゆる角度と姿勢で切りとり、シンプルな絵柄で立体感を表現する。いしいひさいちの画力の高さがよくわかる。
 基本的に四コマ漫画の形式をたもっているが、『ののちゃん』と比べてコマの配置の自由度も高い。まんがタイムきらら系のようにコマ割りで遊んだり四コマ漫画ではない形式との折衷という感じでもなく、絵物語や挿絵のようにコマを配置して余白を活用しているところが面白い。

原作から人種を変えた配役で映像化することを「『自分の物語』を作ろうとしない」と解釈する人は、黒澤明作品をどう思っているのだろうか?


褐色肌の人間として、既存のプリンセスを褐色肌の俳優を起用してリメイクすることは今を生きてる子供たちにとって本当に本当に本当に重要なことだと思う。だから褐色肌じゃない人が「原作に忠実じゃない」とか「それなら新しいものを作ればいい」といってるのを見ると悲しいです。シンプルに悲しい。

 上記の「な@Nappanonajanai8」氏による意見を「ぐお@guo241018」氏が引用し、下記のように不思議がっていた。


ごめんね。
僕は『自分の物語』を作る能力が無い人達なのかな?って思ってしまうわ。
日本人って本当に漫画が大好きで、子供の頃から自分で漫画を描いてみたり小説を書いてみたりする人が珍しくない。
だからどうして『自分の物語』を作ろうとしないのか、本気で不思議なんです。意地悪じゃなくて。

 よく読めば「ぐお@guo241018」氏自身が「日本人」という枠組みを前提視して、人種ごとの優越感や劣等感がありうることを言外に認めている。
 しかしそうなると日本の代表的な映画監督である黒澤明の代表作に外国の翻案が少なくない事実はどうなるのだろうか。
 たとえば『蜘蛛巣城』はシェイクスピアの『マクベス』であり、『用心棒』はハメットの『血の収穫』。『どん底』はゴーリキの同名作品だ。

 他にも外国の作品から影響を受けた映画を多数つくり、それでもオリジナリティが否定されることなく、世界の映画史に残るような傑作となっている。
 黒澤明でなくても、外国の作品を日本を舞台に変更する翻案は現代でもおこなわれていて、さして珍しい話ではない。

 漫画にしても、日本における始祖のひとり手塚治虫がさまざまな翻案から出発したことを忘れてはなるまい。藤子・F・不二雄や石ノ森章太郎の代表作にも外国のSFの引用が多数ある。

 おうおうにして日本の作品は国内の多数派たる日本人を想定しているため、エンパワメントのための人種変更は少ない。国内では社会的な強者であり多数派であるため、日本人という属性を主人公にした作品があふれている。
 それでもジャンルをもりあげようとする時期は原理的に作品が少ないため、当然のように外国の作品を参照してとりいれることも多くなる、といったところだろうか。


 ディズニーが近年の実写リメイクにおいて黒人を主演に起用することが発端の話題ではあるが、そもそもリメイク元のディズニーアニメの時点で翻案されていることが多い。
ディズニーの映画『リトル・マーメイド』については、内容を大きく改変するなら原作とは題名を変えても良かった、とは思わなくもないよ - 法華狼の日記

アンデルセンが書いた原作は『人魚姫』という邦題で知られているが、英題は『The Little Mermaid』。ディズニーのアニメ映画も同じ『The Little Mermaid』が原題。
つまりアニメ映画が原作童話から内容を改変していることが題名で示されていると感じられるのは、実際は題名を翻訳した時の違いにすぎない。

『リトル・マーメイド』はデンマークの怜悧な悲劇からカリブ海の華やかな歌劇に変更され、『アラジン』は中国を舞台とした物語なのにアラビアンな舞台へと変えられた。
 なじみがある舞台に変更したり、現代のイメージにそって原作の要素を削ることは良くも悪くも珍しいことではない。おそらく近年における日本の翻案はそのような事例が多いだろう。

TVアニメ『機動戦士ガンダム』で第39話でしか登場しないシャリア・ブルが新規で登場する、隠れたアニメ作品

 監督自身によるノベライズではそこそこ重要な役目だったとはいえ、今年に入ってから予想外に注目されるようになった敵キャラクター、シャリア・ブル。

 キャラクターデザイナーによるコミカライズでも登場しつつ、その出番まではアニメ化されなかったが、実はそれ以前の2007年に完全新規アニメで登場したことがある。


 プラモデルのオマケや宣伝映像として、キャラクターからモビルスーツと呼ばれる巨大ロボットまで3DCGで描写する短編アニメシリーズ『GUNDAM EVOLVE』。

 そのシリーズを収録した3巻目のDVDに特典として新規に入れられた最終15作目が、第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」から台詞などは引きつつシャリア・ブル視点で再構成したものになっている。

シャリア・ブルの全身設定画。
シャリア・ブルの顔や表情の設定画。

 シリーズ全体を正直にいえば、短編とはいえリソースも少なく、当時の技術力ではキャラクターを違和感なく描写することができていなかった。坂井久太キャラクターデザインの米たにヨシトモ監督による13作目などは手描き作画で見たかったものだ。
 しかし15作目は手描きの新規デザインは魅力的だが、最終作だけあってモデリングなども違和感なく、リアルな陰影で3DCGの長所をひきだしつつディテールをごまかし、見られる映像になっていた*1。

屋内で上半身だけ逆光で映るシャリア・ブル。
上から照明がふりそそぐ空間で、左奥にララァ・スン、中央やや右にシャア・アズナブル。
人物を横から映した構図で、中央手前にシャリア・ブル、右奥にシムス・アル・バハロフ。

 また、プラモデルの宣伝という制約がなくなったためか、登場するメカニックはデザインを大きくアレンジしている。ガンダムの胸部の黄色いフィンの位置どりの解釈が大胆だ。

RX-78ガンダムの全身設定画。

 シャリア・ブルの搭乗するブラウ・ブロも、黒々とした宇宙に赤黒く光る触手をどこまでも伸ばすモンスターのように描写され、静止画では魅力をつたえられないが面白い戦闘シーンが展開された。
 ちなみに監督の百瀬慶一は音楽プロデューサーや音響監督としてアニメに参加してきたという異色の経歴で、しかし奇をてらうことなく短編としてきれいにまとめていた。

*1:それぞれエピソード開始から4分50秒、8分32秒、9分8秒。