小さな小屋の底辺小屋付き

小屋の中の人の日常

大きめの施設の普通の職員になって5年経ってました。

最近、とても面白いことがあって、それはX(twitter)で書くのもなんかなと思って、じゃあどこで書くかとなったときに、ここかと。

仕事以外でものを書くのは10年ぶりくらいで、その間にもちろん状況も心境も結構変わっているので、整理しつつ思い出しつつ、先になにか書いておきたいなと。
管理画面から遡ったら、下書きにほんとに記憶の彼方からも消えてた業界の環境に物申すようなクソみたいなテキストがいくつもあってびっくりしちゃった。いやガチで下書き多すぎる。鬱屈としすぎだろ。


その10年くらいの間に転職を2回しました。
転職自体は、最初の職場(小屋)でありがたいことにそれなりに実績を積ませてもらっていたし、2回目なんかは「別に受かんなくても死にはしない」という開き直っていたので、面接も「楽しい話ができるかな」くらいの心持ちで臨んだのがよかったのか、すんなりお仕事にありつくことができました。
なお、それなりに遠距離の地であり、ワープアに近い生活だったので転職活動の交通費はガチできつかった。


現環境になって、金銭や労働時間で苦労することはなくなった代わりに、心意気のある人たちに囲まれていた環境と大きなギャップがあり、仕事では10年以上まともに怒ったことがなかった中で、怒りという感情を思い出すことになりました。
とはいえ、チーム運営が死ぬほど下手なので、毎日毎日気分が悪くなるほど後悔しながら過ごしています。
そういうのもあって、10年前くらいにアドバイスなりくれていた人たちの気持ちも本当によくわかるようになったのはよかったですね。


最初の転職から漫画やアニメや映画やアートから離れ、2回目の転職から舞台からも離れていってしまった代わりに、職場にあった富士通のKB410の打鍵感にハマったところから「キーボード」というものに興味を持ち始めて、最近、とても面白い場に出会うことができました。

あとはワインと料理をちょこちょこ嗜んでいます。

深く関わった人には「ありがとう」以上の感情は出てこない

四半世紀以上生きていて、今年の年明けは初めて一人で迎えた。
私は毎年、帰省しているからだ。

昨年は祖母が亡くなったこともあり、頻繁に帰省していた。
そうでなくとも、独り身で友人関係も希薄なので、3日以上連続して休みが出来たときにはよく帰っていた。
(あと、京都は仕事以外でも年一回は必ず行くようにしている)


年々、親への感謝の気持ちが強くなっている。
ドラマチックなほどではないが、胃を壊すくらいには迷惑をかけたことも幾度かある。
それでも切らさずに付き合ってくれたことは、そういったことに関係なく、育ててくれたことには感謝しかない。


親も子も、それがどういったものか分かった上で選んで生む/生まれるわけではない。
それに、今だって私は身体が痛くならない程度にベッドの上でゴロゴロしているだけの生活が夢だ。


それでも、親が死ぬまでは絶対に死ねない。

ひとつ終わりましてまた始まります。

ながーく、ゆっくりと進めていたものが終わりました。

私としては、反省点はあるものの大切な一歩を踏み出せたと思っています。

 

 

これは私が一人でやっていたわけではなく、ある方と集まってくれた方々と共に作ったものでした。その中で私は何が出来たのか、これはもう一度考えたい。

猿でも出来る場や機会の提供だけになってしまったのではないか。もちろん姿勢として内容面に口を出さないというのもありですし、むしろなるべくそうしていきたいとも思っています。

 

ただし、これはバランスを欠くと自分以外の大勢の方に負担を背負わせることになります。それでは共に作ったとは言えません。

他人を頼るのと他人頼みは違います。これを肝に銘じて次へ向かいます。

 

 

 

私個人としては(場を持っていると言えるので)、賞・アワード・プライズなどを与えるよりも場や機会を提供して活動基盤作りをしていくことが重要だという考えを持っています。

単発で終わるショーケース、賞を称げるだけで終わるコンペはくそ食らえですね。確かに肩書きがあったほうが何かとよさげに見えますし、知名度も上がります。

そうしていくと規模大きなところへ呼ばれる機会が出てきます。正直、すごく美味しい機会です。

でも、体力もないままにそんなことやってしまうと下手すると再起不能になってしまうかもしれません。桁の違う大赤字もありえるし、いつもいい作品ができるわけではないからです。

 

呼ぶ側は期待の新星、つまり「ワシが育てた」を欲しています。だから先取りしたいんですね。

 

だから私は、失敗しても帰れる場所があると、そういう風に思ってくれる場所を創っていきたいと思います。

そのためにはしっかりせにゃなりませんね。

 

そいじゃまた。

自分の誕生日が大切な人の命日になった。

死ぬのだ。人は。

身近な人間、それもずっとお世話になってきた人が死に向かっている姿に直面して初めてわかった。

 

 

「お祖母ちゃん、今夜がヤマだって」

仕事で出られなかった留守電に母からのメッセージが残っていた。

母方の祖母があまり長くないだろうことは分かっていた。

今年、年明けまでもったことすら奇跡だと思っていた。

先日、有給をもらって帰ったときに反応すらままならない姿を見たとき、覚悟をした。

 

 

それもあって、昨日は急いで黒いスーツの準備をした。

伊勢丹の店員に無理を言って一日で仕上げてもらった。

会員カードを忘れていることに会計まで気づいていなくて特典が入らなかった。

 

 

そして、今日、連絡があった。

 

 

私が子供の頃は母方の祖母の方に入り浸っていた。

父方の方と母がうまくいっていなかった時期というのもあるし、母の仕事場もそこにはあったからだ。いつも相手をしてくれた。

 

私が家を追い出された時は、いつも祖母のところに向かった*1。

何時だろうが迎え入れてくれた。

 

おとなになって苦しい時も助けてくれた。

お金がどうしてもかかるときには何故か準備してくれていたお金がでてきた。私は大学卒業後はフラフラしていたが、それを親が許容できるための間接的な支援をしてくれた。

 

私の記憶がない頃からずっと面倒を見てきてくれた人である。

 

だが、最後に会ったときに呼びかけの反応が弱いことで、私は声かけを強くはせず、手を握っているばかりだった。

これは、ここ数日強い後悔として常に首をもたげてくる。

 

 何とかまともになった姿を見せることが出来たことだけが救いだ。

 

 

くしくも、今日は私の誕生日である。

事実にしてはあまりにキマリすぎている。

今は、急いで帰省するための準備をしている。

*1:ろくでなしでもヤンキーでもないが、タイミングの悪さはピカイチで呼び出しやら連絡やらが親にしばしばいっていたし、それと関係なくとも親は厳しかった

チラ裏にでも書きたいことを

はてダは観劇とかの記録。

ぶっちゃけそれもテキストエディタで十分だしカテゴリ分ければいいようなことなのに、SNSも含めてわざわざ公開の場に何か書きたいのはリアクションが欲しいに集約される。というわけではなく、吐き出したいという一心である。

 

結局、そういうことはほとんど全てパーソナルなものだから、小さな界隈のことを書けば特定もすぐされる。特定は怖い。

まずいことなんて多々あるんだからポロッと滑ったなんて許されないし、最近はあぶない人の声がより聞こえやすくなってるから、多かれ少なかれアレなお金に近いと思われている人は本当に控えた方がいいと思っている。

 

でも、書いたこと、言ったことの責任はちゃんと取らないといけないことは承知してもいる。底辺だけどそういう仕事をしているので、もろもろの説明責任はあると思っている。

そればかりだと窮屈だから、ふわふわとした個人名的なものからはもう少し気楽に出していてもいいのではないかと思って、はてダも消さずに残したりしている。

 

そんなかで日記的なものや少しまとまった散文的なのも書きたいなと思ったときに、これを使おうかなと思う。