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注:過去の投稿はいろいろ連携していたが、メンテ不足にて放置状態。

感想文「夏草の賦」司馬遼太郎

夏草の賦、再読了。
長曾我部の物語だが、先進地帯である畿内・東海に対する鄙(田舎)の「四国」を主題にしていると感じる作品であった。その四国の中でも2つの地名に注目して本作を読んだ。宍喰(ししくい)と白地(はくち)である。

物語の序盤に出てくる宍喰は、土佐と堺を結ぶ廻船問屋「宍喰屋」の四国側の拠点であり、土佐から畿内・東海へ、また畿内・東海から土佐へと人や物を運ぶたびに何度も出てくる地名である。
当時においては室戸岬を超えた土佐の東端で、現在は徳島県の最南の町でありサーフィンスポットにもなっているようだ。元々は土佐であったこの地は、蜂須賀氏の阿波入封により阿波の領地となったとのこと。県境を跨いだ現在も高知県側の甲浦(かんのうら)が山に囲まれた天然の良港なのに対して、徳島県側の川の下流である宍喰は廻船業者たちの居住地域だったのかもしれない。
宍喰が物語に何度も出てくるのは、なんといっても先進地帯である畿内につながる入り口だからである。ヒロインであり元親の正室の菜々が四国に初めて上陸した場所も宍喰(甲浦港)であり、元親が秀吉に会うために畿内に向けて海原に出ていくのも宍喰となる。
現在では高知から東京へ行く場合、空路なら高知龍馬空港から、線路なら高知駅から特急南風で新幹線のある岡山まで行くことになる。地方空港やターミナル駅に、多くの従業員がいてお土産や駅弁・空弁が売っているように、当時の宍喰にも船乗りがいて食糧を商う人たちがいて、今とは違う雰囲気だったのだろうか。

一方で白地は四国の各街道が出会う交通の要衝である。この白地の場所を思い浮かべるとき、なんといっても阿波池田の方が先に出てくる。高校野球で人気を博した池田高校や、吉野川の北岸には香川用水取水口がある場所である。しかし現在の白地には小学校があるくらいで、白地城址もホテルの敷地内になっており特に目立ったのもなさそうに見える。
白地城は吉野川が南に曲がった直後の西岸にあるが、ここを四国制覇の拠点にしたことは元親にとって実は失敗だったのではないかと思っている。一領具足による戦力増をもって阿波攻略と伊予攻略の両面作戦を行い、局地戦では勝利をおさめるも阿波を完全に支配下に置くことはできなかった。

個人的には、四国制覇に最適な拠点は阿波の南側の海岸線にある日和佐(ひわさ)だったではないかと考えている。日和佐浦は、先に出てきた宍喰よりさらに徳島側に北上した港町である。さらに北上すれば阿波中島(阿南市、那賀川下流)があり、宍喰から見ると阿波中島への中間地点が日和佐となる。この日和佐から阿波・伊予両面作戦を行うことは不可能に近いが、畿内との交易および阿波の攻略には大変よい場所のように思える。

物語の後半、秀吉に対して恭順を示さざるを得なかった元親だったが、政治・戦術・戦略面で劣っていたのではなく、結局は経済力で敵わなかったことが原因で間違いないと言えよう。その経済力を対抗できるものにするためには阿波の海岸線にある畿内との貿易港を全て抑えてしまおう、という考え方なのだ。
※宝暦期における日和佐廻船業者の動向(https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/43/4324.html)
日和佐を取り、阿波中島(那賀川下流)まで船で兵を運び、陸路から小松島を取り、そして撫養(現在の鳴門)を抑えれば、三好・十河勢は畿内と阿波を結ぶ港を全く使えなくなる。局地戦で敗れた三好・十河勢は、農地は奪われてもこの廻船経済を抑えていたがために織田・豊臣への支援要請が可能だったはずだが、それさえも不可能となるのである。そのように阿波を支配下に組み入れれば、四国は戦力で圧倒し、畿内に対しては経済で対抗し、後は巨石が坂を転げ落ちるように讃岐・伊予と四国の完全制覇が可能だったのではないかと、ありもしない妄想を働かせてみるのだ。

妄想はさておき、本作と「戦雲の夢」を合わせて長曾我部2部作。「酔って候」「竜馬がゆく」をあわせて土佐4部作、江戸期の土佐の大名であった山内家の始まりとなった「功名が辻」、これらを時代順に読めば土佐という地域がどういう存在で、今の高知県がどのような文化圏なのか見えてくる気がする。

感想文 「世に棲む日日」司馬遼太郎

(司馬遼太郎の作品を読んで、ラインのオープンチャットで管理者やってるとこに感想文をちまちま投稿しているのがたまってきていることもあり、こちらにもアップしてみたいなと思いアーカイブ兼ねて投稿します。)

以下、本文

 

「世に棲む日日」を初読了。
吉田松陰と高杉晋作、共に30歳頃に亡くなってしまうが、幕末の長州藩で活躍した2人の英雄を描いた作品。
この物語で何度も語られていたテーマが「思想とは狂でなければならない」ということ。

誤解を恐れずに感想を言えば、「尊王」も「攘夷」も、さらには「開国」も思想ではなくただの流行に過ぎなかった。この2人が真に狂だったことをあえて挙げるとすれば、「長州第一」と「倒幕」になると思う。
いやいやそんなことはない、幕末の志士達は純粋なる尊王の武士、先進的な視野を持って革命・開国を進め日本の植民地化を防いだエリート武士という価値観もあるだろうが、実際のところ吉田松陰と高杉晋作に関していえば長州藩の軍人高官という立場なので、やはりかなり偏った考え方をしていたのではないだろうか。
しかしこの流行や極端な考え方が、狂の純度を高くし、短いながらも人生をかけた行動につながり時代を動かす原動力になったのだと思うと感慨深い。

現代を顧みて、東欧や中東などの世界情勢を動かしているものが何かと考えると、各国それぞれの吉田松陰や高杉晋作が命を燃やし、そして若くして倒れている、若くして倒れていくことになる、と思いをはせるだけでも本書を読んだ意味があるように感じている。

2018年08月31日のツイート

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