Un Altro Paese:伊(異)国にて、、、

 イタリア:訪れたお気に入りの場所、映画、小説、音楽なによりも大好きな写真を添えて,独断と偏見による日記帳です。

Addio Claudio Castiglioni

2011-08-17 21:35:43 | æ—¥è¨˜

Sony  R1  Zeiss Vario Sonnar 24-120mm F2,8-4,0 Iso 160   Catania

 MVアグスタの指揮をとり、オートバイのカジバグループを引っ張ってきた社長のクラウディオカスティリオーニ社長が64歳の若さで息を引き取りました。気分屋でなかなかインタビューが実現せず、9年ほど前に雑誌の取材で日本人としてはじめて長時間にわたるインタビューをすることに成功した自分としてはなんとも残念なニュースでした、、、

 彼は2輪業界のフェラーリ的な存在、1970年代にカジバグループを創設、イタリアブランドが多数消滅する中で独自の地位を築いていきます。1985年に国営企業として息絶え絶えだったドゥカティを買収、直ぐにスーパーバイク選手権参加を打ち出し、851、888などのモデルで世界チャンピョンを獲得、900SS、モンスターなど歴史に残るヒット作を飛ばし、会社を立て直します。SBK常連、チャンピョン街道まっしぐらの道はここで形成されていきました。ドゥカティファンが忘れてはならないことはもし彼が買収しなければドゥカティは消滅してしまっていたかもしれないこと、、、あの頃はそんな空気が漂っていました。1980年代中頃からカジバにて無謀ともいえるGP最高峰、500ccクラスに参加、イタリアンレッドを死守したいとのことから、スポンサーを拒み、日本車勢の中で異彩を放ちますが資金を積み込むだけでなかなか結果は得られず、ヨーロッパからは早く辞めればいいのに、、との罵声がいつも浴びせられました。彼自身、インタビューの中でこの頃が一番辛かった、、と語っています。1992年、4度世界チャンピョンを獲得した名手エディローソンとハンガリーGPで初優勝、94年にはコシンスキーとチャンピョン争いに関わるようになるまで成長しました。市販車ではビモータで活躍していた天才デザイナー、マッシモタンブリーニと意気投合し、彼と20年以上タッグを組み、世界で最も美しいとも言われるドゥカティの名車、916、そしてMVアグスタでF4、ブルターレと他とはまったく違う、それでいて息を呑むほど美しいバイクを製作していきます。彼は良くも悪くも経営者ではなく、一人の情熱を持ったアパッショナート、、でした。そのインタビューの最後の質問、バイクファンの間でどのように記憶して欲しいですか?との問いの答えが物語っています、、、

 “個人的なこと、利益を無視することもあったが、バイクを心から愛し、GPの世界でも、生産車でもエモツィオーネ(感動)を呼び起こすものを心血注いで製作した”、、とワンマンで頑固、ただし強烈な個性と魅力で人々を惹きつけて離さなかったカスティリオーニ、そんな経営者がまた一人この世を去ってしまいました。バイクは世界的に冷え込んでいるけど、イタリア車を取り巻く状況はとても厳しい、、、新しい個性と既存の考えを打ち破る勇気を持った経営者の登場が待ち望まれます。



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Unknown (Meta_Monkey)
2011-08-18 18:25:58
エディ・ローソン。懐かしい名前が出てきました。私も一時二輪狂いな時期がありまして特に世界GPは深夜のTV放送を観たりヴィデオを買ったり熱心にフォローしていました。私がのめりこんだ時期はローソンは全盛期を終えて堅実で天才的な走りのYamahaウェイン・レイニー、野生の勘を感じるHondaワイン・ガードナー、それからこけるか優勝するか?のSuzukiケヴィン・シュワンツが熾烈にトップを争っていて、マイケル・ドゥーハンも台頭し出し、ジョン・コシンスキーも名前を売り出したころでした。
堅実な走りのレイニーのレース中の不幸な事故は非常にショックだったのを覚えています。

海外にでて結局バイクは降りてしまいましたが二輪車の造形美は車のそれとは違って機械ぽっさが常に残り少年心を刺激しますね。

自分でもSuzuki, Kawasaki, Yamahaと乗り継ぎメンテナンスもある程度自分でやっていたのでバイクは旧き良き思い出です。
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Unknown (Meta_Monkey)
2011-08-19 00:03:37
先ほど書いたコメントなのですが、内容がそぐわない気がして書き直そうかと持ったのですが、一度投稿してしまうと校訂も削除のできないようで、そのままで失礼しています。実際に会って話したことのある方の訃報。個人的な思い入れのある出来事だったと思います。お気持ちを十分察することなくコメントを書いてしまい失礼しました。お気を悪くなさっていなければよいのですが。
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Unknown (レオナルド)
2011-08-19 05:34:48
Meta MOnkeyさん、こんばんは

 ぜんぜん気になさらないでください、、私も91年、日本GP開幕で、一気に嵌ってしまった達です、、、あの頃のシュワンツとレイニーの一騎打ちは最高でした、、それからエディローソンがイタリアGPオープニングラップをトップで走ってきたときの熱狂振り、、、感動しましたね、、、私はあの赤いカジバを操るローソンが好きでした、、91-93年、原田選手が世界チャンピョンになったとき、、興奮しました、、、また私がイタリアに来た頃は原田選手は一番知名度のある人でしたね、、、
 レイニーの事故、あの後に背中を守るパッドが開発され、それと同時にレースの世界から全盛を誇った大阪の南海部品がじりじりと後退していくことになります、、、もう20年も前のことなんですねえ、、、
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あの頃・・・ (月光花)
2011-08-19 19:21:46
レオナルドさん、こんにちは。月光花です。

93年原田チャンプのレースは当時東京12CHで
夜中放送を観ていて興奮してました。
あの頃はF1含め夜更かしするほど興奮していた
好い時代でした♪

カジバの社長さんインタビューを執られていた
んですね。エポックメイキングな方はヒトを
魅了させる話術をお持ちのようですが、故ク
ラウディオカスティリオーニ氏もそうだったん
でしょうね。

イタリアの情熱はココ日本でもそう理解されて
いるのですが、跳馬含めイタリアンレッドが
その象徴だと感じます。
ただの赤じゃない、イタリアンレッドなんです
よね♪その色への拘りが感じられる話ですね。

ボクの走りの原点はバイクでしてYAMAHA TZ250R
で峠を走りまくってました。ブログのカテゴ
リー、YAMAHAに綴ってます(笑)

F1もそうですが、90年代はマシンもドライバー
も輝いていた時代だと思います。今は創られた
ヒーローが活躍できるように仕向けられた”ふし”
を感じます・・・

ヘルメットといえばAraiが頑張ってますね♪
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Unknown (レオナルド)
2011-08-20 03:59:46

月光花さん、こんばんは

 カスティリオーニ、凄いオーラでした、、記憶に残っているのがブルターレという素晴らしくかっこいいネイキッドが発売されたときの逸話に、カスティリオーニがポルシェ993のヘッドライトを持っていってこれよりも有機的でもっとカッコいい物をフロントに載せたい、、と直々タンブリーニに示したそうです、、、

 原田選手、もう少しがめつさがあればあと、2回はチャンピョンになっていたと思います、、、93年は私も興奮しました、、、チームメイトのキリとの友情話も泣けましたね、、、

 TZRいいではないですか、、、あの頃は夢がありましたね、、、私は日本でドカティ400SSに乗っていました、、、イタリアンに染まっていましたからね、、、楽しいバイクでした、、クラッチは重かったですけどね、、、
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Sony R1 (アムゼル)
2011-08-20 05:17:08
当時も今も斬新なデザインの以下にもソニーらしいカメラでしたねえ♪Zeiss レンズのT*が眩しい、あくまでレンズを強調したデザインでありました。たいへん素晴らしいものをお持ちでうらやまちい、このことであります凹凸♪
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Unknown (レオナルド)
2011-08-20 14:52:04

 いや、、今はもう手元にないんです、、、残念ながら、、、あの上でくるくる回す液晶といい、、本格的なレンズといい、、個性的なカメラでした、、、写りも良かった、、低ISO、赤の描写では少しFOEVON的な写りをするような気がしました、、、、NEX7でどのような手に出るか、、楽しみですね、、、
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