2006年 06月 12日
きっこのモンタージュ(24) 隠滅の形而上学
■スタンス
Q:このBlogのスタンスをはっきりさせといた方がいいですね。 M:ここのスタンスは、松永氏を排除しろと言っている訳ではない。ただ、彼の「謎めいた挙動」をクリアにしていくためのチェックというのは、きっちりとやるべきだと思う、1991を前提としてね。 ![]() M:率直に言うと、こういう問題は受容と排除どっちが正しいか、そういう問題ではない。だいたい「制度の他者」である可能性がある存在に対して、「大社会解毒作用論」で受け入れるべきか、否かなんて「定式化」しえない問題でしょう?ひよこの判別じゃあるまいし。「制度の他者」というところに、「オウム」だけではなくて別の記号も入れてみればいいよ。 Q:では、どうするべきですか? M:楽をしようとせず、きちんと手順を踏んで、一つ一つきちんと事実を検証しろ、と言うこと以外にはないね。 Q:「ちゃんとやれ」と言うことですか? M:そうです。 Q:小飼氏や歌田氏、R30氏、佐々木氏など松永擁護の論陣を張る人たちは、現実を検証する作業をスキップしているということですね。 M:そうです。こういう「反動的」な人たちはいつの時代にもいるからね。 Q:しかし彼らは自分たちこそを「開かれた社会」を擁護する「進歩的な人間」だと思っているんじゃないですか? M:事実から目を背けて、困難な問題に直面することを回避しようとする人たちは、どんな思想的な立場であろうと「反動的」だね。こういう人たちが「事件」の上に「通俗的」な言説を何重にもコーティングして、その特異性を隠滅してしまうんだよ。 ■「隠滅」のための「形而上学」に抗して Q:つまり彼らは、「松永」本人をスキップしていると言うことですね。 M:そう、松永擁護の言説において不在なのは、実は「松永」本人なんだよ。小飼氏は松永氏を「毒」、「病原体」、「異物」など通俗的な形而上学の記号へと翻訳してしまう。そうすることで松永氏本人の特異性を消去してしまっている。 Q:別の言い方をすると、消去することによって、擁護している、と。 M:そう。松永氏の過去の経歴とその虚言の数々、民主党への不可解な接近、泉氏の二転三転する整合性のない証言、これだけ疑惑に満ちている「現実」に蓋をしてしまうというのは、正気の沙汰とは思えない。「松永インタビュー」も歌田氏の「われわれはみな“隠れオウム”の容疑者」も、すべてが「現実を隠蔽するための形而上学」にすぎない。事態がここまで来ると、「ネットジャーナリズム」の機能不全がどうこうと言う問題ですらない、もう「ネットジャーナリズム」自体が「組織的な陰謀集団」としか思えないよ(笑) Q:問題は松永氏本人ですね。 M:松永氏自体はすでに「手」を打っていた。自分を差別/被差別の二項対立の中に位置付けて、「ネットジャーナリズム」の通俗的な「隠滅のための形而上学」を、「自然な形」で呼び込もうとしていたわけだよ。夜道で悲鳴を上げるかよわきオウム信者、すぐさま駆けつける、「差別」を決して許さない正義のネットポリス(笑)、。つまり「ネットジャーナリズム」とはすでに「共犯関係」にあるということだね。 Q:その戦術はうまくいったと思いますか? M:うまくいかなかったみたいだね(笑)、でも、汚職を隠蔽するための政治家の与太話みたいエントリーが続けば、まともな人間だったら「ネットジャーナリズム」も「アルファブロガー」も信用しなくなるのは当然だと思うけどね。 ■松永は天才か? Q:こうした混迷を深める状況下で、松永氏はどういう復帰の仕方をするのか、要注目ですね。 M:やっぱり松永英明=河上イチローというのは、日本のインターネットの歴史における特異な存在だと思う。松永氏本人は楽になりたがっているけれど、ここで見逃してしまうのはむずかしいね。よく「松永は天才か?」みたいな話が出るけど、やはり彼には認めざるをえない非凡さがあると思う。その非凡さはポジショニングのうまさにある。次に何が来るか、今何をすれば注目を集めることができるのか、その見極めが非常に優れていると思う。 Q:松永英明で再登場した時も、Blogを素早く取り込み、その先導者的なポジションを確保していますね。 M:多分今回の騒動に巻き込まれなければ、ポッドキャストの先導者になっていたような気がする、普及したかどうかは別として(笑)。 Q:結局、松永氏が本当は何者であるのか、その「意味」を奪い合っているような現状がある訳ですが。 M:いや、それは違う。松永擁護派は松永氏に「差別され、社会から締め出されようとしているオウム信者」という「意味」を付与しようとしている。しかし、松永懐疑派はいかなる「意味」も付与しようとはしていない。「意味」を付与するための「事実」を一つ一つ救い上げて、検証しようとしている段階。だから松永擁護派と松永懐疑派との対立は一見対称的なように見えて、じつは「非対称的」なんだよ。擁護派は状況を早く次の段階に進めて、松永問題をうやむやにしたがっているだけだから。 Q:しかし、「事実の検証」は「意味」を前提としていますよね。 M:そうだね。でもその「意味」は「仮定」の段階にあるにすぎない、だからこそ「検証」を必要としている。擁護派のように「検証」なしで「意味」を付与している訳ではないよ。それは完全に「詐欺」だよ。大切なのはBB氏のように、こうした「インチキ」を決して見逃さず、徹底して異議を唱え、粘り強く冷静に対応していくこと、こうした姿勢の持続こそが、地に落ちた「ネットジャーナリズム」という言葉の意味を回復するために残された数少ないまっとうな姿勢だろうね。 Q:うちもそうでありたいですね。 M:うちは、松永氏がとても面白い存在なのに、それを矮小化しようとする退屈な連中に、我慢がならないだけだから(笑)
by SpeedPoetEX
| 2006-06-12 03:28
| 政治
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