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2009.09.16

余生問題① 議論すべき対象を明確にしよう

引退馬の余生問題について、今回は随分と競馬ブログ界隈は盛り上がったが、このトピックはウェブ上ではかなり以前から現れては消える、恒例行事のようなものだ。そして、収束する方向も似たようなもので、①競馬は競走馬の淘汰なしには成立しない②経済動物たる馬が淘汰されるの必然である、という前提を確認した上で、 ③故に現状を放置する、もしくは、④何らかの線引きをした上で一定数の命を永らえさせる方策を求める、ということになる。本来なら前提部分は軽く触れるぐらいで、現状放置派の人々は早く議論から離脱し、後者の立場から余生を確保する仕組みを考えるというのが時間とエネルギーを節約する道ではあった。だが、初めて引退馬の余生と向き合う人々が新たに出てくることを思うと、生命倫理に踏み込んで人々が問題と向き合うため、丁寧に階段を踏むのは悪いことでもない。次のステップに進むための、最初のガス抜きが終わったと思えばよい。

どうか各ブロガーの方々も性急な「着地点」など模索しないでいただきたい。顔の見えないネットでの議論は真意が伝わりにくく、ともすれば感情的な水掛け論に陥ってしまうケースが多い。しかし、立場が異なる人々から知見を得て、自分の考え方をブラッシュアップできるチャンスでもある。とりわけ、余生問題は表立ってマスコミには出てこない議題だ。参加者が一致する結論を導き出す必要もないのだから、建設的なやり取りができると思った相手には敬意を持って関わっていくと良い。批判的態度を建設的議論の手段ではなく、目的としてはならない。本題の前に確認しておくが、公共の場で俎上に乗せる範囲は、マスとしてのシステムについてに限られるべきである。思い入れある馬を救いたいという個々人の行動、それをサポートしようという団体の活動は、各々の信念に基づくものであって、外野の人間が土足で踏み込み、議論に混ぜ込んで誤解を誘発するのは、先方に対しても迷惑千万な行為である。

話の端緒となったキルトクールブログでは議論が袋小路に入り、混迷を深める一方のようなので、拙ブログは冒頭のシンプルな構造をもとにした上で、ここをスタート地点としたい。まず、③と④の意見の相違について、触れておく。③の現状放置派には大きく2種類あると思う。使役馬がトラックやトラクターに取って代わられた現代社会で競馬を続けていくには、多くの馬を殺処分していく仕組みは存在せざるを得ないという消極的肯定派。もう一つは、競走馬を人間の欲望を充足させる消費財と考え、大量生産、大量消費を促進していく積極的肯定派だ。一見、後者はドライで冷酷なように思えるが、経済性から生産頭数の減少を嘆き、コンビーフにするまでを生産サイクルの一環とする現状はこちらに近い。競走馬生産を牛豚の食肉産業と区別しない立場と重なるところも多いだろう。私は立場を異にするが、論理は通っており、動物愛護の視点から積極的肯定派を攻撃するのは賛同しない。

これに対して④の立場は心情的には消極的肯定派に寄り添うが、殺処分されていくなかから、一定条件を満たした競走馬には余生を与えられないかと考えるものだ。仮にこちらを現状改善派としよう。消極的肯定派と現状改善派の違いは、余生を与えるシステムが実現できるのかというコストとリソースへの懐疑の度合いだろう。現実的な数値や取り組みの進み方によって、消極的肯定派と現状改善派はそれぞれに転向する可能性が高い。一方、積極的肯定派と現状改善派の溝は深く、それは生命倫理、宗教感情の違いに由来すしている。現状改善派の根の部分をなすのは、「犬畜生と言えど生命を奪うのは避けるのが善」という心情であり、論理性で突き詰める性質のものではない。家畜、植物を食うに、生命を奪って生きるありがたさを感じる人々は多い。競馬をするに死にゆく馬に手を合わせるファンがいるのは自然だろう。そこを議論の対象とするのは、せんなき暴力であり、無益である。意見を交差させるべきは、現状改善派同士の感情を超えた政策論である。

以下、続く。

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コメント

競馬を見始めてまだ一年にもなりませんが、引退馬の問題がどうしようもなく気にかかり、自分なりにいろいろと考えています。

今の地球温暖化の問題などを考えれば、馬たちの仕事が何か見つかりはしないだろうか?
現状日本では、馬たちの仕事がなく、だから肉にされたりしてしまうのですよね。

ならば、環境問題に役立つような仕事はないだろうか?
バイオエタノールのようなエネルギーを、馬糞からつくれないだろうか?
そのエネルギーなり何なりで、彼らと共に有機農業で生きていけないだろうか?

競走馬に限らず、馬が大好き、ただ馬が大好きという私のようなお馬鹿さんも結構いるのではないでしょうか?
いえ、いてほしいです。
馬たちにできる仕事があれば、馬好きの人間たちは安月給でも、一緒に働いてくれるのではないでしょうか?

私が、天才的な頭脳の持ち主ならば、日本中の要らないと見捨てられてしまった馬の行き場を確保できるだけの仕事場を作りだせるかもしれないのに。

投稿: nouboku | 2009.09.26 01:52

>noubokuさま 引退馬が活躍する場所が増えたら、とても素晴らしいことだと思います。なにかドラスティックなことが起きてくれるといいんですが。。。

投稿: ガトー@馬耳東風 | 2009.10.10 19:27

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