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2020年11月の千葉会で、ASLが終わった後、残った時間で『戦国大名』を途中まで対戦した。写真をアップす... 2020年11月の千葉会で、ASLが終わった後、残った時間で『戦国大名』を途中まで対戦した。写真をアップする。 対戦相手が所有するエポック版を用いて、3人シナリオ「九州三国志」を4年目の吉凶札フェイズまでプレイ。わたしは龍造寺であった。 写真2枚。 初期配置、1番手の島津氏は肥後と日向に5城を置いて、大隅を確保する姿勢。2番手の大友氏は、肥後・豊前・筑前に5城を置いて、係争する態勢。3番手の龍造寺としては、当然筑前5城で係争しつつ、筑後5城で支配を確保する予定。 1ターン目(1年目)は、皆自領内の中立勢力潰しで、大きな動きはない。 2ターン目(2年目)、吉凶札のない間に大友氏が動いた。順番決定で3番と最後になったチャンスに、前年に雇い入れた20兵を、第1行軍フェイズに10兵を肥後に、10兵を筑前に行軍させたのである。島津氏・龍造寺氏の5城を包囲で潰そうという魂胆であった。 島津氏は19兵を