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小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、2002年)に、岸信介についての記述がある。以下、抜粋引用す... 小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、2002年)に、岸信介についての記述がある。以下、抜粋引用する。安倍晋三は岸信介と酷く似ているところと、全く似ていないところがある。キャラを比較しつつ読み味わってほしい。小見出しはカマヤンがつけた。 岸信介による強行採決 1960年の安保闘争を論ずるうえでは、まずその前史を語らねばならない。 この問題の一方の主役であったのは、当時の岸信介首相である。彼は東京帝国大学法学部卒業時には、のちに民法学者となった我妻栄と首席を争った秀才であり、右派憲法学者の上杉慎吉から講座の後継者に誘われたのを断って官界入りした。その後は1936年から39年まで「満州国」の要職に就き、太平洋戦争開戦時には東条内閣の商工大臣として、開戦の詔勅に署名している。敗戦後はA級戦犯容疑で収監されていたが、占領終結後には政界に復帰し、自由民主党の憲法調査会の会長となっていた。 こうした