« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2013年7月31日

戦略情報研究所Sセミナー

 戦略情報研究所「Sセミナー」第6回を開催します。

 6月末から、各都道府県警ホームページに「拉致の可能性を排除できない失踪者」のリストが掲載されています。この中には特定失踪者問題調査会のリストにない失踪者も現時点で約130名含まれており、調査会ではこの方々のデータを非公開リストに入れています(ご家族の公開についての承諾を得ていないため)。

 そのためリストの人数は一気に増えて約600名となりました。今回、その作業の中であらためて様々な不思議な共通点が出てきています。Sセミナーではこれまで発表してきた共通点による失踪者の分類、いわゆる「マッピングリスト」を再度整理してその意味を明らかにします。

 拉致の奥深い闇を知ることが解決への第一歩です。奮ってご参加下さい。

日時:8月20日(火) 18:30〜20:30

会場 UAゼンセン会館2階会議室
(東京都千代田区九段南4-8-16 Tel03-3288-3549)
 ※JR・地下鉄市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い

http://www.uazensen.jp/about/index.html

テーマ 「不思議な一致
ーマッピングリストから拉致問題の闇を探るー」
 (前半1時間を講演、後半質疑を行います)

講師 荒木和博(戦略情報研究所代表・特定失踪者問題調査会代表)他調査会役員

参加費 1000円(戦略情報研究所会員は無料)

※事前の参加申し込みは不要です。

※前半の講演部分を(株)NetLiveのご厚意でインターネット中継します。同社のサイトでご覧下さい。なお、中継後同サイト内の戦略情報研究所・特定失踪者問題調査会のページでオンデマンドで見られるようになります。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

|

特定失踪者リスト「約600名」に

【調査会NEWS1382】(25.7.31)

 これまで特定失踪者リストの総数を「約470名」としてきましたが、前に発表したように、6月末から各都道府県警のホームページに掲載された拉致の可能性の排除できない失踪者で調査会のリストにない方を順次非公開扱いで追加しています。これによる増加で、今後当分の間特定失踪者リストの総数を「約600名」とすることと致しました。

 この数は「調査会認定拉致疑惑失踪者」(0番代リスト)194名、「拉致濃厚」(1000番代リスト)77名、合計で公開者271名。これに非公開者約330名を加えて合計600名ということになります。

|

2013年7月26日

衆院拉致特

Dscn1480【調査会NEWS1381】(25.7.26)

 本日26日、衆議院北朝鮮による拉致問題等特別委員会(山本拓委員長)で参考人質疑が行われます。日程は次の通りです。

参考人からの意見聴取(9時30分から10時10分)

横田滋さん・横田早紀江さん・池田欣一救う会福井会長・大澤孝司さんの兄大澤昭一さん・宮内和也さんの義兄澤香苗さん(福井県特定失踪者家族会代表)・藤田進さん(川口)の弟藤田隆司さん・西岡力救う会会長・調査会代表荒木の順に1人5分ずつ陳述

参考人に対する質疑(10時10分から11時40分)
竹本直一議員(自民)・鷲尾英一郎議員(民主)・三宅博議員(維新)・上田勇議員(公明)・青柳陽一郎議員(みんな)・笠井亮議員(共産)の順に1人15分ずつ質疑

自由質疑(11時40分から12時)

 この模様は衆議院からインターネットで中継を見ることができます。お時間のある方ぜひご覧下さい。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=HM

 なお、各自が資料を用意することになっていますが、荒木の分は調査会のポスター及び下記の内容のプリントです。
--------------------------
●ポスターの訂正
 別紙配布いただいている調査会ポスターについて、以下の訂正・追加があります。

(1)紙谷慶五郎さん、紙谷圭剛さん、紙谷礼人さん、紙谷速水さんの4人について、ポスターでは「調査会認定拉致疑惑失踪者」に入っていますが、7月16日付で上段の「拉致濃厚」(通称1000番代リスト)に入れました。また、失踪年月日が1968(昭和43)年11月7日になっていますが、これは1967(昭和42年)の間違いです。従って失踪当時の年齢は4人とも1歳若くなります。

(2)7月16日に「調査会認定拉致疑惑失踪者」について以下1名を追加しました。
氏名:中島慶子(なかしまけいこ)さん。昭和18年2月21日生まれ、昭和39年1月26日富山県高岡市の自宅を出て失踪。当時21歳。電力会社勤務。

※以上2件については秋に作成する新しいポスターにおいて追加訂正の予定です。

●要望事項

 以下の諸点について要望致します。ぜひとも実現に向けてご尽力をお願いします。

(1)圭運丸事件について

 上記紙谷さんご家族4名が北海道雄武町沖で失踪した「圭運丸事件」について、事件当時同船が北海道雄武沖海底に着底していたことが確認されており、3月8日、9日には海上保安庁が紋別より巡視船「ゆうばり」を派遣して付近海底の調査をしています。しかし、8日朝、ご家族(紙谷慶五郎さん三女北越優子さん)、調査会常務理事杉野及び私が小樽の第一管区海上保安本部を訪れたときは何をするかについて一切明らかにされませんでした。また当時の記録も今回の海底調査の結果についてもことごとく情報開示をしないという方針であると推量されています。

 現在海上における拉致について、関心が高まっている折でもあり、私たちとしても全面的な見直しの必要性に迫られています。海上保安庁の積極的な調査・捜査及び情報の開示が欠かせません。

(2)各機関の連携について

 上記にも関係しますが、警察・自衛隊・公調・海保・入管等関連情報機関の具体的な連携を実現していただきたくお願いします。これまで、現場の担当者間の個人的関係のみで連携が行われているだけで、システムとしては全く機能していないと言っても過言ではありません。できていないのですから単に「連携してやります」というのではなく、具体的な措置をとっていただきたいと考えます。

 もし、政府機関で情報の連携ができないのであれば、調査会に各機関から担当者を派遣していただくなどの方法も検討していただければ幸いです。現在様々な形で情報が集まりつつあり、今日本国内にある情報の見直しを行うだけでも真相究明は格段の進展をするものと思っています。

(3)救出が実現しない場合の責任について

 北朝鮮は自決を覚悟して工作員を送り込んでおり、その工作員が拉致を行っているのだから、単なる話し合いや経済制裁だけで全員の救出は不可能です。すべての手段を動員し、場合によってはこちらの犠牲も覚悟して救出を実現する覚悟が必要です。とりわけ今次参院選で衆参のねじれが解消したことは、安倍政権としても拉致問題を解決できるかどうかの正念場が到来したということを意味します。救出が実現しない場合、現政権がその責を問われることを明確にしていただきたく思います。

(4)不作為及び隠蔽の真相究明について

 「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」のようなこれまでの政府の不作為及び拉致隠蔽に関わる事案は拉致問題解決の根本的な障害になっています。この点は国会として徹底した真相究明を行うよう求めていただきたくお願いします。

(5)警察の情報開示について

 警察が昨年868人の「拉致の可能性が排除できない失踪者」について発表し、本年6月から各県警のホームページに順次その情報が掲載されていることは前進であると思いますが、個別の県警のホームページへの掲載ではおよそ情報を求めるためとは言い難い状況です。警察庁及び拉致問題対策本部において調査会のホームページの失踪者リストのような一括したホームページを作成し、より情報が集まりやすくするための努力をしていただきたく思います。

(6)対北放送の充実について

 特定失踪者問題調査会が行っている北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」について、放送開始の平成17(2005)年時点から特定失踪者斉藤裕さんが聞いていたとの情報が先般報道されています。私たちとしてもより北朝鮮への情報伝達を積極的に行いたいと思っております。現在の短波放送に加え中波放送を実現するよう、さらにご尽力をお願いします。
                               以上

|

2013年7月23日

県警のホームページ

【調査会NEWS1380】(25.7.22)

 ご存じの方も多いと思いますが、各都道府県警察のホームページに拉致の可能性のある失踪者の情報が掲載されています。まだ掲載されていないところもありますし、掲載されている県警でもご家族の了解を得て順次追加していますので今後さらに充実していくとは思います。

 このこと自体は大きな前進だと思うのですが、お役所仕事のせいもあり、極めて見にくいものが少なくありません。皆さんもぜひ各県警のホームページで探してみて下さい。まず、そのページに行き当たるのが大変です。どこの県警でも失踪者情報の最後に必ず「○○さんに関する情報を御存知の方は、どんな小さなことでも結構ですから、情報をお寄せ下さい」といった文言が付いているのですが、「そこまで言うならもっと分かりやすいところに載せてくれ」と突っ込みたくもなります。

 本来情報が欲しいなら全国一括して、また検索できるようにもしなければ意味がありません。26日の衆議院拉致特でも要請しようと思いますが、このような情報は警察庁ないし拉致問題対策本部のホームページに載せるべきものです。調査会のホームページと県警のホームページを比較していただければ意味は分かると思います。調査会のホームページなど、現在は専務理事の村尾が「しおかぜ」などの作業のかたわら更新しているのですから、人も予算も比較にならないほどある政府ができないはずはありません。

 参院選の与党勝利で衆参のねじれが解消されました。これは同時に安倍政権としていよいよ逃げ道がなくなったことを意味します。様々な動きがある中、私たちにとっても正念場です。退路を断って臨まなければと思っています。

|

2013年7月17日

衆院拉致特委員長への意見

219p188

【調査会NEWS1379】(25.7.17)

 前号でお知らせしたように7月26日金曜、9:30〜12:00、衆議院の拉致特委で参考人質疑が行われます。

 参加者については前にお知らせしたものに一部誤りがあり、飯塚繁雄家族会代表は参加されず、藤田隆司さん(川口で失踪した藤田進さんの弟さん)が参加します。

 この委員会では決議を行うことを検討しているとのことで、意見があれば提出して欲しいとの連絡がありました。私からは以下の意見書を提出しています。決議が行われるかどうかも決まっていないので何とも言えませんが、当日は圭運丸事件のこと及びこの意見書の内容について陳述する予定です。

-----------------------------
    平成25年7月16日

衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員長 山本 拓 様

特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

 平素の拉致問題解決のためのご尽力に心より敬意を表します。

 さて、先日委員部よりご連絡あり委員会決議に関する意見があれば送られたいとのことでした。以下要点のみお知らせしますので、意のあるところをお酌みとりいただければ幸いです。

(1)警察・自衛隊・公調・海保・入管等関連情報機関の具体的な連携を実現していただきたい。単に「連携してやります」というのではなく、具体的にどのように機構を変えて対応するのか明らかにされるよう求めていただきたい。

(2)北朝鮮は自決を覚悟して工作員を送り込んでおり、その工作員が拉致を行っているのだから、単なる話し合いや経済制裁だけで全員の救出は不可能である。政府に対しこちらの犠牲も覚悟して救出を実現する覚悟を固めるよう求めていただきたい。

(3)救出が実現しない場合、政府がその責を問われることを明確に伝えていただきたい。

(4)「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」のようなこれまでの政府の不作為及び拉致隠蔽に関わる事案の真相究明を行うよう求めていただきたい。

(5)警察が昨年868人について発表したことは評価できるが、現在各県警のホームページに掲載された失踪者情報はおよそ情報を求めるためとは言い難い内容である。警察庁及び拉致問題対策本部において一括したホームページを作成し、より情報が集まりやすくするための努力をしていただきたい。

(6)特定失踪者問題調査会が行っている北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」の中波放送の実現について協力を求めていただきたい。

 以上です。26日にも同様のことを陳述するつもりでおります。何卒よろしくお願い申しあげます。
             以上
------------------------------
 委員会の模様はインターネットで中継されます。ぜひご覧下さい。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=HM

(写真は宮内和也さん。義兄の澤さんが参考人で陳述の予定です)

|

訂正/衆院拉致特委

090p1【調査会NEWS1378】(25.7.17)

※前号で紙谷慶五郎さん・圭剛さん・礼人さん・速水さんについて、失踪当時の年齢が間違っていました。正しくは以下の通りです。

 紙谷慶五郎さん 55歳
 紙谷圭剛さん  26歳
 紙谷礼人さん  19歳
 紙谷速水さん  16歳

 以前事件の日付を昭和43(1968)年11月7日としており、実際は1年前の昭和42年11月7日だったのですが、間違った日付の時点での年齢にしていたため1歳ずつ多くなっていたことによるものです。お詫びして訂正します。

■衆議院拉致特委

 7月26日金曜、9:30〜12:00、衆議院の拉致特委で参考人質疑が行われます(閉会中審査)。

 ここに特定失踪者の家族として大澤昭一さん(大澤孝司さんの兄)、沢香苗さん(宮内和也さんの義兄)、池田欣一救う会福井代表(山下春夫さん家族代理)と調査会代表荒木が陳述します。家族会からは飯塚繁雄代表、横田滋・早紀江夫妻、救う会から西岡力会長が参加の予定です。

 委員会の模様はインターネットで中継されます。ぜひご覧下さい。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=HM

(写真は大澤孝司さん)

|

2013年7月16日

「拉致濃厚」「拉致疑惑」発表

2
【調査会NEWS1377】(25.7.16)

 本日の記者会見で次の通り発表しました。

1、「拉致濃厚」事案(1000番代)の発表【第19次】

氏 名:紙谷慶五郎・紙谷圭剛・紙谷礼人・紙谷速水
よみがな:かみや けいごろう・かみやけいご・かみやのりひと・かみやはやみ

生年月日等:
 紙谷慶五郎 明治45(1912)年3月5日(失踪当時56歳 現在101歳)
 紙谷圭剛 昭和16(1941)年3月20日(失踪当時27歳 現在72歳)
 紙谷礼人 昭和23(1948)年4月11日(失踪当時20歳 現在65歳)
 紙谷速水 昭和26(1951)年1月9日(失踪当時17歳 現在62歳)

失踪年月日:昭和42(1967)年11月7日

当時の身分:漁師

最終失踪関連地点:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)港より4海里付近

当時の居住地:北海道雄武町

失踪の状況:失踪当日早朝、漁船圭運丸(6トン)でイカ漁に出たまま戻らず。捜索の結果船は海底に沈んでいることが分かったが、4人の遺体はもちろん衣服や靴など本人の遺留品が全く見つからなかった。当時海は凪ぎであり、通常であれば船が遭難することは考えられなかった。

●「拉致濃厚」とする理由

1、圭剛さんの同級生Sさんが失踪当日9時頃元稲府港から北のウエンコタン岬(音稲府岬)近くで3隻の船に囲まれている圭運丸を目撃している。

2、Sさんは同日11時頃、まだ誰も圭運丸の異変を知らなかったときに「紙谷の船が転覆した」と叫んだ見知らぬ男を目撃している。

3、圭運丸の位置は当時魚群探知機で確認され、通常の事故の場合のような横転はしておらず、海上と同じ姿勢で着底していたという。これは誰かが故意に船の弁を開けて浸水、沈没させたものと推定される。

4、雄武は警察断定拉致被害者である高敬美・剛姉弟の父である北朝鮮工作員高大基と、その妻となった日本人女性渡辺秀子さん(拉致濃厚)が出会った地である。渡辺秀子さんは同町の割烹「日の出」に仲居として勤めていたが、そこには紙谷慶五郎さんも度々訪れていた。渡辺秀子さんは北越優子さんも見たことがある。

5、失踪した4人のうち、特に圭剛さんは学校にも充分に通えなかったのに非常に優秀で、独学で試験に合格して外航船の船長にもなり、新聞でも報道されていたことからターゲットにされた可能性がある。

●「対日漁民作戦」との関係

 本年5月28日、産経新聞が「拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か」という記事を掲載した。最近脱北した元人民軍幹部の証言によるものでその概要は「対日漁民作戦」と名付けられた日本の漁船を狙った拉致が1962〜85年まで繰り返し実行された。拉致被害者は証言者の分かる範囲で30人を越すというものだった。この報道が契機になり調査会では圭運丸事件について情報の見直しを行った。その結果、圭運丸事件は対日漁民作戦と別のケースである可能性が高いと思われる。本件は事前に対象を選定していたと推定され、偽装工作と思われるようなことも行われている。従って陸上の拉致が海上で行われたケース、昭和63年(1988)の宮崎における林田さん・水居さんの共擁丸事件、同年の鳥取における矢倉富康さんの一世丸事件に類似した事件である。今回海上における拉致が広範囲かつ多種多様に行われてきたことが明らかになったと言える。海上保安庁にはあらためて圭運丸事件をはじめとする拉致を疑われる事案の捜査・調査を徹底して進めるよう求めたい。
----------------------------------
2、調査会認定拉致疑惑失踪者(0番台リスト)公開(第48次)

氏名 : 中島 慶子(なかしま けいこ)

性別 : 女性

生年月日 : 昭和18(1943)年2月21日

失踪年月日 : 昭和39(1964)年1月26日

当時の住所 : 富山県高岡市東下関

当時の年齢 : 21歳

当時の身分 : 電力会社勤務

最終失踪関連地点  : 高岡市の自宅を出て

身体的特徴 : 身長150cm強

失踪の経緯 : 同日自宅から友人のところに行くと言って出かけたまま失踪。婚約しており、あとは式の段取りを決めるという時期の失踪だった。当時のことを知る母親が亡くなっており詳細は不明。日記には次のように記載されている。

「あの日のことを何度思い出してみたことか…洋服ダンスの鏡の前で出かける前に髪と顔を直していた後ろ姿、黄色のセーターにグレイのスカート、それにオーバーだった(中略)。帰ってこないとは夢にも思わなかった。ただ、「友達のところに行く」と言っていたことははっきり覚えている。お金も少々、着替えの服も下着も持っていかず、どう考えても計画的だったとは思えない」

備考: 中島さんに関しては調査会設立直後から非公開で登録されていた。調査会からは政府に対しリストを提供していた。今回ご家族に富山県警からホームページ掲載についての打診があったため調査会に相談があり、公開に切り替えることとしたもの。県警のホームページ掲載についても準備が進んでいる。

※以上により、「拉致濃厚」(通称1000番代)は77名、「拉致疑惑」(通称0番代)は194名、合計現在の公開者は271名になりました。

|

本日の記者会見について

【調査会NEWS1376】(25.7.16)

 本日13:30からの記者会見では圭運丸事件についての発表とあわせ「拉致疑惑失踪者」(0番代リスト)1名を発表します。関連地域は富山県です。

 記者会見の模様はインターネットで中継します。ぜひご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

|

2013年7月13日

拉致被害者はお花畑にいるわけではない

【調査会NEWS1375】(25.7.13)

 石原慎太郎・維新の会共同代表が街頭演説で横田めぐみさんについて、「非常に日本的な美人だから、強引に結婚させられて子どもまで産まされた。誰か偉い人のお妾さんになっているに違いない」という発言が問題になっています。

 全体の文脈は分かりませんが、確かに不用意な発言であることは間違いありません。その点で石原さんを弁護するつもりはありませんが、あえて言いたいのは、「それなら横田めぐみさんは、そして他の被害者はどうしているのか」ということです。

 これは私自身も例外ではありませんが、何十年も拉致問題を解決できないで放置している後ろめたさのためか、被害者がどうなっているかについて政治家も官僚はもちろん、日本国民すべてが思考停止、あえて考えないようにしているのではないでしょうか。

 拉致被害者はお花畑にいるわけではない。北朝鮮は自国民に対しても厳しい人権侵害をしている国です。政治犯収容所や公開処刑などの話はご存じの方も少なくないでしょう。人権どころか国民の命さえ何とも思っていないのが北朝鮮の独裁体制であり、そこに拉致被害者はいるのです。そのことを私たちは絶対に忘れてはなりません。

 拉致被害者は今日無事であっても明日はどうなるか分からないのです。戦争を覚悟してでも国民を取り返そうとするのが国家であり、少なくともその覚悟がなければ拉致問題の解決はあり得ないし、今後も国民を守ることはできません。

 かつて国会で細田官房長官が答弁した拉致問題解決の方針、「先方も政府で、彼らのこの領土の中においてはあらゆる人に対する権限を持っておりますので、これは我々が説得をして、そして彼らがついに、実は生きておりました、全員返しますと言うまで粘り強く交渉をすることが我々の今の方針でございます」というのが全く問題にならず、今回の石原発言が問題になるというなら、私たちは根本的な間違いを犯しているのではないでしょうか。

 これは今パソコンに向かってのんびりとこのニュースを書いている私自身の自己批判でもありますが、もう一度、一体何が問題なのか、1人でも多くの方にこの問題の本質を理解していただきたく、切にお願いする次第です。

|

2013年7月12日

記者会見のお知らせ/争点

【調査会NEWS1374】(25.7.12)

■記者会見のお知らせ

 下記の通り記者会見を行います。報道関係各位には選挙中で御多忙のことと存じますが取材方よろしくお願い申しあげます。

1、日時 7月16日(火曜)13:30〜

2、場所 文京区小石川運動場会議室(文京区後楽1−8−23 03-3811-4507)

 http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_sports_shisetsu_koishikawa.html

3、内容 圭運丸事件(紙谷慶五郎さん、圭剛さん、礼人さん、速水さん失踪)について

 なお、この記者会見は(株)NetLiveのご厚意によりインターネット中継を行います。遠方の方、報道関係以外の方は同社ホームページにてご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

■争点
              荒木和博

 記者会見のお知らせをしたから、ということではないのですが、参議院選挙真っ盛りの中でも、拉致問題についての報道はほとんどと言って良い程ありませんし、そもそも争点になっていなません。まあ、どの候補者でも「拉致問題について当選したらどうしますか」と聞けば「一所懸命やります」と言うでしょうから争点にはなり得ない、だから仕方ないとも言えるのかも知れません。

 しかし、例えば原発の問題については毎日のように報道されています。それが大事であることは分かりますが、被害者が多数北朝鮮にいて、中には殺害された人もいる可能性まで指摘されており、拉致問題こそ解決にはまさに国家の意思と力が必要不可欠な問題です。国政選挙の場で大多数の候補者が、そして報道機関が無視するというのは何なのでしょうか。この扱いの違いはどう考えてもおかしいと思います。

 永田町や霞ヶ関の中には拉致問題が選挙で争点にならないことを喜んでいる人間がいるはずです。それを許してはならないと思います。国民が許していれば絶対に拉致問題は解決しません。報道関係の皆さんも、投票する有権者の皆さんも、ぜひともご理解をお願いします。

|

1万キロ現地調査 第16回 概要報告

【調査会NEWS1373】(25.7.12)
Dscn0687

(平成25年7月6日〜7日 北海道函館・札幌地区)

 以下先日の現地調査の概要を報告します。ご協力いただいた皆様にあらためて御礼申し上げます。

●目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

●参加者
調査会 : 荒木・岡田・村尾・杉野・曽田・武藤
特定失踪者家族 : 森洋子さん・山田妙子さん・紙谷慶五郎さん・斉藤裕さん・長尾直子さん・曽ヶ端崇史さん・城崎暎子さんらのご家族・友人
支援者 : 救う会北海道(川田代表・森事務局長・高橋さん・渡辺さん)
家族会 : 増元事務局長
その他 : 三宅博衆議院議員

●日程
7月5日(金) 函館市
夕刻 予備調査(森洋子さん関連地点調査及び非公開失踪者Sさん御家族との面談)

7月6日(土) 函館〜札幌
09:00 宿舎前発
午前中 森洋子さん・非公開失踪者Sさん失踪関連地点など調査。
12:30 函館発 JR特急スーパー北斗9号 15:50 札幌着。
宿泊先ホテルで山田妙子さんご家族と面談、白石区の拉致未遂の疑いのある現場を調査

7月7日(日) 札幌
09:00 宿舎前発
北区篠路1条9丁目地区 : 長尾直子さんの最終失踪関連地点調査。
中央区南7条西1丁目地区 : 山田妙子さん関連地点調査。
中央区南10条西7丁目地区 : 非公開失踪者Mさんの最終失踪関連地点調査。

15:00 札幌ガーデンパレスホテルにて報告会及び記者会見。修了後家族懇談会。

●関連日程
7月7日18:00 「救う会北海道」主催講演会(於:かでる27) 代表荒木が参加

7月8日09:00 海上保安庁 第1管区海上保安本部へ要請活動
※ 代表荒木、常務理事杉野、紙谷慶五郎さんご家族と「圭運丸事件」について調査要請。

●関連事項
 圭運丸事件(紙谷慶五郎さん・圭剛さん・礼人さん・速水さん)について、6日地元テレビ局が「事件当時圭運丸が不審な船に囲まれていた」と報じた。上記のように8日午前、第1管区海上保安本部に要請に行ったが、同日午後から網走海上保安部の巡視船が雄武沖の圭運丸が沈没していると思われる海域で海底の調査を行ったにもかかわらず管区要請の際にはそれらについて一切を隠蔽していた。また、家族が提示を求めた書類についても開示できないとの回答だった。

● 調査対象者と調査結果の概要

■森洋子(もり ようこ)さん
生年月日 : 昭和19(1944)年5月15日
当時身分 : 家事手伝い
当時住所 : 亀田郡戸井村字釜谷 (現函館市釜谷町)
失踪日 : 昭和38(1963)年9月20日
最終失踪関連地点 : 函館市・千歳町バス停
失踪状況 : 
失踪前日の9月19日(木曜日)、函館市松風町の高校時代からの友人女性Aさん宅に泊まりがけで遊びに行く。翌9月20日、洋子さんは函館市内で夕刻まで過ごした後、知人男性B氏と待ち合わせ、17時頃から約1時間、函館バス本社前の喫茶店で過ごし、その後若松町に所在した喫茶店で時間を潰し、21時頃のバスに乗車するため2人で千歳町バス停に向かったが、洋子さんは「やっぱり帰らないで友人の家に泊まる」と言ってバス停でB氏と別れた後、行方不明となった。

□ 調査結果
調査当日、ご家族に加えBさん及び洋子さんの友人女性Cさんの参加もあり、失踪当日の動向についてかなりの部分が明らかになった。
(1) 洋子さんが失踪当日の16:30頃、函館バス本社に勤務するCさんに会いに来た際、「今日の最終バスで(自宅に)帰ると話していたが、18:00頃にBさんと会って喫茶店で話をしていた際には「今日も友人宅に泊まる」と話すなど、帰宅の予定を変更していたことが確認され、16:30〜18:00の間に何か予定を変更する出来事があったのではないかと推測される。
(2) 洋子さんが最後に確認された地点についてこれまで明確でなかったが、Bさんの証言により21:20過ぎに函館バス・千歳バス停でBさんが最終バスに乗車するのを洋子さんが見送っていたことが確認された。この時点で戸井の自宅に行くバスは終車が出てしまっており、最終失踪関連地点は函館市千歳町の千歳街バス停前であることが判明した。
(3) これまでの各種情報から洋子さんの周囲で素性が明確になっていない人物(1名)の存在が明らかになり、この人物が洋子さんの失踪に何らかの関係が有るのか、再度調査を行うこととなった。

■非公開 STさん(女性)
生年月日 : 昭和25(1950)年
当時身分 : 公務員
当時住所 : 亀田郡
失踪日 : 昭和47(1972)年3月
最終失踪関連地点 : 函館市若松町「函館港・函館桟橋」〜「函館駅」附近
失踪状況 : 
失踪当日の3月14日(火曜日)朝、「日帰りで青森に遊びに行く」と言い残して自宅を出たまま帰宅せず、行方不明となる。翌15日(水曜日)、捜索願を提出。北海道警の捜索の結果、青函連絡船の乗船名簿で、函館〜青森間を往復した事実を確認。また、失踪当日の14日夕刻、函館港桟橋から函館駅方向へ歩いている本人らしき若い女性を目撃した人がいた。家族の証言では、「青森に友人や親戚がいた記憶はない」とのこと。

□ 調査結果
 ご家族に聞き取りを行い、当時の写真を借用、ご家族の状況等について確認を行った。

■長尾直子(ながお なおこ)さん
生年月日 : 昭和35(1960)年10月25日
当時身分 : 札幌篠路自動車学校勤務
当時住所 : 札幌市北区篠路町上篠路(現在篠路1条)
失踪日 : 昭和56(1981)年3月16日
最終失踪関連地点 : 札幌市北区篠路
失踪状況 : 
 3月16日(月曜日)朝、いつも通り徒歩で出勤したが、みぞれが降りだしたので直ぐに傘を取りに引き返す。その後家を出て、自動車学校に着いたと思われる頃、「出勤していない」と連絡がきて行方不明が判明した。普段は自動車学校から日に1、2回電話してくるものの、夜になっても連絡もなかった。翌3月17日(火曜日)、警察に捜索願を提出する。身の回りの物は手つかずの状態で部屋に残されていた。預金を下ろした形跡もない。自宅から勤務先の自動車学校までの道は当時狭く人通りも少なかった。周囲には民家もあまり立っていなかった。

□ 調査結果
 失踪当時の自宅から職場までの経路や当時の周辺状況について御家族からお話を伺いながら周辺の調査を行う途中、御家族から「当時警察の聞き込みで通勤経路に面する美容院の経営者が直子さんを見たとの情報があったが、その目撃が失踪当日の朝だったのか、警察は疑問視している」との情報提供があった。美容院から自動車学校の入口までは至近であり、当日出勤してくる同僚と会う可能性があったことからすれば、この間で待ち伏せたとは考えにくい。当時現在と違って道が狭かった上降雪があったことなど道路状況から考えて、仮に拉致されたとするならば自宅から自動車学校の間の人目につきにくい場所で待ち伏せされ車両で移送された可能性が高いと考えられる。

■山田妙子(やまだ たえこ)さん
生年月日 : 昭和28(1953)年2月17日
当時身分 : 飲食店従業員
当時住所 : 札幌市中央区
失踪日 : 昭和50(1975)年8月25日
最終失踪関連地点 : 札幌市中央区内
失踪状況 : 
妹さんが妙子さん宅に電話したとき、同居男性から「2、3日前からいない」と言われて行方不明が判明。

□ 調査結果
現時点で詳細は公表できないが、今回の調査で北朝鮮にかかわることを示唆する証言があり、今後さらに情報を精査する必要があるとの認識に至った。

■非公開 MTさん(女性)
生年月日 : 1927(昭和2)年5月
当時身分 : 医師
当時住所 : 札幌市
失踪日 : 1963(昭和38)年9月
最終失踪関連地点 : 札幌市
失踪状況 : 
お母さんが何度か電話をしたが留守なので何日かしてアパートに行ったところ部屋は全くそのままで、行方不明となっていることが判明した。

□ 調査結果
失踪当時のアパート位置と周辺状況を確認し、近隣住人から当時の周辺状況等について聞き込みを行ったが、新たな情報の入手には至らず、継続して情報収集を行うこととなった。

(写真はかつての自宅前で「しいおかぜ」収録を行う長尾直子さんのお母さん)

|

2013年7月 9日

組織の壁

【調査会NEWS1372】(25.7.9)

 一昨日までの現地調査にご協力戴いた皆様、取材して下さった報道機関の皆様ありがとうございました。報告はあらためて行いますが、取り急ぎ御礼申し上げます。

 現地調査日程の後、昨日8日には午前9時から荒木・杉野及び紙谷慶五郎さんのお嬢さんである北越優子さんの3人で第一管区海上保安本部を訪問、総務部長と総務課長に対応いただきました。

 結論から言えば特に教えてもらえることはなく、この日から始まった現地雄武(おうむ)町での海保の調査も「これから何ができるか検討するため」とのことでした。北越さんからは調査の船を出すときには自分も乗船させて欲しいとの要請をしましたが、可否については返事はありませんでした。

 結論からすれば管区レベルでは決められず、従って回答もできないということだったようです。中央マターの事件として重視しているということなのかも知れませんが。

 ただ、はっきり分かったことが一つあります。それは組織の壁の問題で、海保と警察にほとんど連携がないということです。特に圭運丸事件のように陸上では工作員が暗躍していた雄武町で、その港から出港した漁船の乗組員が失踪した場合、両者が連携して捜査することは現状ではほとんど考えられません。1管でのやりとりを後で思い出しながら、正直ぞっとするような感覚に陥りました。本当の意味で国全体が動かなければ拉致問題全体どころか圭運丸事件一つ解決することもできないはずです。

 今月26日、衆議院拉致特の閉会中審査があり、私も参考人として出席しますのでこの点についても明らかにしようと思っています。関係各位のご協力をよろしくお願い申しあげます。

|

2013年7月 7日

生中継

Dscn0690
 前にもお知らせしていますが本日(7日)15時から現地調査の報告会を行います。インターネットで中継しますのでお時間のある方はぜひご覧下さい。圭運丸事件についての新たな発表も予定しています。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

(写真は昭和38年に札幌市内で失踪した非公開女性のアパートがあった場所)

|

札幌にて

Dscn0663

【調査会NEWS1371】(25.7.7)

 現在現地調査の途中です。昨日は午前中函館で森洋子さんの失踪関連地点の確認を行いました。本件ではこれまで関係者の証言の中で事実関係の食い違いが若干あったのですが、今回皆で情報の突き合わせを行ったところ、失踪当日の行動が大体明らかになり、全体の流れにはほとんど矛盾がないことが分かりました。

 詳しくは後日、調査結果の報告で流しますが、状況が鮮明になるにつれて、私は事件から3年前(昭和35年)の秋田における木村かほるさん失踪と似たものを感じています。

 その後札幌に向かいましたが、札幌では昭和50年(1975)に失踪した山田妙子さんのご家族からお話しをお聞きしました。私も久しぶりにお会いしましたが、曽田常務理事の作成した地図と突き合わせながらお話しをお聞きする中でかなり情報の整理が進みました。

 私と杉野常務理事はこの途中中座して、白石区で昭和43年(1968)に起きた拉致未遂の可能性のある事件の現場に行きました。本件は当時高校3年生だった女性が夜不審な車に追いかけられた事件で、当事者の方も現場に来て下さり、色々お話しをお伺いしました。時期的には斉藤裕さんや国井えり子さんなど、道内はじめ各地で高校生が失踪しているときです。

 今日は救う会北海道のご協力もいただき、昭和56年(1981)に失踪した長尾直子さんの失踪関連地点に行きご家族にもお話しをお聞きします。昨日夕刻には北海道放送が圭運丸事件(昭和42年)について報道し、事件当時圭運丸が不審な船2隻に取り囲まれていたというニュースを流しました。この事件については明日8日月曜、9時に小樽の第1管区海上保安本部にご家族と私で要請の予定であり、15時から行われる報告会ではこれらについてもお話しする予定です。

 まだ日程の半分しか終わっていませんが、あらためて現場に行くことの重要さと、「いったいこの国はどうなっていたんだ」という思いを痛感しています。個別の犯罪はともかく、敵意を持った国家による主権侵害に対して半世紀以上、この国は余りにも無策、まさに法治国家ならぬ「放置国家」だったのではないかという思いは現地調査の度につのります。

 明日の15時から行われる報告会については、(株)NetLiveのご厚意によりインターネットで中継します。現場で「しおかぜ」の収録も行います。お時間のある方はぜひご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

(写真は森洋子さんが最後に目撃された函館市千歳町バス停近くにて、お姉さんの林澄子さんによる「しおかぜ」の収録)


|

2013年7月 5日

現地調査に向かいます。

Mori_2
 今羽田空港です。まもなく函館に向かいます。今日の予備調査を入れて日曜まで3日間、1万キロ現地調査の第16回目です。函館の調査のメインは写真の森洋子さん。今からちょうど50年前、昭和38年の9月20日、函館市内で失踪しました。当時19歳。ご家族にとっても、もちろんご本人にとっても、気の遠くなるような長い時間が経過しています。

|

2013年7月 4日

「反物事案」横田早紀江さん証言/現地調査報告会中継

【調査会NEWS1370】(25.7.4)

■「反物事案」横田早紀江さん証言

 1367号でお知らせした横田早紀江さんの「反物事案」、ご本人の証言を調査会ホームページに掲載しましたのでぜひご覧下さい。また、お近くで何かこれと類似するような経験をお持ちの方がおられましたらお知らせいただければ幸いです。

http://www.chosa-kai.jp/

■現地調査報告会ネットで中継

 週末行われる北海道の現地調査(1万キロ現地調査第16回)の報告会(7日15:00から)を(株)NetLiveのご厚意によりインターネットで中継します。ぜひご覧下さい。また、先日の記者会見の映像も同じところからご覧になれます。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

|

2013年7月 3日

県警ホームページの情報について

 昨日の記者会見で以下のように発表しました。なお、会見で発表した文に若干日本語としておかしい部分があり、趣旨の変わらない範囲で直してあります。

                        平成25年7月2日
   
    各県警ホームページに掲載された特定失踪者情報について
                        特定失踪者問題調査会

 6月28日以来、各県警のホームページに順次拉致の可能性のある失踪者の情報が掲載されている。これは昨年警察庁が発表した868人(現在は864人)のうち、家族の了解をとれたものについて公開しているものである。

 この中には調査会のリスト(公開・非公開)にある失踪者と、リストにない失踪者がある。これに対して調査会としては次のように対応していきたい。

1、調査会のリストになく、県警ホームページに公開されている失踪者については一旦非公開扱いでリストに加える。従って特定失踪者の総数は現在の470名から大幅に増えることになる。ご家族が調査会のリストに入れることを希望される場合は積極的に対応していく。

2、調査会のリストで非公開になっていて、県警ホームページで公開されているケースがある。これについてはご家族に調査会リストでも公開にするよう勧める。

3、今後新たな公開も追加されると思われ、今回の情報公開によってさらに新たな情報が収集されることも期待される。調査会としても柔軟に対応していきたい。

 なお、今回のこと自体は前向きのことであり、評価したいが、次の諸点について関係省庁に反省と今後の積極的な対応を求めたい。
1、余りにも遅すぎたということ

 第1次小泉訪朝で曽我さんの拉致が明らかになり、未認定拉致被害者の問題に光が当たり始めてから11年も経っている。しかも今回の対応は拉致問題を解決しようという積極的な意図のもとにやったとは思われず、安倍政権が積極的に拉致問題に取り組む姿勢を見せていること、様々な情報から事態が動きそうなこと等の状況から行った措置と思われる。警察庁警備局の幹部はこれまでの不作為の責任について明らかにすべきである。

2、本来この情報は警察庁のホームページに掲載されるべきであるということ 

 ご家族の居住地の県警のホームページに掲載されていながら、本人が消息を絶った県のホームページには掲載されていないケースもある。外事は県警個別の判断ではなく事実上警察庁直轄で動いており、警察庁のホームページにまとめて掲載して県警のホームページからリンクさせれば良い。その方が情報も集まりやすいはずである。なぜ県警に責任を転嫁するのか理解に苦しむ。

3、対策本部としてもこの情報を積極的に広報すべきであること

 政府の拉致問題対策本部にも以下の対応を要望したい。
(1)ホームページへの各県警の公開した失踪者リストを一括掲載
(2)失踪者情報の新聞広告による告知
(3)パンフレットの作成配布
(4)調査会と同様のポスター作成、全国の警察署・交番での掲示
(5)政府の北朝鮮向け放送「ふるさとの風」での氏名の読み上げ
 以上

|

「反物事案」その3

【調査会NEWS1369】(25.7.3)

 前号のニュースをご覧になった永本憲子さん(昭和56年高知県で失踪)の従姉妹、牧野由美さんから次のようなメールをいただきました。正直なところちょっとぞっとしました。 
-------------------------------------------------------------
 1985年(昭和60)年から1992(平成4)年の間のことと記憶しています。当時、私は20代から30代になる年齢でした。

 当時住んでいたアパートから最寄りの東急東横線 日吉駅に向かう途中で車から声をかけられました。男性でした。勤めていた呉服店が倒産し、呉服の在庫を抱えて困っている、安くするので見てみないかというのです。

 バンタイプの車で、中は確認しなかったと思いますが、後ろに何か荷物を載せているような雰囲気はありました。声をかけられた場所は角を曲がれば駅まで一直線。人通りもずいぶんと違います。なぜ、この場所なんだろう。ふと思ったのは駅前には交番(当時)があるからかという疑いでした。

 加えて、いくら横浜とはいえ、車で道端で声をかけて呉服を売るというのは、あまりにずさんな売り方ではないかとすぐに断りました。

 人ごみをあるけばうさんくさい勧誘を受ける都会で、数多くそんな疑いを持つ機会はありましたが、なぜか日吉でのそのシーンはよく覚えています。いただいたメールの中、自分の記憶と重なる部分がありました。警察関係者の方のご意見も読みまして、念のためにお知らせしようと思いました。

|

2013年7月 2日

「反物事案」に関する情報

【調査会NEWS1368】(25.7.2)

 先程の記者会見の内容(1367号)について、警察関係の友人から以下のようなメールが届きました。重要な内容だと思いますのでご参考までお知らせしておきます。
-------------------------------------------------------------
 記者会見、お疲れ様でした。なぜ反物なのだろうかと私なりに色々考えました。

 一般的に反物の移動販売など考えられません。

 もし、商売としての移動販売なら、女性対象としては化粧品やアクセサリーなどの販売など。男性対象なら、安い腕時計や財布、ネクタイなどの販売など。横田さんの件などを考察し総合的に鑑みれば、やはり反物事件は拉致目的の可能性が極めて高いと考えられます。

 反物は朝鮮半島でも歴史がある産業です。また、国内において、目をつける必要がある歴史的背景も事実存在します。それは、反物製造における在日朝鮮、在日韓国人の稼動実態です。

 戦前から全国的に在日の方に対する職業差別などがあり稼動できる職種は限られていたようです。そのなかに主たる彼らの職業として、反物製造業があります。

 これは、昭和初期から行われていたようで、例えば、京都の反物業における在日朝鮮、韓国人の稼動状況などは大学院の研究資料として作成されていました。

 在日朝鮮人の人口動態や職業は、内務省警保局[警察全般を主管、主たる部署として保安課(特高警察=現在の警備局?)]作成の資料に残っているようです。これによると昭和初期から在日朝鮮人の職業として反物賃織職人、下請け職人は非常に多かったようです。これは、京都での一例ですが、これら日本の歴史的背景をみれば、反物製造やその下請けは、全国的に在日朝鮮、韓国人の業務の一つだったとも言えます。

 もちろん、拉致未遂の被疑者が在日朝鮮、韓国人か日本人かその他外国人かはわかりません。ただ、反物製造の歴史的背景からも、また北朝鮮拉致という観点からも反物事件が拉致に密接であるならば本件被疑者が、在日朝鮮、韓国人の可能性が充分に考えられます。

 北朝鮮による拉致事件のなかには、国内における土台人の存在があり、積極的に加担した者、脅されたりして泣く泣く加担し、共謀した者もいたはずです。また、在日朝鮮、韓国人の方が拉致被害者となった事件も現実に存在します。

 上記のように、日本の反物製造に係る歴史的背景から恐らく、戦後、高度経済成長期の時にも、在日朝鮮、韓国人が反物製造に携わる稼動者も多かったと思われます。断定はできないものの、これらの背景など考察すると被疑者らが、反物製造に携わっていた人物である可能性は否定できません。

 よって、手短に入手できる反物を用いて、商売人のごとく、対象を欺き、犯行に及んだとも推察できます。

|

現地調査日程

 今週末の現地調査について、本日の記者会見で以下のように発表しました。

1万キロ現地調査 第16回(7月5日〜7日 北海道函館・札幌地区)

●目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを
収録する。

●参加予定者
調査会 : 荒木・岡田・村尾・杉野・曽田・武藤
特定失踪者家族 : 森洋子さん・山田妙子さん・長尾直子さん・紙谷圭五郎さん・斉藤裕さんらのご家族
支援者 : 救う会北海道川田代表・森事務局長他
家族会 : 増元事務局長

●日程
※当日の状況により変更される可能性があります。
お問い合わせは事務局(常務理事曽田090-4937-2595)までお願いします。

7月5日(金) 調査会役員函館集合
函館スマイルホテル (函館市若松町20−11 函館駅前 0138-27-2700)宿泊。

7月6日(土) 函館〜札幌
09:00 ホテル発 
午前中 森洋子さん失踪関連地点。
非公開失踪者Sさん失踪関連地点など調査。
12:30 函館発 JR特急スーパー北斗9号 15:50 札幌着。
ホテルロンシャン札幌 (札幌市中央区南5条東1丁目 地下鉄豊水すすきの駅近く 011-561-1131)宿泊。
山田妙子さんご家族と面談・拉致未遂関連地点調査

7月7日(日) 札幌
08:45 ホテルロンシャン札幌集合。
09:00 ホテル前発(長尾直子さん宅経由)
北区篠路1条9丁目地区 : 長尾直子さん 最終失踪関連地点 調査。
中央区南6条西12丁目付近〜中央区南七条西1丁目地区 : 山田妙子さん 関連地点調査。
中央区南10条西7丁目地区 : 非公開Mさん 最終失踪関連地点調査。

15:00 札幌ガーデンパレスホテル(中央区北1条西6目 TEL 011-261-5311)集合。
報告会及び記者会見・しおかぜ収録
※今回の調査の報告及び調査会の活動に関する報告を行います。記者会見を兼ねます。
また、終了後近くで家族懇談会を行います。

16:30 家族懇談会

18:40 (東京組)札幌駅発 JR快速エアポート184号 19:16 新千歳空港着

<日程修了後>

★7月7日(日) 18:00「救う会北海道主催講演会」(同会主催)
●かでる27(札幌駅徒歩12分 011-204-5100)
●代表荒木が参加

★7月8日(日) 9:00 第1管区海上保安本部(小樽)に要請(北越優子さん・荒木)

|

横田早紀江さん拉致未遂?

【調査会NEWS1367】(25.7.2)

 調査会では本日の記者会見で以下の通り発表しました。もしこれと類似した他の事件をご存じの方がおられましたら情報をお寄せ下さい。
----------------------------------------------------------------
                    平成25年7月2日
       「反物事案」について
                 特定失踪者問題調査会

 横田早紀江さんがめぐみさんの拉致された翌昭和53(1978)年、拉致未遂に遭っていた可能性がある。

 偶然ではあるが、ほぼ同時に和服の反物を売ろうとする不審な人物を過去に目撃したとの三つの情報が入ってきた。その一つは横田めぐみさんの母、早紀江さんである。もう一つは千葉県在住の男性とその母親である。これは拉致の手口の一つである可能性がある。詳細は以下の通り。

1、横田早紀江さんに関わる「反物事案」

 昭和53(1978)年3月以降(3月〜5月あるいは11月?)頃、午前中(もしくは夕方の時間帯?)に、所用(PTAないし買い物?)で早紀江さんが新潟市水道町の当時自宅から大通りに出て出かけた際に、めぐみさんが拉致されたと思われる交差点付近より少し南側、当時あったホテル前付近で、海岸の方を向いて左に寄せた乗用車(色不明)が駐車している事に直前で気付く。

 その車の側から1人の男が反物を2本手に持って「奥さん、反物の良い物が安く展示してあるので、見に来ませんか」と声を掛けて来た。近くにはもう一人の男がいた。

 男達は、背広を着用し、30代前後、身長はそれほど高くなく、どちらかと言えば きゃしゃな感じ、髪型は普通の七三分け、メガネはかけていない。日本語に不審な点は無く、気さくな感じだった。

 当時はめぐみさん失踪からまだ日も浅く、早紀江さんの心はどん底の状態でそれどころではなかった。また、早紀江さんは以前に呉服店に勤めた経験があり、展示会などを路上にて声をかけ誘う事はあり得ない、顧客には招待状を出すのが普通だという認識があり、非常に不審な感触を抱いた。めぐみさんがいなくなった直後から不審な電話などもあり、日常的に警戒心を持っていた。

 早紀江さんは怖くなり、すぐに申し出を断って、新潟大学の交差点方向へ向かった。後を付けられていないか不安であったが、後ろを振り返る事は出来なかった。用事を後回しにし、そのまま新潟中央警察へ直行。不審な人物に声を掛けられた事について通報した。車のナンバーは記憶しておらず、警察は調べておきますと対応したと言う。その後、警察からは「あれ以来そのような不審者は現れず、何でも無いですよ」と告げられた。

2、千葉県における「反物事案」
Aさん(男性)と、その母であるBさんは、千葉県内に居住し、Aさんは昭和44(1969)年若しくは昭和45(1970)年に千葉市内で。Bさんは昭和50(1975)年の春に四街道市内で拉致未遂と思われる事象に遭遇されている。

(1) Aさん(現在60代・四街道市在住)

 高校を卒業した昭和44(1969)年、若しくは翌年45年当時、受験勉強のため毎日、千葉市中央区の県立図書館に自宅の四街道市から電車で東千葉駅まで移動し、同駅から国道128号線沿いに徒歩で通っていた。図書館に通う時間帯は毎日同じ時刻で、図書館の開館時間前に到着する日課の繰り返しだった。

 季節不明の某日、それまでの日課と同じく、東千葉駅から徒歩で図書館に向かって歩き、千葉市中央区本町3丁目に架かる「大和橋」まで来ると、大和橋の手前・左側路上に頭を図書館方向に向けた白いセダンの乗用車が右側後部座席ドアを開放した状態で停車し、脇に黒っぽいスーツを着用した20〜30代前半の男2名が立っていた。

 男たちは、息子さんが車の位置に差し掛かると流暢な日本語で呼びとめ、「自分たちの勤めていた呉服店が倒産して現物支給として反物を貰った・・・その反物を買ってくれないか? 反物は車に積んであるので、乗って見てほしい」と話しかけてきた。

 Aさんは反物を購入する気持ちは無かったが、誘われるままに車の方に近づいていったが、中に積載されているはずの反物が見えなかったため、「おかしい」と思い、「もう、いいよ!」と男たちの誘いを断り、そのまま図書館に向かった。

 その後、このことを忘れていたが、4〜5年前に何かの拍子に昭和48(1973)年7月に千葉県市原市で失踪した古川了子さんのことを知り、「自分があの時経験したことは古川さんの拉致事件と関係があるのではないか?」と思うようになり、警察署にも話しに行ったが、警察では話を聞いてくれただけだった。

 今回、別の警察の紹介で当調査会に情報を提供することになり、その旨を母Bさんに話したところ、Bさんも同じ経験をしていたことが判明した。

(2) Bさん(現在80代・四街道市在住)

 昭和50(1975)年頃、季節は4月頃、昼食後に自宅から徒歩で買い物に向かう途中、自宅から約100mほどの路上に、濃紺色のバンが停車し、脇に濃紺色の上下服の30歳前後の男2名が立っていて、Bさんが近づくと「着物はどうですか?良かったら見てください」と呼びかけ、更に「見るんだったら中に入って見て下さい」と、勧めてきた。

 バンの後部荷物室には確かに着物や反物が積載されているのが見えたが、「品物を見せるのなら、後部の扉を開ければ見せれるのに」と不審に思い、「(見なくても)いいです」と断り、その場から立ち去り買い物に向かった。男たちは2人ともロイド眼鏡をかけていたが日本語に違和感はなかった。買い物からの帰途、同じ道を通ったが、既に男たちの姿はなかった。

 以上から推測されるのは次のようなことである。

(1)横田めぐみさんの拉致の後、本人の精神状態が安定しないため、早紀江さんを拉致しようとした可能性がある。これは1970年代にアベック・夫婦の拉致及び失踪が集中していることとも関連する。

(2)横田早紀江さんを狙って拉致をしようとしたとすれば、めぐみさんの拉致から9か月後の曽我ひとみさん・ミヨシさん母子についても、同様の目的で拉致が行われた可能性がある。アベック拉致が拉致対象者を北朝鮮に連れて行った後安定させるためだったとすれば、親子で連れて行くということも当然ありうるはずである。また、昭和49年7月に失踪した峰島英雄さん、関屋俊子さん、遠山常子さん3人の失踪も同じカテゴリーに該当する可能性がある。さらに、藤田慎さんと藤田進さん(川口)の関係も、叔父が先に拉致をされておりその関係で甥を拉致したという可能性も存在するということである。

(3)同様の話が全く離れた2箇所で出てきたということは北朝鮮工作機関のマニュアルに拉致対象者を誘引する手段として反物を使うことが記載されていた可能性がある。

(4)特定失踪者の中には何かの理由で誘引され、短時間家を空けるつもりで本人が出かけたまま失踪したと思われるケースが多数あるが、今回の反物事案はそれを解明するヒントになるものと思われる。当然反物以外の理由でも誘引しているはずであり、あらためて未遂事件を含めた手口の見直しを行いたい。

|

記者会見

http://www.netlive.ne.jp/
13:30から記者会見のインターネット中継を行います。「横田めぐみさん拉致の翌年、母の早紀江さんが拉致されかかっていたのではないか」というニュースや現地調査についての発表など、盛りだくさんの内容です。ご関心のある方はご覧下さい。

|

2013年7月 1日

月刊「正論」8月号

20130701140701_001

 今日発売の「正論」8月号に書きました。書き手としては若干「挑戦しているかなあ」という感じがなくもないのですが(本文はタイトルよりもう少し辛めです)。まあ、ジャーナリストの塩田潮さん(私のゼミの先輩です)によれば「安倍晋三は運の良い男」とのことで、政治家というのは歴史が役割を与えることもあると思います。どういう形であれ拉致問題の解決が「戦後の軛」からの解放につながるはずです。ぜひそれを実現した首相になってもらいたいと思います。

|

明日の記者会見は発表項目が若干追加になりました。

※明日の記者会見は発表項目が若干追加になりました。

(1) 「反物事案」について
(2) 1万キロ現地調査第16回について
(3) しおかぜを斉藤裕さんが聞いていたとの報道について
(4) 各県警ホームページに掲載された失踪者情報の扱いについて

記者会見は(株)NetLiveのご厚意によりインターネットでの中継を行います。遠方の方、一般の方などはぜひご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/

|

底なし沼

【調査会NEWS1366】(25.7.1)

 昨日の岡田副代表の文にもありましたように、兵庫県警のホームページに掲載された金田龍光さんの情報から新たなことが分かりつつあります。個別の事例を見ていけば今後さらに色々なことが明らかになると思われます。

 それにしても曽我さんの拉致が明らかになって未認定拉致被害者の問題に光が当たり始めてから11年、やっと今になってか、というのが正直なところです。前にも書きましたが、それも政権の意向が明確なのと、事態が動きそうなのであわててやっているという感じです。

 もう一つ変なのは、警察に届けられているご家族の居住地の県警のホームページに掲載されていながら、消息を絶った県のホームページには掲載されていないケースがあることです。これではやりましたというアリバイ作りでしかありません。そもそも、各県警に押しつけるということ自体がおかしいのであって、本気なら警察庁のホームページにまとめて掲載して県警のホームページからリンクさせれば良いのではないでしょうか。わざわざ外事情報部に「特別指導班」なるものを置いているのですからそれくらい難しいことではないはずです。

 このところ漁船の拉致の情報や市川さん・増元さん拉致に関わる情報など様々な情報が寄せられており、私自身再度拉致問題全体の見直しが必要ではないかと思い始めています。10年前調査会を立ち上げたとき、次々に寄せられる失踪者情報の渦の中で、底なし沼に足を突っ込んだような感覚になったものですが、最近あのときの感覚がときどき蘇ります。

 最後に何が出てくるのか分かりません。でも真実から目を逸らすことだけはしたくないと思っています。

|

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »