【調査会NEWS1373】(25.7.12)
(平成25年7月6日〜7日 北海道函館・札幌地区)
以下先日の現地調査の概要を報告します。ご協力いただいた皆様にあらためて御礼申し上げます。
●目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。
●参加者
調査会 : 荒木・岡田・村尾・杉野・曽田・武藤
特定失踪者家族 : 森洋子さん・山田妙子さん・紙谷慶五郎さん・斉藤裕さん・長尾直子さん・曽ヶ端崇史さん・城崎暎子さんらのご家族・友人
支援者 : 救う会北海道(川田代表・森事務局長・高橋さん・渡辺さん)
家族会 : 増元事務局長
その他 : 三宅博衆議院議員
●日程
7月5日(金) 函館市
夕刻 予備調査(森洋子さん関連地点調査及び非公開失踪者Sさん御家族との面談)
7月6日(土) 函館〜札幌
09:00 宿舎前発
午前中 森洋子さん・非公開失踪者Sさん失踪関連地点など調査。
12:30 函館発 JR特急スーパー北斗9号 15:50 札幌着。
宿泊先ホテルで山田妙子さんご家族と面談、白石区の拉致未遂の疑いのある現場を調査
7月7日(日) 札幌
09:00 宿舎前発
北区篠路1条9丁目地区 : 長尾直子さんの最終失踪関連地点調査。
中央区南7条西1丁目地区 : 山田妙子さん関連地点調査。
中央区南10条西7丁目地区 : 非公開失踪者Mさんの最終失踪関連地点調査。
15:00 札幌ガーデンパレスホテルにて報告会及び記者会見。修了後家族懇談会。
●関連日程
7月7日18:00 「救う会北海道」主催講演会(於:かでる27) 代表荒木が参加
7月8日09:00 海上保安庁 第1管区海上保安本部へ要請活動
※ 代表荒木、常務理事杉野、紙谷慶五郎さんご家族と「圭運丸事件」について調査要請。
●関連事項
圭運丸事件(紙谷慶五郎さん・圭剛さん・礼人さん・速水さん)について、6日地元テレビ局が「事件当時圭運丸が不審な船に囲まれていた」と報じた。上記のように8日午前、第1管区海上保安本部に要請に行ったが、同日午後から網走海上保安部の巡視船が雄武沖の圭運丸が沈没していると思われる海域で海底の調査を行ったにもかかわらず管区要請の際にはそれらについて一切を隠蔽していた。また、家族が提示を求めた書類についても開示できないとの回答だった。
● 調査対象者と調査結果の概要
■森洋子(もり ようこ)さん
生年月日 : 昭和19(1944)年5月15日
当時身分 : 家事手伝い
当時住所 : 亀田郡戸井村字釜谷 (現函館市釜谷町)
失踪日 : 昭和38(1963)年9月20日
最終失踪関連地点 : 函館市・千歳町バス停
失踪状況 :
失踪前日の9月19日(木曜日)、函館市松風町の高校時代からの友人女性Aさん宅に泊まりがけで遊びに行く。翌9月20日、洋子さんは函館市内で夕刻まで過ごした後、知人男性B氏と待ち合わせ、17時頃から約1時間、函館バス本社前の喫茶店で過ごし、その後若松町に所在した喫茶店で時間を潰し、21時頃のバスに乗車するため2人で千歳町バス停に向かったが、洋子さんは「やっぱり帰らないで友人の家に泊まる」と言ってバス停でB氏と別れた後、行方不明となった。
□ 調査結果
調査当日、ご家族に加えBさん及び洋子さんの友人女性Cさんの参加もあり、失踪当日の動向についてかなりの部分が明らかになった。
(1) 洋子さんが失踪当日の16:30頃、函館バス本社に勤務するCさんに会いに来た際、「今日の最終バスで(自宅に)帰ると話していたが、18:00頃にBさんと会って喫茶店で話をしていた際には「今日も友人宅に泊まる」と話すなど、帰宅の予定を変更していたことが確認され、16:30〜18:00の間に何か予定を変更する出来事があったのではないかと推測される。
(2) 洋子さんが最後に確認された地点についてこれまで明確でなかったが、Bさんの証言により21:20過ぎに函館バス・千歳バス停でBさんが最終バスに乗車するのを洋子さんが見送っていたことが確認された。この時点で戸井の自宅に行くバスは終車が出てしまっており、最終失踪関連地点は函館市千歳町の千歳街バス停前であることが判明した。
(3) これまでの各種情報から洋子さんの周囲で素性が明確になっていない人物(1名)の存在が明らかになり、この人物が洋子さんの失踪に何らかの関係が有るのか、再度調査を行うこととなった。
■非公開 STさん(女性)
生年月日 : 昭和25(1950)年
当時身分 : 公務員
当時住所 : 亀田郡
失踪日 : 昭和47(1972)年3月
最終失踪関連地点 : 函館市若松町「函館港・函館桟橋」〜「函館駅」附近
失踪状況 :
失踪当日の3月14日(火曜日)朝、「日帰りで青森に遊びに行く」と言い残して自宅を出たまま帰宅せず、行方不明となる。翌15日(水曜日)、捜索願を提出。北海道警の捜索の結果、青函連絡船の乗船名簿で、函館〜青森間を往復した事実を確認。また、失踪当日の14日夕刻、函館港桟橋から函館駅方向へ歩いている本人らしき若い女性を目撃した人がいた。家族の証言では、「青森に友人や親戚がいた記憶はない」とのこと。
□ 調査結果
ご家族に聞き取りを行い、当時の写真を借用、ご家族の状況等について確認を行った。
■長尾直子(ながお なおこ)さん
生年月日 : 昭和35(1960)年10月25日
当時身分 : 札幌篠路自動車学校勤務
当時住所 : 札幌市北区篠路町上篠路(現在篠路1条)
失踪日 : 昭和56(1981)年3月16日
最終失踪関連地点 : 札幌市北区篠路
失踪状況 :
3月16日(月曜日)朝、いつも通り徒歩で出勤したが、みぞれが降りだしたので直ぐに傘を取りに引き返す。その後家を出て、自動車学校に着いたと思われる頃、「出勤していない」と連絡がきて行方不明が判明した。普段は自動車学校から日に1、2回電話してくるものの、夜になっても連絡もなかった。翌3月17日(火曜日)、警察に捜索願を提出する。身の回りの物は手つかずの状態で部屋に残されていた。預金を下ろした形跡もない。自宅から勤務先の自動車学校までの道は当時狭く人通りも少なかった。周囲には民家もあまり立っていなかった。
□ 調査結果
失踪当時の自宅から職場までの経路や当時の周辺状況について御家族からお話を伺いながら周辺の調査を行う途中、御家族から「当時警察の聞き込みで通勤経路に面する美容院の経営者が直子さんを見たとの情報があったが、その目撃が失踪当日の朝だったのか、警察は疑問視している」との情報提供があった。美容院から自動車学校の入口までは至近であり、当日出勤してくる同僚と会う可能性があったことからすれば、この間で待ち伏せたとは考えにくい。当時現在と違って道が狭かった上降雪があったことなど道路状況から考えて、仮に拉致されたとするならば自宅から自動車学校の間の人目につきにくい場所で待ち伏せされ車両で移送された可能性が高いと考えられる。
■山田妙子(やまだ たえこ)さん
生年月日 : 昭和28(1953)年2月17日
当時身分 : 飲食店従業員
当時住所 : 札幌市中央区
失踪日 : 昭和50(1975)年8月25日
最終失踪関連地点 : 札幌市中央区内
失踪状況 :
妹さんが妙子さん宅に電話したとき、同居男性から「2、3日前からいない」と言われて行方不明が判明。
□ 調査結果
現時点で詳細は公表できないが、今回の調査で北朝鮮にかかわることを示唆する証言があり、今後さらに情報を精査する必要があるとの認識に至った。
■非公開 MTさん(女性)
生年月日 : 1927(昭和2)年5月
当時身分 : 医師
当時住所 : 札幌市
失踪日 : 1963(昭和38)年9月
最終失踪関連地点 : 札幌市
失踪状況 :
お母さんが何度か電話をしたが留守なので何日かしてアパートに行ったところ部屋は全くそのままで、行方不明となっていることが判明した。
□ 調査結果
失踪当時のアパート位置と周辺状況を確認し、近隣住人から当時の周辺状況等について聞き込みを行ったが、新たな情報の入手には至らず、継続して情報収集を行うこととなった。
(写真はかつての自宅前で「しいおかぜ」収録を行う長尾直子さんのお母さん)