【調査会NEWS1099】(23.11.21)
■1万キロ現地調査第3回報告
遅くなりましたが1万キロ現地調査第3回の報告です。
日程:平成23年11月4日〜5日
調査地域:兵庫(豊岡)〜京都〜福井(小浜)走行距離235キロ。累計1225キロ
参加役員:荒木・岡田・村尾(事務局)・妹原・北條(5日)・三宅・杉野(事務局)
特定失踪者家族:秋田美輪さん(父の正一郎さん)・西安義行さん(お父さんの逸郎さん、お母さんの久子さん、妹の圭子さん)・松本重行さん(妻の智重子さんらご家族)・水嶋弥寿志さん(母のとき江さん)
◎11月4日(金)
(1)秋田美輪さん(昭和60年12月4日失踪 当時21歳)
竹野町弁天浜 最終失踪関連地点調査・秋田正一郎さんによるしおかぜ収録
秋田さんは通っていた神戸樟蔭女子大の校門近くで昼友人と別れた。夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。翌日朝兵庫県警から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
この日はバッグの落ちていた位置等を確認する。発見される前、現地は雨が降っていたがバッグは濡れていなかった。秋田美輪さんを目撃した人もおらず、偽装工作の可能性が高いと思われる。
(2)西安義行さん(昭和62年3月15日失踪 当時21歳)
JR綾部駅(北口) 最終失踪関連地点調査・西安逸郎さん、久子さん、圭子さんによるしおかぜ収録
失踪当日舞鶴から友人とドライブした帰りに綾部駅前で友人の車を下りているが、綾部で下りる理由が見当たらない。当時本人が求職活動をしていたことから考えて、就職に関わることなどで声をかけられた可能性がある。この日北朝鮮で撮影された西安さんと似た男性の写真を公開した。お父さんの話では生え際、腕の組み方も良く似ているとのこと。
(3)小久保稔史さん(昭和55年1月13日失踪 当時32歳)
舞鶴市浜・スナックシャルマン跡及び同市大波下日本板硝子舞鶴事業所前 最終失踪関連地点調査
機関長として乗船していた貨物船が東舞鶴の日本板硝子専用岸壁に停泊したので夜市内に出た。東舞鶴のスナック「シャルマン」を一人で出た後行方不明。
スナックのあったところはマンションに建て替えられている。ここから船が止めてあった日本板硝子の事業所までは4キロ弱あり、当時雪が降っていた状況で歩いて帰ったとは思えない。しかしシャルマンではタクシーを呼んでおらず、もう1軒どこかに寄ろうとした可能性がある。その途中ないし次に行った店で事件が起きたと思われる。
(4)松本重行さん(昭和58年10月17日失踪 当時48歳)
舞鶴市小橋 最終失踪関連地点調査・智重子さんによるしおかぜ収録
刺し網漁業に出て失踪し、船のみ無人の状態で漂流していたのが見つかっている。その前に別の漁協の漁師が出漁を見届け、海岸から見える近場で漁をしていたのを目撃している。さらに松本さんの船に船が近づいてきて何かやりとりをしているように見えたというが、近隣にそのような船があったことは確認されていない。
(5)水嶋弥寿志さん(平成15年9月8日失踪 当時39歳)
舞鶴市内ホテルにてとき江さんより聞き取り
失踪時埼玉県で勤務していたため詳細については家族は分からない。失踪当日出社せず連絡も無いということで会社部長始め2、3人で住まいに向かい行方不明であることが分かった。前日(日曜日)大宮にて預金30万引き出している。失踪時に預金を引き出すケースがこのころいくつかある。もちろん本人が失踪のために引き出したとの推測も成り立つが、留意すべきことと考えられる。
◎11月5日(土)
(1)地村保志さん・富貴恵さん(昭和53年7月7日拉致 当時二人とも23歳)
小浜市鯉川(レストラン鯉川跡)・小浜公園(展望台への道路通行止のため海岸沿い道路にて) 失踪関連現場調査
二人は失踪当日夜小浜市鯉川の「レストラン鯉川」で食事をし、レストランを出たまま行方が分からなくなった。その後小浜公園展望台の横に地村の軽トラックが放置されていることが分かった。
一般にはここで二人が拉致されたことになっているが、軽トラックは小浜公園では夜半まで目撃されておらず時間的に合わない。また当時近くにユースホステルなどもあり、拉致をするのに適当な場所ではなく、車の止め方も本人の通常の止め方と異なるものだった。二人は「レストラン鯉川」を出てまもなく何らかの方法で車を止められ、そこから拉致されたものと思われる。
(2)高敬美さん・高剛さん拉致(昭和48年12月頃失踪 当時6歳と3歳)
小浜市岡津海岸(南宮神社)最終失踪関連地点調査
2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。昭和48年6月頃、高が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にある北朝鮮工作機関のダミー会社であるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し監禁した。秀子さんは殺害されたとも言われ、残る子供2人を岡津海岸から北朝鮮へ連れ去ったと見られている。その折海辺にある南宮神社の通常無人の社務所が利用された可能性がある。
(3)山下春夫さん(昭和49年8月17日失踪 当時28歳)
小浜市一番町 最終失踪関連地点調査
務めていた小浜市内の造船所から夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。その後50メートル位離れた海沿いのところに本人の作業靴が発見されている。山下さんの失踪ではこれまで造船所から靴の捨ててあったところの線しか視点に入っていなかったが、靴を捨てたのが偽装だったとすると別の場所に誘引されて拉致された可能性があることを再認識する。
以上で現地調査は終了し、関係者は「拉致・特定失踪者問題の早期解決を願う集会」(於・小浜市働く婦人の家)に参加。