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2011年11月23日

「情報」2題

【調査会NEWS1100】(23.11.23)

■「情報」2題
           荒木和博

 昨日、山本美保さんのご家族に不審なメールがなりすましアドレスで送りつけられました。

 送ってきたアドレスはご家族の知人のものでしたが、その方はまったく送信した覚えがなく、メールの内容は別の支援する会の方がそのご家族に1年前に送ったものと同じでした。特別な内容のものでもないのですが、調べてみるとシステム上の問題ではなく故意に行われたことは間違いないようです。

 このところ山本美保さんにかかわるDNAデータ偽造事件についてはあまり表に出ないところで色々なことが進んでいるため、それを察知した関係者が牽制のためにやった可能性もあります。こんなのも「情報戦」のうちなのかも知れません。あるいは逆に誰かが何かを教えようとしてくれているのかも知れませんが、いずれにしても何か同様のことをお気づきの方がおられましたらご連絡下さい。

 もう一つ、これも情報と言えば情報の話。1097号に書いた「2枚の写真」ですが、警察の関係者は「捜査上の理由で公開していない」と言っていたのに、この写真(薩摩湖のバラ園で撮ったもの)実は複数のメディアで報道されていたことが分かりました。

 さらにそのうちの1枚は灯台もと暗しというか、村尾専務理事のパソコンの中に同じものがありました(この写真)。どこから入手したのかは本人も分からないとのこと。変な話ですが出回っていたものが警察からすると「捜査上の理由」で非公開になっていたようです。ちなみにこの写真は「非公開」のためご家族には手渡されていません。

 このところ横田めぐみさんの含まれる可能性のある平壌市民のデータが話題になっていますが、情報は誰が何の目的で出しているのか、隠されているものが本当にどこにもないのか、色々なことについてあらためて見直しが必要ではないかと思います。
Ichikawa


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2011年11月21日

1万キロ現地調査第3回報告

【調査会NEWS1099】(23.11.21)

■1万キロ現地調査第3回報告

 遅くなりましたが1万キロ現地調査第3回の報告です。

日程:平成23年11月4日〜5日

調査地域:兵庫(豊岡)〜京都〜福井(小浜)走行距離235キロ。累計1225キロ

参加役員:荒木・岡田・村尾(事務局)・妹原・北條(5日)・三宅・杉野(事務局)
特定失踪者家族:秋田美輪さん(父の正一郎さん)・西安義行さん(お父さんの逸郎さん、お母さんの久子さん、妹の圭子さん)・松本重行さん(妻の智重子さんらご家族)・水嶋弥寿志さん(母のとき江さん)

◎11月4日(金)

(1)秋田美輪さん(昭和60年12月4日失踪 当時21歳)

 竹野町弁天浜 最終失踪関連地点調査・秋田正一郎さんによるしおかぜ収録
 秋田さんは通っていた神戸樟蔭女子大の校門近くで昼友人と別れた。夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。翌日朝兵庫県警から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。

 この日はバッグの落ちていた位置等を確認する。発見される前、現地は雨が降っていたがバッグは濡れていなかった。秋田美輪さんを目撃した人もおらず、偽装工作の可能性が高いと思われる。

(2)西安義行さん(昭和62年3月15日失踪 当時21歳)

 JR綾部駅(北口) 最終失踪関連地点調査・西安逸郎さん、久子さん、圭子さんによるしおかぜ収録

 失踪当日舞鶴から友人とドライブした帰りに綾部駅前で友人の車を下りているが、綾部で下りる理由が見当たらない。当時本人が求職活動をしていたことから考えて、就職に関わることなどで声をかけられた可能性がある。この日北朝鮮で撮影された西安さんと似た男性の写真を公開した。お父さんの話では生え際、腕の組み方も良く似ているとのこと。

(3)小久保稔史さん(昭和55年1月13日失踪 当時32歳)

 舞鶴市浜・スナックシャルマン跡及び同市大波下日本板硝子舞鶴事業所前 最終失踪関連地点調査

 機関長として乗船していた貨物船が東舞鶴の日本板硝子専用岸壁に停泊したので夜市内に出た。東舞鶴のスナック「シャルマン」を一人で出た後行方不明。

 スナックのあったところはマンションに建て替えられている。ここから船が止めてあった日本板硝子の事業所までは4キロ弱あり、当時雪が降っていた状況で歩いて帰ったとは思えない。しかしシャルマンではタクシーを呼んでおらず、もう1軒どこかに寄ろうとした可能性がある。その途中ないし次に行った店で事件が起きたと思われる。

(4)松本重行さん(昭和58年10月17日失踪 当時48歳)

 舞鶴市小橋 最終失踪関連地点調査・智重子さんによるしおかぜ収録

 刺し網漁業に出て失踪し、船のみ無人の状態で漂流していたのが見つかっている。その前に別の漁協の漁師が出漁を見届け、海岸から見える近場で漁をしていたのを目撃している。さらに松本さんの船に船が近づいてきて何かやりとりをしているように見えたというが、近隣にそのような船があったことは確認されていない。
 
(5)水嶋弥寿志さん(平成15年9月8日失踪 当時39歳)

 舞鶴市内ホテルにてとき江さんより聞き取り

 失踪時埼玉県で勤務していたため詳細については家族は分からない。失踪当日出社せず連絡も無いということで会社部長始め2、3人で住まいに向かい行方不明であることが分かった。前日(日曜日)大宮にて預金30万引き出している。失踪時に預金を引き出すケースがこのころいくつかある。もちろん本人が失踪のために引き出したとの推測も成り立つが、留意すべきことと考えられる。

◎11月5日(土)

(1)地村保志さん・富貴恵さん(昭和53年7月7日拉致 当時二人とも23歳)
 小浜市鯉川(レストラン鯉川跡)・小浜公園(展望台への道路通行止のため海岸沿い道路にて) 失踪関連現場調査

 二人は失踪当日夜小浜市鯉川の「レストラン鯉川」で食事をし、レストランを出たまま行方が分からなくなった。その後小浜公園展望台の横に地村の軽トラックが放置されていることが分かった。

 一般にはここで二人が拉致されたことになっているが、軽トラックは小浜公園では夜半まで目撃されておらず時間的に合わない。また当時近くにユースホステルなどもあり、拉致をするのに適当な場所ではなく、車の止め方も本人の通常の止め方と異なるものだった。二人は「レストラン鯉川」を出てまもなく何らかの方法で車を止められ、そこから拉致されたものと思われる。

(2)高敬美さん・高剛さん拉致(昭和48年12月頃失踪 当時6歳と3歳)

 小浜市岡津海岸(南宮神社)最終失踪関連地点調査

 2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。昭和48年6月頃、高が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にある北朝鮮工作機関のダミー会社であるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し監禁した。秀子さんは殺害されたとも言われ、残る子供2人を岡津海岸から北朝鮮へ連れ去ったと見られている。その折海辺にある南宮神社の通常無人の社務所が利用された可能性がある。

(3)山下春夫さん(昭和49年8月17日失踪 当時28歳)

 小浜市一番町 最終失踪関連地点調査

 務めていた小浜市内の造船所から夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。その後50メートル位離れた海沿いのところに本人の作業靴が発見されている。山下さんの失踪ではこれまで造船所から靴の捨ててあったところの線しか視点に入っていなかったが、靴を捨てたのが偽装だったとすると別の場所に誘引されて拉致された可能性があることを再認識する。
 
 以上で現地調査は終了し、関係者は「拉致・特定失踪者問題の早期解決を願う集会」(於・小浜市働く婦人の家)に参加。

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2011年11月15日

2枚の写真

【調査会NEWS1097】(23.11.15)

■2枚の写真
                荒木和博

 第4回の1万キロ現地調査では市川修一さん・増元るみ子さんの最終失踪関連地点である薩摩湖・吹上浜に行きました。吹上浜の駐車場に放置された市川さんの車からはカメラが見つかっています。このカメラの中にあったフィルムには拉致直前に写された薩摩湖周辺で2人が交互に撮った写真が写っており、岩の上に座っている写真と吊り橋で写した写真の4枚が公開されています。

 この場所は現在閉鎖されており通常入れないのですが、鹿児島県警が所有者に連絡をしてくれており、2人が座った岩のところには行くことができました。周囲の状況から考えてここで拉致することは難しいと思われ、薩摩湖から吹上浜に向かう途中何らかの方法で車を停止させられ、あるいは駐車場に着いて直ぐにやられたものと思われます。当日その途中では近くでコンサートが行われており、ある程度の人出もあったそうです。比較的人の動きが多かったと思われる状況でどのように拉致されたのか、今回の調査では確信を持つには至りませんでした。

 しかし薩摩湖・吹上浜の調査ではあらためて政府認定者のことすらまだ分かっていないことが多いことが分かりました。逆に言えば政府認定拉致被害者がどのように拉致されたのかについてもっと情報が出てくれば特定失踪者についてもさらに分かることが多いように思います。

 ちなみに2人の写っている写真のネガは日置警察署に保管されているそうですが、薩摩湖周辺で撮った写真は合計6枚あるそうで、あと2枚は公開されていません。当初警察はいつでも返すと言っていたそうですが、ご家族が受け取るのに忍びなく保管しておいてもらったそうです。しかし、今は「捜査上の理由」ということで公開されていません。すでに認定された事件であり、33年も経っているのですから風化させないためにも可能な限りの情報開示をして世論喚起をすべきなのではないでしょうか。同じフィルムに写っていた他の写真も含めてご家族が了解するものは公開して当然だと思います。

 ひょっとしたら残りの2枚の写真に何か大きなヒントが隠されているのか。あるいは政府・警察に都合の悪いことでも写っているのか、いずれにしてもきちんと説明することが必要だと思います。

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2011年11月12日

どうやって車を止めたのか

【調査会NEWS1095】(23.11.12)

■どうやって車を止めたのか

     荒木和博

 今、このメールは鹿児島県鹿屋市で書いています。1万キロ現地調査の第4回で、今日は鹿児島市をスタートして薩摩湖・吹上浜、頴娃海岸(馬渡海岸)を周り鹿屋市で拉致の実演を行いました。増元照明・家族会事務局長、市川修一さんのお兄さん健一さんと奥さんの龍子さん、園田一・敏子さん夫妻のお嬢さん前山利恵子さんとご主人の光秋さん、田中正道さんの妹さんの村岡育世さん、救う会鹿児島の花牟礼会長らが同行されました。

 これについての報告は第3回と合わせて後日行いますが、市川修一さん増元るみ子さんの拉致でまだ解けないのが吹上浜の車の置いてあったロータリーまで本当に二人は車で行ったのだろうかということです。そのロータリーから海岸に出る途中に市川さんのサンダルが落ちていたのですが、これは警察犬がサンダルの落ちていた周辺から動かなかった可能性が高く、つまり偽装工作でサンダルだけ置かれたということだと思われます。

 昭和53(1978)年8月12日の拉致当日は近くでコンサートが行われていたと言われており、かなり人がいたようです。また写真を撮った薩摩湖からロータリーに入る小道が幹線道路から別れる交差点までは人目に付かずに車を停めて拉致するのは難しいように思います。そうすると車はロータリーまで行ったのか。増元さんのポーチは車の中にあったので、車を停めたところでやられたのかも知れませんが、別のところでやられて車だけ持ってこられた可能性も排除できません。

 この事件のひと月前に拉致された地村保志さんも車で走行中何らかの方法で停車させられ拉致されたと思われますが、走っている車を追尾し停車させてそこから乗っている人を連れ出す方法についてはまだ十分に解明されていません。しかし特定失踪者でもそうやってやられている可能性のある人は少なくないので、今後さらに研究が必要だと思います、それが解明できればかなりの事件が解明に近づくでしょう。何かヒントをお持ちの方がおられたらお知らせいただけると幸いです。

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2011年11月10日

支援する会/累計キロ

【調査会NEWS1094】(23.11.10)

■「調査会を支援する会」

     荒木和博

 昨日市ヶ谷のUIゼンセン会館で「特定失踪者問題調査会を支援する会設立の集い」が開催されました。山谷えり子参議院議員、飯塚繁雄家族会代表、加藤博北朝鮮難民救援基金代表はじめご参加いただいた皆様に心より御礼申し上げます。また、今回は特定失踪者ご家族(6家族8人)が参加されましたが、特定失踪者家族の声を初めて聞くという方もおられ、その意味でも意義があったと思います。

 ご支援によって財政状況が改善されるということは、「資金の心配ではなく、もっと重要なことに力を注げ」という天の声でもあると思います。ご厚意を無にすることのないように気を引き締めて頑張ります。よろしくお願いします。

 なお、昨日配布した書類の一部で「支援する会」の口座番号が間違っておりました。お詫びして訂正します。

(正)みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金口座 2557365
名義:特定失踪者問題調査会を支援する会
(一部の書類で番号が2557363になっていました)

■累計キロ

 第3回の1万キロ現地調査での走行距離(豊岡〜舞鶴〜小浜)は225キロでした。したがってこれまでの累計距離は1,225キロになりました。

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2011年11月 9日

御礼/第4回現地調査

【調査会NEWS1093】(23.11.9)

■御礼
             荒木和博

 第3回現地調査の報告は週末の第4回(鹿児島・宮崎)が終わってから行いますが、第3回の全日程に同行された西村眞悟・前拉致議連幹事長がその感想をご自身のメルマガに書いて下さいました。さらにその中で調査会の財政状況について支援を訴えて下さったところ、早速多くの方々からのご支援が届いています。ご支援戴いた皆様と西村前幹事長に心より御礼申し上げます。

 なお、銀行振込の方については領収書がお送りできません。ご入り用の方はお手数ですがメールないしFAXにてご連絡いただければ幸いです。

 西村前幹事長のメルマガはご本人の次のホームページに記載されています。

http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=685

 本日はこれから「特定失踪者問題調査会を支援する会」の集会が開催されます。ご支援の声を無駄にしないよう頑張ります。今後ともご協力賜りますようお願い申し上げます。

■第4回調査について

 現時点での日程は次のようになっています。報道関係各位には取材等何卒よろしくお願い申しあげます。

特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査第4回(23.11.9現在の計画)

日程 11月12〜13日

調査地域  鹿児島〜宮崎

参加役員 代表荒木・副代表岡田・常務理事杉野(事務局)

家族会 市川修一さん(兄の健一さんと健一さんの妻の龍子さん)・増元るみ子さん(弟の増元照明家族会事務局長と照明さんの妻の俊子さん)

特定失踪者家族 園田一さん敏子さん夫妻(娘の前山利恵子さんと利恵子さんのご主人の光秋さん)・田中正道さん(妹の村岡育世さん)・林田幸男さん(妻の幸代さん)・水居明さん(息子の水居徹さん)・岩本美代子さん(叔父の小松さん)

支援者 花牟礼救う会鹿児島会長、吉田救う会宮崎代表他関係者の皆さん

11月12日(土)
0700 鹿屋発
0835 桜島港発フェリー (0850 鹿児島桜島桟橋着)
0915 鹿児島東急イン前発(鹿児島市からの参加者合流)
1025 市川さん・増元さん拉致関連現場調査(薩摩湖及び吹上浜市川車放置地点周辺)
1135 吹上浜発
1315 頴娃海岸着 工作員上陸現場調査
1425 頴娃海岸発
1530 山川港発 フェリーなんきゅう(1620 根占港着)
1705 鹿屋着
1730 拉致の実演展示(場所・車両は鹿屋市が提供予定、予備役ブルーリボンの会会員である荒木及び森山鹿児島市議を中心に支援者の協力を得て行う)
1830 夕食懇親

11月13日(日)
0800 鹿屋市内発
0830 大崎町園田家跡
1055 青島海岸調査(救う会宮崎吉田代表合流)・昼食
1230 青島海岸発
1250 大淀川河口タンポリ(林田さん・水居さん失踪関連現場)
1330 タンポリ発
1420 宮崎市(佐土原)石崎浜(岩本さん失踪関連現場)
終了後解散

※それぞれの拉致・失踪関連地点でご家族からの「しおかぜ」収録を行います。
※報道関係の方等同行は歓迎しますが、移動手段はそれぞれご準備下さい。また日程は急に変更になる場合がありますので予めご了承願います。
※問い合わせは荒木(090-8517-9601)ないし杉野(090-4061-8722)まで

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2011年11月 5日

西安義行さんに関わる写真について

【調査会NEWS1092】(23.11.5)

■西安義行さんに関わる写真について
                          調査会代表 荒木和博

 現在調査会では1万キロ現地調査の第3回(兵庫〜福井)の途中で、このメールニュースは舞鶴から送信しています。

 全体の報告は後日行いますが、昨日特定失踪者西安義行さんの可能性のある北朝鮮で撮影された写真について発表しました。既に報道されていますのでご覧になった方も多いと思います。

 写真とあわせて発表した内容は以下の通りです。

◎特定失踪者問題調査会は6年程前この写真を入手した。

◎この写真は2000年前後に平壌周辺で撮られたものとされている。

◎写真の男性はほぼ間違いなく日本人。

◎もとの写真はバックが写っている。

◎写真以外の情報はほどんどないが、西安義行さんの写真との比較からする限り本人である可能性は排除できない。

◎この情報は情報提供者の事情によりこれまで公開してこなかった。ご家族に伝えたのも今春である。

◎しかし、すでに情報提供から長期間が経過しており、状況の変化が期待できないため、荒木の判断で公開することにしたもの。

 誠に勝手ながら情報源の事情があり、発表できることはこれだけですが、私たちとしては今後この情報の確認作業をさらに進めていく予定です。各位にも新たな情報等ありましたらご協力をよろしくお願いします。
Photo


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2011年11月 2日

不思議な写真

2310191
 これは10月19日付労働新聞1面の写真。タイトルは「朝鮮人民軍最高司令官金正日同志におかれては朝鮮人民軍三重三大革命赤旗柿の木中隊軍人たちの芸術グループ公演を観覧された」というものですが、金正日意外に本文中紹介されているのは金正恩、金敬姫、朴在京、玄哲海、李ドゥソンの4人。

 写真最前列は左から玄哲海、金正恩、1人おいて金正日、朴在京です(朴在京は一寸顔が違って見えますが階級章から考えてこの人でしょう)。そうすると真ん中の人物は李ドゥソンということになります。しかし両端の玄哲海、朴在京が星4つ(大将)なのにこの人物は星1つ(少将)。しかも本文の中では中将と書かれています。

 なぜ金正日と金正恩の間に階級の低い人間が座るのか。そしてこの人物は中将なのか少将なのか、何とも不思議な写真です。

 なお、金敬姫は写っていませんが、彼女の場合名前だけというのは良くあることです。いたのに写っていないのか、名前だけ書いたのかは不明。

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