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2010年6月20日

「滅共統一」と「テーハンミングク!」

(調査会News938号に加筆しました)

 6月14日から18日までソウルに行っていました。今回は15日にソウル市内の憲政記念館で開かれた「北朝鮮の反人道・反平和犯罪終息のための国際会議」への参加が主たる目的でした。日本からは増元照明・家族会事務局長と私が参加し、増元さんは「北朝鮮の反人道犯罪被害者の証言」として拉致問題に関する経緯と現状を報告、私は「国連の役割と限界」と題しお話ししました。

 増元さんはきちっとレジメにのっとって話されましたが私の方は時間がなかったこともあり、レジメにはあまりとらわれずにスピーチをしました。私の下手な韓国語ですからどれだけ理解してもらえたか分からないのですが、会場でふと思いついて次のようなことも話しました。

 「私が最初に韓国に行ったのは1977年のことです。当時は街のあちこちに『滅共統一』というスローガンが書かれており、『過激な国だなあ』と驚いたのですが、それから33年経った今日、考えてみると行くべき道は『滅共統一』しかないのではないでしょうか」

 何人かは拍手してくれましたが、今の韓国ではこういう会議でも北朝鮮の政権を崩壊させるべきと発言する人はほとんどいません。今回も来賓で来た金泳三元大統領は金正日を「殺人魔」と呼んでそんなことを言っていましたが、他の人は国際法上の問題とか、外国人も韓国人も議論のための議論が多かったように思います。正直なところ増元さんや増元さんと一緒に証言した脱北者女性2人の方がよほど具体的で分かりやすかったです。

 もちろんやれば何らかの効果はあるのでしょうが、国際会議というのも下手をすると開催自体が目的化しがちです。もう金正日体制を倒す以外に北朝鮮がまともになる道のないことは分かっているのですから、「どう認識するか」「法的にどうか」の段階で会議をやっても成果はないでしょう。「どう倒すか」なら別ですが。

 ちなみに最後のまとめで私は統一の問題について、「これだけは韓国の皆さんにしかできません」と言いました。あまり反応はありませんでした。もはや大部分の韓国国民が統一を(少なくとも早急には)望まないという現状で、「滅共」も「統一」もそう簡単には行かないでしょうが、現実から逃げない姿勢が必要なのではないかと考えた次第です。日本人に言えた義理ではないかも知れませんが。

 ところで帰国前日の17日はワールドカップの韓国・アルゼンチン戦でした。韓国は残念ながら4ー1で負けましたが応援は気合いが入っており、ソウル広場を埋め尽くす真っ赤なTシャツと「テーハンミングク(大韓民国)!」と叫ぶ応援は壮観でした。下はデジカメで撮ったその光景。この後前半終了直前に1点韓国が入れて大騒ぎでした。これは広場の入口あたりで、広場には何万人いたのか良く分かりません。こんなときに爆弾テロでもやられたらどうするのかと思ったのですが、北朝鮮よりサッカーという感じでした。

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2010年6月 9日

チャンネル桜(6月8日)

拉致と国防に関するシンポジウム・北朝鮮の体制問題などについてお話ししました。

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2010年6月 5日

バルーンプロジェクト

 去る5月30日、韓国で北朝鮮向けのを飛ばしてきました。日本から行ったのは「ひしの会」の私を入れて7人、旧民社党山梨県連青年部のメンバーで、当時党本部で青年運動を担当していた私にとっては30年来のお付き合い(つまりその頃青年だったということ)です。
 基督北韓人連合の李ミンボクさんは当日の明け方まで「天安」沈没地点に近いペンニョン島でビラを飛ばし、それから船で半日かけて本土に戻ってきてくれました。またソウルからは2年前に脱北してソウルに来た女性も協力に来て下さいました。
 このとき飛ばしたバルーンは8個でした(その後李ミンボクさんたちは私たちと別れてからさらに4個飛ばしたそうです)。色々なビラを混ぜてあったので正確な枚数は分かりませんが東京から持って行った「大澤孝司さんと再会を果たす会」の小さなビラだけで5000枚でしたから、全体では数万枚あったのではないかと思います。なお、大澤さんのビラには大澤孝司さんの顔写真などが入り、さらに一部のビラには裏面に集会で参加者が書いたメッセージが書かれており、メッセージには韓国語のできる報道関係の方が一枚一枚訳文を書いてくれていました。大澤さんのところに届いて欲しいと祈りながらバルーンを飛ばしました。
 それにしても李ミンボクさんの献身的な活動には毎回頭が下がります。

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