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2008年11月30日

予備役ブルーリボンの会

 以下は予備役ブルーリボンの会のアドレスです。右にもリンクを貼りましたが一度お立ち寄りいただければ幸いです。

http://www.yobieki-br.jp

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WiLL1月号

Will
 11月25日に発売された月刊「WiLL」1月号に田母神前空幕長問題で「虚構の国防で国が滅びる」として書きました。予備一等陸曹の肩書きです。田母神空幕長論文は特に政府の見解を批判したものではありませんが、私は明確に批判しています。防衛省がどう「処分」するのか楽しみです。
 ちなみにこの号は田母神空幕長問題の特集で、中西輝政、渡部昇一、西村眞悟、西尾幹二の各先生方の論文も載っています。ご一読いただければ幸いです。

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2008年11月29日

開城ツアー

 今仁川空港でこのブログを書いています。 

 調査会のニュースにも少し書きましたが11月26日に韓国からの開城1日ツアーに参加してきました。このツアーは北朝鮮側が中止を通告してきたため、今日からストップすることになり、その意味では幸運でした。26日は一応注意してパスポート以外の身分を明かす可能性のあるもの、手帳とか名刺とか、すべてホテルに置いてきましたが、行ってみると特にどうということはありませんでした。北朝鮮の案内員とも色々話をしました。拉致も含めて結構率直にやりとりできたので、もちろん意見が一致したわけではありませんが観光よりいこちらの方が収穫でした。一つがっかりしたのはこれまで人から「北朝鮮に行ったことがあるのか」と聞かれて。「ない。もし自分が入ればつかまるか喜び組みが歓迎してくれるかのどちらかだろう」と言っていたのにそのどちらでもなかったことで、特に後者でなかったことが残念でした。

 ともかく、やはり待っているだけではなく、入ってみることが必要だと痛感しました。硫黄島の戦いはいかに勇敢にやっても勝つことはできないのであって、こちらから斬りこんでいく姿勢が必要です。次の機会にはぜひ平壌に行きたいと思います。

 この翌々日(28日)、今度は鉄道で現在京義線の終点になっている都羅山まで行って来ました。ここは通常の列車の終点である臨津江の次の駅で、鉄道の出入境事務所があります(現在は旅客列車の往復はしていないので使っていません)。1日に3往復だったか、観光用の列車が走っています。

 臨津江駅を出てまもなく列車は臨津江鉄橋を渡りますが、渡っていてふと30年前のことを思い出しました。ちょうど30年前の今、私は延世大学韓国語学堂の学生でソウルに3か月の短期留学をしていました。このころ韓国人の友達に言っていたのが「自分の夢は二つある。一つは臨津江を渡る列車に乗ることだ」という話でした。奇しくも30年目に実現したのですが、一応川を渡ったというだけのことで、都羅山から先は通じていないのですから、待ちに待った商品が期待はずれだったときのような気分ではありました。

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2008年11月24日

TGV

どうでも良いことですが、ふと思い出したので書いておきます。

 今を遡ること15年以上前、会議でチェコスロバキアに行ったときのことです。

 ヨーロッパには成田からパリ行きの便に乗り、パリからユーレールパスを使って列車を乗り継いでプラハに行きました。その途中も色々あったのですが、帰りにパリまで辿り着き、シャルル・ド・ゴール国際空港で搭乗手続きをしようとしたらいつまで経ってもカウンターが開きません。だんだんイライラしてきて、「何だこの航空会社は」と思ったのですが、同じようにイライラしている乗客らしきものは見あたりません。ふと考えたら、パリに着いたのが出発の前日だったのです。時差の関係で一日間違っていたということで、我ながらよくまあこんないい加減な日程を作ったものだと呆れたのですが、後の祭りです。

 ちなみに私には大学4年のとき、単位の計算間違いをして僅か2単位が足らず、2か月卒業が遅れたという前科があります。

 それはともかく、丸一日空いたなら仕方ないと、パリ市内に戻りました。駅前のホテルに飛び込みで入ったら空き部屋があるというので、ともかく泊めてもらい、翌日、せっかくだからとフランスの新幹線、TGVに乗ってリヨンまで行きました。ユーレールパスですから、追加費用はかからず、得したと思ったのは言うまでもありません。

 リヨンに着いたら、まだ折り返しの時間が2時間位だったかありました。ふとホームを見渡すと、2両編成のレールバスが止まっています。どこに行くかなどフランス語で書かれても分かりませんが、ローカル列車らしかったので、「2、3駅乗って戻ればいいだろう」と思って乗ると、この列車がまたすごいスピードで走り、次から次へと駅を飛ばしていきます。だんだん青ざめてきたのですが、この車掌さんに「私は日本から来た鉄道ファンである。今リヨンまでTGVに乗りに来て、空いた時間でこの列車に乗ってみた。しかし止まらないので、このままだと日本に帰れなくなる。途中で降ろしてくれないか」と説明する語学力は全くありません。途方に暮れていると、20分位走ったところでこの列車は止まりました。

 結局なんとか折り返しの列車に乗り、リヨンからのTGVに乗り継ぐこともでき、日本にも無事帰ることができたのですが、なかなかスリルのある旅でした。英語すらいい加減な私がどうやって行動したのか、自分でもよく分かりませんが、まあ人間必死になればどうにかなるのでしょう。

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2008年11月19日

再度田母神空幕長更迭問題について

 11日の参考人質疑のときは怒濤のように報道があったのに、その後ぱったりと止まってしまったのはなぜなのでしょうか。しかも参考人質疑は当初中継の予定だったのを取りやめて、ワイドショーでもニュースでも細切れに報道し、「いかに田母神元空幕長が危険な人物か」、あるいは、「アパの社長に便宜を図るなど汚いことをしているか」をあげつらっていました。

 それがぱったり止まるのは、一つにはこの問題の議論をしたくない(できない)という面が与野党にあるからでしょう。マスコミも産経以外はほとんど批判的でしたが、その批判もあっという間に影を潜めたのは他のニュースがあるというより、一般世論がそのマスコミの論調と必ずしも一致せず、下手に議論をしていくと寝た子を起こすような結果になると思った社が多かったのかもしれません。批判もどうでも良いようなことを大げさに言っているだけで、詰めていくと問題にしようがなかったのでしょう。

 しかし、この問題はこれから第2幕、第3幕が続きます。まずこの時に間に合わなかった月刊誌がこれから続けて発売されます。25日に「WILL」、来月1日に「正論」「諸君」と、保守系月刊誌が出ると再度議論が始まるでしょう。私も「WILL」に書かせてもらいました(西村眞悟代議士も同じ号に寄稿されたそうです)。もちろん、批判的な論文もあるかも知れませんが、この言論圧殺ともいうべきやり方への批判も少なくないはずです。

 さらに14日の共同電によればアメリカ国務省の高官が「歴史認識に関する政府見解を否定する論文を発表した田母神俊雄(たもがみ・としお)前航空幕僚長を日本政府が更迭したのは『適切だった』と述べ、中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を正当化する人物が自衛隊の要職に就いているのは好ましくないとの考えを示した」とのこと。アメリカさんに余計なことを言われる筋合いはないと思いますが、これも含めて結局は歴史問題なのだろうと思います(「筋合いはない」と言えば、大統領選挙中オバマ候補の演説で「Change the world」というフレーズがありました。テレビで聞いたときに思わず「もう余計なことはしないでくれ」とつぶやいてしまいました。アメリカの大統領に自分の選挙で「世界を変えよう」と言われる筋合いは少なくともアメリカ人以外にはないでしょう)。

 福井義高・青学大教授の言う「ルーズベルト聖戦史観」を突き崩されることはまかりならぬということでしょうが、この国務省の反応は戦後日米関係の象徴でしょうし、あるいは拉致問題が解決しないできた理由の一つもこんなところにあるのかも知れません。その意味では空幕長の論文は一種の「威力偵察」の役割も果たしたと言えるでしょう。この機会を逃さず、議論を進めましょう。反論ももちろん大歓迎、一体何が正しいのかを皆が考えれば自ずから方向性は出てくるように思います。

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2008年11月15日

11月15日

※本日15日発信した調査会ニュース718号に書いたものです。

 今日は横田めぐみさんが拉致されて31年目になる日です。また、残念ながらあまり注目はされていませんが、米子で特定失踪者(1000番台リスト)古都瑞子さんが失踪したのも同じ昭和52年の11月14日深夜ないし翌15日にかけてです。

 今日はNHK総合テレビ(22:25〜「日本の現場」)で市川修一さんのご家族を特集しますが、市川さんのお母さんである市川トミさんらが「しおかぜ」のメッセージ収録をしている様子も流れます。

 また、「おばあちゃんの原宿」として有名な東京巣鴨の地蔵通り商店街でも商店街のご協力を得て街頭活動が行われます(東京ブルーリボンの会主催・地方議員の会等共催 12:00〜14:00 連絡先:090-5215-7752)。他の地域でも各地で活動が行われています。

 様々な立場の人の熱意が少なくともこの11年を支えてくれたと言えるでしょう。「しおかぜ」に対しても皆様から大きな支援が届いており、心より感謝申し上げます。まだ楽観できるところまでは行っていませんが、私たちもご期待に応えるようにさらに努力して参ります。

 ところで、最近確信に近くなっているのですが、政府は昭和52年11月15日、横田めぐみさんが失踪した直後からこの事件が北朝鮮による拉致だと分かっていたのではないでしょうか。また、石高健次さんが「現代コリア」に書いた論文にもありますが、あの論文の3年くらい前に韓国の情報機関から「中学1年生の少女がバドミントンの帰りに北朝鮮工作員によって拉致された」という情報が日本政府に寄せられていました。今公にされているのは、めぐみさんの失踪に関する書類が時間がたって処分されており、情報と合致しなかったという話なのですが、これもこのときすでに横田めぐみと特定されていたのではないかと思うのです。

 根拠についてはやがてどこかに書くこともあると思いますが、拉致問題にはまだまだ大きな闇があります。それはひょっとしたら北朝鮮の闇より日本国内の闇の方が大きいのかも知れません。

 蓮池さんたちが帰国して2か月経った平成14年12月中旬、新潟で5人が一同に会したときがありました。私は当時救う会の事務局長として2泊3日、ほとんどの日程に同行していました。その途中、当時家族会の事務局長だった蓮池透さんが「薫に『お前、もっと(北朝鮮でのことを)話せないのか』と聞いたら、『兄貴、俺が全部話したら耐えられるか。耐えられるなら話すよ』と答えた」と言っていました。

 「耐えられるか」というのはあるいは日本国民全部に投げかけられた言葉かも知れません。

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2008年11月11日

田母神前空幕長のブルーリボン

※以下は本日発信した調査会ニュース717号に書いたものです。

 本日の国会参考人招致で田母神俊雄・前航空幕僚長がブルーリボンバッジをつけておられたのに気づかれた方も多いと思います。

 田母神前空幕長とは直接お話ししたこともあり、拉致問題にも大変関心を持っておられました。「しおかぜネットワーク」の参加組織である「予備役ブルーリボンの会」が発足したときには私からお願いしてメッセージを送っていただきました(参考までその全文を下に付けておきます)。

 ところで去る10月25日と26日、私は福井県の若狭地方、いわゆる「嶺南」の調査に参加し、高姉弟が連れ去られたと言われる小浜の岡津(おこづ)海岸、特定失踪者の山下春夫さん、宮内和也さん、山下貢さん、林雅俊さんの失踪現場などを見て回りました。

 実は私はその二週間あまり前にも同じところを訪れていました。それは何か胸騒ぎがするものがあったからで、そのとき感じたことが、前にメールニュースで書いた「今でも北朝鮮は拉致を含む工作活動を続けている」ということでした。二度現場に立ってみて、あらためてこの国は全く守られていないということを感じました。今でも工作員は簡単に日本に侵入できます。

 歴代政権は(そして今のままなら民主党政権になっても)自衛隊の手足を縛り、国民から切り離し、誇りを奪いその職務を全うできないようにしておきながら、国民には「日本は安全だ」と言い続けてきたのです。私自身も予備自衛官の一人として言えますが、現状では自衛隊は日本を守れません。「専守防衛」など机上の空論に過ぎません。

 政府がこのような現状を放置してきたのは一種の「安全偽装」です。だから拉致問題もふたをされ、隠し続けられてきたのです。私自身はその根っこにあるのは歴史認識だと思いますが、この問題は様々な意見があるのが当然で、別に人に押し付けるつもりはありません。もちろん、政府が空幕長に押し付けるべきだとも思いません。違うなら「私は違う」と言って反論すれば良いだけで、発言まで封じることはないはずです。

 拉致問題がとっくに終わった問題で、今の日本がしっかり守られているのであれば別ですが、危機は今も目の前にあるのだということを認識しなければなりません。そして、きょう国会議員から行われた枝葉末節な質問でも分かるように、国会の中には本当の意味で安全保障問題を論じられる議員など厳密に言えば一桁しかいないのです。自民党でも民主党でも、本当に防衛の議論ができ、なおかつトップとして決断できる議員はほとんど責任ある立場には着けません。

 今回の問題では様々意図的な田母神前空幕長への攻撃が行われていますが、現実に目を向けず、国民の安全をないがしろにする人々と、下のような文章を書ける人と、どちらに私たちの安全安心を託すことができるかは一目瞭然だと思います。

【予備役ブルーリボンの会発足お祝い文】

 予備役ブルーリボンの会、発足おめでとうございます。

 皆さんご存知のとおり、各国の軍事力・防衛力は現役兵力ばかりでなく、予備役の能力も含めて評価されます。日本においては、予備自衛官等の方々の力がそれにあたるわけで、皆さんの存在をたいへん頼もしく思っています。

 さて、私は常々、自衛隊は日本の武士道の精神を受け継ぐ素晴らしい組織であると内外で主張しておりますが、謡曲などで次のような話が伝えられています。鎌倉時代に、佐野源左衛門尉常世(さのげんざえもんのじょうつねよ)という武士がいました。彼は貧しい生活をしていましたが、執権であった身分を隠して旅の僧として全国廻向していた北条時頼に宿を貸し、大切にしていた鉢の木を焚いて暖をとらせる等精一杯もてなし、「自分は貧しい生活をしているが『いざ鎌倉』となれば直ちに駆けつけるつもりだ。」との決意を語りました。そして、実際に「いざ鎌倉」という場面が訪れると、真っ先に駆けつけその心意気を示したのです。予備自衛官等の方々は、平素は民間でそれぞれご活躍されながら、地道に訓練も重ね、一朝有事にはいち早く駆けつけようとする心構えを持たれ、まさにこの佐野源左衛門尉常世の武士道精神を体現されているものと、心から敬意を表します。

 自衛官は、事に臨んでは危険を顧みず、我が国の平和と独立を守る使命を完遂していかなければなりませんが、その使命感の根源は我々の身の回りの人々、顔の見える一人一人の国民を守る、という気概であると考えます。そして、それが強ければ強いほど、自衛隊は精強となります。この度予備役ブルーリボンの会に入会された方々は、北朝鮮に拉致された国民の方々及びそのご家族の悲しみ、苦労、憤りに思いを致し、救出を応援しようとする姿勢を示されたのであり、それはまさにこの気概を体現したものです。その心意気は自衛隊の精強性を内外に示すものです。どうぞこれからもその気概を持って、我々現役とともに我が国の平和と独立を守る自衛隊の崇高な使命を果たすべく、ますます精進していきましょう。

 予備役ブルーリボンの会のご発展を祈念しております。

   平成20年8月2日
            航空幕僚長 空将 田母神 俊雄


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2008年11月 9日

昔の小冊子

以下は私が18年前に書いて、題を付けワープロ打ちでプリントし、コピーして小冊子の体裁を作り何人かに配ったものです。引き出しから出てきたのですが、当時何がきっかけでこれを作ったのかどうしても思い出せません。しかし、とりあえず残しておこうと思いここに置いておく次第です。

 何年ぶりかで故郷に帰ってみると、子供の頃遊んだところがとても狭く小さく感じられます。空のように高かった幼推園の天井、大草原のように感じられたとなりの空き地が、急に小さくなったような覚えはありませんか、なぜあのころはあんなに高く、広く、大きく感じられたのでしょう。

 世界は、私たちの心のなかにあります。広げることも、狭めることもできるのです。水の半分入ったコップを見て、積極的な人は「まだ半分もある」と言い、消極的な人は「もう半分しか残っていない」と言うという話はよく使われます。私たちは、私たちの世界を大きくも、小さくも、希望に満ちたものにも絶望に埋め尽くされたものにもできるのです。

 自分の幸せは、自分にしかつくりだすことはできません。政治にも、それ自体に人を幸せにすることはできません。「私は幸せだ」と感じたときが幸せであって。お金がいくらあれば幸せとか、何坪以上の家に住めは幸せという基準などありません。逆に言えば、消費税があっても、家が狭くても、幸せはつかむことができるのです。政治がやるべきことはそのお手伝いでしかありません.少しでも税金は安いほうが、住宅事情が良い方が、より幸せはつかみやすいのではないか、だとすればそうなるように制度を変えよう、行政を動かそう、それだけのことなのです。

自由という考え方はもともと西洋から入ってきたものです.東洋には西洋的な意味での自由という概念はありませんでした。だから、「自由」が「勝手」「放任」といっしょくたにされてしまったのです。般若心経には、有名な「色即是空 空即是色」という一節があります。「物質的現象にはすべて実体がないのであり、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない」という意味です。

 般若心経は276文宇の短い経文の中で、「無」という文字を21回も使っています。この世の全てが無であると語り尽くすのです。でも、それは虚無とか、諦めとか、そんなものではありません。せめて70年くらい生きられるだろうとか、○○大学を出たんだから課長くらいにはなれるだろうとか、あんな人よりはまだ私の方がましよとか、そんなことをすべて捨て去ってしまうのです。

 そこには真の「自由」が生まれれます。世界は無限に広がります。道端に咲いた花がとても美しく見えたり、潮騒が自分のために奏でている交響楽のように聞こえたりするのです。

 何年か前にヒットした「ネバーエンディングストーリー」というおとぎ話の映画をこ存じでしょうか。主人公のバスチアン少年が読んでいる本の中に出てくる国「ファンタージェン」は絶望とか虚無によって小さくなり、夢や希望によって無限に広がっていきました。映画では本を読んでいるバスチアン少年の夢と希望かファンタージェンを救ったのです。

 でも、これは映画の中だけの話ではありません。宇宙ステーションも、青函トンネルも、この文章を打っているワープロも、すへて想像の中から生まれたものです。夢や、希望なしには新しいものを造り出すことはできないのです。

 自由とは夢であり、希望です。私たちは夢を描き、希望を持つことで無限の自由を手にいれることができるのです。歌を歌うのも、家を建てようとするのも、ボランティアに参加するのも、そこにはすべて夢があり、希望があります。そして夢と希望には必ず「愛」がともないます。「気に人らない○○をおとしいれる夢」「商売がたきの□□屋を倒産させる希望」などとは言いません。夢や希望はその相手が自分であれ他人であれ、「愛」に裏打ちされたものなのです。

 人間は恨みや嫉妬や憎しみをなくすことはできません。しかし、それは周りにも悪い影響を与えるだけでなく、白分自身の体さえもむしばんでいきます。マイナスの感情は小さいに越したことはありません。無理に抑さえ付けるとかえって大きくなったり、病気の原因となりますが、氷を溶かす太陽の光のように、プラスの感情で小さくしていくことはできるでしょう。

 ロシア革命を指導し、ソビエト連邦をつくったレーニンは多感な中学生時代に兄を亡くしました。皇帝暗殺を企てた事件に関与したという理由で処刑されたのです。しかも、逮捕された息子にレーニンを連れて会いに行こうとした母親は、周囲の親しかった人に同行を求めてことごとく拒絶されたといいます。体制への嫌悪と強烈な人間不信がマルクス主義と結び付いて増しみの哲学、レーニン主義を生みました。そして、それはどんな人でも大なり小なり持っている憎しみや、恨みや、妬みの感情に燃え広がって一時は世界の半分近くを焼き尽くすかに見えたのです。

 「水は方円の器に従う」というように、愛をもって社会をつくればそこには.天国が生まれ、憎しみをもってつくれはそこには地獄が生まれるのです。実際、共産主義国家で行われた数々の虐殺事件、人権弾圧はどの国のそれを見てもまさに地獄そのものです。

 自由主義の国々がすべて愛をもってつくられているのか、と言えばそうではありません。しかし少なくともそれを主張し、実現に向かって努力することはできました。自由の中でこそ成り立ちうる本当の社会主義ーソシアリズムはまさに友愛の精神であり、一人ひとりの人間性を限りなく広げていくことに原点があったのです。

 ヨーロッパ、特にイギリスでは、社会主義はキリスト教の倫理観を基本にして育ちました。日本でも労働運動は港区の教会でその産声を上げ、やがて社会主義政党の設立へとつながっていったのです。「社会主義」という言葉には抵抗があるかもしれませんが、ことばの使い方はどうでもいいのです。要は自由な社会である限り、「愛」をもって社会をつくる可能性だけは間違いなく存在するということです。

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 さて、仏教の説話にこんな話があります。ある人が地獄に行きました。地獄ではごちそうをはさんで人々が向かい合い、食事をしようとLていました。でも、箸が長いので自分の口にごちそうを持っていくことができません。結局人々はごちそうをたべることができずにひもじい思いをしているのでした。

 その人はこんどは極楽に行ってみまLた。極楽でも人々はごちそうをはさんで長い箸をもって向かい合っていました。でも、極楽の入達はとても.元気そうでした。自分の箸で向かい側の人にごちそうを食べさせてあげているからなのでした。

 「人間」という言葉は人と人との間を表わした言葉です。一人では人間になれないのかもしれません。

 電気ショックをかけてどこまでがまんできるかという実験をしてみると、二人で一緒に我慢したときの方が一人のときよりもずっと高い電圧まで耐えられるのだそうです。たしかに仕事にしろ、スポーツにしろ、励ましあったり、競いあう人がいたほうがつらいことにも耐えていけますね。

 オーストりアの心理学者V・E・フランクルは第二次世界大戦中、悪名高いナチスの強制収容所に入れられ、奇跡的に助かった数少ない人の一人です、彼はその体験を綴った本「夜と霧」の中で、強制労働に出かける場面についてこう書いています。
 「私の前には私の妻の.面影が立ったのであった。そしてそれから、われわれが何キロメートルも雪の中をわたったり、凍った場所を滑ったり、何度も互いに支えあったり、転んだり、ひっくり返ったりしながら、よろめき進んでいる間、もはや何の言葉も語られなかった。しかしわれわれはその時各々が、その妻のことを考えているのを知っていた」
 人類の.歴史上有数の残虐な事件であるナチスのユダヤ人に対する弾圧、想像を絶する状況の中で、命を支えたものは愛する人の存在でした。

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 鹿児島市から南西にバスで一時間ちょっと行った所に知覧という町があります。太平洋戦争当時特攻隊の基地となったところです.ここには特攻隊員の手記や記録を集めた記念館があり、毎日多くの人が訪れています。半世紀近く前、まさに「死ぬために生きていた」青年たちは、何を心の支えとしていたのでしょうか。手記に書かれていることは奥さんのことであり、子供のことであり、また、恋人のこと、兄弟のこと、そして.両親のことです。

 国を愛する気持ちというのは、家族や周りの人への愛情の延長ではないかと思います。日本では太平洋戦争前、あまりにその形式だけが強調されすぎたので、戦後になってその反動がすべての否定へとつながってしまいました。でも、国家は人の集まりです.自分の国を大事にするということは、自分の周りの人を大事にすることと同じことなのです。

 国には自分の知らない多くの人がいて、その人たちもまた大事にされたり、人を大事にしたりしていることでしょう。さらに何千年の昔からこの国に生きてきた人、そしてこれから生まれてくる人たちについてもそれは言えると思います。天皇という存在はその全てをふくんだ象徴と言えましょう。だからこそ私たちは日本の美しい伝統を大事にしていかねばならないのです。

 自らを愛することのできない人が他人を愛せないように、自らの国を愛することができない人に他の国を愛することはできません..逆に言えば、他の国を見下したり、媚びへつらったりする人に自分の国を愛することはできません。

 文化も歴史も宗教も習慣も異なる人々と共存するのは口で言うほど簡単ではありませんが、逆にその気になりさえすればだれにでもできることです。日本だってもともとはいろいろなところから集まってきた多民族国家なのですから。相手を認め、共存する心を持つこと、それが本当の国際化ではないでしょうか。外国に関する知識とか語学などというのはないよりあった方がよいというだけのことなのです。

企業の中のストレスから登校拒合まで、年齢性別職業を問わず心の問題が注目されています。新興宗教や各種の人間開発セミナーが盛況なのもその一つのあらわれでしょう。

 ところで、カウンセリングや各種の心理療法にはさまざまなやり方があります。徹底して話を聞くもの、クライエント(来談者)に挑戦していくもの、体を動かすもの、方法は様々です。しかし・その方向性はほぽ完全に一つにしぼることができます。「今、ここ」に立ち返ることです。

 何か行動すべきだと考えてできなかったとき、そこにはこんないいわけがあります。

◆まだ若いから◆もう年だから
◆今は金がないから◆財産がなけれは冒険できるんだが
◆そんな地位じゃないし◆立場というものがある
◆私なんか学歴もないから◆いまさら小学生でもあるまいし
◆男だから◆女だから

 人から聞けばいいわけに聞こえるのに、自分ではつい口にしてしまう言葉ですね。自分の思っている自分自身と本来の自分が一致していない証拠です。

 自分の思っている自分を今、ここにいる本当の自分に一致させること、これが「自己実現」であり、いろいろな心理療法のめざすところなのです。

 こんな例え話で感じがつかめるでしょうか。最近オートフォーカスのカメラが増えて知らない人も多いかもしれませんが、手動でピントをあわせるカメラで昔はよく二重像合致式というのがありました。ファインダーをのぞくと像が二重になっています。ピントをあわせていくと二つの像がだんだん重なって、一つになるとピントがあっているというものです。人間も、自分の思っている自分と本来の自分がいっしょになったときがいちばん心の健康なときなのです。この状態になると誰でも目の前に無限の可能性が開けてくるのです。これは心の自由でもあります。

 夢も、希望も、愛も、憎しみも、絶望も、心の問題は数であらわすことはできません。そして、人の心は本人しか、いえ、ひょっとしたら本人も含めて誰にもすべてはわかりません。それよりは一万円払うところを九干円にする、あるいは三時間かかることを二時間でできるようにするといったことのほうが、はるかに分かりやすいといえるでしょう。そしてそれも大事なことには違いません。

 でも、分かりにくいことも世の中には必要なのではないでしょうか。分かりにくさとつきあって、そこに真実を求める、そんなことがあってもいいのではないかと思います。
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 私たちは何のために生きているのでしょうか。

 一生かかって、何をなすべきなのでしょうか。

 何年も考え続け、答えの出ない課題です。ひょっとしたらずっとわからないままかもしれません。でも、どのみち当分答えが出ないなら途中経過でもいいから批判を仰いでみよう。そう思ってまとまらない考えを綴りました。読みにくい点はお許し下さい。ご批判頂ければ幸いです。
   平成二年五月 荒木和博

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2008年11月 6日

訃報

 村尾建兒・調査会理事の父上である脚本家の村尾昭さんが昨日16:35 多臓器不全にて逝去されました。ブログで失礼ですが、関係者の皆様に謹んでお知らせ申し上げます。

お通夜 11月8日(土)18:00~19:00

告別式 11月9日(日)12:00~13:00

場所 長明寺会館(杉並区南荻窪4-34-10 03-3333-1551)
 ※荻窪駅西口から徒歩10分

喪主 村尾建兒(むらお・たつる 長男)

 私自身はお会いしたことはないのですが、村尾昭さんは著名な脚本家で、東映任侠シリーズの映画や、テレビの「必殺」シリーズなど、数々の作品がある方です。ご子息が直接携わっていることもあり、拉致問題にも色々と関心をもっていたいておりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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「再発防止」とは何事か

 田母神空幕長更迭に関し、防衛省は浜田防衛大臣ら7人の処分を発表したそうです。
 別に防衛大臣や次官が給与を返納するのは好きにしたら良い。しかし、麻生総理が防衛大臣に「再発防止」を指示したというのは何なのでしょう。

 再発防止というなら、北朝鮮や中国共産党のエージェントとして長年国益を損ねてきた日本社会党の委員長を総理大臣に任命したことの再発防止が必要なのであって、その総理大臣が勝手に出した談話にしばられているという現実の「再発防止」こそがまずしなければならないことではないでしょうか。

 おそらく志ある制服組の中には、何とかこの問題を終息させようという思いが強いのでしょうが、この問題は自衛隊の根本に関わることであり、絶対に譲ってはいけないと思います。軍の使命は過去から未来につながる国家を守ることであり、それは憲法以前の使命です。いわんや国家にとって百害あって一利無しだった日本社会党の総理の談話など問題外でしょう。

 おそらく麻生総理も含め、かなりの数の国会議員は「戦前の日本がすべて悪かったわけではない」と思っているでしょう。村山談話から脱却すべきと思っている人もすくなくないはずです。しかし、それを正面から語れる人は極めて少数です。必要なのは勇気ではないか。それこそが日本を救うのだと思います。

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2008年11月 4日

任命責任と解任責任

 小沢一郎・民主党代表が田母神空幕長更迭について、政府に任命責任があると批判したそうです。
 逆ではないでしょうか。政府にあるのは田母神空幕長を解任した責任であり、民主党が批判するべきはそこだと思います。

 民主党は田母神空幕長を次回総選挙で比例区の候補者にして、与党が蓋をしてきた日本の安全保障の欠陥を突く位のことをすべきではないでしょうか(自分にとっては民社党が昭和55年参院選で栗栖弘臣・元統幕議長を擁立したことがイメージにあるのですが)。

 安全保障の欠陥という意味では「専守防衛」でがんじがらめにされている自衛隊のみならず、警察でも似たようなもので、スパイを取り締まる法律もなしに今も続いている北朝鮮の工作活動を止めさせようというのはボクサーに片手を縛ってリングに上がれと言うのと同じことです。今の日本の制度は国民を守れないようになっている。本来は第一野党たる民主党こそがそれを主張すべきですし、それこそが政権への近道だと思います。

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2008年11月 2日

戦略情報研究所講演会のご案内(鈴木壮治氏)

 次回の戦略情報研究所講演会は下記の通り開催されます。戦略情報研究所の講演会としては初めて、経済戦略に関するお話しです。参加出来ない方もインターネットでの生中継を行う予定です。ぜひご覧下さい。

1、日程:11月7日(金)18:30〜20:30
 冒頭約1時間の講演を(株)NetLiveのご協力でインターネット中継します。後半はフロアの参加者との質疑応答になります。

2、場所:UIゼンセン会館2階会議室(千代田区九段南4-8-16 tel03-3288-3549)
 ※市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い (地図は下記をご覧下さい)。
http://www.uizensen.or.jp/about/index.html

3、講師:鈴木壮治氏(一橋総合研究所統括責任者)

4、テーマ:米国発金融破綻と「サムライ資本主義」

5、参加費 2000円(戦略情報研究所会員は無料)。

6、参加申し込み
 事前のお申し込みは不用です。そのまま会場においで下さい。

7、講師略歴

 一橋大学卒業後、三井物産に入社、化学プラントの輸出入およびプロジェクトファイナンス関連業務を担当。米国ペンシルヴァニア大学経営大学院・ウォートンスクールMBA取得。その後、シティバンク、チェースマンハッタン銀行VPとしてコモディティ・デリバティブ、ヘッジファンドなどを担当。1999年から2000年にかけて東京都参与を兼任し、中小企業の金融支援のために、CLO市場創設に貢献。現在特定非営利活動法人・一橋総合研究所の統括責任者として、国際金融、外交・安全保障などの分野での提言を続け、BSイレブンの「闘論・FACA」のモデレイターも務めている。主な著書に『宣戦布告「NO」と言える日本経済』『「アメリカ信仰」を捨てよ』(以上、石原慎太郎都知事と共著/光文社)、『日本国独立宣言』(濤川栄太氏・西村眞悟代議士と共著/ヒューマンアソシエイツ)など。最新の著書は講演のテーマと同じ『サムライ資本主義 「武士道」が「資本と力の論理」を超える』(立川隼人氏との共著/PHP)

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