まず日本政府が「再調査」を
※今日8月28日発行した調査会NEWS 677号に書いたものです。
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前号のニュースに引用された新聞記事(下に掲載)にもありますが、政府(警察)は現在の
認定者以外に多数の失踪事件について拉致の可能性を認識しています。しかし現
実には9・17第一次小泉訪朝で曽我さんらが認定された後に政府認定されたの
は田中実さんと松本京子さんの2人だけ(他に警察断定が高敬美・剛姉弟の2人)
という状況です。
これらからすると、誰が見ても政府が拉致事件を隠蔽していると考えるのが普
通でしょう。政府には少なくとも数十人の拉致が確実と思われるリストがあるは
ずで、10年ほど前には外電でも流れました。私自身記事を書いた記者さんに会っ
たこともあります。リストに記された名前は分かりませんが、その中にはおそら
く調査会の1000番台リストの失踪者、調査会ではまだゼロ番台だったり非公開だ
ったりする失踪者、あるいは調査会のリストにない失踪者も含まれているはずで
す。
今、日本政府は北朝鮮に「再調査」を求めていますが、考えてみると、北朝鮮
に「再調査」させるより日本政府が日本国内に「(警察や外務省に対し)権限が
与えられた調査委員会」を作って、現在隠している拉致を明らかにすべきではな
いでしょうか。その方が北朝鮮のわけのわからない「再調査結果」を待つより遥
かに「進展」につながります。
色々な状況から考えて、現在北朝鮮側は数人の拉致被害者については返す用意
があると思われます。問題はそれを日本政府が受け入れられないのではないかと
いうことです。たとえばその中に1000番台リストの人でも入っていれば「当事者
は刑事告発までしているのになぜ今まで認定すらしなかったのか」ということに
なります。北朝鮮も日本の政権を倒そうとするなら拉致を隠すより、未認定の拉
致被害者を出してしまうのが手っ取り早いのではないでしょうか。
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2002年12月5日付 福井新聞より抜粋
「一九七四年か、七五年の夏だった。愛知県警からの連絡で、美浜の海岸に招集がかかった。北の工作員がボートで沖へ出ていくのを目の前で見ていた」
福井県警の元公安警察官、西本(仮名)が重い口を開いた。心に引っ掛かっていたものを吐き出すような口調だった。
西本ら数人は、波打ち際から数十メートルの砂浜に潜んでいた。沖からゴムボートが寄ってきた。一人の男が乗り込むと、静かに離れていった。
「脱出するときは決まって朔(さく)(新月)の夜だ。真っ暗よ。あいつら何するか分からんぞ、と先輩に言われ恐ろしかった」。指示は出国確認だけ。手は出さなかった。沖で待機する小型工作船のものらしい「ウオーン」というエンジン音だけが闇に響いた。
「北朝鮮の工作員は七○年代以前から日本への潜入と脱出を繰り返していた」と西本。公安警察はそれを把握し、彼らがだれと会うのか注視していたという。
講師は「本庁の先生」と呼ばれていた。県警の施設で年数回開かれた北朝鮮関係の講習会。七九年か八○年には拉致がテーマに加わり、本部と各署の外事担当二十数人が参加した。場所、日時は極秘。四十歳前後の”先生”は警察庁警備局外事課三係から来た。
西本はこの場で初めて拉致を知った。「福井、富山、新潟、秋田で事案があったと聞いた。鹿児島、宮崎も覚えがある。富山や秋田は失敗例だった。拉致とは呼ばず『工作員に連れて行かれた』という言い方だった」
警察庁が現在、北朝鮮による拉致と認定している十件十五人のうち、七件十一人は七七年九月からの一年間に集中。富山では未遂事件も起きた。同庁はこれらの事件の遺留品、飛び交った暗号電波、手助けした人物の証言を分析。当時から北朝鮮による犯行との見方をしていた。
「目的は日本語教育。北の仕業に間違いない」。”先生”の説明に西本は「小浜であれだけ山狩りやって、見つからないのはそういうことか」と納得した。
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