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2008年3月25日

阪急2800

2800

これはまあ、その手の趣味の方でなければどうでも良い話ですが、鉄道マニアといっても各種あり、最近では「撮り鉄」とか「乗り鉄」などという言い方もあるようです。昔はそういう言い方はありませんでしたが、大まかに言えば実物をやる人と模型を作る人(もちろん、私も含めて両方の人間も多かったのですが)、実物の中でも私鉄、国鉄と分かれ、私鉄でも大手と中小、電化と非電化とか国鉄でも幹線とローカル線、電車とSLなど、分けていくときりがなくなります。

 私の場合、基本的には私鉄が専門分野で写真を撮りながら模型も作るというところでした。これは確か昭和45(1970)年頃の写真で、場所も忘れましたが、阪急京都線の2800系特急。阪急の車は当時関西の私鉄の中でも一番品の良い車で、特に2800系は転換クロスシートを備え、内装は木目印刷の落ち着いた車内。東京から行った人間には、「こういう電車に特急料金なしで乗れるのか」ということ、感心することしきりでした。

 それでも、よく見ると分かりますが窓が開いています。つまり非冷房車で、当時はどこの私鉄でもまだ冷房化率20%とか、そんな程度の時代でした。中学時代、クラブ(鉄研)の帰り、駅のホームでめったに来ない中央線の冷房車を暑い中長い間待っていたこともありました。

 最近では時間もなくなり、写真を撮るといっても出張の合間に時間ができたときにちょっとという程度ですが、今はどんな中小私鉄でも電車がきれいになって、かえって面白みがなくなりました。あるいは青春時代に寝食を忘れて電車を追いかけ回した当時の思い出が一番強い印象に残っているのかもしれません。

 タイムマシンに乗れるなら、あの当時に行ってまた写真を撮ってみたいのですが。

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2008年3月22日

制裁解除?

※以下は本日(3月22日)発行の調査会ニュース610号に書いたものです。

 北朝鮮に対する経済制裁は4月13日に満期(半年間の期限の終了)となります。

 拉致問題に関し全く進展もなく、また日銀総裁人事など国会での混乱から、経済制裁は継続されるというのが下馬評で、私もそう思ってきたのですが、ここに来て「制裁を解除するのではないか」という声が聞こえてきています。

 まだ確証はないですし、おそらく今政府に聞いても「そんな予定はない」と答えるだけでしょうが、一部には外務省がすでにその準備に入っているとの話もあります(マスコミの皆さんはちょっと気をつけておかれた方が良いかもしれません)。北朝鮮にすれば米国の制裁解除は実現しそうで実現せず、一方で中国からは締め上げられてにっちもさっちもいかなくなっている状態です。そうなれば行く先は日本ということになり、この流れは平成14(2002)年の9.17第一次小泉訪朝に至る流れと似ており、あるいは北朝鮮側から何らかのメッセージがあるのかも知れません。

 ただ、いずれにしても違うのは、6年前少しはあった金正日のリーダーシップも今は地に落ちているということで、そうなると死亡と言った人の生存を認めるとか、新たな拉致を認めるとか、誰か被害者を返すなど、日本側が当然されてしかるべきだと思っていることは、誰も決断できないのではないかと思います。

 結果も出ない状態でせっかく続けてきた制裁を解除してしまえば、これまでの努力が水の泡になる可能性もあります。それより、北朝鮮に対してはもっと明確なメッセージを出し続けなければなりません。私はこの際某元幹事長だろうが親朝人士だろうがジャーナリストだろうが、山ほど北朝鮮に送って内部を攪乱し、「日本人は何が何だか訳がわからないが、ともかく拉致問題が解決しなければどうしようもない」と思わせるべきだと思います。もちろん私たちも可能であればぜひ行きたいと思っています。

 いずれにしてもほとんどの人が「制裁解除なし」と踏んでいるだけに、4月13日に向けた動きは要注意です。もう時間がないとも言われるものの、裏技が無いとは言えません。杞憂に終わればそれに越したことはありませんが。

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2008年3月19日

チベットに関する声明

※民社人権会議(私も幹事をしています)では田久保忠衛代表幹事名で以下の声明を発表しました。趣旨に賛同される方は転送、ご自身の管理されるHPへの貼り付け等、できるだけ多くの方に周知されるようご協力をお願いします。

■チベットに自由を!ーー民社人権会議声明

 今回のチベットにおける民衆蜂起と、それに対する中国共産党による弾圧は、私たちに忘れかけていた様々なシーンを思い出させた。そのシーンとは1989年の天安門事件であり、1968年のチェコ事件であり、また1956年のハンガリー動乱である。

 チベットの民衆は今虐げられたのではない。1949年、中国共産党がチベットにその魔手をのばしたときから虐げられているのである。また、中国共産党にはチベットの民衆だけが虐げられているのではない。東トルキスタン(新彊ウイグル自治区)でも、内モンゴルでも、あるいは漢族の人々でさえ自由を奪われ、また台湾は軍事力で恫喝されている。今回の事件でも中国共産党・中国政府はすべての責任をダライ・ラマ法王やチベットの人々に押しつけ、自らの非は一切認めていない。

 1991年、ソ連共産党が崩壊したことによって、私たちは冷戦が終わったと思った。自由と民主主義が勝利したと考えた。しかし、冷戦は終わっていなかったのだ。改革開放を進め、経済が成長し、オリンピックも開催しようとしている中国の政治体制の本質は依然として共産主義であることが今回改めて明らかになった。

 チベットの姿は決して人ごとではない。私たちはもう一度、20世紀最大の悲劇をもたらしたマルクス・レーニン主義、共産主義と戦わなければならない。声を大にして、チベットの人々を救おうではないか。

2008年3月19日
             民社人権会議  代表幹事 田久保忠衛

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2008年3月15日

チベット

 もともとチベットは独立国です。

 それを踏みにじったのは中国共産党です。今回の事態をどう収拾しようとしているのか分かりませんが、何をしたところで問題が解決するわけではありませんし、オリンピックまでには東トルキスタン(新彊ウイグル自治区)でも起きるでしょう。また、お膝元の北京や上海でも、農村出身者など貧困層も行動するかも知れません。そして中国政府がこれを抑える方法は武力しかないでしょう。

 天文学的なほど富の偏在が極端で、少数民族が虐げられる今の中国の矛盾を解決するためには、それこそ「共産党」が必要なのではないでしょうか。そして毛沢東のように農村から都市を包囲する戦略を立てる人が求められているのかも知れません。もっとも、本当の「共産党」が出てきたら、中国共産党はかつて国民党がやった以上に大弾圧するでしょうが。

 こんな状態の中国で、どういうオリンピックができるのでしょう。黄砂の混じった空気を吸い、毒入り餃子を食べてまで人民を弾圧する政権の権威付けに手を貸す必要があるのかと思います。ヒトラー時代のベルリンで行われたオリンピックよりも、はるかにオリンピックの歴史に汚点を残すことになるのではないでしょうか。

 やがてチベットの人たちから、「あのとき日本は私たちの仲間を虐殺した政権に手を貸した」と言われることにだけはしたくないと思います。

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2008年3月12日

「地村・蓮池さん 拉致工作 2幹部浮上」の記事を読んで

※以下は調査会NEWS 608号(20.3.11)で書いたものです。

 今日付の朝日新聞に1面トップで「地村・蓮池さん 拉致工作 2幹部浮上 ーー警察当局調べ 総書記の直属」という記事が掲載されていました。最近拉致問題の記事が少ない中でこのように紙面をさいてくれたことに感謝しながら、一方読んでいて複雑な思いにとらわれました。

 記事の中には「警察当局は、金総書記と李・元部長がともに写った写真なども確認しており、金総書記が拉致について何らかの情報を持っている可能性があるとみている」とありました。そして、最後は「指示にかかわった幹部の存在が浮かんだことで、北朝鮮が2人(李完基・元対外情報部長と姜海竜・元副部長)の現在の消息や、金総書記と2人の関係について、どう説明するかなどが今後の日朝交渉の焦点となる」と結ばれています。

 基本的にはこの記事の内容には間違いはないと思います。そして、警察もそのように考えているのでしょう。しかし、問題は、「それじゃあ、どうやって助け出すんだ?」ということなのです。

 この記事の前提で、政府が本当にやる気があるなら、警察が北朝鮮に乗り込んで2人の幹部あるいはに金正日に事情聴取をしなければならないはずです。それができると思っているのか。そんなことはないでしょう。そして、外務省は交渉の中で「こういう情報があるが」と聞くのが関の山ではないでしょうか。

 そんなことに北朝鮮が答える訳はありませんし、答えたところで、聞くのは地村さん、蓮池さん拉致に関わる真相究明のことだけです。それ以外の拉致被害者について何も出てくるはずはありません。そして、これと別筋で拉致被害者の救出をしようとしているかと言えば、ほとんどノーに近いというのが日本の現実です。

 政府はこの虚構をいつまで続けるつもりなのでしょうか。助ける意志や能力がないならないで正直に言うべきであり、「一所懸命やっています」と言って国民に期待を持たせるだけなら、戦前の「大本営発表」と何も変わることはありません。やる気があるのであれば、もっと具体的な策が講じられるはずです。お役所にもそれぞれの官庁に優秀でやる気のある人間は山ほどいるのですから、彼らをもっと活用すべきだと思います。もちろん自衛隊も同様でしょう。

 なお、記事の内容について一言言えば社会面の最後のところで「捜査幹部が腹立たしいのは『政治的な思惑で事件を利用しようとする動きがあること』だ。捜査をさらに困難にする要因は少なくない」とあることです。これは、要は「強硬な主張をする連中がいるから北朝鮮が話し合いに乗ってこない」ということなんでしょうが、語った警察の幹部は「役所の仕事をじゃまするな」と言いたいのでしょうか。それなら、助けられなかったときに警察庁の屋上で切腹でもする位の責任感を持っているのか。そうではないと思います。

 警察幹部の発言も、記事のこの結論も、何か勘違いしているのではないかという気がしてなりません。

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2008年3月 9日

2.26事件と現代日本

以下は2月28日付「世界日報」の「オピニオン」欄に寄稿したものです

共通する閉塞感

 この原稿の締め切りは2.26事件から72年目の日である。最近、反乱軍の青年将校たちの後見投であった斎藤瀏少将と一人娘の史、その幼なじみであり事件で中心的役割を果たす栗原安秀、坂井直らを描いたノンフィクション、『昭和維新の朝』(工藤美代子著・日本経済新聞)が関心を集めているが、当時ほどではないにせよ、時代的閉塞感に現代と共通のものがあることが共感を呼ぶのかもしれない。

 政党政治が党利党略に走り、不況や冷害で農村は疲弊し、そこから入隊してくる兵士たちも姉や妹が身売りされていくという悲劇の中で、青年将校は立ち上がった。その思いは純粋であったろう。

 天皇と一般国民の間にある不純な輩を取り除くことが理想的な国家を作り上げるという考えは分かりやすい。しかし、彼らの発想と行動は致命的欠点を抱えていた。その最大のものは彼らにとっての「天皇」が現実の昭和天皇ではなく、あくまで自分たちが勝手につくりあげた「理想の天皇」であったということだ。憲法を徹底して護り続けた昭和天皇が青年将校たちを反乱軍として討伐を命じたことがこの証明である。

 理想の天皇と国民を直結するという考えは、その天皇が自らの意に添わないとき、意に添う天皇に変えればよいという発想にもつながる。これが徹底して実行された場合、あとは皇室をなくしてしまい、そこに共産主義をもって替えるということにすらなりかねない思想である。幸いにしてそれは避けられたが当時の軍中枢にいたであろう共産主義者はそれをも視野にいれていたのではないか。

 当時、敗戦という破滅に至らないためにはどういう選択があったのか、正直な話なかなか答えは出てこない。ただ、明らかなことは「破滅への道は善意で敷き詰められている」という言葉があるように、青年将校たちの思いも、結果的には敗戦という、おそらく彼らがもっとも避けたいと思っていたであろう破滅に向かう道の敷石になってしまったということだ。

 政治は様々な利害の調整である。そこには当然不純物が混じり得る。意見の対立も起きるし、ときに逆方向に進んでいるのではないかと思われることも少なくない。しかし、理想の社会など絶対に実現することはないのだ。その言葉にだまされた人々がソ連・中国をはじめ世界中でどれだけ悲蟻な結果をもたらしたかは一目瞭然である。

歴史に残す意志

 私たちは敗戦によって歴史が断絶したかのように思ってしまっている。しかし、歴史は決して断絶しない。2.26事件も目衛隊まで含めた建軍137年の流れの一こまであると考えなければならない。

 あのころ、国家の行く末を本当に憂い、ときに軍とも闘いながら、身を挺して所信を貫く政治家、国家にとってもっとも望ましい軍のあり方は何かを考える軍人がもう少し多ければ、あるいは彼らをパックアップする国民がもう少し多ければ敗戦は避けられ、今も国軍のままでその本来の任務を全うし続けていたのではないか。

 当時のことを今に引き写せば私たちはいかに身を処していかなければならないのだろうか。部下の兵士たちの家庭の悲惨な状況に煩悶し、立ち上がった青年将校の意志は歴史に残さねばならない。しかしそれは現代に同じことをすることではなく、無駄死にだったとして嘲笑することでもない。混沌として不純な現実に身を沈めながら、理想ではなく最善の道を求め続けることによってのみ実現されるのである。

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2008年3月 3日

ディズニーランドと北朝鮮

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 別に金正男の話ではありません。ディズニーランドと北朝鮮の共通点の話。そういうとあそこで働く皆さんや、ミッキーマウスにも失礼ですが、北朝鮮を壮大なテーマパークとして見れば何かぴったりくるような気がします。
 ちなみに写真は金正日の誕生日の翌日、2月17日付の労働新聞2面に掲載された写真。キャプションには「白い雪につつまれた白頭山密営に先軍革命の千万里を最後まで歩みゆく心臓の誓いを固め踏査者たちの隊伍が絶え間なく流れていく」とあります。
 ここは白頭山の山中にある金正日の「生家」。ロシアで生まれ育った金正日の生家がなぜ北朝鮮にあるのか、それはシンデレラ城がなぜ浦安にあるのか、という質問と同じようなものでしょう。違うのは、ディズニーランドは世界中から金を払って人々がやってくるのに対して、北朝鮮は国内の人が全財産をはたいても逃げ出すということにあります。
 しかし、冗談ですまないのはこのように寒い中「生家」の参拝をさせられる人々です。

 今月号(4月号)の「諸君!」連載「月報北朝鮮問題(33)」の中で、北朝鮮とディズニーランドの類似性について書きました。ご関心のある方はお読みいただけると幸いです。

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2008年3月 2日

三丁目の夕日

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 昭和30年代生まれというのは幸せな世代だと思います。物心のついた頃が高度成長で、ともかく世の中というものは先に行けば行くほど良くなるという、漠然とした信頼のようなものがありました。しかし実際にはそのとき、特に1960年以後の、自社なれ合いの疑似連立政権(60年体制)によって後に様々な弊害が出てきたのだと思います。
 その分は私たちの世代で何とかしておく義務があるのではないかと思います。
 写真はもちろん模型ですが、電車は現在の上田電鉄、昔の上田丸子電鉄モハ2321。本物の電車は千葉県の銚子電鉄に渡って第三の人生を送りました(もともとは滋賀県の近江鉄道の車両が改造して上田に入ったもの)、そこでも引退になり、今は犬吠駅で喫茶店かレストランとして車体が使われています。

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