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2007年10月31日

記者会見発表内容

本日の記者会見での発表文です。メールニュースの分量が多くなるのでこちらでも見られるようにしておきます。

内容は次の通りです。

◎木村かほるさんと思われる「タイ人女性の日本語教師」についての報告と要請

◎本日行われた矢倉富康さんの拉致に関わる刑事告発の告発状

◎愼範アナウンサーの声の問題について

◎「しおかぜ」第2放送、国内送信へ切り替えについて

◎「しおかぜの集い」実行委員会開催結果について

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■木村かほるさんと思われる女性について

                                          内閣官房拉致問題対策本部 御中
                                                  平成19年10月31日

木村かほるさんと思われる「タイ人女性の日本語教師」についての報告と要請

                                                                   特定失踪者問題調査会

 10月1日の記者会見で、特定失踪者問題調査会が発表したように、1982年7月にタイから北朝鮮に騙されて連れて行かれ、その後の1982年2月、タイに帰国を果たしたタイ人
女性たちより、北朝鮮における彼女たちの「日本語教師」は、日本人である可能性があり、しかも、特定失踪者の木村かほるさんか、荒井セツさんに似ているとの証言を得た。

 調査会は、今回のタイにおける調査(10月25日より27日)で、タイ人女性の四人と面会を行った。そのうち三人から別々に証言を受けた。三人のうち二人は、前回に証言をした人たちである。今回は、前回と異なり、多くの特定失踪者の写真と木村かほるさん、荒井セツさんの別の写真を照合してもらった上で、新たに詳細な証言を得た。

 その結果、三人の女性は、いずれも特定失踪者の写真のうち「木村かほるさんが、最も似ている」と指摘した。

 また、三人のいずれの証言でも「日本語教師」の人物像は、木村かほるさんとほぼ一致し、矛盾点はない。唯一、異なるのが「日本語の教師はメガネをしていた」という点だが、木村かほるさんの家系の状況や、本人の加齢を考慮しても、別人であるという証明にはならない。

 以上のことから、今回の証言だけでは断定はできないものの、タイ人女性に日本語を教えた女性は、木村かほるさんの可能性が高いと判断できる。

 尚、荒井セツさんである可能性については、今回、三人のタイ人女性に新たな別の荒井セツさんの写真をみせたところ、いずれも「似ているが、木村かおるさんの方が似ている」と証言をし、人物像についても類似性が少ないことから、可能性は低いと判断する。

 ついては、日本政府においては、木村かほるさんの失踪について、これまで以上に失踪の真相究明を鋭意行い、拉致被害者である可能性が高い失踪者であることから、北朝鮮当局に対して、強く帰国を求めることを要請する。

■矢倉富康さんの拉致に関わる告発状

          告 発 状
                         2007年10月31日
米子警察署
署長  大 田  宜 道  様

      〒683-0104 鳥取県米子市■(省略)
                 告 発 人  矢  倉   三  夫 
      〒683-0104  鳥取県米子市■(省略)
                 告 発 人  矢  倉   節  子

      〒683-0067 鳥取県米子市東町296番地
             電 話 0859-33-1019  
             FAX 0859-34-0029
               安田法律事務所 
                     告発人代理人弁護士   安  田   壽  朗

           住所及び居所      不明
                 被告発人   某

第1 告発の趣旨
 被告発人を刑法第226条(所在国外移送目的略取誘拐)の罪で捜査の上、厳重処罰することを求める。

第2 告発に関わる犯罪事実
 被告発人は、国内外の協力者と共謀の上、1988(昭和63)年8月2日頃、美保関と隠岐の島の中間に位置する日本海の海域付近において、当時36歳であった告発人の長男である矢倉富康(昭和26年11月28日生)を国外移送目的を持って略取誘拐し、密かに日本から北朝鮮国内に移送し、現在に至っているものである。

第3 告発に至った事情
1、矢倉富康のプロフィール
 矢倉富康(やくら・とみやす、以下「富康」とする)は、告発人らの長男で、1951(昭和26)年11月28日生まれの、失踪当時満36 才である。富康は、鳥取県立境港水産高等学校を卒業し、米子市富益の日本精機株式会社(以下「日本精機」という)に工作機械製作技術者として勤務していたが、同社が倒産したために昭和59年に退職し、境港に漁船を有して漁業を営んでいた。その当時の住所地は鳥取県米子市大崎2002番地であり、告発人らと同居していた。

2、北朝鮮工作員による拉致を示す事実
  富康は、昭和63年8月2日失踪するに至ったものであるが、北朝鮮工作員らによる拉致である可能性が極めて高い。そのことを示す以下の事情がある。

(1)失踪の状況が極めて不自然であること

富康は、昭和63年8月2日夕方6時、境港港から一人「一世丸(いっせいまる・4.9トン)」で出港し、境港沖の日本海に漁にでかけた。富康は、美保関と隠岐島の中間地点で操業し、翌3日午前6時に寄港する予定であったが、そのまま行方不明となった。海上保安庁と富康の所属する漁業組合全員が操業を中止して富康の操業海域を捜索したが全く手掛かりがなかった。海上保安庁では5日までの3日間、巡視船艇延べ13隻、航空機延べ6機により捜索を実施したが、一世丸及び富康さんの発見には至らなかった。ところが、8月10日、哨戒中の巡視船が竹島の南南東25㎞で漂流していた一世丸を発見した。しかし、富康は船内に見あたらなかった。そして、付近海上も捜索しましたが、なんら手がかりとなるものは発見できなかった。一方、一世丸を調査したところ、左舷前方に他の船と衝突し、かなり強い圧力を受けた痕跡(凹損と擦過痕)があり、その部位には青色の塗料が付着していた。このことから、海上保安庁は、他船による衝突を疑い、衝突相手船について捜索したが該当の船舶は発見できなかった。

  ところで、不思議なことに富康の船が発見された竹島沖は操業予定であった美保関と隠岐島の中間地点からおよそ200km近く離れていた。発見当時一世丸は自動操舵となっており、オイルパイプの破損でエンジンが焼けつき航行不能の状態で漂流していた。一世丸が、このような状況で、操業予定の地点から発見地点へ自力で航行することは不可能であった。また、海流の状態に照らしてもこのような移動は考えられなかった。従って、一世丸は、何者かによって、海難事故を偽装するために美保関と隠岐島の中間地点の海域から遙か200㎞離れた竹島の南南東25㎞まで曳航されたものと見るべきである。

(2)富康には自殺や自発的失踪を行う状況は皆無であった

 富康には自殺を疑わしめる状況は全く無かった。加えて、前述のように失踪の状況が極めて不自然であったこと、また前年に大韓航空機爆破事件が発生し北朝鮮の工作が世に知られる状況があった。このため、告発人らは、富康が北朝鮮関係者に拉致されたに違いないと考え始め、失踪宣告などの手続をとっていない。

(3)富康が北朝鮮が求めていた高い工作技術を持つ技術者であったこと

  富康が北朝鮮にとって必要な技術者であり、北朝鮮がそのことを以前から認識していた可能性が高い。

富康は、失踪3年前までは、日本精機に工作機械製作技術者として勤務する精密工作機械製作の極めて優秀な技術者であった

  日本精機は、昭和59年に倒産したが、かって精密工作機械であるマシニングセンターの国内トップの企業であった。マシニングセンターは、100分の2ミリの精度で鉄などを加工可能な工作機械としてミサイルなど兵器製造には必要不可欠であり、対共産圏への輸出規制品目の一つであった。

  富康はこれを稼働させるためのパンチプログラミングから部品の製作・加工・組立・設置・メンテナンスまで幅広くこなせる優秀な技術者であった。このような技術者は、80人の社員の内3人だけであったと言われている。そのため富康は、日本精機が海外に販売したマシニングセンターの設置や取り扱いについての指導のためにアジアをはじめ中近東・米国・欧州などに度々出張していた。韓国の『現代造船』にも半年単位で単身出張していたり、チェコスロバキア、オーストリア、ポーランドなどにも出張していた。

  他方、北朝鮮は、ミサイルなどの兵器開発に全力を注いでおり、富康の出張先であった共産圏のチェコスロバキアやポーランドなどから技術を導入していた可能性がある。また、富康が出張していた「現代造船所」は、「現代」グループの中心企業のひとつであり、韓国軍需関連企業とし北朝鮮工作員のターゲットであった。このようなことから、北朝鮮がかなり早い時期から高い技術を持つ富康さんの存在を知り、拉致の対象者として着目していた可能性がある。

(4)北朝鮮によるココム違反が頻繁に繰り返されていた時期であること

  前述のとおり、北朝鮮は、軍事兵器開発の必要性から、軍事転用可能な技術や製品の輸入に執着していた。このような事情を背景にして北朝鮮は、富康失踪当時、以下の対共産圏輸出調整委員会(ココム)規制違反事件に関与していた。

ア、ヤマニ水産社長高橋房男外ココム規制違反疑惑事件(昭和62年6月)
  昭和62年6月、青森県八戸市のヤマニ水産社長高橋房男と三重県度会郡南島町阿曽浦、元第八大聖丸船長橋本豊の2人が、北朝鮮に不法出国。出入国管理令違反などで検挙されたが、水中音波探知機などの先端技術製品をココム規制に違反して北朝鮮に輸出していた疑いが生じた(1987年6月21日 山陰中央新報)。

イ、朴日好ココム規制違反事件(昭和62年5月)
  大阪市東区の貿易会社「東明商事」社長杉本日好こと朴日好社長は、ココム規制品目の日本製IC(集積回路)やオシロスコープを北朝鮮に不正輸出し、静岡県警に検挙された(1987年5月19日 山陰中央新報)。

ウ、朝鮮総連傘下団体幹部によるココム違反事件(昭和63年9月)
 在日本朝鮮人商工連合会幹部K(63)は、通商産業大臣の承認を受けず、衣類、日用品と偽ってココム規制対象品であるパソコン等を、朝鮮総連の関係事務所を経由して、63年9月5日、新潟港を出港する北朝鮮貨客船三池淵号でひそかに北朝鮮へ送り込もうとした。新潟県警察は、9月27日、外為法及び関税法違反で関係箇所の捜索を実施し、平成元年2月7日、外為法及び関税法違反でKを検挙した。Kはこの件で新潟簡裁により罰金20万円の判決を言い渡された。

  このようなココム違反事件に見られるように、北朝鮮は、軍事兵器開発に異常な執念を燃やしており、当然のことながら、そのために活用できる技術者を欲していたことは容易に想像できる。

(5)富雄の居住地が、北朝鮮との交流が頻繁に行われ、かつ松本京子や古都瑞子の拉致現場と同じ鳥取県米子市であること。

  富雄が居住していた鳥取県米子市周辺は、拉致銀座とも称すべき地域である。そして、過去、松本京子(昭和52年10月)や古都瑞子(昭和52年10月)らの拉致事件が発生している。この地域は、境港港を擁し北朝鮮との交流の日本海側の拠点の一つであり、また北朝鮮の重要な工作活動の拠点の一つと考えられている。北朝鮮工作員にとって、境港市から米子市にかけては、十分な土地勘が働く地域であり、仮に富康を拉致のターゲットにしようとした場合、土地勘がはたらき、その動向を把握するのは極めて容易である。

(6)過去日本海域及びその周辺が舞台となって北朝鮮の工作活動が頻繁に展開されてきた歴史があること

  富雄が操業を予定していた海域および船が発見された海域は北朝鮮の工作活動が頻繁に展開されてきた歴史がある。また、北朝鮮工作船と見られる不審船が日常的に出没している状況がある。

ちなみに、これまで以下のような北朝鮮による工作が判明しており、富康の失踪の原因が北朝鮮の工作員によるものであることを示唆している。

ア、1959年9月29日、兵庫県美方郡浜坂町で密入国し活動していた金俊英(日本名川上崇弘)が、浜坂海岸で帰国のため工作船を待っていたところを逮捕された(浜坂事件)。

イ、1962年10月16日、兵庫県美方郡香住町余部海岸から朴基華が潜入するという事件が発生した。

ウ、1970年4月14日、巡視船が兵庫県城崎郡竹野町切浜沖約500mにて無灯火の不審船を発見、追跡中の巡視船「あさぎり」に対し銃撃、追跡するも停船させるに至らなかったという事件が発生した。

エ、1974年9月19日、兵庫県城崎郡竹野町切浜海岸(弁天浜の隣接地)で北朝鮮工作員、威国上及び李庸煥の両名が逮捕されるという事件が発生した(切浜事件)。

オ、1977年10月17日、島根県江津市北約15kmの地点に不審船が東に向け航行中との通報により、海上保安部「やなかぜ」が出動し、同県簸川郡大社町日御碕沖で発見、巡視船艇により追跡するも振り切り逃走するという事件が発生した。この船は漁船型で、まもなく北朝鮮の工作船「長久丸」と判明した。

カ、1977年10月の松本京子の失踪の際には、境港沖に北朝鮮工作船と疑わしき不審船が存在していたことが確認された。

キ、1980年6月11日、巡視船が、兵庫県城崎郡香住町余部埼沖約12.5海里(約23km)にて白灯を点じた漁船型の不審船、及び余部埼沖約9.4海里(約17km)にて無灯火小型船を発見した。巡視船艇、航空機が追跡するも、当該不審船はレーダー映像上で無灯火小型船と重なった後、逃走するという事件が発生した。

ク、同年6月12日、同町香住海岸で工作船を待機中の李基吾と黄博が逮捕 されるという事件が発生した(磯の松島事件)。

ケ、1990年10月、福井県三方郡美浜町の松原海岸に船籍及び船名不明の小船が漂着し、同漂着船の形状に加え、装備品、乱数表、換字表等の遺留品の状況から、北朝鮮工作員が潜入・脱出のために使用される北朝鮮工作船の子船であることが判明するという事実が明るみに出た。

第4 告発に至った理由

1、富康の家族である告発人らは、富康の失踪は北朝鮮に拉致されたものとして、失踪宣告を行わず帰還を待っていた。しかし、その所在はつかめないまま時が過ぎ今日に至った。

2、その後、北朝鮮による拉致問題が社会の注目を集める中で、富康と同じ米子市に居住していた松本京子が政府によって拉致認定され、また古都瑞子の家族が告発に踏み切ったことを知った。

3、このような中で、告発人らは、富康の失踪が北朝鮮工作員による拉致であるとの確信を益々強めるに至った。

4、なお、富康の北朝鮮における生存はその可能性が高いものと思われる。一方、拉致からまもなく20年になろうとしており、告発人らも高齢化しており、その救出は一刻の猶予もならない状況である。

第5 結語

  特定失踪者問題調査会へ家族から拉致の疑いがあるとして情報が寄せられた失踪者約500人、その内本人が日本国内にいることが確認できたのは20名(うち1人死亡)、約4%に過ぎず、大多数はその行方について新たな情報すら寄せられていない。2006年(平成18年)11月に日本政府により拉致認定された松本京子について言えば、当初、日本政府は、金子善次郎衆議院議員の松本京子拉致疑惑を質した質問主意書に対して、2000年(平成12年)12月5日付で答弁書を提出し、「所要の調査を実施したが、北朝鮮に拉致されたと疑わせる状況等はなかったものと承知している」と回答したものの、6年後に至って、一転して同女を北朝鮮による拉致被害者と認定した。このように、拉致問題の真相は未だに深いベールにつつまれており、問題の根深さを物語っている。

 現在、北朝鮮工作員によって長期的かつ広範囲に多くの日本国民が拉致されたことがますます明らかになりつつある。このことから考えるとき、北朝鮮による拉致はテロというよりある種の戦争ともいえる状況である。おそらくはこの現状を当初から認識していたであろうわが国政府が、なぜこのような大規模かつ悪質な人権侵害を放置してきたのか、その政治的な意図を含め未だ不明であるが、今やこのような状況を一刻も放置し続けることは許されない。また、日本国民のみならず、2007年(平成19年)4月に警察庁が拉致と断定した高敬美、剛兄弟のような朝鮮籍を含め相当数の在日韓国・朝鮮人もいわゆる「帰国事業」とは別に拉致をされている可能性があり、政府はこの問題も含めて事件全体の調査と原因解明そして失踪者及びその家族の被害回復に全力をもって取り組むべきである。

 とりわけ、警察当局は、多くの失踪者について北朝鮮工作員による拉致を疑い、失踪時において速やかに捜査に着手すべきであったにもかかわらず、失踪事件のほとんど全てにおいて拉致を疑わず、その結果時の経過と共に、証拠の散逸と劣化を許し、事件の全体像に対する解明と被害救済の機会を逸してしまっている。本件は、数多い失踪事件の中にあってとりわけ拉致が強く疑われる事件であり、警察当局がこれまでの反省の上に立って直ちに立件し、速やかに捜査に着手すべきである。
よって、本件告発をなすものである。

添付書類
1、委任状                      2通
2、改製原戸籍謄本 1通
3、写真                       1葉
4、パスポート                    1冊
3、新聞記事コピー                  1通

以上

■平成19年10月31日

朝鮮中央放送委員会・愼範アナウンサーの声の問題について

                                    特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

 去る10月1日の記者会見で発表したように、3月15日に平壌高麗ホテルで撮影された写真に写っていた人物は特定失踪者矢倉富康氏に極めて良く似た在日朝鮮人帰国者・愼範氏である可能性が高い。しかし一方で、愼範アナウンサーの放送の声と帰国者愼範氏の親族(弟)の声、矢倉富康さんの親族(父及び叔父)の声を比較したところ、声帯音及びアクセントの比較では帰国者愼範氏の親族より矢倉富康さんの親族の方がより共通点が多いことが明らかになった。

 東京大学先端科学技術研究センター客員研究員である村岡輝雄博士は、1日の会見で発表したように「(矢倉さんの親族)3人に差はあるが、どれもアナウンサーと似た声のグループに入る。断定することはできないが親族関係がある可能性は存在する。愼範氏の親族の声については、矢倉さんの親族と比較して、アナウンサーの声には似ていない」とのこと。

 また言語学が専門の佐藤亮一・前東京女子大教授は次のように分析している。
「(愼範アナウンサー及び帰国者愼範氏の親族の)音声はどちらも破裂の強い非鼻濁音の[g]であることは共通している。しかも、帰国者愼範氏の親族の声の方が破裂がより強いように感じられる。一方、慎範アナウンサーに見られる複合名詞の後半部分を卓立される特徴(東京アクセントらしからぬ特徴ではないかと感じたもの)は帰国者愼範氏の親族の音声には認められない。

 先日(荒木が佐藤先生に愼範アナウンサーと矢倉さんの親族の声を聞いていただいたとき)、[g]音の破裂の強さが、東京生まれ育ちの人にはあまり見られない特徴ではないかと述べたが、調査したわけではないので、確証はない。ただし、矢倉さんの親族の音声が破裂の強い[g]であったことは確かである。そもそもガ行鼻音の音声は親の影響を受けやすい。在日朝鮮人のガ行鼻音がどのような音声であるかも検討しなければならない。アナウンサーの声と帰国者愼範氏の親族の音声が親族関係にあるかどうかは何とも言えない(似ているような気もするが)。アナウンサーの音声が矢倉富康さんであるかどうかついても、現段階では、否定も肯定もできない」

 断定はできないものの、本件がもともと安倍政権中枢へのルートを作ることを目的として行われた工作である可能性は高く、またそこに、先日の南北首脳会談で金正日に同席していた金養建をトップにいただく労働党統一戦線部が関与している可能性も指摘されている。一方警察は写真について当初から合成写真の可能性を指摘しており、これも真偽の程は不明だが、合成なら合成で、単なる在日の帰国者の写真をこのような形で出すことは考えられない。そしてアナウンサーの声が帰国者愼範氏でないならば、写真の人物が特定失踪者矢倉富康さんと極めて良く似ていたのも偶然ではない可能性が出てくる。

 いずれにしても真相の究明をしなければならない。そして、そのためには調査会関係者が直接平壌を訪れ愼範アナウンサー及び中央放送委員会・統一戦線部関係者から事情聴取をする必要がある。北朝鮮当局に調査団の受け入れを求めるとともに、日本政府からも北朝鮮側に働きかけるよう要請するものである。
                                                        以上

■しおかぜ第2放送、国内送信へ切り替えについて

                                                           特定失踪者問題調査会

 これまで、イギリス(ロンドン)の放送配信委託会社であるVTコミュニケーションへ配信委託をしていた第2放送(22:00〜22:30)を、10月28日より第1放送同様にKDDI(株)八俣送信所からの送信に切り替え、発信を開始しています。

 今回の切り替えは、八俣送信所から発信する事で、これから冬期に向かうにあたって出来るだけ低い周波数が、伝搬上聴き取りやすくなること、さらに北朝鮮付近での伝播上および電波環境の改善、業務上日本とロンドンの時差によって生じていた不具合の解消、以前からお伝えしている通り、調査会の資金難により第1、第2を合わせて、月額約10万円程度の経費削減、そして最も重要なのは、日本国内からしおかぜを発信する事による北朝鮮へのさらなる圧力という点です。当然の事ながら、新たに第2放送を国内発信にするためにはNHK様、KDDI様の承諾が必要となりますが、両社共に前向きにご検討いただき実現することとなり、そのための免許書き替えの作業は8月初旬から開始し、10月23日に指定変更通知並びに無線局の免許を関東総合通信局より交付されました。

 しおかぜは、現在まで約2年間放送して参りました。そしてその効果は確実に北朝鮮へ効いていると確信しています。他の対北朝鮮放送とも連携し、バルーンプロジェクトを初め今後あらゆる手段で北朝鮮国内へ大量の情報を注入して行くことが、拉致問題の解決へ向けて、多大な影響を与えると考える次第です。

識別信号:JSR(呼出符号)しおかぜ(呼出名称)
放送時間:5:30〜6:00(10/29日より)
 周波数:5965kHz
放送時間:23:00〜23:30(10/28日より)
 周波数:5985kHz
送信出力:100kW(2波共に)
契約期間:2008年3月30日まで
                                                       以上


■「しおかぜの集い」実行委員会

                                          平成19年10月31日
                                          特定失踪者問題調査会
第3回『しおかぜの集い』実行委員会・開催結果について

1  概要

 10月20日(土)調査会・3階会議室において第3回『しおかぜの集い』実行委員会が開催され、日程、イベント内容などについて討議し、それぞれの会場に関する実行委員長などの役員等、以下のような概要が決定した。なお、今回の集会は調査会として初めて開催する主催集会である。

2  内容

(1) 日程及び時程 

 「北朝鮮人権侵害問題啓発週間(12月10日~16日)」最終日の12月16日(日曜日)とし、東京会場においては10:00から17:00までを開催時間とし、大阪会場においては、13:00から15:00までの間を開催時間とする(大阪会場の開催時間は会場の状況により若干変更になる可能性あり)。この間東京会場と大阪会場でインターネットによる二元中継を行いメイン・イベントとする。

(2) 会場
   ア  東京会場 : 陸上自衛隊・広報センター
   イ  大阪会場 : 大阪市立中央青年センター

  (3) サブ・タイトル
「かならず助ける! すべての拉致被害者の早期救出を!」

(4) イベント内容
   ア 東京会場
(ア) 写真パネルおよび資料展示(広報センター1F、階段および2F会議室)
(イ) メイン・イベント(失踪者家族の訴え、来賓・家族を交えた質疑、要請文採択、しおかぜ公開収録)
※ 要請文は「しおかぜの集い参加者一同」として採択し、後日政府に届ける。
(ウ) 失踪者家族と来賓・一般見学者等との交流・懇談会

   イ 大阪会場
(ア) メイン・イベント(東京会場との二元中継による集会参加)
(イ) メイン・イベント終了後の単独集会

(5) 役員
ア 東京会場
(ア) 実行委員長 : 大澤昭一(大澤孝司さんの兄・全体の実行委員長を兼ねる)
(イ) 事務局長 : 曽田英雄(調査会理事・全体の事務局長を兼ねる。)
(ウ) 実行委員(五十音順)
生島馨子(生島孝子さんの姉)・斉藤駿(斉藤宰さんの弟)・S(非公開者の兄)・鈴木 智(鈴木賢さんの兄)・高野美幸(高野清文さんの父)・竹川朋子(岩佐寅雄さんの親戚)・竹下珠路(古川了子さんの姉)・
松岡圭子(松岡伸矢さんの母)・宮本剛志(宮本直樹さんの兄)・森本美砂(山本美保さんの妹)
  (エ)担当役員:大阪会場担当調査会役員

  イ  大阪会場
  (ア) 実行委員長 : 秋田正一郎(秋田美輪さんの父) 
   (イ) 副委員長 : 中林葵(大阪ブルーリボンの会事務局長)
   (ウ) 事務局長 : 三宅博(調査会・理事)
   (エ) 実行委員:山下きよ子(山下貢さんの母)・山下寛久(山下春夫さんの兄)
   (オ) 大阪会場担当調査会役員:岡田和典(常務理事)・杉野正治(常務理事)・妹原仁(常務理事)  

3  その他

※事前の広報を行うため、早急にチラシ等の作成を行い、講演会、集会などの会場で配布・広報、PDFファイルでのインターネット掲示等を行う。
 ※11月28日に調査会の定例会見を東京大阪同時2カ所で開催し、その模様を2元中継し、集い当日の試験を兼ねる。
                                        以上

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2007年10月27日

雑感

※以下は昨日27日付の調査会NEWS 566号に書いたものです。

 金尚哲先生は韓国の弁護士で、金泳三政権のとき1週間だけソウル市長を勤められた人です。保守系オピニオン新聞である「未来韓国新聞」の社主であり、保守系の重鎮です。

 安明進氏の第一審判決の後、金先生が弁護人になったと聞いてともかく安心しました。守る会の三浦小太郎さんは「金尚哲さんが弁護をするなら、どういう判決になっても満足できるのではないか」と言っていましたが、私も全く同感でした。

 「未来韓国新聞」には私の月刊「諸君!」に書いている連載もときどき訳載してくれており、直接書き下ろしの原稿を掲載してもらったこともあります。未来韓国新聞には一度お邪魔したことがあるのですが、金先生の弁護士事務所と同じところで、もちろん現政権からは目の敵にされている人でもあり新聞としての経営は厳しいのでしょうから、おそらくご本人がかなりの持ち出しでやっておられるのだと思います。それでも金先生は盧武鉉政権、金正日体制との戦いを続けており、韓国の中でも信望を集めている人です。

 今月19日に安明進氏の高裁判決が出ると聞いたのは10日ほど前のこと。嘆願書については前から考えていたのですが、判決がそれほど早いとは思いませんでした。あわてて金先生に電話し、「これからご家族の嘆願書をもらって判事に送っても間に合うでしょうか」とお聞きしたところ、「それは効果があると思いますよ」とのご返事でした。

 ただし、2、3日のうちに届かないと間に合わないとのことで、直ぐに横田さんご夫妻と古川了子さんのお姉さんである竹下珠路さんにお願いし、書いていただいた直筆のソウル高裁宛の手紙と私の下手な訳文を付けて送りました。ちょうどジャーナリストの金基柱さんも安さんの日本での活動に関する資料をまとめて送るところだったので、一緒にして金先生に送ってもらいました(安氏のことについてはも彼のために尽力したジンネットの高世仁さんのブログ「諸悪莫作日記」にも書かれています。ジャーナリストの中でも彼について真剣に心配していた人は少なくありません)。

 横田さんと竹下さんの嘆願書について言えば、これをお願いし、金先生に託したのは私ですから、もし彼が再犯など期待を裏切ることをしたなら、当然その責任は私が負うべきことです。逆に言えば、支援してくれた人たちの気持ちを裏切らないように、彼には一層努力してもらいたいと思います。

 さて、金尚哲先生ら、韓国保守系の人々は米国の対北政策転換で孤立化しつつあります。現在のままなら政権奪回の可能性の高い野党ハンナラ党も米国にあわせて対北政策を宥和政策へとシフトしており、それにあきたらない保守系の一部は前回選挙のときのハンナラ党候補である李會昌・元総理を担ごうともしています。米国の迷走はそんな影響も与えており、その意味では韓国の中で逆に日本への期待が高まっているとも言えるでしょう。韓国の状況、北朝鮮の状況、そして米国の状況からすれば今が日本のプレゼンスを高める絶好のときとも言えます。左翼からの激しい攻勢の中で、日韓の連帯については韓国の中ではなかなか正面を切って語りにくい状況ですが、日本がもっと毅然とした姿勢を見せれば韓国の中の状況も大きく変わっていくと思います。

 金先生も、安明進氏も、私たちも、そしてできれば福田総理も、皆が力をあわせて共通の敵である北朝鮮の独裁体制を倒し、拉致被害者の救出をはじめ、北朝鮮にいるすべての人々の人権の回復がなされるようにしていきたい、やがて平壌で、その実現を祝って皆で乾杯する日が来るように、切に希望している次第です。金尚哲先生の話からだんだんそれてきましたが、ちょっと思っていることを書いてみました。

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2007年10月26日

「生存者全員の帰国」

以下は今日(10月26日)発信した調査会NEWS 565号に「総理の家族会との面会について」と題して書いたものです。
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  今日午後7時から福田康夫総理が家族会の皆さんと面会されるとのことです。

 それ自体はもちろん結構なのですが、今回特定失踪者に関する配慮は全くなされないようで、私たちに対する事前の説明も呼びかけも一切ありませんでした。古川了子さんの拉致認定を求める訴訟のとき、被告である政府側は「未認定者を差別してはいない」という趣旨の発言を繰り返してきましたが、結局口だけだったということになります。

 ところで、昨日は高村外相が記者会見で「(拉致被害者が)何人かでも帰国すれば進展であることは間違いない」「進展の度合いに応じて日朝関係の改善のために我々も行動を取っていくのは当然このことだ」「北朝鮮がすべてについて説明責任を明らかにし、生存者全員が帰国すれば、(拉致問題は)大部分が解決したということだ。真相究明や首謀者の糾弾は当然求めていくが、一番大きいのは生存者が全部帰国することだ」と語っています。

 政府はたびたび(安倍政権当時も)「生存者全員の帰国」を強調しているのですが、この言葉にはレトリックがあります。「生存者全員が帰国」というのはそもそもどうやって確認するのかということです。

 北朝鮮は政府認定者で未帰還の人の大部分が死亡していると言っています。たとえば、その内の何人かを「実は生きていました」と言って返してきたとしても「やはりこの人は死んでいました」という人はどうするのか。あるいは原敕晁さんや久米裕さんの事件で関係者が捕まっていなければ拉致自体が分からなかったような、人間関係の希薄な人を狙って拉致した場合、拉致が成功していれば、政府認定どころか、特定失踪者のリストにすら入っていない可能性があります。このような拉致被害者の場合、北朝鮮側が出してこない限り分かりません。もちろん、今の金正日体制がそんな「過剰サービス」をするはずもなく、「生存者全員の帰国」というのは、北朝鮮の体制を変えない限り絶対に実現できないことです。その点は総理のみならず、マスコミの皆さんも、国民の皆さんも十分に理解していただきたいと思います。

 同様に「何人かの帰国で進展」というのは、本来外務大臣が言うべき言葉ではないと思います。拉致被害者の救出というのは会社と労働組合の賃金交渉ではないのです。いくらベースアップするかではない。工場で事故があって、何人かが危険な状態になれば、会社も組合もなく救出に全力を尽くすでしょう。どちらかと言えばそういう事態ではないでしょうか。外相が分からないで言っているのか、あるいは意図的にそう言っているのか分かりませんが、しっかりと本質を認識してもらいたいと切に希望します。

 また、寺越昭二さん、外雄さん以外にも、あまり想像したくはないですが、拉致の過程ないし拉致されてから亡くなった方も当然おられると思います。私たちはやがてその重い現実に向き合わなければなりません。それらの方について、「亡くなっていました」で済ませることができるのか。拉致をした側の責任、そして防げなかった政府の責任は当然存在します。 「生存者全員が帰国」という言葉の裏にはその責任を回避しようという意図があることを絶対に忘れてはならないと思います。

 さて、総理は今日、家族会の皆さんにどう説明するのでしょうか。

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2007年10月19日

安明進氏の判決

 今日10:00からソウル高等法院(高裁)で安明進氏の裁判がありました。先程、傍聴していた真鍋貞樹・調査会専務理事から電話があり、「懲役3年、執行猶予5年、判決文の中で拉致問題での証言などの活動が認められたとの文言があった」とのこと。第一審では求刑3年に対し判決が実刑4年6か月というものだったので、どうなるだろうかと心配していたのですが、とにもかくにも胸をなで下ろした次第です。
 横田めぐみさんのご両親、滋さんと早紀江さん、そして特定失踪者古川了子さんのお姉さんである竹下珠路さんも彼の減刑のために嘆願書を書いて下さいました。罪は罪で深く反省してもらわなければなりませんが、あらためてそれらの人たちの期待を裏切らないよう、頑張ってもらいたいものです。

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2007年10月16日

謹話

資料的な意味も兼ねて昭和天皇御崩御のときの民社党の謹話を掲載しておきます。

 特に保守系の方々と話すとき、「昭和天皇御崩御のときの民社党の謹話は格調の高いものだったと思いますよ」とたびたび言っているので、中身を聞かれることもあり、どこかで中身を載せておいた方がいいと思った次第です。昭和天皇ご不例当時、民社党本部では国政選挙以外では通常とらない当直勤務態勢になり、ご病状の急変などに備えていました。

 不思議と思われるかも知れませんが、民社党の中でも、社会主義にこだわる人(あるいは、「社会主義」という言葉は使わなくても思想的な事に強い関心を持つ人)ほど、皇室とか安全保障問題とか、いわゆる国家の基本問題に対する関心が強かったように思います。おかげで社会党・共産党からは「自民党より右」と言われてきたのですが、その社会党は民社党を飛び越して村山内閣で自民党と手を結び、今共産党は全選挙区擁立の看板を下ろして元自民党幹事長が代表をしている政党と手を組もうとしているのですから、歴史というのは皮肉なものです。
 まあしかし、そんな状況だからこそ解党以来13年経ってもまだ「民社精神」などと言っている人があちこちにおり、私もバックの中には民社党の党員証をいつも入れているのですが。
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天皇陛下御崩御にあたっての塚本委員長謹話
昭和64(1989)年1月7日

 ご快癒を願う全国民の祈りもむなしく、天皇陛下崩御の報に接し、わが党は国民とともに深く哀悼の誠を捧げる。
 言い知れぬ悲しみと感慨をもって、われわれは今、ご生前のお姿と、六十余年に及ぶ昭和の歴史を想い起こしている。
 かえりみれば昭和は激動の時代であった。戦前の大恐慌、軍国主義化と不幸な戦争、敗戦、連合国による占領から史上稀に見る経済成長と、まさに昭和は日本にとって最大の歴史的試練の時であったといえよう。
 その中にあって、戦前の統治権の総攬者から象徴天皇へと変わられたが、陛下はつねに日本国民の心のよりどころとして、国民の喜びを喜びとし、国民の悲しみを悲しみとして、日夜お心を砕いてこられたのである。戦争終結に際し、「萬世ノ為ニ太平ヲ開カム」と、ご一身をかえりみず、国民を救おうとされたお心を国民は永久に忘れないであろう。
 陛下に直接接する機会を与えられた者で、わが国の歴史と伝統の中心に立つご存在として、公務にご精励あらせられるお姿に感動しない者はなかった。また、その温かいお人柄と、世界平和と国民の幸せを願うお心に触れるとき、誰もが深い敬愛の念を抱かずにはいられなかったのである。
 われわれは、歴代天皇の中で最長の御在位となられた陛下の一層のご健康とご長寿をお祈り申しあげたが、その願いもかなわず、崩御あらせられたことは真に断腸の思いである。ここに、われわれも全国民とともに、衷心より哀悼の意を表し、謹んで深く喪に服す所存である。

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2007年10月 9日

幻のスクープ

 以下は今から13年前、民社党機関誌「週刊民社」平成6年9月30日付に掲載されたコラム「北朝鮮危機!」である。当時私は党本部の機関紙局にいて、このコラムの担当をしていた。インタビューした法務省幹部は当時法務省入国管理局審判課長、現在は脱北帰国者支援機構の代表である坂中英徳氏である。坂中さんは当時上部の了解を得てこの30万人という数字を述べたという。したがって、これは日本政府が想定する難民の数を日本政府が明らかにしたという意味でかなりのスクープだった。

 しかし、当時民社党の勢力が小さかったうえに政界再編の動きが進んでおり、民社党はこの年12月解党して新たに発足した新進党に日本新党、公明党などと共に合流した。そのため実際は大きな話題を呼ぶはずのこのインタビューはそれほど関心を呼ぶことがなかった(正直なことを言えば、取材した私自身がこの数字の持つ意味を十分に理解していなかったとも言える)。この年の7月8日には金日成が死亡、日米韓で北朝鮮の体制崩壊の可能性が語られていたときであり、難民の問題も一部には提起されていたが、まだ日本の一般国民にまで実感として迫ってきていたわけではなかった。当時脱北帰国者はまだおらず、1987年の「ズ・ダン号」事件以来北朝鮮からの難民漂着に類する事件はなかったしかたなかったのかも知れない。

 このインタビューからすでに13年、帰国者やその日本人妻もかなりの数の人が鬼籍に入り、実際問題として30万の難民の可能性はなくなっているが、少なくとも当時政府の中でそれを想定し、対策を立てていた人がいたことは特筆されるべきだと思う。坂中さんは在日の定住問題についても、現職当時から「日本国籍をとるべき」との論陣を堂々と張っておられ、その一貫した姿勢は反対の立場にいた在日からも評価されていた。法務省に限らず、今もこういう官僚はいるのだと信じたいのだが…。

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 北朝鮮崩壊が日本に与える影響として心配されていることの一つが難民問題。これは量的にも質的にも日本がかつて経験したことのない、極めてデリケートな問題である。今回は法務省入国管理局の幹部にインタビューした。
 ー難民が来るとなると、大体どのくらいの規模が想定されるでしょうか。
 「正確な数の予測は困難ですが、北朝鮮からの難民の多くは陸路韓国と中国に向かうと思います。しかし、北朝鮮で迫害を受け、困窮生活を余儀なくされている在日朝鮮人帰還者およびその日本人配偶者約十万人、その家族を含めると約三十万人は日本に避難してくる可能性が高いと思われます」
 ーその場合の対応はどうなりますか。
 「北朝鮮から大量の難民が到着するという非常事態が発生した場合には、政府全体による国家的見地からの対応が必要であり、内閣に対策本部が設置されることになると思います。まず保護を求めて日本に到着した難民は一定の施設に収容する必要がありますので、難民の収容施設の確保が最大の課題となります。次に個々の難民の身分事項などを審査していくわけですが、これは膨大な作業になると思います。そのため、相当数の審査要員を確保する必要があります」
 ー審査の後、難民の定住が認められることになるのでしょうか。
 ー日本に到着した難民について身分事項などを審査し、日本人、日本人の配偶者、在日朝鮮人帰還者、その他の朝鮮人などに振り分けた上、入管法(出入国管理及び難民認定法)に従いそれぞれの扱いが決められることになじます。日本に到着したすべての難民の定住が認められるわけではなく、本国に送り返すことになる難民もかなりでてくると思います」
ー在日韓国・朝鮮人社会にも影響は少なくないでしょうね。
 「民団(在日韓国人の全国組織)などには身元確認の協力をお願いすることになるでしょう。さらに、いつまでも難民を収容施設に入れておくわけにはいきませんので、日本にいる親族に身元引き受け人になってもらうケースもでてくると思います。
 ーいずれにしても。日本社会全体にとって大変なことですね。
 「朝鮮半島から難民が日本に殺到するというような事態が起こらないこと強く望みます。しかし、最近の朝鮮半島の状況を見ますと、出入国管理を担当する者として、万一そのような事態が生じた場合を想定して、的確に対応するための方策について真剣に検討する必要があると考えています」

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2007年10月 8日

工作船と拉致

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 これは富山県・黒部川河口で発見された北朝鮮工作員の水中スクーターです。富山県警の警察学校に展示してあるもの。同様の水中スクーターは福井県の美浜に打ち上げられたものと、奄美沖で海保の巡視船と銃撃戦をやって沈んだ工作船からも見つかっています。

 奄美沖の工作船から出てきた水中スクーターは横浜の海上保安庁の展示施設に工作船とともに展示してあります。

 実は12月16日に陸上自衛隊広報センターで開催予定の「しおかぜの集い」でこの水中スクーターを借りて展示しようと思ったのですが、海保からはお断りの返事をいただきました。普段調査などで色々お世話になっているので悪口を言うつもりはないのですが、貸し出せない理由として言われたのが「工作船が拉致に使われた証拠がない」とのこと。聞いて思わず絶句してしまいました。

 なるほど「法と証拠」とはこういうことなのですね。借りられるのは拉致被害者がすべて救出されて、真相究明が終わった後になるのでしょうか。まあ、そのときは調査会はとっくに解散しているはずなのですが。

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2007年10月 2日

矢倉さんと愼範アナウンサーの問題について

※以下は昨日の記者会見で発表した文書です。一部の報道ではこの「お詫び」の部分だけが取り上げられたようですが、本件はまだ起承転結の「起」か「承」くらいのところです。ぜひ今後の展開に注目していただきたいと思います。

■矢倉富康さんと愼範アナウンサー、3月15日撮影の写真に関わる問題について
        特定失踪者問題調査会 代表 荒木和博

 調査会では7月9日の記者会見で入手した写真(訪朝した日本人と北朝鮮側の人間が3月15日に平壌・高麗ホテルロビーで写した集合写真)の中に写っていた男性について、特定失踪者矢倉富康さんの可能性が高いとして発表した。その後この人物が朝鮮中央放送で対日放送を担当する愼範というアナウンサーであるとの情報を得、その放送の音声の分析を東京大学先端科学技術研究センター客員研究員である村岡輝雄博士に依頼し、「矢倉さんのお父さんと愼範アナウンサーの声には共通点があり、似ている」との結果を8月21日に記者会見を行い発表した。

 その後、調査会事務所に「写真の人物は自分の兄愼範で、昭和47年に帰国した在日朝鮮人である」と語る人物が知人と共に訪れた。その場では写真等もなく判断しかねたが、後に帰国者愼範氏の北朝鮮での写真及び帰国前の写真を預かり、橋本正次東京歯大教授にも検討していただいた結果、「3月15日の写真の人物と比較した場合、矢倉富康さんと帰国者愼範氏はどちらも非常によく似ているが、二人を比較すれば鼻の下のホクロの有無、加齢変化の程度(眉の濃など)を考慮すると、帰国者の愼範氏の方がより似ている」との判断に達した。

 したがって、「写真の人物は矢倉富康さんに極めてよく似た別人である可能性が高い」ということになる。もとより写真による分析は可能性の多寡の問題であり、会見の場において私が断定的な表現をしたことで関係各方面にご迷惑をおかけした点についてはお詫び申しあげたい。

 一方、調査会では矢倉富康さんの父である三夫さんと、三夫さんの弟さん(富康さんの叔父)お二人の声を録音し、前回同様村岡博士に分析を依頼した。その結果、「三人に差はあるが、どれも愼範アナウンサーと似た声のグループに入るので親族関係がある可能性は存在する。ただし、世の中には50億以上の人がおり、当然似た声の人もいるから断定することはできない」との分析がなされた。また、アクセント等について言語学の専門家である佐藤亮一・前東京女子大教授にも分析を依頼したところ、断定はできないものの愼範アナウンサーの言葉は東京の人間のものでない可能性があり、中国地方ないし九州地方の人の特徴に近い、とのコメントをいただいた。ちなみに帰国者の愼範氏は東京出身である。

 また、一部の報道には合成写真の可能性も提起されていた。これは警察などの判断によるものとされる。北朝鮮はこの写真を当時の安倍政権中枢へのルートを作るために使おうとしたふしがあり、ならば単なる帰国者の写真を合成して流すということは考えられない。

 以上を整理するとこの問題には次の5人の登場人物が存在することになる。

1、3月15日の写真で一番左に写っている人物
2、在日朝鮮人愼範氏
3、「チョソンの声」で放送している愼範アナウンサー
4、矢倉富康さん
5、(写真が合成であった場合)本来写真のその場所に立っていた人物

 このうち、今回1と2が同一人である可能性が高くなり、3と4が同一人である可能性が存在することが確認されたわけだが、そうなると1と4が「極めて良く似た別人」だった場合も、何らかの作為が存在する可能性が出てくることになる。写真を出した北朝鮮側の意図も依然不明である。

 本件については以上のようにまだ不明の部分が多いが、今後も調査会としては周辺状況を含めて調査を行い、適時発表していく予定である。また、真実を根本的に明らかにする最善の方法は調査会の役員が平壌に行き、愼範氏及びその関係者と面談して事情を聴取し、写真撮影や音声収録をしてくるしかない。すでに9月11日の日朝国交正常化作業部会の報告会の折、その主旨は政府側に伝えてあるが、再度正式に依頼し、北朝鮮当局に要請してもらうよう伝える予定である。なお、矢倉さん自身についてはこの写真の問題の結論と関係なく拉致の可能性が高いと考えており、実際1000番台リストに載せたのもこの写真の情報を入手する前である。したがって刑事告発は本件を一旦切り離して10月31日に行う予定である。

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