7月20日の平壌放送は午前10時から、「安倍一味の『拉致』騒動は自滅を招くだけである」と題する「朝鮮民主主義人民共和国外務省備忘録」(19日付)を伝えました。これについてはすでに報道がなされており、日本の外務省も簡単な反論を行っていますが、全文を読まれた方はあまりいないと思いますので、参考まで全文をお知らせします。
北朝鮮の文書を読むといつも関心するのですが、よくこれだけ恥ずかしげものなく書けるものです。もちろん、威勢良く書かないと中で評価されないからでしょうが、それにしても、読んでいると「悪いのは拉致された日本の方か?」と思ってしまったりします(そう言えば、今日7月27日は朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた日ですが、北朝鮮では戦勝記念日ということになっています)。
例えば、「植民地支配」の精算をしていないから拉致が行われたかのような記述がありますが、そうするとタイやレバノンやルーマニアも北朝鮮を植民地支配したんでしょうか。まあ、突っ込みどころはいくらでもあるのですが、とりあえずはお読み下さい。なお、まだ朝鮮語の原文を読んでいないので分かりませんが、日本語訳(ラジオプレスの訳文、但しカッコなどで補った部分は省略してあります)ではかなりマイルドになっていると思います。
なお、折角ですから、朝鮮総聯はこれを大々的に印刷して街頭で配ったらどうでしょうか。日本語の訳文が出ていないのは、何となく日本人を怒らせたくない、でも国内では強硬にしないと立場が危ないというジレンマがあることの証拠のようにも思えます。
時間があったら私も北朝鮮調で「備忘録」でも書いて自分のブログにでも載せてみたいと思います。(荒木)
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(翻訳はプリントされたものをスキャニングしてデジタルデータに直しましたので、一部修正漏れのある可能性があります)
日本が、すでに解決された「拉致問題一に引き続き固執し、反共和国敵視策動に執拗にしがみついている。
安倍政権は「拉致問題」が未だに解決されていないと我を張り、わが共和国に国際的圧迫を加えようと哀願外交を慌しく繰り広げている。
彼らは、「拉致問題」を巡って朝鮮に経済制裁を加えただけでは飽き足らず、総連まで抹殺しようと画策している。
そのため、朝日関係はもちろん、朝鮮半島非核化のための6者会談にまでいま一つの危機が近づいている。
安倍政権が「拉致問題」を持ち出して、わが共和国に対する挑発をエスカレートさせている裏には不純な打算と目的がある。
朝鮮民主主義人民共和国外務省は、「拉致問題」を悪用しようとする日本当局の策動がもたらしかねない危険な悪結果について、国際社会の注意を喚起するために備忘録を発表する。
(1)
「拉致問題」は、わが共和国の誠意ある努力によってすでに解決された問題である。
1999年12月、日本の元首相・村山富市を団長とする日本政党代表団の朝鮮訪問時、日本側は、日本人行方不明者13人に対する安否調査を実施することを、わが方に提起した。
2000年3月に北京で開かれた朝日赤十字会談において、わが方は、当該機関が日本側の要請した行方不明者らに関する安否調査を始めたということについて知らせた。
2001年12月、朝鮮赤十字会は、日本の反共和国敵視策動が強化されたことに関して、やむを得ず安否調査事業が中断されることになるということについて日本側に通知した。
朝鮮民主主義人民共和国政府は、行方不明者問題の人道主義的な性格を考慮し、2002年4月に特別調査委員会を組織して全国的範囲で調査事業を行った。
調査の結果、1970年代末から1980年代初めまでの期問、一部の個別的な人々が日本人を拉致した事件があったということが明らかになった。日本がかって朝鮮人民に及ぼした前代未聞の過去犯罪に対して謝罪、補償せず、逆に共和国を引き続き敵視することにより、わが人民の反日感情が非常に高くなっていた時期に発生した事件であった。
日本が適時に過去を清算して法的・道義的貴任を果たしていたなら、「拉致問題」は最初から発生しなかったであろう。
2002年9月17日、日本の小泉前首相の平壌訪問期間、日本人行方不明者13人が拉致被害者として確認され、そのうち5人が生きており、8人はすでに死亡したという調査結果が日本側に通報された。
「拉致問題」が発生したことについて、朝日最高位級会談において公式に遺憾の意が表明された。
同じ世紀、これより先に日帝によって敢行された840万人余りの朝鮮人強制連行、100万人余りの虐殺、20万人に対する日本軍「慰安婦」への強要など、大規模な反人倫犯罪による莫大な被害が全く清算されていない環境において、共和国政府が10人余りの日本人拉致問題を先に解決するために誠意を示したのは、決して易しくない勇断であった。
小泉前首相の訪問期間、同行した日本外務省関係者らが、拉致被害生存者らと死亡した被害者・横田めぐみの娘に会って身元を確認した。
朝鮮民主主義人民共和国外務省は2002年9月19日、スポークスマン談話を通じ、拉致被害生存者らが希望する場合、日本への帰国や故郷訪問が実現できるように必要な措置を取る用意があるということを明らかにした。
2002年9月28日から10月1日までの期間、内閣府と外務省関係者らで構成された日本政府代表団が平壌を訪問し、拉致被害者らの生活経緯と死亡者らの死亡経緯、事件関係者らの処罰状況を含む調査結果の細部資料について補充的に通報され、具体的に了解した。
日本政府代表団は、拉致被害死亡者らの墓地と火葬場、横田めぐみが入院して自殺した49予防院などを直接見て回り、関係者らと会って横田めぐみの病状、入院生活と治療状況、自殺当時の状況などについて具体的に聴取、確認し、訪問結果に満足の意を示した。
2002年10月15日、共和国政府は、日本側の要請に従い、拉致被害生存者5人が故郷を訪問できるように日本旅行を実現させた。
彼らがまず1〜2週間、日本を訪問して帰った後、子息らと協議し、今後の居住問題を決めることができるよう便宜を保障しようということが朝日政府間に成立した合意事項であった。
ところが、日本政府は、生存者らが日本に到着した後の10月30日、突然彼らを送り返さないという決定を一方的に発表した。
これが「拉致問題」の解決過程において日本側が約束を覆し、信義を捨てた最初の実例である。
後に判明したところによれば、この決定の背後には当時の内閣官房副長官・安倍晋三がいた。
こうして、「拉致問題」を解決して朝日関係改善の雰囲気を整えようとしていた共和国政府の努力は水泡に帰し、朝日関係は対決状態に戻った。
2004年5月22日、小泉前首相が「朝日平壌宜言」を再確認するために再び朝鮮を訪問した。
前首相はこれまで、朝日間に好ましくないことがあったことについて遺憾の意を表し、わが方に「拉致問題」について再調査し、拉致被害者の子女らを日本に送ることを切に要請した。
共和国政府は、小泉前首相が日本に帰る時、拉致被害生存者の子女5人全員を一緒に連れて行くようにし、6月初めから調査事業を再開するようにした。
その後の2004年8月と9月の2回にわたり、中国の北京で行われた朝日政府間実務接触を通じ、日本側に対して追加的に明らかになった調査結果が知らされた。
2004年11月には、内閣府と外務省、警察庁の関係者ら、法医学専門家らで構成された日本政府合同代表団が朝鮮を訪問し、1週間にわたって死亡者らに関する現地確認事業を実施するために必要なあらゆる便宜が図られた。
日本政府合同代表団は、わが方の特別調査委員会から50時間余りにわたり、日本側の疑問事項に関する具体的な説明を聞き、死亡者らの生死を確認できる16人の証人、目撃者らと面談を行い、死亡者らが生活していた場所も見てまわった。
代表団側の要請に従い、補充確認のために団長が横田めぐみの夫キム・ヨンナムに会い、彼に頼んでめぐみの遣骨を譲り受けた。
めぐみの遺骨まで持って日本に帰還した代表団団長は11月17日、日本の国会参議院拉致問題特別委員会で「横田めぐみの病歴書が全体的に信憑性あるという感じを抱いている」と証言した。
このように、共和国政府の真摯かつ誠意ある努力により、13人の拉致被害者のうち、生存者5人とその子女7人のだれもが日本に帰り、父母の希望の通りに横田めぐみの遺骨まで日本に帰ったことにより、「拉致問題」は終結した。
(2)
安倍一味は「拉致問題」が解決したことを必死に否認し、「拉致」騒動に執拗にしがみついている。
横田めぐみの遺骨が偽物だという説を持ち出したのが、「拉致問題」が解決した後の日本の最初の反応であった。
2004年11月17日、当時の自民党幹事長代理・安倍は、東京都で行った講演において、わが方が日本政府合同代表団に通報した資料について「聞くに値するものがなく、引き続きウソだけを並べている。誠意が全く感じられない。これ以上、協議を継続するのは無意味である。北朝鮮には圧力しか通じず、当然、経済制裁を発動する段階に至った」と暴言を発した。
安倍一味は、めぐみの遭骨を科学警察研究所と東京歯科大学、帝京大学に分散して鑑定するようにした。
科学警察研究所は、火葬時に遺骨が高温で燃やされたのでDNAを検出できない、と発表し、東京歯科大学も、骨相学的な検証が不可能だ、と述べた。
それにもかかわらず、当時の内閣官房長官・細田博之は12月8日、横田めぐみの夫が渡した遺骨が「本人と異なる2人の骨」だという鑑定の結果を公表した。
これと時を同じくして、安倍は、共和国に対する経済制裁を即時発動すべきだ、と主張し、結局、日本政府は、小泉前首相が平壌訪問時に確約した人道主義支援を凍結する、と発表した。
2004年12月25日、日本側はわが方に「遣骨鑑定結果に関する報告書」なるものを送ってきた。
鑑定方法と鑑定内容に関する説明に矛盾点があり、さらに鑑定人と立会人の署名や鑑定機関の公認もないインチキ文書であった。
英国の科学雑誌「ネイチャー」2005年8月17日付は、横田めぐみの遺骨を鑑定した帝京大学助教授(放送のまま=RP)吉井富夫が自らの結論が確定的ではないこともあり得、遺骨が他人のDNAに汚染されていた可能性もあると認めた発言内容を掲載し、「日本の政治家らの立場がいくら苦しくても、科学的解析の意味を正しく受け入れなければならない。北朝鮮との闘いで彼らは外交的手段を動員すべきであり、科学の尊厳を傷つけてはならない」と指摘した。
米国雑誌「タイム」2005年4月4日付は、「吉井が使った分析技法は信頼性に問題が多く、米国の専門法医学研究所ではこの方法を使わない」とし、日本の雑誌「世界」「アエラ」と南朝鮮のマスコミも、同じ疑問を呈した。
横田めぐみの遺骨鑑定の結果に対する疑問が国内・海外へと広く拡大するや、日本当局は、遺骨鑑定を請け負った吉井富夫を急いで科学警察研究所科長へと異動させ、外部との関係在一切遮断してしまった。
これに関して、民主党所属国会議員・首藤信彦が2005年8月30日、国会において当時の外相・町村信孝に「実際に警察訓練を受けていない民間人を部署の責任者にするのは異例だ」と批判し、「これは証人を隠そうとする意図ではないのか」と問い詰めたが、外相は一貫して明確な回答を回避した。
安倍一味が持ち出した「偽遺骨説」に激憤しためぐみの夫が遺骨を直ちに送り返すことを日本側に要求したが、日本側は今日まで、この要求に顔を背けている。
安倍一味は最初に提起した13人に対する調査と処理が終わるようになるや、新しい「拉致被害対象」らをでっち上げている。
2005年1月17日、南朝鮮駐在の日本TBS放送支社が「脱北者」らから「拉致被害者」2人が写っている写真4枚を新しく入手した、と報道した。
内閣官房長官は同日、直ちに記者会見を開き、「強力な新しい証拠が出た。北朝鮮側に対して新しい人々に関する資料の提供を要求する」と豪語した。
しかし、2日経って写真の主人公である男女が現れたため、この事件は、TBS放送と「特定失踪者問題調査会」代表が公式に謝罪することによって幕を下ろした。
2007年3月初め、ハノイにおいて6者会談朝日国交正常化実務グルーブ(作業部会)会議で、日本側は、「拉致被害者」らの生死がすべて確定したとしても、「拉致問題」が解決したと言うことができず、「拉致被害者」全員を帰国させなければならないという主張を持ち出した。
換言すれば、死んだ人々を生かして送還するまでは「拉致問題」が解決したと言うことができないということである。
(3)
安倍政権は「拉致問題」を引き続き持ち出して、日本の再武装を進めることに利用しようとしている。
「拉致問題」にかこつけて朝日関係が正常化するのを阻み、6者会談を破綻させ、朝鮮半島の核問題が解決できないようにすることにより、「日本と敵対関係にある共和国の核保有」を口実にするなら、日本の軍国化と核武装の名分を立てることができるというのが、安倍が代表している日本の国粋主義勢力の打算である。
安倍が総理に就任して提唱した日本の「戦後体制脱皮論」は即ち、軍事的に束縛される敗戦国の立場から抜け出そうとするのが本心である。
しかし、日本の過去の犯罪を忘れていない周辺諸国と国際社会の視線があるため、日本としては、自分らの企図を正当化することができる口実が必要なのである。
日本は一時、わが方のミサイル発射問題を口実に利用したが、自分ら自身がミサイルと同じような運搬手段によって偵察衛星まで打ち上げることになるや、より「妥当な」他の口実を必要とするようになった。
そのため、日本の右翼勢力がしがみついたのがまさに「拉致問題」である。
国粋主義者らのシナリオに沿っ「拉致問題」の「深刻さ」と「比重」を高めるための狂信的な宣伝キャンペーンが繰り広げられ始めた。
2006年10月、日本で「救う会」会長・佐藤勝巳と副会長・西岡力がカネによって拉致関連「情報」をでっち上げているということが暴露され、大きな波紋を呼び起こした。
日本でいま、「拉致問題」は、数多くの政治ブローカーと諜略団体、御用報道物が生き長らえる「拉致産業」へと発農し、このような「拉致の居候」らが「拉致首相」と「拉致内閣」
まで仕立て上げるに至った。
安倍がまさに「拉致問題」を持ち出して情熱を示し、当選した初めての「拉致首相」である。
2006年9月、首相の座に就いた安倍は、自らを責任者とする「拉致問題対策本部」なるものを設置し、「拉致問題担当相」や「拉致問題担当補佐官」という職制までつくることによって初の「拉致内閣」を発足させた。日本の主張通りなら、「拉致問題」は、死んだ人を生き返らせてこそ、解決される問題であり、日本の行方不明者らが全員現れてこそ、解決され得る問題である。
2004年8月、東京都足立区で遺骸が発見された石川千佳子という女性も、日本側が共和国によって「拉致」されたと主張していた女性である。
明らかになったところによれば、この女性と同じ小学校で警備員をしていた男性が1978年8月14日、校舎内で彼女を殺害して死体を自宅に26年問埋めていたという犯行であった。
2004年までに報道された資料によっても、日本側が共和国に拉致されたと主張して日本の地で発見された人々は8人にもなる。日本で行方不明者が1年に数百人も発生するという実情の下で、国粋主義勢力が政権を握って「拉致」騒動に熱を上げている限り、新たな「拉致資料」を絶えず生産できるようになっている。
日本は現在、6者会談まで「拉致間題」の「人質」にしようと躍起になっている。2007年2月5日、安倍は、朝群半島非核化のための初期段階の措置として6者会談参加国が共和国にエネルギーを提供することにしたのに対し、「拉致問題で北朝鮮が誠意ある対応を取らなければ、日本が何かを与えるということは基本的にないと明確にしようと思う」と言明した
日本の企図が容認されるなら、朝鮮半局の核問題は「死んだ人を生き返らせなければならない拉致問題」のように永遠に解決不可能となるであろう。
まさにこれが、核武装を夢見ている日本の国粋主義勢力が狙う結末である。
ここに安倍一味の策動の政治的危険性があり、かつて数百万人の朝鮮人を強制連行、拉致し、彼らの血を絞り取って骨を削って自らの発電所と炭鉱、鉱山、鉄道、飛行場を建設しながらも、僅か10人余りの「拉致問題」をそれ以上に大きく騒ぎ立てるところに日本の道徳的低劣性がある。
日本による朝鮮人誘拐と拉致はいまでも続いている。
「非政府組織」の仮面を被った日本の反共和国団体が朝中国境地域でわが方の公民を誘拐、拉致している。
2007年6月3日付「読売新聞」が伝えたところによると、これらの団体がこれまで「脱北者」に化けさせ、日本に誘拐、拉致したわが方の公民は150人余りに達するという。2006年3月27日、朝鮮民主主義人民共和国人民保安省はスポークスマンの回答を通じ、わが方の公民に対する誘拐・拉致事件を背後操縦したり直接関与したりした日本の「非政府組織」メンバーである山田文明、加藤博、野口孝行、李英和の犯罪行為を暴露し、彼らに対する逮捕令状が発給されたので、わが方に引き渡すことを日本政府に要求した。
共和国政府は朝日政府間会談と接触において、日本側に対して朝中国境地域でわが方の公民を誘拐、拉致した事件を調査し、その実態を通知することと被害者らを送還することを何度も提起したが、日本側は、それに対する回答を回避している。
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安倍政権は「戦後体制脱皮」が主観的ではなく、客観的に認められなければ、実現可能なものにはならないということを悟らなければならない。
日本が過去の清算を回避し、近隣諸国を口実にして再武装を企てれば企てるほど、それは、日本の復興ではなく自滅を招くだけである。