近頃の若い者は
近頃の若い者は(ちかごろのわかいものは)とは、年長者が若者を軽蔑する際に使われる言葉である。年齢には関係なく、先人が後発者に対して苦言を呈したい場合は「最近の奴は」などと言い換えることで同義語として利用できる。
一般にはエジプト古王朝の時代から良く用いられてきた、と言われているが、都市伝説である。「昔は良かった」「自分たちの頃は」などと併せて使用される場合も多い。
概要[編集]
時代の変化というものに対し、若年者はすぐさま流れに乗るかのごとく追随するが、齢を重ねて年長者になると自分の人生経験という一定の杓子に固執してしまい、新しいものを受け入れるような柔軟性が失われてしまう事がある。それらの者が、「新しい時代」の先端を行くようなものを若者が行っているのを見た際、良くこの言葉が発せられる。当人も若年の時、年長者から同じ事を言われたのは全く覚えていないようで、それが現代に至るまでこの言葉が受け継がれている土台になっている。
現在ではこの言葉の使用も若年化が進んでおり、幼稚園の年長(5・6歳)も使用している。しかし使用する状況は同じで、年少・年中の新しい考えについていけなくなった園児が使用しているようである。
言葉の矛盾[編集]
基本的に年長者が若者を侮蔑するときに用いられる言葉だが、この語自体に大きな矛盾が指摘されている。
つまり、年長者たちは近頃の若者たちの振る舞いや行動に関して苦言を呈しているのだが、彼らの言う「人としてなっていない」若者たちとはまさに彼ら自身の子供たちでもあり、それを育ててきた、もしくはそういった若者が増えるような社会を作り上げてきたのは紛れもなく批判をしている年長者自身であるという事実が恣意的に無視されている。
また、紀元前の哲学者プラトンもピラミッドを作った労働者も「近頃の若いものは」と残している通り、言っている年長者もその若いものに含まれていたということは、恣意的に忘却されている。
このことから、本来ならば年長者が「近頃の若いものは」という批判をするときは若者にではなく、そのような若者を育ててきた自分たちに対して非難していることになる。しかし年長者たちはもし誰かにそういった指摘を受けたとしても、「これだから近頃の若いものは」といって結局聞く耳を持たないことがほとんどである。それでもしつこく追求すると年長者特有の権力や検閲により削除、検閲により削除により社会的に検閲により削除てしまう可能性も指摘されている。
誤った使用例[編集]
基本的に年長者が若者の話題についていけない、行動を理解できない、自分に従順ではない、または単に不機嫌なときに用いられるが、そのシチュエーションも千差万別である。そもそも前述の通り年長者がこの言葉を使う時点で使用法を間違っているとも言えるが、それを別にした上でさらに誤った仕方、もしくは的外れな仕方で使用される場合もあるので注意が必要である。以下はその例。
- 列車内にて携帯電話でインターネット、メールなど他人の迷惑にはならない行為をしているとき、「他人に迷惑」と主張して的外れな指摘する場合。
- 本人は正義感と達成感にあふれているが、逆に周囲の人からは可哀想な目で見られていることが多い。
- 若者同士の会話の中でカタカナ言葉が多く使われるために話についていけない場合。
- 自分の子供との会話がなかなか弾まない場合。
- 相手のせいにしないでがんばってください。
- 自分が犯した失敗をさりげなく若輩に押し付ける場合。
- 本人はごまかしたつもりでも基本的にバレバレなので、逆に恥をかくことが多い。